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ピリリ!ピリリリ!
夜凪の上着の内ポケットに入っていた携帯端末が音を立てて震える。夜凪はただのメールには通知設定していない。そのため、音を鳴らし送られて来るメールは緊急である。それらの連絡は絶対に確認するようにカンシに言い含められている。だが夜凪へ送られるメールは大抵カンシにも送られているため夜凪はいつもメールを確認せずカンシの口頭から概要を聞いている。今回もまたカンシへメール内容を聞こうとカンシへ顔を向けると何やら様子がおかしいようた。
専属監視官たちの携帯端末が何度か音を鳴らす。夜凪よりも多くのメールが届いているようだ。メール内容を確認している監視官たちはサッと顔色が悪くなりお互いに顔を見合わせている。その様子に夜凪も己のメールの内容が気になり目を通す。が、メールの内容は至ってシンプルで要約すると被害を最小限に生きたまま特A級能力者である慈悲王と遮那王を捕獲することとしか書かれていない。現状を見れば予想範囲内の連絡内容だ。それに夜凪が首を傾げてカンシを見る。カンシもこちらを伺っていたようだ。冷や汗を垂らしながら言葉を発する。
「満月様。SABから本気のお叱りメールが届きました。」
夜凪は無言でカンシへ手を差し出す。端末機を寄越せという意味だ。
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件名:至急。特A級能力者二名の暴走
送信者:SAB本部・危機管理第参課
宛先:特A級能力者専属監視官 各位
優先度:最上位
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監視班各位
本通達は、貴班の監視対象である遮那王および慈悲王 が避難指定区域内において暴走行動を行った事案に関する緊急報告及び指示である。
貴班は、下記各項目に従い、直ちに対応及び報告を実施せよ。
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1. 事案概要及び責任所在の明確化
貴班は、監視対象による現場被害状況の把握及び、監視班の初動対応の詳細を書面にて報告すること。被害対象には避難民及び一般市民が含まれる。人的被害の拡大は、監視班の初動判断に起因する可能性があるため、詳細な経緯を報告せよ。
2. 監視不作為に関する説明
監視対象による死体操作、環境破壊、禍種の暴走等、現場において貴班が有効介入を行わなかった理由を具体的に記述せよ。
3. 進行中の制御作業への協力
現在、夜凪が政府命令に基づき、対象二名の行動制御を実施中である。監視班は現場での安全確保および制御作業補助を直ちに行うこと。対象の致命傷を避けつつ、被害の拡大を防ぐことを最優先とせよ。
4. 報告期限
制御完了後、以下の報告書を提出せよ
•監視対象の行動記録及び影響範囲
•監視班の初動対応及び不作為に関する詳細報告
•二次被害及び遺物・禍種の影響評価
提出期限:制御作業完了後速やかに。
5. 注意事項
本件に関する不作為・報告遅延は、特務異能対策本部監査委員会及び監視官指導部による 処分・教育対象 とする。
貴班は、現場における緊急対応能力と判断力の欠如により、被害を拡大させないよう厳重注意せよ。
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以上。
本通達は、緊急対応指示であると同時に、貴班の 法的責任及び行政責任 を伴う。理解した時点で確認報告を提出すること。
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夜凪は静かに通信端末を握った。画面の向こう、上層部の声が淡々と響く様子が頭に浮かぶ。夜凪はゆっくり息をつき、目を閉じる。そしてゆっくりと目を開ける。その目には憐憫が籠っていた。一言、
「どんまい」
「うわぁぁあああ!!!どうにかしてください!夜凪!貴方ならどうにかできるはずだ!今でこそ使う時でしょうっ!特A級!能力者様の!権力をっ!!!」
遮那王の監視官である鞍馬は頭を抱えて泣きながら呻き、慈悲王の監視官である温情は膝をつき手を組んで慈悲王に祈っている。可哀想に。夜凪は監視官たちを眺める。
「…怒られすぎないように口添えくらいはするよ。圧倒的に悪いのは死体で遊ぶ慈悲と短気な遮那だから。」
穏便に──、それが条件だ。殺さずに止めろ。自分と同レベルの能力を持つ二人を制止すること。それをできるのは自分しかいない。
「…すぐに2人を連れてくるから暖かい物でも飲んでゆっくりしといたら?……マツガタ!暖かい飲み物3つ準備して!」
