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ロイ・ハームズワースから手紙をもらって以来、ノーラは細々と文通を続けていた。お祝いの手紙のお礼に始まり、日々の仕事のことや時期の天気や食べ物のことなど当たり障りのないことから次第に自分自身のことを書くようになっていた。最愛の妹達のことや、自分の好きな菓子やお茶のこと……。文章のやりとりしかしていないはずなのに、ロイに宛てて書こうとすると、自然と素直な文章になっていった。彼はノーラのことを昔から知っている友人のように理解をしてくれた。
最近はロイの手紙が楽しみの一つになっている。忙しい人なのか、返事はやや遅い。だからこそ、ノーラはロイの手紙が待ち遠しい。
前回は久しぶりにホットチョコレートを飲んだことを、母の思い出を交えながら書いた。今朝届いたロイからの手紙には彼も幼い頃、ボートから転落して熱が出た時、チョコレートを飲んだそうだ。美しい文字を書くためか最初は聡明な人を想像していたが、こうして手紙のやりとりをしてみると、案外彼はお茶目な面があるようだった。
「嬉しそうですね」
「え?」
その声に顔を上げると、ミリーがテーブル向かいの椅子に座ろうとしている。テーブルには一口も飲んでいない紅茶。すっかり温くなってしまったようだ。そのカップをメイドが下げてくれ、ミリーのお茶と一緒に新しく淹れてもらった。
「ノーラお姉様、最近ご機嫌ですね。そのお手紙のおかげかしら」
「そうかしら、私はいつもと変わらないわよ。たまたま手紙が続いているだけ」
手紙を片付け、そう答えると自分が思った以上に言い訳めいた口ぶりになっているような気がした。ミリーはそれを揶揄うことはしなかったがニコニコと笑っている。
「ロイ様でしたっけ。ねぇ、お姉様はその方がどんな方か知りたくはない?」
「え? どんな人って……優しい方よ。ユーモアもあって」
「そうじゃなくて、一体どんなお顔なのかとか、どんなお声をされているのか、そういうことですよ」
そう聞かれると、全く気にならないというわけではない。しかし、わざわざ確かめにいくほどのことではないし、何よりもしかしたら婚約していたかもしれない相手だ。今になって惜しくなったのかと思われるかもと、気後れする。
「そりゃあ、気にならないわけじゃないけど……」
「なら、うちにご招待しませんか? そうすれば、どんなお方が分かりますし」
「ま、まってまって。ミリー、どうしたの? 急に」
ノーラが困惑してミリーに問えば、彼女ははっとしように目を見開いたかと思うと気恥ずかしそうに俯いた。
「ご、ごめんなさい。私ったら、ついはしゃいじゃって。その、お姉様がお気に召した方だったので……」
どうやら彼女はノーラとロイが再び縁談の話にならないかと、期待しているようだ。ミリーが少女らしく気恥ずかしそうにしている様子が可愛らしく見えて、ノーラはクスクス笑う。
「そうね、このまま良い友人関係でいられたらいいわ。でも、今は手紙のやりとりするのが一番いい距離感だと思うの」
「そんな……」
「正式な婚約ではないとはいえ、縁談を断ったのはこちらだもの。それを、やっぱり縁談の話をすすめましょうなんて、虫がいい話よ。それに、ロイ様にはもう違うお相手がいるんじゃないかしら」
「えっ!」
想像に難くないことだろう。貴族同士の結婚というのはそう言うものだ。婚約も同様に破談となれば、すぐに次の相手を探す。もう五年も経つのだから、相手がいてもおかしくない。
もし婚約したとすれば、名のある伯爵家だから発表があるはずだ。ノーラの知る限り、ロイの婚約発表は聞いていないが、そういった相手はきっといるはずだろう。だからこそ、ノーラはあまりロイに会う気はなかった。貴族同士の恋の噂というのは常に数多くある。たとえ事実でなくとも、それを事実のように広まることもある。そういった不誠実な噂を立てられたくはなかった。
