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流される恐怖

作者: アキレス

最初はコメディ調の内容ですが、徐々にホラーへ……なっていっているつもりです。苦手な方は(大してすごくはありませんが)注意してください。

 集団心理とは恐ろしいもので、自分が気付かない間に、とんでもないことをしでかしていることがある。どんな不合理なことであろうと、周りが騒げばそれが正しいと感じてしまうのは人間のさがで、特に俺のような流されやすい人間は、この状態に陥りやすい。それでも何の面白みの無い流行品を買ったり、罪の無い人間を周りと一緒になって批判したりする程度なら、良いのだが、今回の事件はやりすぎだった。

 時代遅れ丸出しの学生運動。

俺たち龍崎大学付属高校の生徒大半が参加し、教師を追い出し、バリゲートを築き、学内に立て篭もっているのだ。現在までなかなか上手くいってしまっていて、なんのトラブルも無く、順風満帆にいっている。

この運動のそもそもの始まりは、授業料および付属大学への入学金の大幅な値上げである。まあ、多少の値上がりなら、みな我慢したのだろうが、掲示された額はなかなかの値上げだったのだ。しかも、中学時代は頭の良い集団だった生徒も、その大半は高校に入ってから勉強などしておらず、もはや学力は地に落ちている。これについては付属大学があるのだから致し方ない面があるが。三年生はいまさら他の大学への進学は考えられず、その中で特に意志の強い、悪い言い方をすればわがままな人間が今回の運動の首謀者になった。そして、ついさきほど、バリゲートの向こうへ声高らかに、授業料等の現在額維持を主張したのだ。

生徒は湧いた。わけの分からない奇声を上げ、腕を振り上げた。まるでロックバンドのライブ風景だった。確かにその瞬間は、それまで何のとりえもないように見えていた首謀者、今は会長と呼ばれているその人が、カリスマ溢れる首謀者に見えた。ほんの一瞬だけだったが。今みれば、ただの眼鏡をかけた馬鹿面だ。

これが集団心理の恐ろしさなのだ。つい先ほどまでは俺だって、そう、なんといえばいいのかノリノリだったのだ。何か体の底からこみ上げてくる熱いもの、名前をつけるなら勇気とかやる気だろう、そんなものがあって、一緒になって馬鹿のように騒いでいた。あそこまでテンションが上がったのは人生で初めてだったし、運命的なものを感じていた。失敗するはずがない。必ず上手くいく。理由は何にもなかったが、なぜかそう思っていた。

そんな俺の心を冷ましてくれたのは、今、目の前に横たわっている教師である。後ろ手に両手と足を縛られ、保健室の冷たいリノリウムの上に転がされていた。学校から逃げ遅れたあわれな教師が、他にも何人か同様の状態で捕まえられ、この部屋に押し込まれていた。

心を冷ましてくれた教師は、一年の時、英語を担当した教師だ。教えるのが下手で、おまけに宿題だけは出す。今まで尊敬の念などいっさい抱いたことはなかった。

「お前ら、退学とかそんな罰で済むと思っているのか。逮捕だぞ。これは明らかに刑事事件だ。少年院いきだぞ」

 少年院。その言葉で俺は目が覚めたのだ。目が覚めたといえばかっこいいが、ようはビビったのだった。

「黙れ、学校の犬が。俺達の給料で食っている分際が。そもそもお前ら、何時も俺達を怒鳴りやがって。金もらってるくせに!」

 保健室に声が響く。

 俺と同じく、教師の見張り役を任されている生徒が怒鳴り、そしてけりを入れる。言葉使いが、まるで漫画の登場人物のものだ。これもきっと集団心理の効果だろう。校舎の中に立て篭もってから、こういう変化を起こした奴は多い。覚めた目で見るとかなりおかしい。

「逮捕だ、逮捕。死刑だ、おまえらなんか!」

 教師も負けじとわめく。以前からなかったが、権威がさらになくなり、もはやただのおっさんである。俺も蹴り飛ばしたくなったが、瞬間に、以前見た戦争のドキュメンタリー映画の一幕が蘇った。

 場所は分からないが、ジャングルの中だった。敵兵が大勢、丸太に縛り付けられていて、その前に、銃刀を構えた日本兵が居る。上官が刺せと命令するが、なかなかできない。怒鳴られ、なぐられついに一人の日本兵が刺してしまう。それを皮切りに次々と刺してしまう兵士達。だがついに一人の日本兵は刺さなかった。

