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リコは人間をやめたい  作者: wintermute
12/14

12 リコ

 円盤が再び出現するまで、リコは待った。

 ほどなくして円盤はオオサカ市上空に現れた。夜のミナミ上空をゆっくりと飛行し、人の精神を下部中央にある光る円形の開口部から吸い込んでいった。警察の特殊部隊から軍の装甲車両や攻撃ヘリまで出動したが、中に人が囚われているので攻撃の命令が出なかった。円盤は光の目をぎょろつかせながらパニックになって逃げる人の群れを追いかけていった。精神を抜かれた人間は完全な虚脱状態に陥っていて搬送された病院でさまざまな蘇生措置を受けたが正気を取り戻さなかった。円盤が時折白く光る翼を吹き出して高速に移動するのを見て審判の日の天使なのだと言う者もいた。神に選ばれた者だけが円盤に招かれるのだと言った。事実、円盤はありとあらゆる人間の精神を吸収しているわけではなかった。円盤が選ぶのは純粋種の人間ではなくポストヒューマンの血統を受け継ぐ人間だと判明するとネットで社会不安が拡散した。

 リコはこれらのことを予想していた。

 サーシャの操縦するエアバイクは低空を飛行し逃げるエアビークルの群れに紛れていたが、円盤のすぐ下まで接近するとほぼ垂直に上昇した。リコはナノテクの能力でバイクのエンジンに手を加え安全装置を解除し出力を大幅に増強していたがもちろん違法だった。そしてサーシャは無免許だったがその身体能力を駆使して見事な操縦を見せていた。エアバイクは螺旋を描いて一気に円盤の上空にまで達すると急制動から自由落下をはじめた。

「リコ、今よ!」

 ゴーグルをつけたリコがエアバイクのタンデムシートから飛び出した。リコはスキンをダイブスーツに変形させ矢尻のように円盤に向かった。円盤に衝突する寸前にスーツは膨らみリコは減速しながら円盤の上に着地した。円盤の表面は滑らかでリコは四つん這いで滑っていったが端から落下する前に両足からスキンの黒いスパイクが飛び出し円盤に食い込んでリコを静止させた。リコは四つん這いのまま円盤の上を這って中央の頂点に向かった。風が強くリコはただでさえ少ない体力リソースを限界まで削られつつも登りきった。

「リコ、よくやった。上出来だ」

「オーケー、んじゃフルタ、よろしく!」

 リコは大きく振り上げた右手を円盤の表面に叩きつけた。叩きつけた手のひらからスキンの黒い筋が粘菌のように円盤の銀色の表面に広がった。そしてリコの体は黒い奔流となって円盤の中に吸い込まれていった。

「リコ、だいじょうぶかな」

 サーシャは限界を超えたエンジンが断末魔の白煙を吹き出すエアバイクをドウトンボリに投げ込んだ。


 円盤の中は白い光で眩しい空間だった。リコはフルタと並んで通路に立っていた。

「いいか、リコ。ここは精神世界だ。しかし基本は物理世界と変わらない。われわれはそれ以外想像できないからだ」

 フルタの八つある目がリコを見つめた。フルタの起こした上体はリコより背が高かった。開口部に発声器官は備えていないらしく声はどこから出ているのかわからなかった。

「ただし、因果に整合性のある世界ではない。あらゆるものが主観からできているからだ。簡単に言えば夢の中だと思ってくれていい」

「フルタも夢を見るの?」

「ああ、見る。われわれも眠るからな」

 リコとフルタはいかにもフィクションに登場する宇宙船といった六角形の断面を持つ通路を進んでいった。しばらく歩くと通路の行き止まりが扉になっていた。リコはこの扉がいつのまに目の前に現れたのか思い出せなかった。ふたりが近づくと扉はプシュッと音を立て左右に分かれて開いた。

 中は巨大なドーム状の空間になっていた。壁面にはぐるりと階層をなした通路が巡り個室のように扉が並んでいた。中央部にはドームを貫くように塔が建っていた。リコはこういう設計の刑務所か何かをアーカイブで見たことがあった。リコは外周の扉のひとつに歩み寄ってみた。扉には小窓があって中を覗けるようになっていた。室内は外よりも薄暗い間接照明になっていて殺風景なビジネスホテルによくあるモダニズムを不器用にコピーしたデザインの机がひとつ、椅子が一脚、寝台がひとつしつらえてあった。寝台にはリコの知らない誰かが眠っていたが少なくとも人間ではあるようだった。

