高城幹也の憂鬱(後編)
高城家の面々は大慌てで居間を、応接に対応できるように整えると、伊藤成茄を始めとした軍人を通した。
母が麦茶を出して、どうにか話し合いと言う体裁は整ったが、同僚の男の軍人が扉の前と玄関に立哨として立っている姿は、やはり異様な雰囲気を醸し出していた。
「所で・・・美咲さん。ご家族にちゃんと伝えなかったの?」
「・・・・・・伝えた・・・母さん、に」
「ええ、ホンと行き成りだったから、すごくびっくりしましたわ」
「お父様方は知らなかったようですが?」
「ちゃんと話をしたんですけどね、聞いてなかったみたいで・・・」
「あの状況じゃ、かーさんがおかしくなったとしか思えんわ。だいたい美咲。昼間は何所に行ってたんだ?」
「・・・ん・・・調べもの。・・・探しもの。・・・後は・・・図書館で、勉強・・・しないと、留年・・・それは、嫌」
「ああ、それで。今回の訪問はその・・・留年に関してのお話しもありまして」
伊藤少尉の話を要約すれば、軍が国民から無差別に対象者を選別した“特別プログラム”に美咲が選ばれ、軍規に抵触する極秘事項であった為、蒸発したように姿を消す必要があったこと。
そして半年間に及ぶ“特別プログラム”が終了し、八日前に美咲は帰宅したこと。
“特別プログラム”への参加中、学業が疎かになってしまった事への謝罪と、夏休みを返上して、追加特別夏季補講を受講することで進級が許可されたこと。
そして今回の訪問は、その追加特別夏季補講についての説明だったのだが、その前に余計な騒動が一つ起こってしまったと言うことだった。
そして、当事者である美咲は、現状確認の為、図書館で中一の教科書に目を通していた。
もちろん、これは大ウソだ。
一般人の高城家の人間に「異世界に勇者と召喚され、ロボット乗ってました」とか言っても、理解できないだろうと言う軍の配慮である。
前大戦時の帰還者である、影崎大造や恩地衛邦らがその後に、軍に属したことにより、軍の情報部ではそれなりに異世界の事を把握して、対策班なども秘密部隊として存在していた。
そして、今回の件の最初の帰還者である荻原莉緒の帰還を確認すると、全国的に監視を緻密にして漏れが無いように気を配った。
美咲も帰還後、即座に軍の秘密部隊が接触し、この“特別プログラム”というウソで、自身の異世界での生活を誤魔化すと言う策に同意したのだ。彼女とて還って来て早々、母国の軍隊と敵対するほど獰猛な性格をしている訳ではないし、行方不明だった期間の家族への説明を、軍が泥をかぶる形で支援してくれる優遇措置なので拒否する理由もない。
軍・・・つまり国としても、国民が元の生活に復帰できるならと支援と監視をせざるを得ず、留年解消を餌に協力を取り付けた。
美咲は中学一年生時の正月に召喚されており、既に季節は巡り六月も中頃、梅雨真っ盛りで年齢的には中学二年生だ。だが中学一年の三学期をまるまる休んだことと、既に中学二年の一学期の大半を休んでしまっているため、履修課程および出席日数的に進級が怪しくなっていると説明を受けていた。
これが只のずる休みなどであるなら、留年措置も致し方ないのだが、問題はそこではない。
召喚勇者である・・・身体能力的に常人を凌駕していると言う点が問題なのだ。
義務教育課程で留年と言うのは無くはないが、実のところ稀な事例である。例えば難病を患い、一年の殆どを入院、院内受講も出来ない状況であれば、留年――正確には原級留置と言うらしいが――してしまうこともある。
