015 川釣り
「さぁ釣るぞー! 蔓で作った糸で釣るぞー!」
沙耶が勇ましく吠える。
やる気に満ちていていいことだ。
俺は「おー」と右手を挙げた。
「おー、じゃなくてつっこんでよ!」
「えっ?」
「蔓で釣るんだよ! ギャグ! 寒いでしょ!?」
「いや、気温はおそらく28度くらいでちょうどいいが……」
「そうじゃなーい!」
俺は「ふっ」と笑う。
「寒いギャグをかましやがって。蔓で釣るだと? ハハッ」
「今さら言っても遅いからね」
沙耶は呆れ顔で言った。
やれやれ、コミュニケーションは難しい。
「てなわけで釣りの開始だー! えいやっ!」
沙耶は竿を振って釣り針を川に放り込む。
もちろん、それを見た俺はこう言う。
「なにやってんだ?」
「なにって、釣りだけど?」
「それじゃ釣れないよ」
「なんで?」
きょとんとする沙耶。
とんでもない過ちに気づいていないようだ。
「だってエサがついてないじゃん」
そう、沙耶はエサをつけずに放り込んだのだ。
つまり今、川には剥き出しの針が漂っている。
「エサ?」
「釣り針にエサをつけないと魚は食いつかないよ」
「えっ!? そうなの!?」
「知らなかったのか――ハッ!」
言ってすぐに分かった。
これはボケだ。
先ほどの蔓と釣るをかけたギャグみたいなもの。
「なんでやねーん! 釣り針にエサって常識やないかーい! そんなボケいりませんねーん!」
俺は精一杯のコメディアンらしさを出してみた。
「いや、今のはボケじゃなくて本気で知らなかったんだけど」
「あ、そうなの?」
途端に恥ずかしくなってくる。
鏡を見ずとも顔が赤くなっていると分かった。
「刹那ってツッコミ下手野郎だなぁ、ウケる」
沙耶はゲラゲラ笑いながら竿を引く。
釣り針を手元にたぐり寄せると、俺を見てニコッと笑った。
「でも、ありがとね。あたしのノリに合わせようと頑張ってくれて」
「次はもう少し上手くやるよ」
「それは無理だと思うなぁ」
即答だ。
「で、エサって何をつければいいの?」
「その辺のミミズでいいよ」
「えー! ミミズ!? 嫌だよ、気持ち悪い!」
「そうは言っても仕方ないさ」
都合よく足下を這うミミズを拾い上げた。
「ほら、こいつをブスッと針に突き刺すがいい」
「うげぇ……」
顔を歪めつつも、沙耶は躊躇うことなくミミズを受け取る。
本当は虫を触ることにそれほど抵抗がないのだろう。
「これでどうよ?」
「実にいい感じだ」
ミミズの顔面に針が突き刺さっている。
「それで釣れると思うぜ」
「よーし! 釣るぞー!」
沙耶は改めて釣り針を川に垂らした。
◇
沙耶が釣りを始めてから3時間が経過した。
その間、俺は別の作業をしていた。
近くの竹を伐採したり、レモンを採取したり。
沙耶は魚を釣りまくりだ。
竹の籠を川魚でいっぱいにして上機嫌である。
――なんてことはなかった。
「全然釣れないじゃんかよ!」
驚くことに3時間かけて1匹すら釣れていなかった。
「場所を変えても駄目となれば、もはや腕の問題だろう」
この3時間、ひたすら同じ場所にいたわけではない。
釣れないと喚くので、何度か場所を変えていたのだ。
そのせいで今までよりも森の奥に来ている。
直線距離に進んだとしても、ラフトまで1時間以上かかりそうだ。
帰り道が思いやられる。
「絶対にこの釣り竿が悪いんだって! あたしのせいじゃない!」
「なら試してみよう」
俺は竹の背負い籠を地面に置いた。
釣りが終わるのを待っている間に作ったものだ。
中には1メートル程の長さにカットした竹が詰まっている。
それと少量のレモンも。
「サクッと釣ってやるから籠を抱いて準備しておけよ」
「やれるものならやってみぃ!」
沙耶は釣り竿を俺に渡し、何も入っていない竹の籠を抱える。
