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ミリーは天気がいいからと、庭園でのお茶会を提案した。メイドに仕事中だからと、頭のスッキリするハーブティーを用意するよう言ってくれていたらしく、一口飲むと、スッとした爽快感のある味が口に広がった。
「お仕事は順調ですか?」
ミリーに尋ねられ、ノーラはジャムの乗ったクッキーに手をつけながら頷いた。
「ええ、アシュレイが手伝ってくれるから、なんとかね」
「ありがとう、アシュレイ。私からもお礼をいいます」
「ノーラ様のお手伝いをすることが、私の仕事ですから。お礼は不要ですよ」
「ううん、本当に感謝しているんです。私じゃノーラお姉様のお手伝いはまだできないから、こうしてアシュレイが来てくれたからどうにかなっているんですわ。きっと」
クッキーを咀嚼しながら、ノーラは確かにその通りだと心の中で頷いた。
父の下についていた秘書や部下達は誰一人残っていない。彼らはどこかの貴族やそれなりの家の出身の男性だった。留まって欲しいとノーラは説得したが、たった十六歳の小娘の下につくのはごめんだと、遠回しにそれに近いことを言われた。自分の息子や親族との結婚を勧める者もいたが、断固として受け入れられないとノーラが断れば、皆去ってしまった。
屋敷の家事や雑用をしてくれるメイドや従者が残ってくれたのは幸いだった。しかし、ノーラは両親を亡くしたことと同じくらいショックだった。これまで、父を信頼してくれた彼らは、ノーラ達姉妹にもよくしてくれていた。しかし、それを掌を返すような態度は悲しかった。自分達に親切にしてくれていたのは上司の娘だったからで、父がいない今はただの小娘としか思われていないのだと、気づいた。
そんな時に、アシュレイが訪ねてきたのだ。父の知人だという彼は、ノーラの境遇を知ると、秘書として雇わないかと申し出た。初めこそ警戒したものの、領地の残された状況や今後取り組むべき課題、まずノーラがするべきことを彼女がわかりやすいよう洗い出し、まとめ、説明してくれた。その頭の回転の速さは、自分よりも上回る優秀さだとノーラは思った。彼の方が領主として向いているのでは……そんな思いも脳裏に過ぎったが、頭を振り、彼を秘書として迎え入れることにした。
アシュレイはノーラの秘書でもあり、先生でもある。ノーラの知らないことや疑問にも懇切丁寧に教えてくれるし、判断に迷った時には冷静な助言をしてくれる。もし、アシュレイがいなかったら、きっとうまくいかなかっただろう……。ミリーと同じく、ノーラも彼に感謝していた。
──ただ、本当にそれを口にするのは何だか面白くなくて黙っておくことにした。
もう一枚クッキーを口に運び、出かかった言葉と一緒に飲み込んだ。
「それにしても、このお茶会もテリーサお姉様がいなくなると寂しくなりましたね」
お茶を囲むテーブルを見渡すミリーの声は少し沈んでいる。それに同意するようにノーラも頷いた。
「ええ本当に。天使が通ると、歌なんか披露してくれて。おかげであの子がいて退屈したことなんてなかったわ」
次女テリーサは十七歳。先週結婚しこの屋敷を出て行った。生意気なことを言い、時にはノーラと口喧嘩をすることもあったが、普段は明るくおしゃべりでこの屋敷のムードメーカーのような娘だった。
結婚のお相手は近隣子爵家の三男ヒュース・ホスパーズ。人の良い穏やかな青年で、家業は長男が継ぐことになっているらしいが、テリーサに対する愛情はノーラ同様深く、きっと彼ならテリーサと共に良い家庭が築けるだろうと思い、二人の結婚を認めた。
「今頃あの子はリゾートでバカンスかぁ……羨ましい」
はぁと、ため息と共にそうぼやけば、アシュレイにじろりと睨まれた。
「おや、バカンスにいきたいので? それよりもやることが山ほどあるというのに?」
「言ってみただけよ……そんな怖い顔で睨まないでってば」
「でも、お姉様。お姉様自身のご結婚のことは考えていらっしゃらないの?」
ミリーの問いにノーラは首を振る。
「私のことはいいのよ。それよりも、ミリーの結婚の方が大切なんだから」
「えっ、私ですか? 気が早いですよ」
「結婚でなくても、ミリーが大人になって自分の道を見つけるまで、私が見守るって決めてるのよ。それに結婚なんて考えてる暇なんてないし」
「……それで婚約も取り消したのですか?」
アシュレイの言葉にノーラはぎくりと肩を震わせた。彼にその話をしたことは一度もない。なぜ、知っているのだろう。
「こ、婚約まで話は進んでなかったわよ。そういう話があったってだけ」
両親が亡くなる前、ノーラには縁談の話があった。相手は近隣の領地を収める伯爵家の子息で、良い縁談だと父は乗り気だった。一方のノーラはあまり興味がなかった。会ったこともなければ姿絵も見たことがない。名前は聞いたことはあるはずだが、今では思い出すこともできない。
そんな最中に、事故により両親は亡くなった。ノーラが父の家業を継ぐことを決意し、葬式に参列した伯爵家の当主に面と向かって、縁談の話を無かったことにして欲しいと頼み込んだ。ノーラの決意や妹達の話を聞くと、伯爵は理解してくれた。ノーラは縁談の相手に謝罪の手紙を書き、縁談話は全て白紙になったのだ。
「……どうしてあなたがそんな話を知っているの」
「小耳に挟んだものですから」
「でも、なんだかもったいない気もします。私もとても良い縁談だったと思いますし、それを断ってしまうだなんて……」
「結婚したら、この土地はその人が治めることになるかもしれないのよ? 会ったこともない、どんな人かも分からない人に大切なこの地を任せるほど、私もバカじゃないわ」
父がどんな思いでこの土地を治めていたのか、それは今となっては聞くことはできない。しかし、アシュレイ曰く、父は良い領主だっただろうと言っていた。無茶な増税もせず、領民に寄り添った統治をしていたと……父や部下が残した帳簿を見ながらそう教えてくれた。ノーラは父が誇らしく思ったのと同時に、自分が結婚せずに跡を継いで良かったと思った。
「じゃあ……ノーラお姉様はご結婚するおつもりはないんですか?」
「そうねぇ……それは三の次、四の次かしら。良い話があれば考えるけど、まずはあなたのことを優先したいのよ」
ミリーには結婚に悪い印象を与えないようそう返答したが、本当は自分の結婚に乗り気ではなかった。
今の自分には、この領地やお屋敷がついて回る。小さな田舎ではあるが、このフィルポット領は豊かな土地が広がり、ほとんどが農地や山で占めている。この土地が喉から手が出るほど欲しいという貴族はいることを、ノーラは身をもって知っている。あの欲望に満ちた目に囲まれて結婚を迫られるのは二度とごめんだった。
ノーラの笑顔に返答するようにミリーは笑顔を返す。
互いの表情が曖昧に笑っているのをアシュレイは何も言わずに見守っていた。