21
夜凪は初めに捉えた甲板に転がっている美しい顔の人魚を人間のように縦に動かないように固定する。そして大海と共に一体の人魚をまずはじっくりと観察する。顔を撫で指をなぞり鱗1枚1枚に触れていく。人魚が窒息する様子はない。呼吸はできている。
「なるほど」
夜凪は一歩近づき、観察を始める。首元に 鰓の痕跡、切れ込みがある。一見すると人魚の首元は人間と大差ない。だが、顎の付け根から鎖骨の内側にかけて、薄い鱗状の皮膚が斜めに走っている。
その 鰓らしき部位を大海が海水で覆うとわずかに開閉する。つまり、鰓で間違いない。魚のような露骨な鰓裂ではない。外敵や人間に異質さを悟られにくい擬態構造の可能性が高い。
夜凪は初めてじっくりと見る人魚になんだか楽しくなってきた。大海はもっと楽しいのだろう。人魚とキスをしている。
人魚とキスをしている?!
「えっ、ま…ど、ドン。何をしてるの?汚くない?」
「いやなに、楽しくなってしまってね。少し味見をしてみたくなった。満月さんもするかい?冷たくて気持ちいいよ。」
「やめとく。魚臭そう。」
「そう思うだろう?これが意外と魚臭さは全くない。ほとんど人間の女と変わらない。変わるところがあるとすればこのギザギザの歯だ。寄生虫と毒と細菌が怖いが死んでもどうせ生き返るからな。楽しまないと損だろう?」
「ドンが今死んだら任務失敗するんだけど。」
「大丈夫さ。海鳥は解毒と治癒が得意だからね。ほら、人魚の呼吸と魔力が乱れている。胸郭は人間に近いのに上下動が異様に少ない。肺は補助で主が鰓なんだろう。満月さん、能力を解いてくれるかな?」
「うん。」
「良い子だね。見てごらん。喉は振動しているが声が出ないみたいだ。酸欠だ。つまり、口や肺は歌うための器官ってところか。そうなると声の伸びやハリが不自然だけどそこは魔法を使っているんだろう。まあ、断言するのは解体してからだ。」
「ドンって、医者だったりする?」
「まさか、ただの趣味だよ。」
そう言いながら大海は人魚の人間と魚の境目の部分をまさぐっている。
夜凪も触れてみる。触れている感じは骨盤はない。背骨は脊椎から尾まで1本で繋がっている。皮膚は全体的に冷たい。腹部は柔らかいがやや硬く、下腹部から徐々に質感が代わり鱗に覆われていく。臍は見当たらない。ならやはり人魚は魚類なのか、両生類なのか、それともカモノハシと同じ半水棲の哺乳類なのかと好奇心が湧いてくる。
まあ、確定で魚類だろうと夜凪は考えている。だが念の為、生殖孔を探す。
「あっ、あった。ドン。生殖孔と排出孔あったよ。別々になってる」
「なに?どういうことだ。」
大海はものすごい勢いで夜凪へと近づく。その圧に押されて夜凪は大海から離れる。
体外か体内受精かは下半身の魚によるのだろうか。軟骨か硬骨魚類か。哺乳類か魚類か。てっきり総排出腔があると思っていたが見た限り別々に別れていた。つまり、卵は産まずに人魚は人間の体の中で子供を育てるのか。分からないことが多すぎる。
「ドン、マーメイドン。ちょっと解体しない?少しだけ。だめ?」
夜凪は我慢できずにウキウキと提案する。カンシや海鳥が時間がどうとか言っているがこれを解明しないと遺物回収には集中できそうにない。
「ねぇ、だめ?ドン〜。これが終わったらカンシができる範囲でなんでも言うこと聞くから、お願い。」
夜凪は全力で甘い声を出し大海に媚びる。何としても知りたいのだ、この謎を。胸がドキドキする。未知を前に夜凪は胸のときめきが止まらない。夜凪の提案に、大海は面白そうに頷く。大海も未知を前に目がキラキラと輝き、ニコニコ笑顔を浮かべている。