 そこが運命の分かれ道だったのである。戦後の裁判で、敵兵を刺した兵士は戦犯となってしまう。上官も同様だった。そして刺さなかった兵士は比較的軽い罪で済む。

 確か、中学生の頃に授業の一環で見せられたものだった。なるほど、あの授業も無駄ではなかったのだ。

 逮捕と言う言葉に完全にひるんだ俺は、逮捕後の取り調べのことまでも既に考えていて、そんな打算が、けりを止めたのだ。

「もういい。話すことはない」

 見張り役が最後に、一際強いけりを入れた。

その時、男が一人、慌しく保健室に入ってきた。

「おい! バリゲートのところに教師が集まってきたぞ!」

 保健室の中にざわめきが起こった。教師陣は嬉しさで、何事かわからないことをわめいた。生徒である俺と見張り役は、お互いの顔を見合わせた。俺の見た見張り役の顔には不安が浮かんでいた。

「見ろ! こんなことが成功するわけないんだ。見てろよ、俺はここで受けた仕打ちを世間に知らしめてやる。お前らがどれだけ非道で残虐だったかニュースで宣言してやるからな」

 非道、残虐。そこまで言われるほどの行為はしていないが。しかし、被害者に言わせるとそうなるのだろう。それをニュースが面白おかしく取り上げて、何を研究しているのか分からない学者に頭の中身がおかしいと決め付けられるのだ。そして、そんなたわごとを信じ込んだ世間に、俺達はさらされる。

 まずい! このまま捕まれば、そんな暗い未来が待っていることは明らかだ。進学どころの話ではない。一生、冷や飯ものだ。

「とりあえず、現場に集まれ!」

 駆け込んできた生徒が叫び、そしてまた出て行く。報告係なのだろう。

「よ、よし。行くぞ」

 見張り役が俺に言った。しかし、完璧に冷めている俺にとっては、命令なんてどうでもいいことだった。それよりもどうにかして助かりたい。浅ましいが、自分だけでも、と思っていた。

「さ、先に行っててくれ。俺はこいつらが逃げ出せないように、もう一回、縛りを確認しておくから」

 見張り役はその言葉を真に受け、礼まで言って保健室を出て行った。俺は目立たないように溜息をついた。

「おい、本田」

 教師の声に、俺はびくっと体を震わせて閉まった。心を見透かされたような気がしたからだ。

「どうだ? 俺を逃がしてくれんか?」

 教師が小声で言った。明らかに周囲を気にしている。

またもや自分の心を覗かれているような気がした。だがそれは錯覚だ。少し考えれば分かる。この教師も助かりたくて必死なのだ。教師の立場ならば、生徒が多くではらっている今は最大のチャンスに違いない。

「別に何をしなくてもいいんだ。縄をほどくだけでいい。後は勝手に出て行くから、な」

 懇願である。平時は偉そうにしている人間も、いざとなればこうなるのだろう。

 この提案に、俺は迷った。もともと周りに流されやすい性格である。そんな俺は、たとえどんな小さなことでも周囲の意見に逆らったことをするには抵抗がある。だから普通ならこんな申し出、即却下なのだが、いま俺は迷っている。

 このままここにいていいのだろうか。今は教師だけだが、長引けばいずれ警察が来るだろう。そして俺達は必ず捕まる。当たり前だ。東大始め大学生が決起しても失敗したのが学生運動だ。高校生、しかも馬鹿な俺達が成功するはずがない。

 そこに来ると、ここで教師となんらかのつながりを持っておくことは非常に重要になってくる。先ほど蹴っていないことだし、もしかしたら、捕まった時、口を利いていくれるかもしれない。そんな打算があったので、俺はしばらく迷ってから、教師の縄を解くことにした。そのまえにカーテンを閉めて、死角をつくっておく。

「助かった」

 教師は立ち上がって、俺の方をぽんぽんと叩いた。自分が上の立場であることを思い知らすかのような行為だったが、まるきり効果はなかった。俺は完全にこの男を見下している。道具としか思っていなかった。ただそれは向こうも同じだろう。

「お前はやっぱり頭が良い。ちゃんと常識ってものがある」

「いえ。先生の言葉で気付いたんですよ。先生のおかげです」

 お互い心にもない世事を言いあった。

「一つだけ教えてくれ。どこか逃げ出しやすい場所はあるか?」

 逃げる気まんまんである。この状況を打破しようとか、生徒を説得しようとか、頭にはないようだった。

「……たぶん、どこかに」

 俺としてもせっかく逃がしたのだから、外に出てもらいたい。外で俺の行為を広めて欲しいのだ。だから出口があれば教えたいのだが。

 出口は入り口でもある。外からの侵入者を最も恐れる立て篭もりの場合には、そこは重点的に押さえられる。素人集団だがそこは徹底していた。俺達が取った作戦は校舎の四方をバリゲートで囲むことだ。これなら窓から出ようが裏口から出ようが、必ずそこで捕まる。見張りの生徒も多いし、突破は難しい。

