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深海から持ち上げられた遺物はようやく全貌を表す。だが、遺物は見えない。なぜなら、それは覆われていた。無数の禍種。大小様々な肉塊、触手、脚、牙、殻。それらが折り重なり、絡みつき、遺物に食らいついている。
しかも――
「喰い合ってる」
禍種同士が、だ。遺物に近づこうとする個体を、別の個体が噛み裂く。裂かれた肉が海水に溶けボタボタと落下し、魔獣は魔力となり空気中へと溶けていく。深海から出ていた赤黒い滲みの正体は禍種の血と臓物であったのだ。
「まるで餌場だな。死体といえど、強大な力が宿っている遺物は食えば力になる。私たちがここに近づくにつれ襲われ無くなったのも、私たちより遥かに旨味のある食い物があったからだろうな」
「だからそれを奪おうとすれば襲われる」
夜凪の声は低い。すでに能力を展開している。見えない刃が、遺物の周囲を薄く囲む。
「頼んだよ」
夜凪は一歩前へ出る。夜凪の能力はサイコキネシス。訓練し能力を拡大解釈したそれは触れずに触れる力。
まず一体。遺物に深く噛みついた禍種の顎が、内側から弾けた。骨が砕け、脳漿が飛び散る。悲鳴は出ない。音が空気に届く前に潰される。
次。触手の束を絡めていた個体は、触手ごとねじ切られる。肉が千切れ、腱が伸びきり、最後にぷつんと切れる。
「……多いね」
「急がなくていい」
大海の声は落ち着いている。海は、依然として彼の掌中だ。
夜凪は焦らない。一体ずつ確実に。遺物を傷つけないように。
剥がす。
殺す。
剥がす。
殺す。
禍種が落ちるたび、遺物の一部が露わになる。やがてその全貌が見えた。七角龍の遺物。禍種に食べられていたのに象よりもよほど巨体な肉片。それは物ではなかった。裂けた筋肉。血が滴り、未だ鈍く脈打つ肉。
その隙間から、白く太い骨が露出している。遺物というにはそれはまだ生きていた。この遺物は頭の1部だったのだろう。枝分かれした角の根元には歪な形の頭蓋がくっついている。
最後の禍種が、遺物に必死に噛みついていた。飢えた獣のように、逃げもせず。夜凪は開いていた手のひらをグッと握りしめる。
圧壊。禍種は音もなく潰れ、肉片となって散った。夜凪は小さく息を吐く。
「終わった」
「いや」
大海は遺物から目を離さない。
「回収はこれからだよ、満月さん。」
大海の言葉に、甲板の空気がわずかに引き締まる。
確かに、禍種を剥がしただけでは終わらない。問題は運ぶことだ。宙吊りにされた七角龍の遺物は、月光を浴びてぬらりと光っている。肉は重く、骨は太く、何より遺物に執着している呪いの残滓が生々しい。どこからこんな呪いを引っつけて来たのだろうか。七角龍自身の呪いか、それとも七角龍を殺した相手か、禍種か。
夜凪は一歩近づき、距離を測るように目を細めた。
「……そのまま甲板に置いちゃ、だめ?」
「いいとも。一緒に日本まで泳ごうか。」
大海は即答する。冗談めかした調子だが、視線は真剣だ。
「吊り続ける?」
「長時間は無理だ。海を抱えたまま航行するのは、船にも私にもよろしくない」
二人は同時に遺物を見る。脈打つ肉。周囲に垂れ流しの魔力。放っておけばまた何かを呼ぶだろう。
夜凪が、指先を軽く鳴らした。
「じゃあ、包む」
「包む?」
「うん。船ごとじゃない。遺物だけ」
夜凪は両手を広げ遺物に突き出す。空気が集まる。だがそれはただの空気の層ではない。
空気を圧縮、層化、位相ずらし。そして魔力で包む。