「勿論良いとも。よし、始めようか。」
大海が低く言うと、夜凪は人魚の身体を仰向けに横たえると固定しなおす。大海が海水で頭からから鰓まで覆う。人魚の鰓パクパクと開閉する。
やはり、鰓呼吸が主力だったのか。
夜凪が人差し指を出し尾から腹に向かって慎重になぞる。異能の刃が人魚を切り開いていく。魚部分の骨格はしっかりとした構造で、背骨は脊椎から尾にかけて一本で連なっている。切れ目から柔らかい筋肉が現れ、鱗と皮膚の境界も明瞭にわかる。腹部は柔らかく弾力があり、皮膚は全体的に冷たい。
「まずは魚部分からだ。尾ひれに沿って背骨を外そう。」
大海が指示する。夜凪は刃を滑らせ、背骨に沿って丁寧に筋肉を切り分ける。切り取られた尾は魚の特徴を色濃く残し、産卵口や排泄孔は確認できないが、尾付近の骨格や鰓の痕跡から魚としての発達がよくわかる。
次に腹部の人間部分に刃を進める。皮膚は人肌の感触で、胸郭も人間に似た構造だが、内部を開くと魔力の流れが渦巻く。ここで生命活動の限界が来たのだろう。魔力が霧のように溢れ出し、身体が淡く光って消えた。顔が人型の人魚は、肉体としては存在せず、内部まで詳細に模倣された魔力の塊にすぎなかったのだ。
「魔人は、やはり魔力でできている。死体は残らない。」
大海が淡々と告げる。その口元には笑みが浮かんでいる。
次に残った魚の要素が強い顔の人魚。こちらは骨格も筋肉も完全に発達しており、内臓も整っている。鰓で呼吸し、肺も補助的に機能している。総排出腔は尾の付け根付近にある。魚の種類が軟骨か硬骨魚類かによって胎生か卵生かが決まっているのだろうか。今回は下半身の形から鯖の人魚といったところだろうか。
尾骨を外し、筋肉を切り分けると、魚としての構造が詳細に確認できる。
「面白いのは、生殖孔と排泄孔が分かれているものは魔人型だということだ。つまり、魔人型は顔しかり、生殖器しかり魔獣型よりも正確に人間を模倣しているということか?」
大海が観察を続けながら言う。魔人型の人魚は生殖孔が人間と魚の境目やや下に位置し、排泄孔はその下にある。魔獣型の人魚は、魔人型の人魚の生殖孔のところにまとめて存在する。
大海は魚型の人間部分を観察する。夜凪はじっくり観察しながら、異能力を使い内臓を切り分けていく。肝や腎臓は魚の形態通りに発達している。大海の言うことが本当なら本物の魚の鯖と中身も酷使しているとのことだ。
「なるほど、ね。魔獣って人魚でも生き物としての体はちゃんとできてるんだね。すごい適応力。」
夜凪は言いながら魚型の魔獣の内臓を確認する。
「呼吸も二重構造。肺も鰓も、胎生も卵生かはもっと捌かないとわからないが、それも楽しみだ。人間と魚の接合部分も自然に融合してる…本当に生物として完成されている。私としては新しい種族として認定してもいいくらいだ。」
大海は笑みを浮かべる。言葉は止まらない。
「面白いだろう、満月さん。魔力だけじゃない、生物としての完成度も見て取れる。人魚は、ただの幻想じゃなかった。いつか、イルカやサメ、タコの人魚も見てみたいものだ。…さて、残りは私たち素人判断ではなく、きちんとした場所に提出しようか。満月さん、疲れてはないかな?」
「はい、大丈夫。満足したから気力も十分。」
「それは良かった。では、遺物回収前にこの魚の部分。これから食べないか?」
海鳥が叫ぶ。
「もう時間切れだ!勘弁してくれ大海殿!」
こうして、人魚の身体を解体しながら、夜凪たちは人魚の未知を既知に変えた。めでたしめでたし。




