10 謎の円盤UFO
教授が死んでいるのは明らだったが、リコは自分の使えるあらゆる感知能力を使って生命活動の兆候を探した。教授の体からは徐々に熱が失われていた。関節はまだ柔らかかったがじきに硬直がはじまるだろう。
「……やっぱり死んでる」
「そんな……」
サーシャはそれだけ言ってまた言葉を失った。リコはなぜ教授がこのような死にかたをしたのか必死で考えた。リコは教授のことを理念が人間の形をしているものだと思っていた。ほかの人間とおなじ死を不可避な存在だとは考えたことがなかった。
「リコ、何かおかしい。地面が振動している」
フルタがそう言って間もなく、地面が激しく振動をはじめた。轟音と振動は古墳全体を揺らし、リコはもちろんサーシャでも立っているのが困難なほどになった。地面が盛り上がり木々がその根ごと引き剥がされ抱えていた土が弾けた。リコは土と木がひっくり返る地面の割れ目に教授の死体が飲み込まれていくのを見た。教授の体はゴミ収集車の回転するローラーに投げ込まれたいっぱいのポリ袋のようだった。リコは自分もおなじように沸き返る地面に飲み込まれると覚悟したが、そうなる前にサーシャがリコを抱えて跳んだ。サーシャは倒れてくる木を蹴ってさらに跳躍し古墳を飛び出した。墳丘は上へ上へと盛り上がり大量の土や岩や木がなだれ落ちていった。サーシャはリコを抱えたままできるだけ古墳から離れた草むらを目指したが飛距離が足りず瓦礫が降る中へ着地した。サーシャはもう一度ジャンプしようとして足を取られふたりは地面に投げ出された。サーシャは起き上がってリコを抱きかかえ、降ってくる土砂に背を向けた。
「サーシャ、だめ……!」
リコは取り返しのつかない瞬間を想像し強い感情が心臓を大きく鼓動させ――
「やれ、リコ」
フルタの言うまま伸ばした手はサーシャの背後まで届き、黒く変色した手のひらが一気に広がり巨大な円形の盾を出現させた。降ってきた岩や木が盾に激突したが盾はゴンゴンと音を立てて衝撃を吸収した。リコの手はどんどん熱くなり痛みが耐えられないほどになったが土砂の雨が止むのが先だった。仕事を終えた黒い盾は巻き取られるようにリコの手の中へ吸い込まれて消えた。土で汚れたリコとサーシャは上空を見上げそこに浮かぶものを見た。
「あれって、UFO……だよね?」
「たぶん……」
銀色に輝く滑らかで巨大な円盤が低い唸りを上げて浮かんでいた。ふたりは立ち上がり円盤を観察した。円盤の外周には青白い光がふらふらと走っていた。サーチライトのように辺りを照らすその光がリコとサーシャを捉えた。光とリコの目があった。リコは捕食動物のような何かに見つめられていると直感したが、後ずさりしようとした足は動かなかった。リコは自分の体を見下ろした。眼下には惚けた顔で円盤を見上げる自分が両手をだらりと垂れて立っていた。リコは混乱した。自分が自分を見下ろしているというのはどういうことなのか。リコは自分の体が宙に浮き上がっているのだと認識した。それならば浮き上がっているこっちの体はいったいなんなのだろう。
「リコ、落ち着け」
フルタの声がした。リコはガクンと落下する感覚に襲われ内臓がひっくり返りそうになった。
「サーシャを助けろ、早く」
リコは自分が草むらに立ち、ちゃんと地面を踏みしめていることを認識した。慌ててサーシャを見ると、地面に立っているサーシャは呆けた顔で円盤を見上げていたが、もうひとりサーシャは半透明で目を閉じ光のほうにゆっくりと上昇していた。
「わわーっ、サーシャが幽体離脱してる!」
リコは慌ててサーシャに駆け寄ったが、半透明の体を掴もうとした手は空を切った。
「何これ、フルタ〜!」
「サーシャの精神が吸い取られてる。彼女の首に手を当てろ、いや肉体のほうの首だ」
リコは言われる通りにした。リコの手のひらから粘菌のように黒い筋が走った。サーシャの魂は高速な逆再生でサーシャの体に吸い込まれた。サーシャは一瞬だけ体を震わせると正気を取り戻した。
「え……わたしどうなって……」
「伏せてサーシャ」
「えっ、えっ?」
サーシャはリコに引っ張られ草むらに伏せた。円盤の光の目は再びふらふらと周辺を探っていた。リコとサーシャの上を何度か光が通り過ぎたが、ふたりからはまるで興味を失ってしまったようだった。ほどなく円盤は両側から白い光の翼を吹き出し甲高い音を立てて上空へと飛び去った。リコは死んだヤマトタケルノミコトが白い鳥となって飛び去った伝説を思い出した。神話は事実に基づく創作であるという説は知ってはいたが、今自分がここで体験したことはそれに当たるのだろうかと考えた。
「飛んでっちゃった……」
「フルタ、あれのこと知ってるの?」
「わからない。だがわれわれの仲間があの円盤の中に囚われて利用されている。人間の精神を吸収する機能があるんだ。あの教授、相当な食わせ物だ」
「人間の精神を吸収……そんなことしてどうするつもりなんだろ」
「教授が何を考えていたのかはわからないが、精神を肉体から分離するテクノロジーは間違いなくわれわれのものだ。だから妨害することが可能だった。あの円盤にリコとサーシャは仲間だと信号を送ったんだ」
「教授はもっと人の魂を集める気、なんだろうね……」
「間違いない」
リコはまたしても教授に出し抜かれた、と感じていた。遠くへ行ってリコの力の及ばないところで何かやらかすならまだしも、あと数時間早ければ阻止できたかもしれない、もう少しで追いつけたかもしれないという体験が続くことはリコに強く敗北感を抱かせた。リコは無意識にパーカーの胸の辺りを強く握りしめていた。サーシャが両手をリコの脇に差し込んでリコを立ち上がらせた。
「ちょっとサーシャくすぐったい!」
「とりあえず帰りましょ。お風呂入りたーい」
サーシャはリコを地面に置くと大きく伸びをし、それからぶるぶると体を震わせて体についた泥やゴミを弾き飛ばした。やっぱり猫だ、とリコは思った。