こちらはラフトで作った物で、背負い籠と違って肩紐がない。
「これだけ川魚が棲息してりゃ何かしら釣れると思うけどなぁ」
そう言いつつ、俺は竿を振った。
ウサギの骨で作った釣り針が放物線を描くように飛ぶ。
2匹のミミズの刺さっているその針が、ポチョンと川に沈んだ。
「絶対に釣れないって! 絶対に!」
沙耶がぶーぶー言う中、俺は釣り竿をピクピク動かす。
すると、周辺のイワナが近づいてきた。
鼻先でピッピッとミミズをつついている。
と思いきや、パクッと豪快にかぶりついた。
「もらったー!」
一気に竿を引き、イワナを川から引きずり出す。
さながらトビウオのように宙に舞うイワナ。
空中で釣り針が外れた。
しかし問題ない。
イワナは沙耶の持つ籠に着地した。
「うっそぉーん!?」
目をギョッとさせて驚愕する沙耶。
「これで釣り竿に問題がないことは証明されたな」
「なんでー!? なんでなんで!? なんでー!?」
「釣りってのは奥が深い。沙耶の技術はまだまだ“浅い”のさ」
「くぅ!」
沙耶が悔しそうに地団駄を踏む。
籠の中ではイワナが暴れ狂っていた。
「ま、今日はこのくらいにして戻るとしよう」
「やだ! 私も釣りたい! 釣るまで帰らないぞ!」
よほど悔しいようだ。
負けず嫌いなのはいいことだが、この場合は困りものである。
俺は「仕方ないな」とため息をつき、沙耶に釣り竿を渡した。
「だったら穴釣りにシフトしよう」
「穴釣りって?」
「岩の隙間に針を垂らして釣る方法さ。例えばあそこの岩なんかどうだ?」
俺が指した先にあるのは岩の密集地。
大きめの岩がいくつか固まっていて、穴釣りにちょうどよさそうだ。
「ここに針を垂らせばいいの?」
沙耶が岩の横に立つ。
イワナの入った籠は俺の足下に置かれていた。
俺は「そうだ」と頷く。
「ちゃんとミミズをセットするんだぞ」
「もうやってる!」
沙耶が穴釣りを開始する。
俺はイワナの入った籠を川に浸した。
編み目から水が入り込み、籠の中を満たしていく。
こうしている限り、イワナが酸欠で死ぬことはない。
「おっ、かかった!」
ここにきて初めて声を弾ませる沙耶。
どうやら穴釣りにして正解だったようだ。
「すぐに行く!」
俺はイワナの入った籠を抱えて沙耶のもとへ向かう。
籠を満たしていた川の水は一瞬で抜けていった。
イワナからすれば最悪の気分だろう。
天国と地獄を往来しているようなものだ。
「刹那、この魚かなり重いよ! 大物だと思う!」
演技かと思ったが、本気だと分かった。
沙耶は歯を食いしばり、全力で踏ん張っているのだ。
それに竹の竿が限界までしなっていた。
「もう少し上げろ。俺が掴んでやる」
俺は背負い籠を置き、沙耶の横で伏せる。
釣り針の入っている岩と岩の隙間に腕を突っ込んで待つ。
(おほ、この角度は……いいですねぇ!)
沙耶のほうに視線を向けると、彼女のスカートの中が見えた。
丈の短さが仇となったようだ。
ちらちら、ちらちら、垣間見える深紅のレースがたまらない。
しゃぶりつきたくなる細い太もももいい感じだ。
「刹那、まだ!?」
沙耶の声で思い出す。
今の俺がするべきことを。
それはスカートの中を覗くこと!
――ではない。
「たぶんそろそろだ!」
慌てて手を動かすとヒットした。
釣り針に食いつく大物の体に。
想像していたより大きく、感触が独特だ。
おそらくアレだな、と当たりを付ける。
「いくぞ、沙耶」
「うん!」
俺はその魚を掴み、ひと思いに陸へ揚げる。
そいつの体はヌメヌメしているので滑るかと思った。
「釣れたー! って、なんじゃこりゃああああああ!?」
釣り上げた獲物を見て驚く沙耶。
一方、俺は「やっぱりな」と呟く。
「おめでとう、大物だ」
沙耶が釣り上げた魚――それはナマズだった。