「中にいる人、誘拐された魂なのかな」

「その通りだよ、テンジンバシスジロクチョウメくん」

「って長い……!」

 リコが振り返るとそこにフルタはいなかった。テンポウザン教授がいつもの二十世紀初頭イギリス風のダークブラウンのツイードのスーツ姿で立っていた。収容施設は消えリコと教授はオフィスのような部屋にいた。部屋は宇宙船の通路とおなじ白いハイテク素材の壁に眩しい白の天井照明で、室内にはヴィクトリア朝を意識したソファやローテーブル、デスク、キャビネットなどが置かれ、ダークグリーンのカーペットが敷かれていた。調度品は絶妙にバランスが悪く各々が自分はここにいるべきではないと主張しているようだった。教授はデスクに置かれたアイスペールからトングで大きめの氷を選んでグラスに入れ次にボンベイサファイアの瓶を開けグラスに少しだけ注ぎ一口で飲み干した。たちまち教授の耳が赤くなった。教授は生きていた教授よりも存在が濃く見えた。教授はグラスにまた少しだけボンベイサファイアを注いでグラスを持ち左手はポケットに突っ込んだままデスクに寄りかかった。

「優秀なきみならここまでやってくると思っていた」

「フルタはどこ?」

「古の種族なら仲間と一緒だよ」

「フルタの仲間を解放して。今すぐ」

「残念だがそれはできない。理由はわかっているだろう?」

 リコは頷いた。

「人類の進化はわたしの使命だ。進化する可能性のある人間を進化させないことはわたしの道義に反する。これは倫理の問題ではない」

「魂だけ抜き取ってどうするつもり?」

「しかるべき場所で肉体を再構築する。この地球はいささかめんどうな場所になってしまったのでな。この円盤は見た目の通り宇宙船なのだよ。古の種族以外にも宇宙からの来訪者は存在していたのだ。平行宇宙というのは知っているかね? わたしは人類のいない平行宇宙の地球で人間を、いや人類という種族を再構築するつもりだ。外宇宙に居住可能な惑星を見つけるのは骨が折れるからね。おっと、きみに黙っていたことは謝罪するよ。だがサプライズは最後に取っておくものだろう?」

「みんなを勝手に連れていくのは許さない」

「個人主義か。それも一理ある。だが個人など死んでしまえば消えてしまう。永遠な個人などない。残るのは遺伝子だ、ミームだ。それこそが次の世代を作るのだ」

「独裁者とかによくある方便だよね、それ」

「そうとも。自身の保身のため兵士や国民の死を正当化する方便だ。そんな卑小な人間はもともと次世代のことなど考えてもいなかったしましてや具体的なプランなどなくアーリア人などといったティーンエイジャーの考えそうな妄想のたわごとしかなかった。そんな連中に本当の次世代の人類を作った人間はいないが、わたしには可能だ」

「わたしにはフルタとの契約がある」

「契約か。なるほどな」

「それに教授の上から目線の理屈は気に入らない。わたしが気に入らない」

「そんな理由でわたしと争うというのかね? 愚かな人類史そのものだよ。せっかく人間を超えた力を手中にしつつあるきみがどうしようもなく人間的な理由で行動するのかね?」

「それがなんだっつーの。教授は犠牲にしたよね。サーシャのこともフルタのことも」

「身内意識とはこれまた人間的だな」

「うるさい。教授の理屈は結局はぐれた人たちを捨てていくんだ」

「もはや議論の余地はないか。残念だよ」

「知性派ラスボス気取りとか!」

 テンポウザン教授はため息をつくとグラスのジンを飲み干し、指を鳴らそうと左手を上げたが思い直してグラスをカンと机に置いた。リコの周囲の空間が白一色になった。


 リコはどこまでも自由落下していき事実上の無重力状態だった。落下しているとわかったのは自分の人生の局面が古いフィルムの映画のように通り過ぎていったからだった。蘇生児童の施設ではひとり浮いていて同年代の子たちとよく喧嘩したこと、普通の人間の子と共学だった小学校では目の色のことでいじめられたこと、そのときからパーカーのフードを深く被って先生に何を言われても脱がなかったこと、中学校で男性の教師がリコのパーカーをどうにかしようとしてセクハラまがいの行為に及んだこと、高校に入って最初のテンポウザン教授の授業に感動したこと、遺跡をはじめて探索したときのこと、サーシャにはじめて話しかけられたときのこと。リコは冷静にそれらを眺めていた。これは感情の牢獄なんだと思った。リコは教授がこれで自分が音を上げると思っていると思うとちょっと愉快な気分だった。

「甘いよ、教授。教授もいじめられる側だったんでしょ。わかるよ」

 リコは深呼吸して息を整えた。リコの全身が黒いスキンで覆われ、それからテスラコイルの放電のようにスキンが空間に放出された。

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