ミーアとパパ
「んん~……」
むにゃむにゃと夢の中にいたミーアは、ドンッという激しい音に瞼をぱちっと開けた。
いつの間にか眠っていたらしい。
「ぱ、ぱ……?」
反対側に座っていたと思ったら、いつの間にかパパが抱えてくれていたらしい。
パパの外套にくるまれたミーアは、すんすんと鼻を動かした。
ママは甘い匂いの香水が好きで、いつもお洋服や体につけていた。でも、パパは甘くない。爽やかでちょっぴりスパイスが混じったような香りがする。
いい匂い。
「ふっ。まるで子犬のようだな」
「パパの匂い……いい匂い」
ミーアはぎゅっとパパに抱き着いた。
ミーアが勝手に出て行ったことをパパは怒らなかった。
ただミーアが無事に見つかったことを喜んでくれた。
(本当のパパじゃないのに、とってもやさしい……)
ママのためにパパとはお別れしないといけないって思ったけど、アザスさん達が泣きながら「お嬢様、どうか、公爵領までお越しください。私達の命がかかっているんです!」って言ってきたから逃げられなかった。
パパにさらわれるように馬車に乗せられたミーアは、疲れていたのかいつの間にか眠っていたのだ。
「パパ、さっきの音はなあに?」
「転移装置に異常があったようだ」
日除けのカーテンを退け、すっと目を眇めたパパは、なにが遭ったのかわかっているようだった。
「閣下、塔の管理者が、転移装置が故障したため、修理に時間がかかるとおっしゃっておいでです」
「ほぅ。私が利用するというのに、待たせるだと?」
パパはの綺麗に整った顔がとっても冷たくなった。
ミーアを見るときは陽だまりように暖かみがあるのに、今はちょっと怖い。
馬に跨った騎士さんも同じことを思ったようで、日に焼けた健康的な顔は今にも倒れそうなほど青ざめていた。
「そ、それが、爆発によって転移石に傷がついたそうで……」
「ならば、魔導士を呼んで来い。転移陣ならば、装置など不要だろう」
「――ご主人様、公爵領とは違い、転移陣の描ける魔導士はそう簡単におりませんよ」
騎士さんと同じように馬に乗ったアザスさんが、割って入って来た。
その視線がミーアの向けられ、ぱちっと合った。
アザスさんがにこっと笑顔になったので、ミーアもにこにこと笑い返した。
「お嬢様からもぜひ、ご主人様に言ってやってください。いつも無理難題をおっしゃるんですよ」
「アザスさん、パパは天使様なのよ。ミーアね、お貴族様のお屋敷でお使いを頼まれたことがあるの。でも、そこの奥様がね、とぉっても意地悪で、ミーア、ちゃんと買ったのに、ちがうって! 何回も買いに行かされたのよ。そうやって、ミーア達のこと、も、もて……」
「弄んでいる、ですか?」
「そう! もてあそんでるって言ってメイドのお姉さんが言ってた! パパは奥様とちがって、意地悪しないもん。ね、パパ?」
「――……」
「あははっ、これはご主人様の負けですね。塔の管理者に、宿泊する部屋を用意するよう伝えてきます」
アザスさん達がいなくなると、パパは日除けのカーテンを下ろして、ミーアの髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
「パ、パ……?」
「その貴族の話を詳しく教えろ。――いや、その前に、なぜそなたが働く必要がある。アレ……いや、そなたの母親は何をしていた?」
「ママ……? ママは、お姫様なのよ。だから、ミーアが色々しないといけないの」
ミーアは頬を染めた。
だれよりも大好きで
だれよりも綺麗なママ
ママはお姫様。
ミーアはお姫様の召使。
だから、ご飯の用意も、掃除も、お金を稼ぐことも、全部ミーアの仕事なのだ。
だって、そうしないと……。
ズキンっとまた背中が痛くなった気がして、ミーアはぎゅっと目を瞑ると、すぐに笑顔を作った。
「ミーアはママが大好きなの。だから、なんだってやりたいのよ」
「――そうか」
「パパもママのことが大好き? だから結婚したの? ミーアね、パパを知らなかったから、とぉってもうれしいの。綺麗でカッコいいパパと結婚できたママってやっぱりすごい」
ママに本当のパパはどこにいるの? って聞いたことがある。
でもママはその言葉が嫌いだったみたいで、そのあとが大変だった。
だからミーアは、パパなんていらないって思ったのだ。
ママだけでいいって。
でも、本当じゃないパパができて、ミーアの世界は変わった。
だれよりも大好きで
だれよりも綺麗なママ
そこに
だれよりも大好きで
だれよりもカッコいいパパ
が加わるはずなのだ。
「パパ、ミーアね、ちゃんといい子にするよ。自分のことは自分でできるのよ」
そうしたら、パパはママみたいに自分を捨てないだろうか?
「そなたは由緒あるベルナンド公爵家の娘。何もしなくてよい。その仕事は使用人のものだ」
「でも……」
ママはお姫様だけど、ミーアは召使なのだ。
パパの娘になれたとしてもそれは変わらない。
「ミーア、そなたが望めば、黄金でも宝石でもすべてがすぐに手に入る。叶えられないことはない」
「……」
ミーアは何も言えずに、パパに抱き着いた。
ミーアは欲しいのは、黄金でも宝石でもないのだ。
(ママ……)
キラキラ輝く黄金の髪に、うっとりするような甘い声で「ミーアちゃん」と呼んでくれるママを思い描いたミーアは、ママに会いたいと思うのだった。