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アシュレイならどう思うだろう。彼の意見が聞きたかった。
一体何のために、いない人物の名前を使って手紙を出すのか、ロイ・ハームズワースという人物は信用に足る人物なのか……。早く会って、彼に聞きたかった。きっと、アシュレイならこの澱んだ困惑を晴らしてくれるはずだと信じていた。しかし今、彼はこの場にいない。それがもどかしく感じる。
いつも隣にいたアシュレイがいないのはどこかむず痒かった。この数日どことなく居心地が悪く、椅子を立ったり座ったりして仕事をしていた。ふと聞きたいことがあって何もいないところへ名前を呼んでしまいそうになったことが幾度もあった。
どちらにせよ、明日には彼も帰ってくる。きっと、良い意見をくれるはずだと信じてノーラはベッドに潜り込んで眠った。
翌朝、ノーラが起床しいつものように着替えをしていると、自室を慌ただしくノックする音が響いた。返事を待たずメイドが飛び込んできた。彼女の表情は青ざめている。
「な、何かあったの?」
「ミリーお嬢様が、お部屋にいらっしゃいません……!」
今度はノーラが青ざめる番だった。上着を羽織るのも忘れ、ノーラはミリーの部屋に駆けつけた。ミリーの部屋に彼女の姿は無かった。部屋の隅でミリーの身の周りの世話をする若いメイドが青ざめて泣いている。
「ミリーの姿を最後に見たのは?」
「夕べ、ベッドを整えた時です……。今朝わ、私が起こしにお部屋へ参った時にはもう……」
「屋敷の中と、外へ探してちょうだい!」
「もう他のものが探しております! 街の方も探してもらうよう手配しておりますので、どうかお気を強く……」
ノーラは自分の青ざめた顔に触れて撫でた。ミリーはなぜいなくなってしまったのだろう。一体どこへ行ってしまったのか……最悪のパターンを想像してしまう。
「ノーラ様、お体が冷えますから」
「……ありがとう」
メイドの中で一番長く勤めている中年のメイドがノーラの上着を持って追いかけてきてくれた。その上着を受け取ったものの、頭は混乱して羽織ることも忘れ、よろよろとミリーの部屋に入った。
天蓋付きのベッドや家具が綺麗に並べられ、ぬいぐるみなどミリーの好きな装飾品で飾られている。彼女のビューローのデスクは開きっぱなしになっていた。その棚には手紙が何通か立てられている。
ふと、その一通の封筒の色に見覚えがあることに気づいた。それを取り出すと、さらに驚いた。その封筒や封蝋はロイから受け取ったものと全く同じものだった。思わずその中の便箋を一枚取り出して読む。
ノーラが手紙を読んでいると、初老の男の従者がバタバタと駆けてやってくる。
「食堂にミリー様の書き置きがありました!」
「なんて書いてあるの!?」
「それが……」
メイド達の言葉に男が説明をしようとするが、ノーラがくるりとそちらを向いた。
「ありがとう、事情は大体わかりました。これからすぐ出かけます。馬車の用意をしてください」
「ノーラ様、ミリー様の居場所が分かったんですか!?」
メイドの声にノーラは返事もせず部屋を出て行った。
***
ノーラは身支度を最低限整えて、急いで用意してもらった馬車に乗り込んだ。メイドがノーラのために朝食代わりのサンドイッチとオレンジジュースの入った水筒を手渡してくれた。馬車の中でありがたくそれを食べたが、ミリーのことが心配であまり味を感じられなかった。
食堂に置かれていたミリーの置き手紙は「ごめんなさい。必ず戻ります、心配なさらないで」と書かれているだけだった。その文字はミリーの筆跡によるものだ。おそらく、彼女は自分の意志で屋敷を出て行ったのだろう。
街へ出た従者が戻ってきた時、ミリーを見たという人の情報を持ってきてくれた。彼女は朝早くに乗合馬車に乗り込んだらしい。その馬車の行き先を聞き、ノーラはミリーの行き先を確信した。
簡単な朝食を終えて手紙を取り出す。一通はミリーの置き手紙、もう一通はハームズワースの封蝋付きの手紙だ。それをもう一度じっくり読み、ため息をつく。ミリーはハームズワースの屋敷に向かったのだろうと、その手紙を読んで悟った。
急げば屋敷へ着く前にミリーの乗った馬車に追いつくかもしれない。ノーラはそうなるよう願っていた。
ハームズワースのお屋敷はノーラの住むところから数十キロ離れており、馬車で半日かかる距離だ。乗合馬車と同じ道を辿ったが、ノーラの願い叶わず、道中ミリーに会うことはできなかった。ハームズワースのお屋敷が近い村に辿り着いたが、ミリーの姿は見当たらない。迷ったがノーラは屋敷を訪ねることにした。ミリーの居場所はそこしか考えられなかった。
ハームズワース家の邸宅は驚くほど大きな城のようだった。芝の広がった庭があり、その向こうには小さな森林がある。庭園では季節の花が咲き誇り、客を出迎えてくれた。大きな扉を叩けば、従者らしき男が出迎えてくれる。ノーラは突然の来訪を詫び、名前を名乗ったのち、事情を話した。男はノーラの突然の来訪に驚いてはいるようだったが、愛想よく答えてくれた。
