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ミーアと公爵さま


「ン……ぅ……」


 薄い毛布を体に巻き付けたミーアは、部屋の片隅に蹲りながら、はぁ、はぁ、と熱い息を吐いた。

 体が燃えるように熱かった。


 苦しくて

 寂しくて

 悲しくて

 助けを求めるようにママぁっと弱弱しい声が落ちた。

 しんっと静まり返った部屋とは対照的に、外は賑やかだ。


 小さな窓からお月様が見えるけれど、この部屋を照らすには足りない。

 ミーアはもう何日もこの薄暗闇を一人で過ごしていた。


 いや、違う。

 ママがいた頃だって、一人でいたではないか。


 だれよりも大好きで

 だれよりも綺麗なママ


 お姫様のようなママは、貴族だった頃が忘れられず、夜に遊ぶことが多かった。

 お酒をたくさん飲んできてから、陽が出る頃に帰ってきては、入口でばたんと倒れるのがお決まりの行動だ。


(お水を井戸でくんできて、目覚めのスープの作って……)


 ママが目覚めたらすぐ飲めるようにって、ミーアが用意するのが習慣だった。

 じゃないと……。

 ズキンと背中が痛んだ気がして、ミーアは眉を寄せた。


 違う、

 違う。


 だれよりも大好きで

 だれよりも綺麗なママ


 お姫様のようなママを思い描いて、ミーアの意識は闇の中へと沈んでいく。


「み、ず……」


 再びミーアが目覚めたとき、体が鉛のように重くて、指一本も動かせないありさまだった。

 仕事をしていたらミスをして、樽に入った水を頭から被ったのが悪かったのだろうか。

 酷く喉が渇くが、水がめがあるところまで歩くこともできない。


(死んじゃうのかな……)


 ぼんやりとそんなことが過ぎる。

 ママに会いたかった。

 潤んだ大きな碧色から涙がポロポロと零れる。


 と、そのとき、外から大きな声が聞こえた。


「ちょっと、ミーアに何をするつもりだい……!」

「我々は……」


 リノおばさんと男の人の声。

 喧嘩しているのだろうか?

 今にも取っ組み合いが始まりそうな声だ。


 次の瞬間、扉がぎいいぃと音を立てて開かれた。


「鍵もついてないのか? 不用心だな」


 凍てついた氷を思わせる冷たい声。

 でも、ほてったミーアには、その声が心地よく感じた。


「だ、ぁ、れ……?」


 声を張ったつもりだったのに、掠れて上手くいかなかった。

 ケホケホと咳をすれば、だれかが駆け寄ってきて、水を飲ませてくれた。


「なんてことだ……! 熱病にかかっていますね。――閣下、すぐに神官に診せないと!」

「許可する」


 いい匂いがする人に横抱きにされたミーアは、潤んだ視界の隅に、自分と同じ碧色の目を見つけた気がして、頬を緩ませた。


「ぱ、ぱ……?」

「――……ッ」


 すぅぅと意識が遠くなっていく。

 慌てたような声を聞きながら、ミーアは幸せな気分で目を閉じたのだった。







    ◇◇◇◇






 