これを追加特別夏季補講で補うことで、特別に許可すると言うのは表向きの理由。
だが本当は、異常な力を持った召喚勇者が留年することで、つまり通常の社会生活から弾き出されることで発生する差別的待遇によって自棄になり、反社会的な行動に移られた時のリスクが異常に大きいと言うことである。例えば美咲がグレて、路地裏で喧嘩に明け暮れるようなアウトローを気取ろうものなら、その戦闘能力は警官隊では恐らく止められない。荒事対応の特殊部隊の出動が必要になり、そうなれば不必要に血も流れることになる。それをさせないために、また協力者を装い監視するためだ。
軍は、帰還者と友好的な関係を築きつつ、監視を容易にするための追加特別夏季補講であった。
因みにこの件で一番の貧乏くじを引いたのは、伊藤成茄を始めとした使いっ走りである。異世界や召喚勇者の事などよく理解していないのに、民間人に懇切丁寧に存在しない“特別プログラム”を説明し、場合によっては罵られたり、塩をまかれたりしていた。
そう言う意味では、高城家はやりやすい相手だった。
軍の身勝手な行動よりも、美咲の帰還の方に関心が向き、怒りの矛先が向いてこない。
平身低頭に謝罪すれば「そういう軍の行動の必要もあるかもしれない」とある程度の共感は得られたお陰だ。恐らく美咲自体が軍を非難しないからだろう。明確に敵意を向けられず「せめて家の娘を対象にして欲しくなかった」と恨み言を零される程度で済んだ。
そんな説明の様子を、居間の隣になる台所から冷え切ってしまったトーストを齧りながら、幹也はぼんやりと眺めていた。
いきなり背後を取られた事で、気が動転し大声を上げてしまった。その後どうにか平静を取り戻したが、当事者でも保護者でもない為に説明会自体には同席させて貰えなかったので、後回しになっていた朝食を摂っていた。
話自体から遠ざけられなかったのは、一応内容は知っておいた方が良いとの判断があったからだ。
――ねーちゃん、本当に帰って来たんだな。
若干の気まずさは有ったが、やはり家族が無事に揃ったのは嬉しい。
人込みで逸れた後、無事に再会できた時のような安堵が、幹也の心を占めていた。
――それにしても、なんか変だな。
軍の説明係が帰った後、改めて姉の存在を目で追ってみる。
変だと感じたのは、半年ぶりに会ったからだろうか。年に一度か二度しか会わない、遠縁の親族で年の近い相手などから受けるような違和感が有った。
成長期の子供は一年有れば身長が10センチも伸びたりもするのだ、半年と言えばその半分な訳で、それこそ身長が5センチほど伸びても可笑しくはない。
そう言った身体的な成長から来る違和感なのかは分からないが、それを“変だ”と感じていた。
「ねーちゃん。夜は何所に居たんだよ?」
「・・・・・・ん? ふつーに・・・部屋で、寝てた」
「人が居るようには感じなかったし、音とかも全くしなかったんだが!?」
「・・・それは・・・幹也が、ニブチン」
「いやいやいや! 普通弟は姉の部屋をそこまでしっかり観察しないよ!」
「・・・見ちゃ、ダメ。・・・・・・そう・・・感じる・・・だ」
そう。居て当然と思う家族の存在を“部屋で何をしているか”までは気にしない。教育ママが勉強をしない子供を叱ったり、夜更かしをしている子供に怒ることはあっても、弟が姉の寝息を気にするはずがない。
転んだとか物を落としたとかで大きな音がしたり、怒声や泣声が聞こえて来れば何事かと気にはするが、そうでないのなら特に気にしない。
――そんなことしたら、シスコンのストーカーじゃん! ヤダよそんなの!
