18
食後、甲板に残るのは骨と脂の匂いだけだった。エンジンの低い振動が足裏から伝わり、船は一定の速度で進みやっと赤から青に色が変わった。
海鳥が手元のカップを揺らしながら夜凪に向けて口を開いた。
「で、後どれくらいで着くんです?」
夜凪は一瞬だけ空を見て、感覚を測るようにしてから答える。
「今、出て一時間くらいだよね。ならあと十時間くらい?たぶん。」
カンシと海鳥は目を瞬かせた。
「……は?」
「十時間?」
「うん。この速さだと。」
海鳥は乾いた笑いを漏らす。
「おいおい、そりゃ片道三百キロ前後でしょう。もっと近場だと思ってましたよ。」
海鳥が空を仰いで大袈裟に言う。カンシが即座に被せる。
「全然伊勢湾付近ではないじゃないですか。満月様は“付近”という言葉の定義を見直す必要がありますね」
大海は気にした様子もなく笑った。
「はは。まあ、そういうこともある」
軽すぎる返答に、二人が同時にため息をつく。
「それに」
大海は食べ終わった皿を脇に寄せ、穏やかな声で続けた。
「未知の魔獣を食べるチャンスだろう?長距離航行の特典みたいなものだ」
夜凪は微妙な顔をする。
「私、食あたりで死にたくない」
「いやぁ」
大海は楽しそうに肩を揺らした。
「ディーゼルで来て正解だったな。速度も距離も問題ない。何かがあってもし船を捨てる羽目になっても私がまとめて岸まで運ぶ。安心しなさい。」
一瞬、当たりを沈黙が包む。海鳥は苦笑する。
「まあ……大海殿がそう言うなら、生きては帰れるだろ」
夜凪は箸を置き、海を見た。
「十時間、何も起きなければいいけど」
大海は穏やかに笑い断言する。
「それは無理だな。海は、退屈を嫌う」
その言葉通り、遠くの水面が、わずかに不自然なうねりを見せていた。船は時に迂回し禍種を振り切りながらも進んでいく。
それから4時間たっただろうか。船内で横になって休んでいた夜凪は急に立ち上がり甲板に出る。その様子にカンシも不審に思い夜凪に続く。
「夜凪、どうかしましたか?」
夜凪はカンシの言葉を無視しキョロキョロと当たりを見回している。船首から船尾まで行ったり来たりしている。船首楼甲板で海を眺め、禍種の駆除をしていた大海も夜凪の動きを目で追っている。
「んー、どうしようかな。」
夜凪がぽつりと呟いた。誰に向けた言葉でもない。視線はやはりキョロキョロと空や海に急かしなく向いている。
「何かあります?」
海鳥が聞き返すも夜凪は無視して大海の方へと向かう。
「流れ。このままだと、遺物の真上を外す。」
大海は即座に察したように頷く。
「どれくらい?」
「二度、東。ほんの少し。でも、道なりに行くと魔人の群れと遭遇する、かも。…すみません。もっと早く気づけば良かったです。迂回しますか?」
「向こうは気づいてるか?距離は?」
「たぶんまだ。あと2時間後くらい。」
「海鳥、軌道修正だ。」
大海は鋭く海鳥へ声をかける。それを聞いた海鳥はインカムで瀬呂里へ2度東へ方角を修正する旨を伝える。
操舵輪が静かに切られる。
エンジン音は変わらないが、船の進路だけがわずかに修正される。
「…うん。これで方角は合う」
「さすがだな。魔人は何匹かわかるかい?」
大海が感心したように言い視線を海に投げる。大海からも重たい異能力の波動を感じる。大海も海の向こうへ距離を測るために異能力を伸ばしているのだろう。
夜凪はその様子を確認すると、再び異能を海中へ伸ばした。海中は変わらず禍種の大群で埋め尽くされている。遠くには七角龍の遺物が強大なエネルギーを放つ様子が感じられる。
近くなる距離に夜凪はソワソワと落ち着かない気持ちになる。自分よりも遥かに強大なエネルギーが近づくと誰しも落ち着かないだろう。何故こんなにも圧倒的な存在感を放つ遺物の力を他人が感知できないのか理解できない。だが、まずは目先の問題が先である。
七角龍の遺物よりも更に夜凪たちの近くに強い魔力反応を感じる。知性のある行動をしていることから魔人であることは間違いない。のだが、如何せん数が多い。魔人は基本群れないはずだが12匹もいる。
「魔人が12匹も群れてる。たぶんとっても知性が高いのかな。」
夜凪は緊張しているのか声が固い。夜凪につられてカンシも表情が強ばっていく。その様子に大海が穏やかな表情で夜凪に言う。
「ああ、安心しなさい。魔人といっても所詮は魚だ。魚が魚らしく群れているだけだから気にしなくても大丈夫さ。満月さんは海中戦は初めてかな?」
その言葉に夜凪はコクンと頷く。それに大海は優しい声で答える。
「陸とは違って海は禍種も魔人も群れていることが多い。10体前後の魔人なら人魚の可能性が高い。もしも人魚なら私が殺すので満月さんは惑わされないように音にだけ気をつけてくれるかい?」
「イェス、ボス」
「ふっ。良い子だね。人魚は天候を操作し、歌声で人を惑わせる。魔人並の魔力を持っていても知能はただの雑魚だ。君なら普通に殺せるだろう。」
大海から人魚は雑魚というお墨付きを貰った夜凪は落ち着きを取り戻す。カンシは海鳥から人魚についての資料をスマホで貰っていた。
「良かった。私、人魚初めて。やっぱり綺麗な見た目してる?」
「いいや、ピンキリだよ。魚の顔もいれば、人の顔もいる。綺麗な顔もいるにはいるが、あんな下等生物よりも君の方が遥かに美しい。」
その言葉を聞いて夜凪はふわりと笑う。お世辞とわかっていても褒められたら嬉しいものだ。それが自分よりも上だと思っている者に褒められたらなおさら。
「マーメイドンの方が綺麗だよ。」
夜凪は真っ直ぐに大海を見て言う。大海は驚いたように笑うが夜凪にとっては大海も綺麗な顔をしていると思う。特に濃紺の瞳は深海のように光を吸い取るようで美しい。
伝えたいことを伝えた夜凪は大海から興味を失ったようにふっと視線を外しカンシへ声をかける。
「カンシ、瀬呂里の所に行こう。」




