前編
リリスは17歳。デュバリ伯爵家でお嬢様付きのメイドをしている。元々は縁戚のマイヤー男爵家の娘で、14歳の時に両親を事故で亡くした後、伯爵家に引き取られた。
仕えるお嬢様のエレナもまた17歳。時々癇癪を起こすが、顔立ちの愛らしさから大目に見られている。言わばお嬢様特権である。リリスに対しては特別意地悪ではないが特別親切でもない。良くも悪くも可愛いだけの普通の娘だ。
そんなリリスとエレナの2人は今、大ピンチに陥っている。
馬車を囲むのは覆面をした男たち。果敢に抵抗した護衛兼御者のうめき声が聞こえなくなって暫くして、馬車の扉が激しく開けられた。
「さてお嬢様はどちらかな?」
ならず者の割には丁寧な物腰の男が尋ねた。お嬢様とリリスは抱き合って震えていたが、突然エレナお嬢様が叫んだ。
「わたしはお嬢様のメイドですっ!こっちがお嬢様ですっ!」
そしてリリスをならず者の方に突き飛ばしたのである。
この日お嬢様の買い物に付き合って出かけたリリスは、エレナの気まぐれでお互いのドレスを交換していた。汚すと奥様から厳しく叱責されるから嫌だったのだが、この日に限ってエレナがしつこく要求するので断りきれなかったのだ。しかも、エレナが婚約者から贈られた髪飾りまで着けさせられていた。
「どう見ても、これってリリスの金髪に似合うと思うのよね。いくら婚約者からの贈り物でも、自分に似合わない物を貰ってもちっとも嬉しくない。要らないけど捨てるわけにもいかないし。そうだわ、いい事を思いついた。リリスが着けなさいよ」と、エレナはそれはお許しくださいと頼むリリスに、無理やり髪飾りをつけた。
畏れ多くていたたまれない。要らないなんて言ってはいるが、もし傷でもつけてしまったらどれほどの嫌味を言われるかわからない。嫌味で済んだらまだましで、弁償しろなどと言われて、代金を給金から天引きされてしまうかもしれない。そうなれば、リリスは年単位でタダ働きをする事になるかもしれないと顔が引き攣るのだった。
とにかく今日のエレナはいつも以上に強引で、わたしの言う事がきけないのと頬を膨らませて怒るし、御者を兼ねる護衛もまた、悪い事は言わないからお嬢様の気が済むようにした方が良い、などと言うものだから、リリスはやむなく髪飾りを着けたのだった。
「ほぅ、こっちがお嬢様か?ならば我々と共に来て貰おうか。ああ、メイドは御者を起こして帰るといい。なあに、寝てるだけだから心配ないぞ」
リリスは怖さとショックで涙目でエレナを見たが、エレナはバツが悪そうに視線を逸らした。
伯爵家に仕える以上は、使用人の自分は犠牲になるしかないのかと諦めて、覆面男に抱き抱えられるようにして馬車から連れ出された。
*
目隠しをされたままどこかの屋敷に連れて来られたようだ。
馬車から降りる時に手を取られ、そのままエスコートするかのように覆面男は自分の片腕にリリスの手を誘導した。
一瞬怯えたリリスだったが、男に導かれておずおずと廊下を進んだ。ここはどこなのかわからない以上、従順でいる方が安全だろうと考えた。
覆面男はそんなリリスを労わるように、想像よりずっと優しい声で言った。
「さあ着いた。君はこれからここで暮らすんだ」
漸く目隠しを外されて眩しさに目を顰めながら辺りを見渡すと、そこは応接室のようだ。シンプルだが高級そうな調度品がある。
覆面を取った男は整った顔立ちをしており、とても人攫いの悪人のようには見えない風貌と身なりをしていた。まるで執事みたいと思っていたら、男は自分の名はイクセルでこの屋敷の管理人だと名乗った。
「お茶でもいかがかな?ああ、信用できないか。まだ怖いかもしれないけど、私が飲みたいから付き合ってもらえると嬉しいのだが」
リリスは首を振ってお茶の申し出を拒んだ。
イクセルは気にした様子もなく慣れた手つきでお茶を入れてリリスにカップを渡す。リリスが躊躇っていると「毒なんて入ってないから」と笑われた。
恐る恐るカップを手に取ると、立ち上る湯気に強張った身体と気持ちが解されていくような気がして、リリスは思わず口を付けてしまった。本当は警戒して飲まないつもりだったのだが。
美味しい、これはお母様が好きだったお茶だわ。
母はお茶にはこだわっていて、王都の店から高級な茶葉を取り寄せて愛飲していたので、その味はしっかり覚えている。
「思い出のお茶なのよ」と微笑む母を思い出してリリスは泣きそうになった。
「お気に召したかい?主人の好みの茶なんだよ。他にも
欲しいものとか必要な物があれば彼女に伝えてくれ」
イクセルは後ろに控えていたメイドを呼んだ。
「ケティです。これからお嬢様のお世話をさせていただきます。どうぞよろしくお願いします」
ケティと名乗ったお仕着せのメイド服を着た女性が頭を下げた。リリスは自分の置かれている状況が理解できない。お世話ってどういう事?わたしは人質ではないの?
