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能力者どうしの力のぶつけ合い。
瓦礫が浮き、地面が軋み、空気そのものが押し潰されそうな圧に揺れている。何もない空間が歪み、時折雷が落ちたかのような轟音を響かせる。
夜凪は肩で息をしながら、掠れた小さな声で言った。
「……どうしよう、たかおみ君。」
その声が、怒れる遮那王の耳に届く。
その瞬間だった。轟音がぱたりと止む。浮遊していた瓦礫が、ゆっくりと地面へ落ちていく。空間を歪めていた重圧が、嘘のように消え去った。
遮那王、久世 鷹臣の動きが完全に固まった。彼は夜凪の方を振り返るわけでもなく、ただその場で息を止めたように静止する。そして、ゆっくりと、首を夜凪に向けた。
鷹のような橙色の瞳が震えるように揺れる。普段は刃のように鋭い視線から険が抜け柔らかみを帯びる。縦に細い瞳孔がすっと開き、黒目がちになる。遮那王は目を見開いたわけではないのに驚愕がそのまま形になりわかりやすい。
遮那王の呼吸がひとつ乱れた。
「……夜凪?」
声が少し掠れていた。戦闘中だったとは思えないほど弱く頼りない。まるで胸のどこかが急に冷えて、言葉がそのまま落ちてしまったみたいな声音。
怒りではない、苛立ちでもない、まして侮蔑など影もない。遮那王の心の中には理解が追いつかないという純粋な戸惑いだけが浮かんでいた。遮那王の眉尻がわずかに下がる。その表情が、遮那王としては異例すぎるほど人間くさい。
遮那王は握りしめていた拳をゆっくりと開き肩の力を抜き夜凪に問いかける。
「…よ、な。…っ、すまない。…大丈夫か?痛かったよな。」
戸惑い、困惑、理解不能。その全部をひとまとめにしたような、弱い、でも心配するような声。心配の声をかけながら遮那王は夜凪へと近づいていく。普段なら近づけば離れる夜凪が離れない様子に安堵する。そうして、切れた頬を労わるように優しく撫でる。
重力の奔流が消え、空気が静まる。一連の流れを見ていた慈悲王は珍しいものを見たと心底楽しそうに笑っていた。
目の前で起きた異常事態。遮那王が、夜凪のたった一言で暴走を止めるという、ありえない光景。そのありえない光景に慈悲王は頬がゆっくりと歪む。口角が上がりすぎて、痛いと感じるほどだ。目尻が細くなり、水色の瞳は獲物を見つけた捕食者のように蘭々と輝いている。
「……あは。あはははっ!……」
喉の奥で噛み殺した笑いが漏れる。その声は柔らかいのに、どろりとした愉悦がのっている。
「ねぇ……今の、すっっごく良いですねぇ?」
まるでお気に入りの玩具を見つけた子どもみたいに、
両手を胸に胸の前で組み、遮那王と夜凪を眺める。
その顔は、純粋な好奇心と愉悦。子供が虫かごの中の虫を瞳を輝かせて観察するような興味の目。慈悲王はゆっくりと首を傾けた。その仕草は優雅で柔らかいのに、底にあるのは救いようのない悪意と愉悦。
「鷹臣くん、ねぇ。あなた、そんな顔するんですね……夜凪ちゃんに名前呼ばれただけで?」
くす、と笑う。
「ああ、これだから人間は面白い……っ!」
慈悲王は考える。
ああ、新月を殺して夜凪ちゃんを怒らせて、夜凪ちゃんを殺して鷹臣くんを怒らせたらきっと楽しいですよね。そして、最後には鷹臣くんを殺しましょう。夜凪ちゃんを鷹臣くんの前で犯して殺してまた犯して、捌いて食べたら鷹臣くんはどんな感情を見せてくれるんでしょうか?いや、食べてるものが夜凪ちゃんだと後で教えた方が面白いですかね?できれば夜凪ちゃんでももっと遊びたい。もっともっと仲良くなって遊びましょうね、夜凪ちゃん。もっと僕に色んな感情を見せてください。
夜凪は様子のおかしい2人を視界に納めると思わず気が遠くなる。どうやら、遮那王の心配スイッチを踏み抜き、慈悲王の新しい扉を開いてしまったらしいことを察知する。
夜凪としては どうしようたかおみ君 の後は、
──チッ!しょうがねぇな。顔傷付けて悪かったぜ!
──ええ、貴方の顔に免じて終わってあげます。ほら、顔を治してあげますね。それにしても、良かったですね遮那さん。無様に僕に負けずにすんで。
という予想だったのだが反応が予想と全く違うのだ。遮那王はこんなに意気消沈しないし慈悲王は不穏な空気で悪意増し増しでくふくふ笑っている。なんだ、この空気は。
遮那王なんか気が遠くなった夜凪の顔を両手で包み熱を計り、脈を計り下眼瞼の色を観察したりと忙しい。思わず嫌になり顔を背けると「こら、大人しくしろ」と落ち着いた声で諭される。本当になんなんだこれは。
「避難所に戻りたい」
夜凪は弱々しい声で遮那王に言う。これでは夜凪の作戦勝ちどころか1人負けの気分だ。
「ああ、そうだな。俺たちが来るまで一人でよく頑張ったな。それなのにこんな事に巻き込んで悪い。疲れただろ、少し休んどけ。……おい、お前は歩いて戻れ。」
遮那王は優しい声と慈愛の籠った瞳で夜凪にそう返すと夜凪を姫抱きにし能力を使い宙に浮いて高速で移動する。慈悲王に向けた氷のような瞳と冷酷な声の温度差がありすぎて風邪をひきそうだ。夜凪は慈悲王が蘇生した人間を忘れないよう遮那王に言う。
避難所に戻った夜凪は暖かい飲み物と毛布を用意され柱の影で休んでいる。隣には遮那王がいる。1人になろうと移動すると遮那王が着いてきて隣に座るのだ。3度同じ行動を繰り返せば諦めもつく。遠く離れた場所ではカンシが気持ち悪そうな顔で夜凪を見ている。慈悲王は時折死体で遊びながらも怪我人を全て治し、床に毛布を敷き眠っている。死者蘇生は色々な事情の末SABの支援部隊が来てからということになった。時間経過と共に死者蘇生の確率は下がるが仕方ない。
あ、カンシからメールだ。なになに
夜凪、遮那王に何をしたんですか?
夜凪はカンシに実際に見せた方が早いと思い遠くでこちらを見ているカンシに向けて困った顔を作り首を傾ける。それを見たカンシが頭を抱えた。
またひとつ、カンシに心労をかけてしまった。まあ、いいではないか。最小限の被害で特A級能力者2名の争いを止めたのだから。夜凪は次の任務を遂行するために先程メールで送られてきた内容に考えを巡らせる。
考えながらもだんだんと意識は遠のいていく。現在は22時ほどだ。お昼からよく休憩せずに頑張ったものだ。夜凪は少し休もうと目を閉じる。いつの間にか意識は落ちていた。




