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ノーラと手紙  作者: 涼山李々
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「白紙になった?」


 ある雨の日のこと。ロイは外出から帰ってきた父から思いがけない話を聞かされた。

 フィルポット領のノーラ・ブライトン令嬢との縁談が白紙になったという。それ自体に何も驚くことはない。先日、ブライトン子爵とその夫人が不幸な事故により亡くなった。縁談どころではないことはロイも分かっている。驚いたのはその後の話だ。


「ノーラ嬢自身が断ったのだよ。父の跡を継ぐためにとね」

「は……?」


 ブライトン家には子息はいない。普通なら、子爵に近い親戚が跡を継ぐのが慣例だろう。女貴族がいないというわけではない。しかし、それは長子や近い親族に男がいない場合だし、ごく稀である。


「ノーラ嬢はまだ十七歳でしょう?」

「まだ十六歳だそうだ。それでも、自分が爵位継承されるとのことだ」


 その決意に反対する者はいなかったのだろうか。十六歳の娘にはあまりにも酷だ。考えが足りないようにも思った。口を閉ざし、思案していると父から手紙を差し出された。


「これは?」

「ノーラ嬢からお前へ手紙だ」


 ロイはノーラと話したことも会ったこともない。手紙のやりとりすらこれまでしたことがなかった。縁談はお互いの父親同士が進めていただけで、彼女がどんな人物なのかは知らなかった。

 正直なところ、ロイはノーラどころか結婚に無関心だった。口煩い自惚れ屋じゃなければあとはなんでも良い──そう思っていた。だから婚約するかもしれなかったノーラもそういう女性でなければ良いとしか思っていなかった。

 自室で手紙を開いて読んだ。両親が亡くなったことにより、爵位を継承することにしたこと。それにより縁談を破談にさせてもらいたいこと。それを詫びることが書かれている。

 この手紙を読むと、彼女が想像していた女性ではないように思った。爵位継承するノーラという女性が一体どんな人物なのか、純粋に興味があった。ただの自惚れ屋なのか、それとも違うのか……。

 気づいたらロイは家を出ていた。


 フィルポット領のブライトン家へ訪れると、ロイは偽名を名乗った。母方の姓を借りてアシュレイ・ヘイズマンと名乗ることにした。アシュレイは新聞に掲載されていた新生児名簿一覧から適当にもらった。

 前子爵の知人であると説明すれば──もう少し警戒したほうが良いのではとは思ったが──拍子抜けするほどあっさりと屋敷内に通された。

 メイドに客間に案内され、しばらく待つと一人の女性が入ってきた。


「すみません、お待たせいたしました」


 初めて目にした自分の元縁談相手は、どこにでもいそうな若い女性だった。身につけている衣服はきちんとしたもので、装飾めいたレースは限りなく少ない。シンプルでありながら彼女によく似合う。

 しかし、その目元の隈は化粧では隠し切れておらず、表情は憔悴している。無理もない。両親が亡くなって跡を継いでからまだ半年も経っていないのだから。


「お忙しいところ申し訳ございません」

「いいえ、お尋ねいただきありがとうございます。父もきっと喜びますから」

「……お疲れのようですが、無理をされていませんか? あまり根を詰めるのはお体に良くありませんよ」


 ロイが堪らず聞くと、ノーラは少し頬を赤らめて苦笑した。その時少しだけ顔色が戻り、年相応の無邪気な表情が見られた。


「お恥ずかしながら、ここしばらく忙しくて。お見苦しくて申し訳ないです」

「それは構わないのですが……不躾ではございますが、なぜ爵位を継承されたのですか? 貴女はまだ若い。きっと良い嫁ぎ先もあったでしょうし、その方が体調を崩すようなこともなかったでしょう」


 思わずロイはそう尋ねていた。ノーラの肌は健康的で若々しい。その目も色鮮やかに輝いている。きっと、本来の彼女は明るく健康的な女性なのだろう。しかし、今ではその疲れが滲み出てている表情がどこか痛ましい。そんな彼女を前にすると、そう言わずにはいられなかった。領主など、この十七歳にもならない娘には土台無理な話だろうと、ロイは思っていた。

 しかし、ノーラは首を横に振った。


「どなたかと結婚して、共に領地を納めることもできたでしょう。でも、父が納めてきた土地を、娘である私が守りたいと思ったのです。妹達もまだ小さい。両親がいない今、私が代わりになってあの子達を守っていこうと、そう決めたのです」


 ブライトン家には三人の娘がいて、二人の妹はまだ幼いことをロイは知っている。もし、ノーラがどこか適当な貴族と結婚したとすれば、領地を納めるのは夫であり、ノーラは子爵夫人へと変わるだろう。もしそうなれば、妹達もどこか適当な貴族へ嫁がされ、政治の道具にされるかもしれない。ノーラはそれを警戒しているのだろう。

 無茶だとロイは思った。ついこの前までただの田舎貴族令嬢だった彼女にこの領地を守ることは無理だと。聞けば父親に仕えていた部下達は皆去り、ノーラ一人で躍起になっている。いずれ体を壊し、親戚の貴族が領地を乗っ取ることになるだろう。もしかしたら、葡萄の色が変わるのを待つように、その時を待っているかもしれない。

 ──放っておけないと、そう思った。まだ会ったばかりの娘が、躍起になって大切な人を守ろうとするその姿に好感を持った。彼女の望みは、地位や金なんかではなく、ただ妹を守るためということも分かった。そう思うと、ここを去り難くなったのだ。


「ノーラ様、突然ですが私を雇ってみませんか」

「へっ?」


 突然の申し入れにノーラは口をポカンと開けた。年相応でやや間の抜けた表情に、ロイは笑いを噛み殺す。


「貴女のお力になりたいのです」


 それから、ロイはアシュレイ・ヘイズマンとしてブライトン家に仕えることになったのだ。

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