「これは大切な事なのだが、君はエレナ・デュバリ伯爵令嬢ではなく、リリス・マイヤー男爵令嬢だね?
髪の色も目の色も違うのに、騙し通せると思っていたのかな」
リリスはびくりと震えた。どうしよう、入れ替わっている事がばれている。人質としての価値がないと判れば、わたしは始末されてしまうのだろうか。
しかしリリスは何となく気がついていた。この人はならず者を装って自分を誘拐したが、根っからの悪人ではなさそうだ。むしろそれなりに地位があってもしかすると貴族かもしれない。そしてこの瀟洒な屋敷は貴族の屋敷だろう。この誘拐には事情があるのかもしれない。
ただ、本来ならここへ連れてくるのはエレナ様の筈だったのに、わたしが来てしまった。
居た堪れなくなったリリスは、それでも胸を張り精一杯の勇気を出した。
「申し訳ありません。わたしはエレナお嬢様ではありません。デュバリ家のメイドで平民のリリスと申します。騙すつもりはなかったのです」
「平民?デュバリ家でそう言われたのか?それは後で確認するとして、一体どういう理由でエレナ嬢と入れ替わることにしたのか、話してもらえるだろうか」
リリスは、エレナの命令で服を取り替えた事と、襲われた時に咄嗟にエレナが自分の名前を騙ったと正直に話した。
「わたしは伯爵家の使用人ですので、主人を守る義務があります。人違いですから身代金の要求は出来ませんから、代わりに売り飛ばすなり何なりと……」
イクセルは困ったような顔で、参ったなと呟いた。
「我々が君を害する事などあり得ないから、そんな心配をしなくても良いからね。まあ、あの状況だと人攫いだと思われても仕方ないけれど、ああでもしないと君を連れ出せなかった。怖い思いをさせて申し訳なかったが、
リリス嬢は、休暇を貰った気分でのんびりしてケティに世話を任せれば良いのだよ」
「そうですよ、お嬢様。お疲れでしょうから湯浴みへ参りましょう。それから夕食は料理人が腕によりをかけて張り切っていますからね、たくさんお食べくださいませ」
イクセルとケティの言葉に、それが真実かどうかはわからないけれど、この人たちは信用して良いかもしれないと思って安堵した途端に、恐怖から解放され気が緩んだのかへなへなとその場にしゃがみ込んだ。どうやら気を失ってしまったようだ。
緊張の糸がぷつりと切れた少女を、イクセルは優しく抱えて、リリスに与えられた客室へと連れて行った。
*
誘拐された日から10日ほど経った。
イクセルはあの日以来現れないが、ケティと料理人はリリスをまるでこの屋敷のお嬢様のように扱っている。
手持ち無沙汰のリリスは、掃除や洗濯の仕事をさせて欲しいと頼んだが、お嬢様にそんな事はさせられないと頑なに拒まれた。刺繍や読書をして過ごせば良いのですよとケティは譲らないし、料理人はお茶の時間になると伯爵家でも食べた事のないくらい美味しいケーキを作ってくれる。もちろん食事だってとても美味しいばかりで、痩せ気味のリリスを慮って栄養価の高い食材を使っているようだ。
ケティは今日もリリスの髪を丁寧にブラシでといてハーフアップに結い上げると、最後にあの髪飾りをつけた。それは小さなエメラルドが夜空の星のように散りばめられており、リリスの金色の髪によく映えた。
当然のように髪を結われ美しいドレスを着せられて、居心地の悪いリリスは、せめて髪飾りは外して欲しいとケティに懇願した。
「これはエレナお嬢様が婚約者様から贈られたもので、わたしが着けてはいけないのです」
「良いではありませんか。そのお嬢様自らがリリス様の髪に着けたのだから、リリス様の好きにして良いのですよ。どうせその婚約者の事も気に入らないのでしょう?リリス様が気にする必要はありません」
ケティは意外と頑固でそして優しかった。だからこそリリスは困ってしまう。
何故こんなに大事に扱ってくれるのだろう。リリスには見当もつかなかったのでケティに尋ねると、ご主人様から言いつかっているからだと言う。そのご主人とは、管理人を名乗るイクセルではなく、もっともっと偉い人らしい。