「どうして目覚めない?」


 両手を伸ばし、神聖力で癒しを与えていた老神官は、ぎくりと固まった。


「お、お体が弱っておいでですので、回復するのに眠りを欲していらっしゃるのでしょう。ま、間もなくお目覚めになられるかと」


 白を基調とした神官服に身を包んだ老神官は、この国で王族を除けば最も高貴な家門の一つであるベルナンド公爵に冷や汗を流しながら答えた。

 その目は、なぜ閣下は、こんな平民の小娘のことなど気にかけるのかとでも言いたげであったが、口にしない思慮深さはあったのだろう。

 仕事は終わりだとばかりに両手を下ろした彼は、すっと後ろに下がると、金貨の入った革袋を受け取りにんまりと笑った。


「ご主人様、少しお休みになられては? 私が傍におりますよ」

「いや、よい」


 ベルナンド公爵は、側近の言葉をすげなく退けると、こけた頬を指先でゆるりと撫でた。

 赤らんでいた頬は、真っ白を通り越し、青白く、血管が透けるようだった。

 ぱさついた明るい茶色の髪。

 痩せ細った体。

 きっと、公爵ならば指一本で命を散らすことができるほどのか弱さだ。


「アザス、魔導士に城内を暖かく保つよう伝えよ」

「お嬢様をお迎えするのですか? 迷っていらしたのに」


 アザスと呼ばれた側近はどこか面白そうに片眉をあげた。


「……それを望んだのは、この子だ」


 公爵の血も涙もない酷薄な双眸が少しばかり緩んだ。

 美しい彫像と囁かれる凄絶な美貌を持つ公爵が表情を変えることなどほとんどない。

 控えていたメイドたちが感嘆とした溜息を漏らすのをチラッと一瞥したアザスは、主人の機嫌を損ねないよう出ていくよう命じた。

 老神官には別室で待つよう指示をすれば、残されたのは三人だけとなった。


「では、どうぞこちらにお掛けください」


 アザスは、寝台の横に椅子を置いた。

 公爵が腰かけるのを見届けると、メイドたちが置いて行ったポットを手にし、紅茶を淹れた。


「毒は入っていませんね」


 毒見を終えると、新しいカップに注ぐ。

 茶葉の香りが部屋の中に広まった。

 ここは、シーザン領の貴族街にある高級宿だ。

 それを公爵が丸ごと貸し切りにしたから、不審な人物などいないはずだが、念には念を入れることにこしたことはない。


「アザス、子供というのは、こんなに小さいものか? アレも細かったが、小柄ではなかっただろう」

「奥様は、この国では平均的な身長でしょう。ただ……お嬢様は……」


 アザスは言いにくそうに言葉を濁した。


「なんだ?」

「明らかに栄養が足りていらっしゃらないでしょう。奥様は聖母のようにお嬢様のことを語っておりましたが、奥様のことを調べて事実を突きつけなければ存在自体を隠していたのでは? あの隣人の話は興味深いものでしたよ。再度身辺調査が必要かと」

「アレの毒牙にかかったか」

「見た目だけならば、蜜のような甘さを持つ極上の美貌でございますからね」

「公爵家の影ともあろう者が、毒婦の見分けもつかぬとはな。――調査の件は、そなたに一任しよう」

「御意」


 と、そのとき。

 微かな呻き声が聞こえた。


「ぅ……ンン」


 ハッと息を詰める公爵とアザス。

 二人が見守る中、子供の瞼がゆっくりと開かれた。

 まだ寝ぼけているのだろう。

 公爵と同じような鮮やかな新緑を思わせる瞳がゆらゆらと揺れた。

 パチパチと瞬きを繰り返し、不思議そうに呟いた。


「ここ、てん、ごく……?」

 

 豪奢な内装に住んでいた部屋ではないことは気づいたのだろう。

 その導き出された答えが大層かわいらしい。

 ぷっと思わず吹き出したアザスは、公爵に睨まれ、緩んだ表情を引き締めた。


「気分はどうだ?」

「……!」


 ようやく人がいることに今気づいたのだろう。

 零れ落ちそうな目を見開いて、公爵を呆然と見つめたかと思ったら、天使さま……? 呟いた。


「ぷ、くくっ……ごほっ」


 アザスは、拳を口元に当てて、咳払いした。

 戦場を駆ける死神と恐れられる極悪非道な公爵が、天使!

 神を厭う公爵には禁句では、と様子を窺ったアザスは再度驚くことになる。


 公爵は気分を害したこともなく、どこか楽しそうでもあった。


「天使、か。初めて言われたな」

「だって、銀色の髪がキラキラしていてとっても綺麗……! ママもとっても綺麗だけど、お兄さんもママと同じくらい綺麗ね。それに目が、ミーアと一緒……ふふっ、うれしいな……」

「具合はどうだ?」

「だい、じょう、ぶ……」


 そこでようやく目が覚めたのだろう。

 不安そうに周囲を見渡した少女は、ここどこ……? と眉を垂らした。


「そなたを休ませるために泊まった宿だ」

「ミーア、を……?」

「ああ、覚えていないのか? 熱病にかかっただろう。あのまま放っておけば、死んでいたぞ」

「! ミーアを助けてくれたの? ありがとう!」


 少女はパッと笑顔になると、ぺこんと頭を下げた。

 くるくると表情がよく変わるな、とアザスは微笑ましそうに見守った。


「本当に奥様の御子なのですか? まったく似ていない……。素直過ぎて、変な輩に誘拐されないか不安だ」


 アザスは、小さく唸った。

 これは、目を光らせておいたほうがいいだろう。

 

「あの……お兄さんたちはだれですか?」

「私は、そなたの父だ」

「パ、パ……?」

「ああ、そなたの母親と結婚したんだ。だからそなたを迎えに来た」


 少女にとっては寝耳に水だったのだろう。

 

「え、えええぇぇぇ……っ!?」


 少女の悲鳴をアザスは微笑ましそうに見つめるのだった。

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