「ええ、メリッサ・ブライトン嬢でしたらつい先ほど、こちらにいらしたばかりです」
従者の言葉にノーラはやっとでホッと息をついた。肩の荷が下りたかのように、体が脱力する。
「どうか会わせていただけますか? 妹と話がしたいのです」
「もちろんです。どうぞ、こちらに」
男に招かれ、ノーラは初めてハームズワースの屋敷に入った。屋敷の作りは立派だが、内装は実にシンプルだった。ノーラの屋敷もシンプルだが、どちらかと言えば質素なもので、この屋敷はどこか品がある。
そうやって目を張りながらノーラは客間に通された。部屋の中でミリーが居心地悪そうに身を縮こませながら椅子に座っていた。こちらに目を向けるとミリーはさっと顔色を青ざめさせて立ち上がった。
「ノーラお姉様……!」
ノーラはミリーに駆け寄って抱き寄せた。その震えそうな肩を撫でながら無事であることに安堵しながらも、妹を叱った。
「一体何を考えているの、あなたがいなくなってどんなに心配したか!」
「ご、ごめんなさい……」
「どうしてこんなことをしたのか、説明してくれる?」
ノーラの口調は優しいものに戻るが、厳しさは変わらない。ハームズワースの封蝋付きの手紙を取り出してミリーに見せると、彼女は俯いた。
その手紙はロイ・ハームズワースが出したものだった。ノーラの見慣れた筆跡で文章が綴られており、内容はミリーの出した手紙の返信らしかった。手紙の礼から始まり、こう書かれてあった。
“婚約の話は一度無くなった話であるため、もう一度縁談を持ちかけることは難しいことだと思います。これは、家同士の体裁というよりも、当人同士の気持ちによる問題かもしれません。”
“これまであなたのお姉様は日々努めを果たしてきたかと思われます。そんな女性が簡単に結婚をするとは考えられないのです”
“素晴らしい方だと、人伝の話ではありますが聞き及んでおります。彼女の意思を尊重したいと私は思っております”
“あなたのお望みとあれば、お姉様に手紙を書きましょう。ですが、あくまで彼女を尊敬する一友人として──。”
この手紙の内容からして、ミリーはきっとノーラと婚約できないかと打診する手紙を送ったのだろう。聞かずとも分かっていたが、ミリーの口からそう説明された。
「ロイ様とだったら、うまくいくと思ったの……」
「でもどうしてこんなことをしたの?」
ミリーの目元からはらはらと涙がこぼれ落ちていく。
「だって、きっと私のせいでお姉様は辛いことを言われたり、大変なお仕事をされてる。私、お姉様に幸せになってほしいの、もう辛い思いをしないでほしいって、それで……」
涙に邪魔されて言葉をつっかえさせながら説明される。妹達の前ではできるだけ明るく振る舞っていた。初めは慣れないことばかりで毎夜徹夜漬けの日々。それは今も同じこと。まだ淑女にもならない少女は、彼女なりにノーラのことが心配だったのだ。
はにかみ屋で、初心の彼女は姉のことを想い、こんな大胆なことをしたのかとノーラは少し驚いた。息を吐いてノーラはミリーの手を握った。
「ミリー、ごめんなさい。心配させていたのね」
「い、いいえ! 全部私が悪いんです、こんなことをして……考えが足りませんでした」
「聞いて。私は結婚も幸せの標の一つだと思う。でも、全ての幸せが結婚だけではないと知ってるのよ。誰に何と言われようと構わないの。私は貴女達が立派に育っていくのをこの目で見ることができて幸せなんだから」
両親が亡くなり悲しみの底にいた。辛いことも、大変なことも確かにあった。でも、確かにノーラは幸せだった。自分の隣にはいつも愛する家族がいたのだから。
「だから泣かないで。こんなに姉想いの妹がいて誇らしいわ」
「ノーラお姉様……」
ミリーはたまらくなってノーラに抱きついた。ノーラもそれを受け入れてミリーの肩を撫でた。ずっと小さいと思っていた末妹はこんなにも大きくなった。いずれ、彼女も大人になって自分の道を進んでいくだろうと思うと、その未来が待ち遠しくも切なくなった。
体を離したところで、扉のノックが聞こえた。先ほど案内してくれた男が入ってくる。
「ロイ様がノーラ様にお会いしたいとのことです。メリッサ様はこちらでお待ちください」
「はい……」
いよいよ、彼に会うのか……そう思うとノーラは説明しようのない緊張を感じた。会いたいような、会いたくないようなそんな気持ちがする。
ミリーに目配せをして客間を後にした。男の後をついて長い廊下を歩き、ある一室に案内された。
「ノーラ・ブライトン様をお連れしました」
「ありがとう、下がって構わない」
部屋の男に言われ、従者は頭を下げて去っていく。ノーラは恐る恐ると部屋の奥へ入る。
その男は窓の外へ体を向けている。こちらに振り返っているが、逆光で顔が見えない。ゆっくりと彼が窓から離れていく。
「ようこそ、おいでくださいました」
その声に聞き覚えがある。ノーラは心底驚いていたが、至って冷静だった。
「……アシュレイ」
目の前にいる男は、アシュレイ・ヘイズマンだった。