「……さ、このお話はおしまいにして、お茶にしましょう。今日のケーキはミリーの好きなレモンね。取ってあげるわ」
「え、ええ……」
ノーラは鼻歌混じりにケーキを切り分け始める。そんな姉の様子をミリーは戸惑うように見つめていた。
***
ミリーにはああ言ったものの、ノーラはロイへの手紙にはありのままに書いていた。ホットチョコレートのこと以外にも、先日見合いの話を持ちかけられたことを、相手の名前や地位を伏せて愚痴混じりに書き連ねた。返事にはこうあった。
“強引な言葉で見合いを持ちかけられ、さぞ困惑されたことでしょう。ご心労お察しします。”
“私はブライトン子爵のお考えや選んだ道は間違ったものではなく、正しい道の一つだと考えております。”
“その道は決して平坦な道ではない、男の私ですら想像できない苦労がおありでしょう。それを胸を張って堂々と歩み続けるあなたは素晴らしい人です。”
“時に心無い言葉に傷つくことや、悩まれることもあるでしょう。ですが忘れないでください。あなたのそばにはあなたのことをいつも大切に思う人がいるのです。”
“いつも前向きに取り組むあなたのことを、友人として誇らしく思います──”
その励ましと褒め言葉にノーラの口元は緩みっぱなしだ。しかし、この手紙の返事をどうしようかと悩んでいた。褒められた言葉に対して、返事を書くのはなかなか気恥ずかしく、何を書こうか悩ましい。
そう思案していると、扉がノックされて開いた。
「失礼します」
慌てて手紙を隠すと、入ってきたアシュレイが怪訝そうな表情でこちらを見た。眉間には皺が寄っている。
「……何を隠したんですか?」
「な、何も?」
「嘘を言わないでください。今隠したものを出してください」
つかつかと近寄ってきて手を差し出される。それを拒むようにノーラは首を振った。
「だ、だめ。これは大切な……」
「早く」
アシュレイは容赦なかった。これではまるで、叱る親と叱られる子供だ。そう思うと、自分のしていることが子供っぽいように感じて、おずおずと手紙を出した。それを奪い取るようにアシュレイが受け取り、内容を見る。
「その……返事を考えてて。その手紙、すごく嬉しかったのよ。だから、どう感謝をお伝えしようかと悩んでて」
言い訳をボソボソと言うと、アシュレイがはぁとため息をつく。これは呆れているため息だと、ノーラは知っている。すると、手紙を返された。反射的にそれを受け取る。
「今は仕事に専念してください」
お小言はそれだけで、拍子抜けしてしまった。これがいつもなら、笑顔で嫌味の一つや二つ言うのに。……具合でも悪いのかしら。そう思いながらアシュレイの顔をじっと見る。
「……何か?」
「な、何でもないわ。それより、あなたこそ何かあったんじゃないの?」
「ああ、そうでした。申し訳ないですが、少し休暇をいただきたいのです」
「休暇?」
ノーラが聞き返すと、アシュレイは頷く。意外な申し入れだった。アシュレイがこれまでに自分から休暇を申し立てたことは無い。定期的な休暇はあるが、そのほとんどは自宅で過ごしているようだ。
「少し実家の方に顔を出さなくてはならなくなりまして」
「まぁ、何かあったの?」
「いえ、大したことではありません。野暮用を終わらせるついでに顔を出しておこうと思いましたものですから」
そう言えば、アシュレイが実家に帰ったという話はあまり聞いたことがない。どちらにせよ、それを断る理由はなかった。
「もちろん、構わないわ。せっかくだし、一週間くらい休んだら?」
「…………」
ノーラの提案を、アシュレイは呆れたように無言で睨む。
「な、何よ、その目は」
「私が休んでいる間に何かトラブルがあれば休暇も何もありませんよ。また徹夜する羽目になるのは想像つきます。三日もいただければ十分です」
「し、信用ないわね私……」
ノーラの呟きに、アシュレイは否定しなかった。アシュレイにとってはまだまだ手のかかる上司らしい。