そういう世間の評価が怖いのは良く知っていた。特にシスコンと認定されてしまえば、クラスメイトの男子に馬鹿にされるのは目に見えているので、そうならないようには気にしていた。
まだ小学生の幹也は、恋人と言う概念が良く理解できておらず、女子と仲良くするよりも、男子とワイワイ騒いで居たいお年頃というか、女子と仲良くする奴は男子からハブられる環境だったため、女子と敵対してでも男子と仲良くしなければならなかった。
後何年もすれば「彼女欲しい」とか言って悶えるかもしれないが、それはその時・・・高校生くらいの年齢にならなければ分からない。
しかし、一度気になったことは、そう簡単には忘れ去れない。
悶々としたまま、延々と疑問符が頭の中を駆け回る。アンカーの居ないリレーが、脳内グラウンドで開催されていた。
「・・・幹也、・・・お風呂、空いた」
「・・・え? うぉ! 嘘だろ! もうそんな時間かよ・・・」
結局一日ボーっと過ごしてしまった。
夕食すら何を食べたのか覚えていないほど、心がここに無いまま、無為に過ごした。
ちらりと時計に目をやれば午後八時を回っており、高城家では幹也が十時には寝ないと母親が怒髪天を突くと言うイベントが発生する仕組みになっていた。
明日学校に持って行かなければならない宿題に、全く手についていない事も思い出し、大慌てで風呂に飛び込む。
入浴時間を短縮するために、かけ湯をしてそのまま体を洗い終えてから、湯船につかった。
「ふ~~~」
肩まで湯につかると、長いため息が漏れた。
別段、風呂好きと言う訳ではないのだが、一日を過ごした肌のべたつきを洗い流す感覚は好きだった。
――そういえば、ねーちゃん。風呂上がりだったよな。
ふと先ほど美咲に声を掛けられた時のことを思い出した。
少しのぼせた様に、熱い息を吐く姿は何とも形容しがたい感情を喚起する。
そして、その姉が先ほどまで“この湯”に浸かっていたことを連想して・・・バカ息子は元気だった。
――・・・え? な、なんで!?
幹也は大慌てで風呂から上がると、そのまま自分のベッドに突っ伏した。
最早宿題などどうでもよく、それ以上に自分の身体の反応が信じられなかったのだ。
姉に欲情したとも取れる反応に、嫌悪感から死にたい気持ちになるが、その出所、根底にある感情は倫理的なものではなかった。近親相姦を禁じる倫理観に基づいた嫌悪感ではなく、今まで侮っていた存在に敗北したことに因る自己嫌悪だ。
姉など・・・美咲など、碌に二次性徴の兆しもなく、小柄で胸や尻のでっぱりもなく、家庭的と言う性格でもない。一緒に居て相手を楽しませられると言う、話術を持っている訳でもない。
確かに年上と言うだけで横暴を振るうような酷い姉ではなかったが、少なくとも女を意識させるような存在ではなかった。
それが意識をしてしまった。
何故か強制的に意識を持っていかれた。
屈辱であり、敗北感が感情をズタボロにする。
美咲の魅力の無さは幹也だけの評価ではなく、彼自身の周りの男子を含め、美咲の周りの男子も似たような評価を下し、結果として周りの男子から一切相手にされないと言う結果をもたらしていた。
男子にとって友達の姉などは、結構初恋率の高い相手なのだが、そんな話は聞いた事は無いし、どぎまぎとした態度を見せる友人は居なかった。幹也としては「お前のねーちゃん美人だな」とか「スタイルが良いな」とか「彼氏とかいるの?」とか聞いてみたいフレーズだった。美人の姉を持って羨ましいとか言われたかったのだ。
たった半年でどれほど人間は変わるのだろうか。
傍目で見た限り、それほど女性的な肉体の成長が有るようには見えない為に、何が変わったのか分からないでいた。何も分からないままだったが、少しだけ考えを変えてみる。
確かに、今まで無縁だと思い込んでいたが、男の本能を刺激された事で敗北感を感じたが、逆に考えれば男心をドキドキさせてくれる姉との共同生活が再開するのだ。
期待が否応なしに高まる。
変わった姉の魅力に気付く男子が出てくるかもしれないし、今まで通り出てこないかもしれない。姉の魅力に唯一気付いた男として優越感に浸れるか、魅力的な姉を持って羨ましいと羨望の眼差しを受けるのかもしれない。
――もしかしたらラッキースケベにワンチャン巡り会うかもしれない。
