3 それは詩ですか?
10
少し古い話をしよう。
僕がまだ詩を書いていた頃だ。
僕は中学生だった。
僕は幼かった。
僕だけに限らない。
地球すべてが幼かったのだ。
それが今はすっかりと疲れてしまった。
なんて時が過ぎるのは早いのだろう。
正直に言ってしまおう。
僕が書いていたのは、詩なんて代物じゃなかった。
僕が書いていたのは、言葉になっていない言葉だった。
僕がノートに必死に書き込むと友人たちは僕を笑った。
「おいおい、言葉以前の記号が並べてあるぜ」
僕はそれを罵倒だとは思わなかった。
それは事実だったからだ。
僕は、言葉以前の記号が詩なのだと信じて疑わなかったのだ。
僕は文芸部の連中とも、現代詩研究同好会の連中とも仲が良くなかった。
でも僕はへっちゃらだった。
僕は、僕の書いているものこそが詩なんだと思っていた。
僕はノート一冊だけを持って、一日に二軒マクドナルドを梯子した。
それぞれのマクドナルドで一篇ずつ、「言葉以前のもの」を書き込んだ。
僕はマクドナルドのジュース代に、こづかいのすべてを費やしていた。
11
寒い冬のことだった。
僕がせっせとノートに「言葉以前のもの」を書き込んでいると、一人の老婦人がそれを覗き込んでいた。
「なんなんですか?」
僕は戸惑って、ノートを体全体で隠しながら問いかけた。
老婦人は優雅に笑うだけだった。
仕方がないので、僕がノートに書き込む行為を再開すると、また覗き込む。
僕は隠す。
執筆の再開。
また覗き込まれる。
隠す。
5回ほどそんなことを繰り返したところで、やっと老婦人が言葉を発した。
「あぁ、苦しかった」
僕はぽかんとしていた。
「私いま、窒息していたのよ」
僕には返す言葉が見つからない。
一体何にですか、と問いかけても良かったのだけど、口が震えてしまっていた。
でも老婦人は、思わぬことを言った。
「私、久しぶりに詩を見たわ。それで、ついつい驚いちゃったの」
え?
詩?僕の書いてるこれが詩なの?
本当に?
「本当よ、本当。私が若い頃に書いていたのとそっくり」
僕は笑顔になった。
まさかそんなことを言ってくれる人がいるだなんて。
「詩を書きあって交換しませんか?」
僕は気がつくと、そんなことを言っていた。
老婦人は、照れたように頷いた。
「いいわよ。でも、もう長いこと書いていないから、書けるかしら」
12
翌日の放課後、僕は白い息を吐き出しながら走ってマクドナルドに行った。
僕は、僕の詩をノートに書きこんでおいた。
渾身の力をこめて書いた詩だ。
老婦人は、先にマクドナルドにやってきて、ダブルバーガーとチキンナゲットとポテトのMを、コーラで流し込んでいた。
「私のは、これ」
古ぼけたノートが差し出される。
「僕のはこれです」
僕もノートを差し出す。
僕は震える手で彼女のノートをめくった。
そして絶句した。
そこには一言
『浮かれてんじゃねーぞ』
と書かれていた。
「え?」
僕は老婦人を見る。
でも彼女は笑顔を崩さない。
「これが詩?」
「えぇ。一生懸命書いたのよ」
「そうですか」
「えぇ」
「ぼ、僕のはどうです?」
「私のと同じね。詩を感じるわ」
僕は、暗い気持ちで家に帰った。
よくわからなかった。
彼女が書いたものと、僕が書いたものは、同じ性質なのだろうか?
いったい、どこがどう似ていたのだろう?
以来僕は、さらに詩にとらわれた。
詩と呼ばれているものなら何でも読もうと思った。
「そういうの、反動っていうんだぜ」
と、僕の友人が僕に言った。
13
大学生になったとき、僕は僕が書いてきたすべてのノートを庭で焼いた。
それらは火にくべられると、とても悲しそうに僕を見つめた。
でも僕は彼らを助けようとは思わなかった。
「悪いね。こうするほうがきっといいと思うんだ」
僕はつぶやき、指を鳴らした。
僕の後ろ手から、神父が二人出てきた。
僕が呼んでおいたのだ。
彼らは、ピルグリムファーザーの名のもとにおいて、それらの魂を沈めてくれた。
一人の神父(浅黒くて体格がいい。風俗が好き)が
「燃やしたものには何が書かれていたのですか?」
と問いかけた。
僕は
「言葉以前のものです」
と答えた。
もう一人の神父(もとバスケットボール選手。今はアイドルマスターに夢中)が
「アーメン」
と言った。
僕は、
「あなた方は、言葉以前のものってなんだと思いますか?」
と問いかけた。
二人は口をそろえた。
「そんな恐ろしいこと、口に出せません」
ノートが焼け切ると、僕たちはちょっとしたお祝いをした。
ウィスキーとウォッカを持ってきて、それぞれに5杯ずつ飲んだ。
僕たちは酔っ払い、ジョン・ベリマンとジュゼッペ・ウンガレッティを大声で朗読した。
なんだ。
詩ってちゃんと、存在するじゃないか。
14
「かわいそうな人」
ちょっとだけ同情した声で、高梨ユリがささやいた。
僕が彼女に、僕がかつて詩を書いていた頃の話をしたからだ。
「ありがとう」
と、思い出し泣きをした僕は、鼻をぐずつかせて答えた。
ちいさな女の子に同情されるっていうのは、なんていうか、心が打たれる。
僕がなかなか泣きやまないので彼女は水筒に入れた暖かいお茶を一口くれた。
僕はあったまる思いがした。
「落ち着いた? ユビキタスさん」
「うん、うん」
僕は頷いた。
「よかった」
僕たちは、いつものがらんどうのビル5階にいる。
今日は外が寒くて、ずっと冷たい風が吹いている。
「ユビキタスさんは、詩を全部焼いちゃったんだね?」
僕は首を振った。
「そうじゃないよ」
「そうなの?」
「うん、僕が焼いたのは、『言葉以前のもの』ばかりさ。詩は焼いていないよ」
「あら?」
高梨ユリが、かわいらしく首をかしげた。
「じゃぁ、詩はどこにあるの?」
「詩なんてどこにもないよ」
「おかしいわよ! つじつまが合わないわよ!」
「どうして?」
「だってユビキタスさん、1000以上の詩を書いたって、前に言っていたじゃない」
本当だ。
忘れていた。
僕はなんて勘違いをしていたんだろう。
「その詩が、『言葉以前のもの』だったの?」
「ううん、違う」
じゃぁ僕は、いったいいつどこで、1000以上の詩を書き、それらをどこにやってしまったんだ?
僕は周囲を見渡した。
ただのがらんどうのビルのフロアだ。
「どこかに行ってしまったのね」
と、高梨ユリが行った。
「大丈夫よ。私だって、よく鉛筆をなくちゃうもん。また買ってもらえばいいよ。ちょっと怒られるけど」
ユリちゃん。
残念だけど、詩は買ってもらえるものじゃないんだ。
そしてそれは、鉛筆みたいに簡単に削ることもできない……と思う。
たぶん。