伯爵令嬢ではない自分が、そんな偉い人に大切に扱われる理由がわからない。それに、本物のエレナお嬢様が無事に伯爵家へ戻れたのかどうかも気になる。そして何より一番気に掛かっているのは、伯爵家での自分の立場なのだ。
(縁戚とはいえ只の使用人だから、探すつもりもないのかもしれない。お嬢様の代わりとしてならず者に攫われて、死んでいるか、或いはどこかへ売り飛ばされているだろうと思われているのでしょう)
イクセルやケティからは悪意は感じないが、どのような状況に置かれているのか一切の説明がないから不安が募る。デュバリ伯爵家がリリスの行方を探しているという話も彼らからは聞かされていない。
伯爵家で働いていた時は、ゆっくり考える時間もないほど忙しかった。だからこそ両親の死に絶望する事なく生きてこられたのだと思う。
しかしこうやって自由な時間が増えた今、その勤め先の伯爵家から心配されていない事や、メイドとして仕えていたエレナの咄嗟の裏切りの意味について考えてしまうのだった。
リリスは、胸元にしまった絵姿の入ったロケットペンダントを無意識に握りしめていた。それは母の形見で、半円形をしている。装飾にはダイヤが使われており、対になるロケットと合わせると隠された蓋が開く、特別仕様のものだと母から聞いた事があった。とても男爵夫人が持てるような代物ではない。母の実家だった子爵家では尚更だ。
母の実家は既に代替わりして、母の弟の叔父が跡を継いでいるが、既に絶縁しており交流はない。それゆえ両親が事故死した時にもやってこなかった。
身寄りを無くし行き場のないリリスに手を差し伸べたのは、母の従姉妹の嫁ぎ先のデュバリ伯爵だった。
ロケットには亡き母と幼いリリスの絵姿が入っている。エレナはそのロケットが羨ましくて欲しがっていた。父親のデュバリ伯爵に叱責されて諦めたようだが、貴女よりわたしの方が持つのに相応しいわと何度言われた事だろうか。
その度に、母の形見だから勘弁して欲しいと、リリスは頭を下げ続けた。
エレナ様はわたしを嫌いだったのだろう。身分不相応な装飾品も、金髪碧眼のこの見た目も全てが気に入らなかったのだろう。
そして婚約者についても、地味だのなんだのと貶めていたけれど、『貴女は使用人で、彼はわたくしの婚約者なのよ』と釘を刺すくらいには想っていたに違いない。
使用人のリリスに対していつも優しい笑顔を向けてくれたその人の顔を思い浮かべたが、慌てて打ち消した。そんな感情は持ってはならない、あの人はエレナ様の婚約者なのだから。平民の自分とは身分の釣り合わない人なのだから。
時間があると余計なことを考えてしまう。必死でこの3年間を過ごしてきたが、振り返るとただがむしゃらだったと思う。
わずか14歳で孤独になり、寂しさ辛さを誤魔化すために、伯爵家のメイドとして働き続けた。
デュバリ伯爵は、『リリスは親族で、男爵令嬢なのだから働かなくて良いんだよ』と何度も仰って、エレナ様と一緒に勉強する機会まで与えてくれた。
しかし、伯爵夫人は違った。立場を考えて行動するようにと言われ、リリスへの態度は、明らかに使用人として接する時のものだった。それに『お前はひとりぼっちなのよ、哀れね』と、呪いのような言葉を浴びせられていた。
母の従姉妹だという伯爵夫人の言葉を思い出しているうちに、気分はどんどん落ち込んできた。やがて食欲が落ちて食事を残し、ぼんやりと考え込む様子が増えた。
心配したケティがイクセルに知らせて、いわば軟禁ともいえるこの事態は、思わぬ方向に動き始めるのだった。
*
ケティから知らせを受けたイクセルは、主人に指示を仰ぐ為に急いで執務室へと向かった。
「日に日に窶れていくようだとケティから報告がありました。心を閉ざし、話しかけても生返事だったりするそうです」
報告を受けた主人こと、ダンスタブル公爵は鎮痛な面持ちをしていた。
「あのエレナという娘の計画は杜撰だった。ならず者に自分の身代わりとして使用人を誘拐させるという小賢しい計画を立てていたので、それを利用してあの家からリリスを保護できたのは良かったのだが。
確かに理由がわからないままでは不安だろう」