夜凪は2人の王を止めに行くため出口へと向かう。その前にホットティーを準備しているマツガタへと特A級の2人を止めに行く旨を伝える。
「はい、行ってらっしゃい。満月様、お気をつけて!満月様の分も作っていますので戻ってきたら召し上がってください!」
「ありがとう」
見送られた夜凪は感謝を伝え入口へと向かう。扉を向ける身体を宙に浮かすと一直線に2人の元へとんでゆく。道中、魔力感知の範囲内に入った禍種はもちろん皆殺しだ。
夜凪は2人の近くへいくと異能力を行使する。異能が空間を僅かに歪め、目に見えない膜となって拡がる。夜凪の異能の効果範囲に入った瓦礫、吹き飛ぶ木片や禍種の群れも微動だにできず静止する。
2人が異能の範囲に入った途端、夜凪はゆっくり息を吸い力を一点に集中させる。
遠く離れた場所には遮那王と慈悲王がいる。二人の身勝手の極意がぶつかりあった現場は爆発と衝撃で荒れ果て、倒れた死体や禍種の残骸が散乱している。遠く離れた宙にいる夜凪にもその戦闘による風圧が届く。風圧により夜凪の被っていたフードがパサリと落ちる。それに構わず夜凪は掌を前に突き出す。見えない力の壁が空間に広がる。遮那王の地面をも砕く拳は鋭い風を切る音とともに空中で止まり、慈悲王の再生する身体は再生途中のまま抑えられる。二人は驚き目を細める。夜凪は2人が止まったことを確認すると絶対に動けないように異能力を強めながらゆっくりと2人の元へ向かい地面へ降り立つ。
「…満月、邪魔をするな。殺すぞ。」
遮那王の低く響く声が空気を裂いた。殺気がビリビリと肌を刺し、遮那王が操る重力に押され始める。夜凪はそれに対抗し同等以上の異能力を返し相殺する。
「満月ちゃん。横槍は行儀が悪いですよ。」
慈悲王はニコニコと笑顔でそう言うが目が笑っていた。手を広げた状態で固まっているもののその両手からは緑色の閃光が煌めき死体や禍種を操ろうとしている。だが夜凪の異能がそれを拒む。物理操作の異能が慈悲王の腕の動きを封じる。慈悲王に操られている死骸も動きしだい、夜凪が力づくで止めてゆく。
だが徐々に遮那王の重力操作に夜凪の物理操作の力が押され始めている。これは困った。
「ねぇ、もう終わらない?」
ただでさえ特A級能力者を2人相手にするだけでも分が悪いのにそのうちの1人は重力操作の遮那王だ。夜凪へ能力の使い方を教えていた遮那王相手にでは戦闘パターンが割れている分長期決戦は分が悪い。それに、重力操作の遮那王に対して夜凪は物理操作、つまりサイコキネシスだ。使い方は似ているが本質は全く別物である。総合的には夜凪が勝つだろうが局所的で単純な力比べだと遮那王が勝つだろう。これは本当に困ってしまった。考え事をしているうちも遮那王の重力負荷が夜凪を襲う。汗が垂れ額に張り付いた髪が気持ち悪い。
「うーん」
悩む夜凪に構わず慈悲王は唇を震わせて笑う。
「はは、面白いですね。私を止められると思います?」
慈悲王も死体を操る効果範囲をどんどん広げているようだ。夜凪の異能の範囲外へ向けて徐々に死体が動く数が多くなってきている。遮那王の圧はどんどん強くなる。これは勝てない、そう思った夜凪は最終手段に出る。それは助けを求めることだ。夜凪は遮那王が自分に甘いことを知っている。自分の容姿を好ましく思っていることも知っている。それを存分に利用するのだ。
夜凪の呼吸が、ほんのわずかに乱れた。いや、わざと乱す。いつもなら決して表に出ない変化。額に張り付いた髪が、汗を帯びて重たくなる。
遮那王と拮抗していた力をわざと一瞬だけ緩める。それだけで押された地面がひび割れ、再度夜凪の能力で持ち上がり弾け飛ぶ。すると、赤い線が一筋、白い肌を伝う。これはいい演出だ。でも、痛い。
「……っ。」
夜凪は思わず肩がわずかに震えた。
俯いた彼女の髪の隙間から見える表情は困っている。必死に平静を保とうとして、それでも隠しきれないほどに。…という演技だ。
いいぞ。遮那王が夜凪を凝視している。思ったよりも早い段階で能力勝負で押し切れたことに驚いているのだろうか。それとも、己が大好きな顔に傷をつけたことに驚いているのか。どちらにせよ好都合だ。慈悲王が見ているのは理解できないが。
さらに彼女はわかりやすく柳眉がキュッと寄せ、睫毛を伏せる。伏せた睫毛の影が黄金の瞳を曇らせる。唇の端をかすかに震えさす。
そんな彼女を見た者がいれば、息を呑むだろう。普段は気怠げで飄々としている夜凪が追い詰められていると誰でも分かるほどの変化だった。カンシにはこの表情をするなと言われる。なんでも湧きたくもない庇護欲が湧いてしまうのだそう。
そして最後にあと一押しと夜凪は遮那王を見上げ声を上げる。それはもう心底困りましたというように掠れた音色で。
「……どうしよう、たかおみ君。」




