他責の果て -- 兄の命日に --
兄は、いつも誰かのせいにして生きてきた。
うまくいかないのは母のせい、父のせい、学校のせい。
大人になってからも、会社のせい、家族のせい、父の病気のせい。
その視線を自分に向けたことは、一度もなかったのかもしれない。
まだ私が幼かった頃、鉄道模型で高校生の兄と遊んだ日。
思うように動かなくなった機関車を兄は投げつけ、
壊れた破片を拾う私に向かって言った。
「短気は損気だ」――自分で壊しておいて。
父が大動脈破裂で入院したとき、兄は言い放った。
「親父は俺が面倒を見る」
実際に退院後は引き取ったが、間もなく自身も離婚し、
転院させた父を放置したまま姿を消した。
父の死後しばらくして、兄の会社から緊急の電話があった。
職場でトラブルを起こし、寮にこもっているという。
母が会いに行くと、兄は言った。
「こうなったのもお前のせいだ。お前にも弟にも世話にはならない」
それから数年後、今度は姪を通じて知らせが届いた。
兄が入院し、手術の同意書に署名が必要だという。
姪としては、もう縁を切った。父親とも思っていないと。
私は同意書を書きに病院に駆けつけ、兄はその手術で命を拾った。
手術後、経過の説明を受けに病院を訪ねたとき、
医師が「昨日から意識が戻ってますよ」と言った。
しかし、「弟さんが来てくれましたよ」と声をかけても、
兄は目を閉じたままだった。
その様子が、昔の狸寝入りを思わせた。けれど私は、
回復に安堵すると同時に、胸の奥で静かに溜飲を下げていた。
兄は、いつも誰かのせいにして生きてきた。
だが、そんな兄を見て育った私は、慎重になった。
コップの水がお湯に変わり、麦茶がめんつゆに変わる。
そんな悪戯の積み重ねが、私をそうさせたのだろう。
兄の命日に思う。
あの人は、他人を責めてばかりいたけれど、
結局は、自分の人生の責任を負うことから逃げ続けていたのだろう。
私の慎重さも、兄の他責も、同じ場所から生まれたのかもしれない。
十四年経った今、それを思うと、憎しみよりも哀れみが先に立つ。