「閣下、リリス様に本当の事を告げるのが良いかと存じます。あの方は自分を無価値であり、愛してくれる者なんてひとりもいない、と思い込んでおられます」
「そこまで追い込んだのはデュバリ家の人間か」
「アンナ夫人が、自室に度々リリス様を呼びつけていたそうです。目元を赤く泣き腫らしているリリス様の姿が目撃されていますが、デュバリ家の者たちは、母の従姉妹であるアンナ夫人から、母親の思い出話を聞かされていたのだろうと申しております」
公爵は、エレナの母で、今はリリスの身を案じて寝込んでいるとされる、アンナ・デュバリ伯爵夫人を思い浮かべた。
若かりし頃、愛人にするのならば従姉妹よりも美しい自分の方が貴方に相応しい、と言い寄ってきた女狐だ。
「いかがいたしましょうか?」
「引き続き証拠を集めてくれ。全て終わらせてからリリスに伝えるつもりだったが、こうしてはおれまい」
ダンスタブル公爵は、執務室の机の引き出しから、半円形の小さなロケットを取り出すとポケットに入れて、郊外の別荘へ向かうとイクセルに告げた。
*
今日はリリス様に来客があるのですよと、ケティはリリスを磨きあげるのに余念がない。
来客?と怪訝な顔をしたリリスを安心させるように、会えばわかりますからと嬉しそうである。
部屋で待っていたリリスを迎えにきたイクセルは、満足げな顔をして彼女を応接室へと連れて行くと、そこには金髪碧眼の男性が立っていた。
「君に会えると思うと居てもたってもいられなくてね。初めまして。私が君の実の父親だと、漸く名乗れる時が来たよ」
目の前の立派な紳士はクリスティアン・ダンスタブル公爵だと名乗った。リリスは高貴な人と面と向かってどうして良いかわからず、ただ頭を下げ続けていた。
しかも実の父親だと名乗られて、大いに混乱している。
そんなリリスを安心させるように公爵は微笑むと、これをと半円形の美しいロケットペンダントを差し出した。
そのロケットを見たリリスは声にならない悲鳴を上げた。それはリリスの母の形見のロケットと対になる形をしたのだ。
開けるように促されて、小さなつまみを捻ってみると、そこには若い母の絵姿が入っていた。ちょうど今のリリスくらいに見える。これはお母様だわ、不思議に思い顔を上げたリリスと公爵の視線が交差した。
「君は、わたしと君の母、パトリシアの間に生まれた娘なのだよ。ロケットを合わせて真ん中のつまみを捻ってごらん」
促されてリリスは胸元から自分のロケットを取り出し、半円の直前部分を重ねてみる。するとカチリと音がしてロケットが重なり、それは綺麗な円となった。
上部に現れた小さなつまみをひねると、そこには母と若い頃の公爵が微笑み見つめ合う絵が現れた。
「これは……?」
思わず呟いたリリスに、ダンスタブル公爵は、私の話を聞いてほしいと語り始めるのだった。
公爵の話によると、子爵家の娘だったリリスの母パトリシアと若き公爵令息のクリスティアンは夜会で出会って2人は恋に落ちたが、爵位が低いからと前公爵から婚姻を反対されたのだという。しかし愛する女性と別れるつもりのなかったクリティアン青年は、ダンスタブル公爵家が2人を引き裂くためにパトリシアに近づく事を警戒して、彼女をこの屋敷に匿う事にした。
やがてパトリシアは懐妊し、2人はお腹の中の子が生まれてくるのを楽しみにしていた。子どもが生まれたとなると、頑固な前公爵の気持ちも解れるかもしれない。
ところがパトリシアはある日忽然と姿を消したのだった。クリスティアンは身重の彼女の行方を必死で探した。もちろんパトリシアの実家へも何度も訪れたが、丁寧ではあるが明確な拒絶にあって、それ以上彼女の行方を追求する事が出来なかった。そうこうしている内に、パトリシアが15ほど歳の離れたマイヤー男爵と結婚した事を知るのだった。
パトリシアの実家は経済的に困窮しており、元々その男爵へ娘を嫁がせる代わりに支援を得ると契約を交わしていたのだが、そこへクリスティアンが現れて勝手に娘を連れ去っていってしまった。
結婚して正式に妻として迎えいれるわけでもなく、これではまるで都合の良い愛人ではないかと、パトリシアの両親も弟もクリスティアンを恨んでいたそうだ。
