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ノーラと手紙  作者: 涼山李々
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 いつも通りの日常をノーラとアシュレイもとい、ロイの二人は過ごしていた。

 ミリーの騒動――アシュレイがロイだと知った日から一年が経った。二人はこれまで通り、主従の間柄のままでいた。ミリーが独り立ちするまでは結婚しない……その約束を果たす日が来るのを待っていた。

 ノーラとロイは届いている手紙を一通り目を通し、執務室で書類仕事をこなす──そうやって今日もまた一日共に過ごすはずだった。


「ねぇ、今日はなんの日か覚えてる?」

「……はい?」


 ロイは唐突にそう聞かれた。ノーラの表情はなぜだかニヤニヤと笑っている。まるで子供がいたずらをしたような笑みに、ロイは愛おしさと苛立ちの混じった感情を抱いた。

 しかし、なんの日かと問われても、心当たりが無かった。誰かの誕生日では無かったし、今日は一日中屋敷に引きこもって書類仕事のはずだ。来客の予定も無い。強いて言うなら来月はミリーの誕生日だったはずだが。


「はい、時間切れー」


 ノーラは無邪気に言った。ロイは立ち上がりそうになりながら手を前に突き出す。


「待ってください。今、思い出しますから」

「ダメよ。時間切れなんだから。今日はね、アシュレイ記念日よ」

「……なんですかそれ」


 自分の名前を使って(偽名の方だが)奇妙な記念日を作られるのは、どちらかと言えば不快だ。そう口で言うほどではないが、ロイは不快そうに眉間に皺を寄せた。


「あ、やっぱり覚えて無い。去年私にホットチョコレートを作って持ってきてくれたでしょう?」

「……ああ、そんなこともありましたね」


 昨年、仕事で疲れていたノーラに頑張ったご褒美という名目でホットチョコレートを持って行ったのだ。彼女はやけに喜んで、今日を記念日にしなくちゃと、冗談を言っていたが……。


「よく覚えてましたね、そんなくだらないこと……」

「くだらなくなんてないわ。私、あの時嬉しかったのよ。まぁ、貴方が覚えてなくても仕方ないけど。ねぇ、ちょっとこうやって目を伏せてくれない?」


 突然立ち上がったノーラに面食らった。今度は何を企んでいるのかと訝しんだ。


「なんですか、急に……まだ仕事があるでしょう?」

「休憩よ、休憩! いいから、目を瞑って伏せる!」

「はぁ……わかりましたよ。ほら、これでいいですか?」


 ノーラに言われた通り、手で目を覆い隠す。すると彼女の「ええ、いいわ!」と満足そうな声が聞こえた。


「私がいいって言うまで目を開けないでね!」

「遊んでる暇なんて……」


 ロイが言い切る前にノーラは部屋を出て行ってしまったようだ。騒がしい足音と扉の開閉音が聞こえた。いい歳して一体何を企んでいるのやら……もう一度ため息をつくが、律儀に目を伏せたまま付き合う自分も自分だと、ロイは少し笑った。

 やがて、扉がゆっくり開く音がする。本人は繊細な注意を払って部屋に入ったつもりのようだが、扉の軋む音や足音は完全に消え去ってはいない。もどかしいほどゆっくりゆっくりと近寄り、コトンと、ロイの前に何かが置かれる音が聞こえた。


「目、開けていいわよ」


 その言葉で伏せていた目を開けた。目の前に鎮座するのは、滑らかな茶色の生地のケーキだった。チョコレートのクリームでやや歪なデコレーションされており、香ばしい甘い香りがする。


「これは……」

「作ったのよ。私が」

「……ノーラ様が?」


 ロイがノーラを見上げると、満足げにノーラ頷いた。


「私から貴方に感謝を込めて。私からあなたにご褒美をあげたこともなかったなぁって思って、貴方に作ったのよ。これまで、支えてくれてありがとう。これからも、よろしくね」


 突然ロイが立ち上がり、向かい合った。ノーラが面食らっている間に腕を引き寄せて抱きしめた。


「わっ! ちょ、ちょっと!」

「すみません、今だけ許してください」


 昨年のプロポーズからずっとノーラとロイは婚約しているのと同時に、これまで通り上司と部下の関係であり続けた。約束を守り、恋人らしいことは一切しない。あえて言うならミリーを交えてお茶会を開く程度だ。

 こうやって抱きしめられることは初めてで、ノーラは戸惑った。ロイの体は思った以上に大きく、固い。それなのに、暖かくて居心地が良い。……愛している人に抱きしめられるとこんなに落ち着くのかと、ノーラは初めて知った。


「アシュレイ……仕事中だから」

「仕事中にケーキを持ってきたのは誰ですか?」

「……私です」


 素直にノーラが応えると、ロイはクスクスと笑った。その様子にノーラは不貞腐れたような表情をする。


「全く貴女という人は、一緒にいて退屈いたしませんね。……休憩にしましょう。ミリー様をお呼びして一緒に食べませんか?」

「! ええ、そうしましょう!」


 ロイの提案に賛成したノーラは彼の手を取り、部屋の扉まで向かう。


「そういえば、貴女はいつまで私を“アシュレイ”と呼ぶのですか?」

「ご、ごめんって……つい癖でそう呼んじゃうのよ」

「私としては、早めに慣れていただきたいのですが……まぁ、焦らずとも時間はありますから」

「次はちゃんと呼ぶわよ。ロイって」

「それは安心いたしました」


 その手はしっかり握りしめたまま、二人は部屋を出て行った。

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