7.世界の謎
拠点探しに揚々と出かけたアイクチとジュンカ、ギエンは、市場の店員達や交番、公園で休んでいる人など様々な人に宿泊施設の有無を訪ねたが、この島には存在しない事実が発覚していた。
アルミナン市は、群島で移動しており、他市との交流は数か月に一度程度の頻度しかない。そのため、基本的にルフ島のような住宅街の広がる島に宿泊施設の需要自体が存在していなかった。
交番で聞いたところによると、観光島であれば宿泊施設はあるとの話だったが、ソメイと離れた今、別の島に再上陸する目処は立っていなかった。交番の職員が不審そうな目を向けながら観光島への移動方法について教えてくれようとしたが、不穏な空気を察知した3人は尻尾を巻いて逃げてしまっていた。
そのため、太陽がてっぺんに登った頃、公園のベンチに座って途方に暮れていた。
「宿がないって何なの!? 常識的に考えて町に一つや二つ宿があっても良いでしょうよ!」
「その常識がこの島だと非常識なのかな」
うまいこといったとアイクチが口角を上げると、ジュンカがキッと睨みつけた。
「誰の為に必死になってると思ってるの」
「ごめん。でも俺、ここで寝るんで構わないよ。安全なのも分かったし」
肌寒い時期だが、コートにくるまっていれば問題ない。アイクチは、魔物もいないのであれば、公園のどこでも大丈夫そうだなと思っていた。
「それはない。野宿は論外。魔物より人間の方がある意味怖いんだから。あんたは人の悪意ってやつをまだ知らないだけ」
「そうなの?」
「そうなの。ギエンも何か言ってよ」
「そうですね。アイクチ様、人に親切にすることは美徳とされていますが、親切にしてくれる人の行動と意図が一致しないことがままあります。例えば、お金をあげるとかお菓子をあげるとか言ううまい話は、基本的に詐欺だと思ってください。夢世界の常識がどうなっているかまだ分かりませんが、元世界ではそれが常識です。重々肝に銘じてください」
「うぅん? でもさっき市場でジュンカがおじさんから漬け物を貰ってたよ」
アイクチが言うと、ジュンカが顔をさっと赤くした。市場のおじさんのしゃがれ声でおびき寄せられて、イカの沖漬け等をたんまりいただいていたのだ。
「あ、あれは良いの! あのおじさんのは、こんなおいしい商品だから、気に入ったら買ってほしいっていう販売方法なんだから。私は味見させてもらっただけ」
「買わずに好きに食べるだけなのはジュンカが詐欺をしているように見えるけど。おじさんが買うつもりのないジュンカの悪意を見抜けなかったってこと?」
「あれは悪意とかの問題じゃないの。買うと言ってないのに試食だって差し出してきたんだから良いの! ちょっと今回は荷物増やしたくないから買わなかっただけで、落ち着いたら買いに行くつもりだし」
「難しいなぁ。悪意があるとかないとか、どうやって見分けろと?」
「見分け方の勘所を知るのがこれからの社会経験です。信じて良いか悩むことがあったら私たちにお聞きください」
そんなギエンの言葉に、理解はできなかったが、アイクチは「うん、分かった」と返した。
アイクチにとって他者とは、おやっさんとジュンカ達だけだ。アイクチのコミュニケーション能力不足や経験不足は、実はかなり重大な問題なのではないか。そんな思いでジュンカとギエンはうなずき合った。
***
アイクチ達が拠点のことを諦めてとりあえず昼食にしようと結論を出したころ、飴色の髪を肩口まで伸ばしたエルフ、リンユウが手を振りながらやってきた。
「いたいた。やっほー皆の衆。雁首そろえてしけた面してるねぇ。どした?」
「リンユウ! 何か良いことあった?」
むしろ聞いてくれとばかりのその笑みに、アイクチが問いかけた。
「あったあった。広場でやってた野良の賭けチェスに参加したらボロ勝ちしちゃってさぁ。あ、これお金ね。保管しておいて」
リンユウが差し出した袋を受け取ると、アイクチはその重みに驚いた。3,000アーヴ渡した貨幣がおそらく十数倍に増えていることが分かった。
「ものすごく増えてない?」
「にひひ、私に勝つには研究が足りないっての。棋譜の蓄積が違うのよ。1人に勝ったらカモがあれよあれよと挑んできちゃって大変のなんのって。久々に5人同時に相手しちゃったよ」
「あんた、何やってんの」
肩がこったと腕をぐりんぐりんと回すリンユウにジュンカがあきれていると、心外とばかりにリンユウは口を尖らせた。
「何って、情報収集でしょ。地域の暮らしに溶け込むには、ゲームやイベントに混ぜて貰うのが一番って言うし」
「ホントにぃ? 勝負を楽しんでただけじゃないの?」
「否定はしないよ。久々に挑まれたのもあって、めっちゃ充実してた。でもさ、私としては夢世界で初上陸の素人がその勝負を成立させていること自体をおかしいと思ってほしいわけよ」
「と言うと?」