クリスティアンは子どもが生まれたら、前公爵が折れて、身分差などと言い出さないだろうと考えていたが、パトリシア側の事情もあってそう簡単に事は進まなかったのだ。
ダンスタブル公爵家として援助するという申し出も、前公爵の怒りと報復を恐れたパトリシアの両親から拒否された。
「マイヤー男爵家のひとり娘の君が、私とパトリシアの間に生まれた子ではないかとずっと考えてはいたのだよ。君の年齢から考えて私の子で間違いはない。顔立ちだってリリスは私にそっくりだからね。
もしマイヤー男爵がリリスを冷遇するような事があればなんとしてでも君を引き取るつもりでいたのだが、意外な事にマイヤー男爵は子煩悩で娘を溺愛していると聞いたのだよ。
それにパトリシア自身も運命に抗う事なく穏やかに幸せに暮らしていると知って、私には彼女の今の幸せを壊す事は出来ないと考えた。
漸く彼女への想いを過去のものとして清算できたつもりだったんだ。ところが」
皆が平穏に暮らしていたその生活が崩れたのが、あの馬車事故だった。被害にあったのがマイヤー男爵夫妻と知ったクリスティアンは事故の原因を調べたが、特に問題は無く単純な事故だと思われた。そしてリリスは、母の従姉妹の嫁ぎ先であるデュバリ伯爵家へ引き取られたのだった。
クリスティアンはリリスを手元に引き取るつもりでいたが、それが今のリリスの幸せに繋がるかどうかがわからない。一応親族もいる。
しかし、リリスを保護し成人するまで後見人を務めると声を上げたのは、パトリシアの実家ではなく、従姉妹アンナの嫁ぎ先であるデュバリ伯爵家だった。
マイヤー男爵とパトリシアの実家の子爵家が絶縁状態となった理由はわからないが、推測するにそこにリリスの存在が絡んでいるかもしれなかった。何故なら、マイヤー男爵と結婚後に生まれたリリスは、誰がどうみても男爵の血を引いておらず、寧ろかつて交際の噂のあったダンスタブル公爵令息のクリスティアンに似ていたのだから。
一方、デュバリ伯爵は全くの善意からリリスの後見人を引き受け、同い年の娘エレナもいる事から、2人が良き友人になれば良いと考えていたのだが、妻のアンナの事情は違ったようだ。
従姉妹パトリシアへの嫉妬もあってそう易々とリリスを手放すとは思えなかった。
アンナにとってリリスは利用価値のある存在、何らかの意図をもってダンスタブル公爵家へ接触するための駒である可能性があった。
それゆえデュバリ伯爵家が成人前のリリスを手放すとは考えられなかった。伯爵は保護者としての責任感に溢れていたし、妻は薄汚い思惑で満ちていたのだから。
*
リリスは齎された多くの情報に頭がついていかない。
(お父様はわたしにとても優しかった。とても可愛がって愛してくれたわ。わたしもお父様が大好きだった。けれど一度だけ言われた事があったわ。
リリスは父親にそっくりだ。その金髪も緑の目も。私には全く似ていないな、と。
あの時は何を言ってるのかわからなかったけど今ならわかる。マイヤーの父は、わたしの本当の父を知っていたのね)
混乱し、ショックを受けてただ泣くことしか出来ないリリスを、クリスティアンは優しく抱きしめた。
「リリス、君はひとりぼっちじゃない。パトリシアもマイヤー男爵もリリスをとても愛していたんだよ。そして私は君が生まれてくるのを心待ちにしていたんだ。
不甲斐ない父を許してくれ。私はパトリシアを幸せには出来なかったけれど、娘のリリスこそは幸せにしてやりたいと願っているのだよ」
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年明けてからひと月以上経ってしまいましたが、本年度一作目です。よろしくお願いします。
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一迅社様のアンソロジーコミック、「婚約破棄されましたが幸せに暮らしておりますわ! vol.6」に載せていただきました。
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