幹也は今までと違う日々が訪れることを予感し、また意味の変わった憂鬱な気持ちが訪れる事に、少しだけ楽しみでもあった。
昨晩し忘れた登校の準備を整えると、朝食を摂る為に台所へ向かう。
宿題は結局手付かずで、朝一で回収される為に間に合わせられない。仕方なく担任教師に怒られる覚悟を決める。急に姉が帰って来たので宿題どころではなかったと言う、出来なかった理由が受け入れて貰えないかと、緩く担任教師の情緒に期待もしている。
台所には母と姉が居た。
父の食べ終えたと思しき食器が残っていたので、いつも通りに出勤していったのだろう。
――ぶれないのは流石だぜ。とーさん。
姉は、今日もまだ登校する予定が無いのか、のんびりと朝食を摂っているが、その食べている量を見て、ぎょっとした。
家庭内で一番食べていた父親よりも多く、その倍の量を平らげていたからだ。
「あれだけ、食の細かったあんたが、そんなに食べるようになったとはね・・・」
「・・・ん。・・・たぶん・・・まだ、成長期・・・だから」
「あんたの細さなら、倍ぐらいになっても大丈夫よ! まだまだお代わりして良いからね」
「・・・ん。・・・・・・かーさん。・・・・・・あ、ありがとぅ・・・」
照れながら礼を言う姉の横顔を見てドキリと心臓が高鳴る。
不慣れな礼を言う毛恥ずかしさから、僅かに上気した頬がなんとも色っぽかった。
「と・・・ところで、ねーちゃん。学校は何時から?」
姉美咲は現在中学二年生。そして弟幹也は小学六年生だ。姉が復学して中学に通えば、来年一年間は二人で一緒の学校へ通うことになる。気が付けば幹也は、その未来に待ち焦がれていた。
「・・・ん? 言って・・・ない?」
「ええ、何でも軍が援助してくれる特別授業とかの関係でねぇ、今回の“特別プログラム”に参加していた子供たち? を集めて、授業をするらしいのよ・・・。残念ね、せっかく帰って来たのに」
「かーさん。・・・ちゃんと、電話・・・する、から・・・」
「え? 何それ? ええっ? え?」
「昨今の教育現場では教師が足りていないって言うでしょ・・・、ただでさえ多忙な先生に、休み返上して補習しろとはいえないわよねぇ」
「・・・教師も、人間・・・。・・・それは、仕方のない・・・事」
「どういうこと!?」
“特別プログラム”参加者は日本全国に散っているらしく、彼ら全員を支援するには、専属の家庭教師を派遣するほどの人材を確保する必要があった。しかし教師の数に余剰が無い為そんな人海戦術は取れず、逆に“特別プログラム”参加者を集める方向で話が進められていたのだ。
軍の身勝手な“特別プログラム”の結果、再び子供を遠ざける結果になる為の説明と謝罪が、昨日の説明に含まれていた。
「家賃と生活費をある程度出して貰えるからね、家としても・・・考えちゃったけど・・・仕方のないことなのかもね」
高城家としては、娘を手元に置いて留年させるか、外に出して学校に通わせるかの二択になる。
娘の人生を第一に考えるなら、後者を選択するしかない。金銭的な負担を軍が受け持ってくれると言う話も、後者を選択し易くさせていた。連絡も常識的な範囲でなら自由に取り合っても構わないし、週末に実家に帰ることも構わない。なんなら逆に家族そろって引っ越してもらっても良いとまで言われれば、“特別プログラム”の時のような喪失感は味あわずに済む。
・・・父親の仕事の都合で、流石に引っ越しは断念したが、高城家は好意的に提案を受け入れていた。
「・・・要するに・・・転校、って事。・・・弟よ・・・強く、生きろよ」
高まった情欲に因る期待が、砂のように口から零れて行く。
「・・・そんなのって、あんまりだ」
向けられるはずの羨望の眼差しが、期待したラッキースケベが、得られるはずの優越感が霞んで消える。
まるで地の底が抜けたような喪失感が、膝から力を奪い去って行く。
「あら? 幹也・・・あんたそんなにおねーちゃん子だった?」
「ちげーよ!」
失われていた四肢の一つは元に戻った、筈だった。だが形を変え、意味を得て再び失われる。
結局、高城幹也の憂鬱は終わらない。
「・・・ねーちゃん」
完結させると、他の話を書いた時に投稿が面倒そうなので未完のままで行きます。