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コーヒーとカリン酒。それと古本市

作者: 葉山 灯

 昔、群馬に住んでいた頃の話だ。


 当時暮らしていた場所は寂れた村で、コンビニとスーパー以外利用出来る店はほとんど無かった。今思えばコンビニがあるだけマシだったけれども。


 なので休日には良く高崎に遊びに行っていた。駅前にはカフェがあり、本屋があり、レストランがあちこちにある。


 都会にはそこら中にあると思うが私にとってその当たり前を味わう為に片道2000円ちょっとの切符代を払っていたのも過言では無い。


 選択肢がある、という自由を私は求めていた。


 まあ、それは関係ない話である。飛ばそう。


 その高崎で懇意にしてたハンバーガー屋さんがあった。個人経営のお店で値段も相応。駅からも離れているが味は確かだった。


 ハンバーガーとオニオンリング。後、辛口のジンジャエール。


 夏の暑い時には喉を焦がすジンジャエールの辛味が堪らなかった。鉄板で焼かれるパティを眺めながらそれを飲んでいた。


 食べ終わったハンバーガーの包装紙に残る肉汁をこっそり頂き、会計を済ませると玄関脇に置いてある小テーブルに置かれたチラシがふと目に入った。


 前橋で古本市が開かれているらしい。


 私はその紙を手に取り、店を後にした。開催日は丁度今日で二日目、明日が最終日だったのでせっかくだから行く事にした。


 結構おぼろげだが高崎から新前橋で降りてそこから前橋まで一駅だったと思う。駅に降りた直後に雨が降ってきた。


 バスでイオンモールから二つ、三つのバス停で下車。大きな公園が目の前にあった。


 あまりにも広すぎて目的地まで三十分ぐらい歩いた。公園内にはドームがあって試合があったのか屋台が並んでいた。なので唐揚げ棒を一つ購入。


 雨足が強くなっていき、安物の靴が泣き始めた。びしょびしょになった足取りで彷徨う良い歳した迷子の私はうんざりしながらも唐揚げを口にした。


 それから十分程。ようやく見つけた建物には多く人で賑わっていた。中を覗くと本が詰まった木箱と棚がずらりと並んであって思わず頬が緩む。


 しかしびしょ濡れのままで入るのも嫌なので外でしばらく水気を切ろうかと考えていると建物入り口の右手側に屋外のスペースがあり、そこに幾つかのキッチンカーがお店を開いていた。


 私はこの移動販売をする車を見るとつい寄ってしまう。今は違うだろうが昔横浜の大きなデパート入り口手前にケバブ屋があった。安くて量が美味しいので学生の頃は良く利用していたのを思い出す。


 話を戻してそのキッチンカーの一つはコーヒーを主とした移動カフェだった。


 冷えた身体に温かいものが欲しい私はその車に近寄って少し驚いた。車内がオレンジの灯りを放つ電球がぶら下がっていて、キッチン周りには所狭しに使い古した道具が敷き詰められている。その中央の椅子に一人の老人が佇んでいた。


 安っぽいカフェでは無い。年季が入った純喫茶の空間がそこにあった。老人も垢抜けていて、白いシャツを着こなして客の私を見ると一瞥すると頭を静かに下げただけだった。


 雨音がまた激しくなった。どんよりとした空模様が周りの空気を暗くする。ただ老人が居る車内の灯りだけがぼんやりと辺りを照らした。


 コーヒーの匂いが漂う。入り口にはクッキーやたくさんの品物が並んであった。それらを吟味しながらどうしようかと考えていると、メニューにふと気になったものがあった。


 カリン酒。


 お酒も販売してるのか。私はコーヒーを頼むつもりだったが、どうも捨て難い魅力がその文字にあった。


 特殊な状況は人の財布を緩くしてくれる。次いつあるのか分からない古本市に何処へでも行ってしまうキッチンカー。これを逃せばもう二度と会えないかもしれない。その焦燥感が私にカリン酒とコーヒー二品を注文を促した。店主の呆れた表情が未だに忘れられない。


「カリン酒はホット? 冷たいの?」


 そう聞かれ私はホットを選んだ。濡れた服が張り付いて鬱陶しい。身体は冷えていた。


 さて、カリン酒とはどんなものだろうと店主を観察していると、大きな瓶を車から運んできて近くの木机にどん、と置いた。


 琥珀色に満ちた瓶の中には両拳程のカリンが浸かっており、ゆらゆらと漂っていた。


 興味深く見つめていると店主が誰かを呼んだ。ここでは仮に花ちゃんとしよう。


「花ちゃーん! カリン酒のお客さん来たよー!」


 すると外から七、八歳ぐらいの女の子がこちらに向かってきた。


 彼女は私を一瞥するとふいっと目を逸らした。この時の仕草が店主に似ている事から勝手に彼の孫なんだろうと考えた。

 

 花ちゃんは椅子の上に乗って、カリン酒の蓋を開けた。そして店主から受け取った深めのスプーンで紙コップにお酒を注ぐ。


「もうちょっと?」


 突然彼女は私に声を掛けた。コップの中の酒を見せてくる。


「あと少し」


 私がそう言うと嬉しそうにスプーンを動かす。そのままコップを店主に渡すと彼女はまた何処かへ行ってしまった。


 キッチンカーの車内では店主がコーヒーを沸かしている。ついでにお酒にお湯を注ぎ、まずカリン酒を私に手渡した。


 ふうふうと息を吹きながら湯気が篭った熱いカリン酒を頂いた。うん、美味しい。カリンという果物の香りと濃い甘味が冷えた身体に沁みる。


 私は酔いやすい性質なので、少し呑んだだけでポカポカと暖かくなった。続いてコーヒーを貰う。


 そのままキッチンカーから離れて両手にカリン酒とコーヒーを持ちながら建物内をしばらくぶらぶらする。


 本がある場所には近づかずに窓際で遠目に古本市を眺めていた。ブース毎に別の古本屋さん達が本を用意して、絵本だけだったり海外のデカめの写真集を並べていたりと本屋によって特色があって面白い。


 建物内には本を物色する人で溢れていた。自分を棚に上げるがこんな雨の中来る彼らはなんて物好きなんだと思う。


 それから一時間程古本市を彷徨った。収穫は無かったが沢山の本に囲まれただけでも心地良い。


 コクのあるコーヒーにカリン酒をちょっと混ぜる。


 甘いシロップを入れたようで最後まで美味しく味わえた。


 外へ出ると雨は上がっていた。私はそのまま家路へと向かった。


 数年前の出来事だ。


 記憶は曖昧で、間違いもあるかも知れない。あのキッチンカーの店主も孫も顔は全く思い出せない。


 ただ良かったな、と思う。雨が降って身体が冷える度にあの情景が蘇る。



 もうちょっと?



 きっとあのお酒は彼女が手伝ったのだろう。良いお酒だった。また呑みたいものだ。


 コーヒーとカリン酒。それと古本市。


 私は今でもその言葉を聞くと心が暖かくなるのだ。



 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素敵なお話でした。 読ませていただきありがとうございました。
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