夜凪の能力を拡大解釈した、“触れずに固定する”空気の檻。遺物の周囲に、目に見えない輪郭が生まれる。血はそこで止まり、滴らない。臭気も、魔力も外へ漏れにくくなる。
その様子を見て、大海が小さく息を吐いた。
「……なるほど」
夜凪は視線を遺物から外さず、そのまま言う。
「私が持って帰る」
一瞬、甲板の空気が止まる。
カンシが瞬きを忘れ、海鳥が「は?」と間の抜けた声を出した。だが大海だけは、驚かなかった。ただ、ほんの少しだけ目を細める。
「君ひとりで?」
「うん。重さも呪いも全部まとめて。空気で隔離して私の感覚圏に固定する」
夜凪の声は淡々としている。だがその指先は、わずかに震えていた。怖いのではない。集中し始めているのだ。ようやく夜凪は大海を見る。
「私はこれに集中していい?これ、持ってる間は私役たたずかも。」
その言葉に、大海は一拍だけ沈黙し——
次の瞬間、楽しそうに笑った。
「役割分担、というわけだ」
肩をすくめ、海へと向き直る。
「いいだろう。私は海を制する。寄ってくるもの、潜むもの、全部だ」
その足元で、海が応えた。水面が低く唸り、遠くで波が立つ。夜凪の感知にも、周囲の深海で蠢く無数の気配が浮かび上がる。魔獣、魔物、餌を失った捕食者たち。大海はそれらすべてを、一度に見渡していた。
「君は前だけ見ていなさい、満月さん」
振り返らずに言う。
「後ろは、私が片付けよう」
夜凪は小さく頷く。
「ありがと」
それだけ言って、再び遺物へと意識を戻した。空気の檻が、さらに密になる。層が重なり硬度が上がる。現実と遺物の境界が曖昧になる。それはもはや包むではなく、世界から切り離す作業だった。遺物が、ぎちりと軋む。肉が脈打ち、骨が鳴る。
「……よし」
夜凪の呼吸が、遺物と同期する。重さは、すべて彼女の内側へ移された。世界から遺物の気配が曖昧になる。その瞬間。海が荒れた。
否——荒れようとした。
だが次の瞬間、海は押さえつけられる。波は砕かれ、流れは曲げられ、深海から伸びる無数の意志が見えない手でねじ伏せられる。大海が腕を組み海を睥睨する。
「静かにしなさい」
低く、温厚な声。だがその命令に、海は逆らえない。
「今は、遊ぶ気分ではないんだ」
夜凪はその姿を一瞬だけ見た。そして、ほんのわずかに口元を緩める。
なんて頼もしい仲間なのだろうか。一緒にいても短気で暴れる訳でもなく、感情の起伏が激しくもない。ましてや貞操や命の危機も感じない。素晴らしい人選である。少し倫理観がないことくらいどうってことないではないか。
七角龍の遺物は、夜凪ひとりの力で、空気に抱かれたまま船へと引き寄せらる。夜凪の横では大海が海と魔物すべてを黙らせていた。誰も邪魔できない。誰も追いつけない。回収は完璧である。
はたと夜凪の集中力が一瞬ぶれる。夜凪はアッと声を出して船尾へ走る。それに他3人は驚いたような反応をした。
夜凪は思い出した。七角龍の遺物なみに夜凪にとって大切なものを。
そこにいたのは夜凪の能力により死にかけていた人魚達だ。夜凪は完全に人魚を忘れていた。人魚の拘束は強めた意識はないけれど無意識に七角龍と共に強まったのだろうか。11匹いたはずだが数が7匹になっていた。4匹は魔物として死んで消えたのだろうか。そして2匹は魔獣だったのだろう死体が残っている。残り5匹の人魚は瀕死ながらも生きていた。夜凪は叫ぶ。
「カンシっ!カンシィ!回復して!人魚を助けてっ!」
そこに大海がやってくる。
「本当に残念だ、満月さん。」