「チェスってね、王、将軍、戦象、騎兵、戦車、歩兵の6種類の駒が原型って言われてるの。で、発祥の地から別の地域に伝来するに従って、形を変えていったわけ。象がいない地域で戦象の駒なんて根付かないしね。で、チェスの駒にルークってあるでしょ。城とか塔みたいなやつ。あれが自由にまっすぐ動けるっておかしいと思ったことない?」
「いや、得には。ルールはこうですって言われたら、はいそうですかとしか」
「そこ疑問に思ってほしいなぁ。まぁ良いや。それで、馬で引く戦車に向かない地形の地域では姿を変えた。ルークはね、戦車が伝説の魔物とかいろいろと経由した結果の姿なんだ」
「つまり、何が言いたいの?」
「夢世界には、決して広大とは言えない程度の島がそれぞれでぷかぷか浮いていて、とてもじゃないけど戦に戦車なんて運用できない。城がまっすぐ動くくらいなら浮島を模した駒ができていた方が納得できる。つまり、ルールの一致も訳が分からないんだけど、駒の形が元世界の現代のそれと完全に一致していること自体に違和感を禁じ得ない」
「結論としては?」
「夢世界と元世界は、何らかの交流がある」
「知ってるよ。私たちがここにいることがその証拠じゃん。何を今更」
「そうじゃなくって! おやっさんは、カードの術具で人を召喚するやつは珍しいし、戦闘や移動以外で使用されることはほとんどないって言ってた。そして何より言語が違うの。私たちみたいに膝を突き合わせて言語理解を進める酔狂な人が多くいるとはとても思えない。ということは、私たちとは別の方法で交流をする手段があるってことになる。若しくは、別世界だと思っていたけど、同じ世界の可能性もある?」
「だとして、それがどうだと? 謎を解き明かして夢世界と元世界で交易でもしてみる?」
「それはそれで面白そうだけど! 特に何をしたいって訳じゃないけど! それでも、この世界の仕組みを知ることができたら、何かもっと面白いことになるって思わない?」
「いや、特には。それで私の国が平和になるなら考えるけど」
「そっか……。ならジュンカ、あの一番高いところの島の右奥にある観光島にある城が、あんたの国の王城そのものにしか見えないとしても、そんなことが言っていられる?」
そう言ってリンユウは双眼鏡をジュンカに手渡した。リンユウが指さした島には、確かにとんがり屋根の突き出た城が生えていた。かなりの距離があるため、アイクチも目を細めて見たが、よく分からなかった。
「まずは手前の壁を見て。そこに刻まれたエンブレムは間違いなくジュンカの鎧のものと同じ。そして確か王城は10年くらい前に一部の塔の屋根が崩落して南西と南東だけ屋根の色を変更している。その色が青。となると、あそこにある城は、少なくとも直近10年以内のものとうり二つということになる。夢世界の城と元世界の城。同時に現存する場合、その価値は如何ほどなりや? 果たして似ているのは側だけなのかな?」
ジュンカは、双眼鏡を覗いたままぴしりと彫像のように固まった。
アイクチがギエンを見上げて「如何ほど?」と聞いた。
「私の所属する国はジュンカの国とお隣なので、ある意味仮想敵国とも言えます。城を簡単に建て替えることは不可能ですし、私があの城の詳細を把握した場合、その戦略的価値は計り知れません。とても興味深いお話です。王城のレプリカを観光としてリスクなしで拝見できるとしたら、スパイ垂涎のツアーになるでしょうね」
ギエンは、にこにこと満面の笑みを浮かべて解説した。
ジュンカは双眼鏡を下ろし、錆びたネジを無理矢理回すかのように首をギッギッと回して振り返った。思考がオーバーヒートしたのか、表情は何も浮かんでいなかった。
リンユウは、その様子を見て「おなか痛い」と言いながらケタケタとひとしきり笑い続けた。
そして存分に堪能した後、手を叩いて話題を変えることにした。
「はい、それで何。まだ拠点探し? さっきチェスやった子に泊まれる場所を聞いといたけど、行ってみる?」
「ホントに!? リンユウまじ有能! なんだ、宿あるじゃん!」
「この島、ルフ島って言うらしいんだけど、未開島調査士の事務所が多くあるとかで、就職活動する人が一時的に使用する宿が点在してるんだってさ。ニッチな需要だから、一般的には知られてないのかも?」
「そっかぁ。島の警察も知らないんだから、本当にマイナーなのかな」
「行ってみて悪くなければそこを拠点にすれば良いでしょ。ご飯も食べられるらしいから、さっきのお金使って豪遊するよ!」
「やった! ん? そういえば、このお金はもらって良いの?」
アイクチがにやにやしながらギエンに問うと、「信頼できる者からであれば、まぁ」と肩をすくめて見せた。
「さ、ジュンカも行くよ。世界の謎解きは、ランチの後でゆっくりと考えよ?」
リンユウは、未だ帰ってこないジュンカの腕を引き、引きずるように店に歩を進めた。