「いや。無理です。たぶんすぐには出られないでしょう」

 関心が外に向いている今は校舎内は手薄だが、逆にバリゲートの守りは熱くなっているだろう。

「しばらくどこかに隠れていてください。見張りの交代の時とか、チャンスはあるかもしれませんし」

 教師は俺の意見をどう聞いたのか、とりあえず頷いていた。

「ちょっと待っててください」

 俺はそう言って、カーテンから出た。

 他の教師の縄を確認する振りをして、ベッドを区切るカーテンを上手く利用して、それぞれを隔離する。それから猿轡をしておいた。これでお互いに声を掛け合うことはできない。もちろん、これは俺が教師を逃がしたことを知られないためだ。知られれば弱みができてしまう。それどころか仲間に密告されかねない。縄もしっかりときつくしておいた。

一人、女の教師がいた。猿轡をする瞬間、本当にいけないことをしているような気がして来た。さほど若く美人な教師じゃなかったから思いとどまることはなかったが、それでも気になった。若く綺麗な女教師がいなかったことは幸いだ。もし居たら、集団心理で暴徒化した男子生徒に何をされるか分からない。それだけ今の生徒達は危険なのだった。俺だって、集団心理を言い訳にしてなにをするか分からない。

俺は全員のチェックを終えてから、もとのカーテンに戻ってきた。

「どうぞ。今です」

「本田」

 カーテンから出てきた教師が言った。

「お前は出来るだけ生徒を説得するようにしてくれ」

 とんでもない話だ。自分は逃げようとしているくせに。

「いいか。どうせ、連中は馬鹿になって騒いでるだけだ。少し冷静になれば必ずお前と同じようにまともな奴が出てくる。そういう奴が多くなれば自然と騒ぎも収まるはずだ」

 言っていることは最もだが、それを自分で行おうとはしない。やはり教師なんてそんなものだと、俺の気持ちは暗くなった。

 まず自分が廊下に出て、生徒が居ないことを確認してから教師を出した。


バリゲートの近くは蜂の巣を突いたような騒ぎだった。生徒達の怒声がびりびりと空気を震わせている。石や木片、教科書、椅子それぞれがバリゲートの向こう側へと投げつけている。ちょっと衝撃的だったのは、大人しい、化粧すらしていない女子、生徒会の副会長だ、が般若のような顔をして椅子を投げつけていることだった。普段の振る舞いはなんだったのだろうか。それだけ授業料の値上げに怒っているのか、それとも集団心理のなせる業なのか。どちらにしてもいすを十メートル以上投げる腕力があることは驚きだった。

「おい。どうなってるんだ?」

近くに知り合いを見つけて、聞いてみる。そいつも石を手に持っていた。

「さっき、会長が集まってきた教師どもに要求を突きつけたんだ。そ、そしたらよ。あいつらメガホン使って、さんざん怒鳴りつけてきやがって」

 明らかに興奮していた。テンションが上がっているといってよい。さっきまで自分も宗だったから、なおさら分かった。

「それから会長の号令で、攻撃が始まったんだよ。あいつらどんどん後退していって」

 そう言って、バリゲートの向こうに石を放り投げた。分かっているのだろうか。石が小さいとはいっても、当たり所が悪ければ、充分けがにつながる。

「お前も、ほら。ぼうっとしてんな」

 そう言って、石を渡される。どうやら手ごろの大きさの石をあらかじめ集めてあったようだ。

 以前、何かの本で読んだ魔女狩りの話に似ていた。捕らえられた魔女は木の十字架にくくりつけられる。その根元にはたきぎが敷き詰められ、そこに大勢の人間が火をくべるのだが、火をつけなければその人物も魔女にされてしまうのである。俺は迷わず投げた。しょせん石である。


 その騒ぎはなんと二時間も続いた。投げるものがなくならなければ、もっと長く続いていただろう。あれだけテンションが高かった生徒達もやはり疲れには勝てないのか、校舎に戻ってからは多少だが大人しくなった。

 俺はそんな中、幼馴染の持田由香里と会っていた。生徒で溢れる廊下から離れ、非常階段の入り口だった。

「どうしたのよ?」

 由香里とは幼稚園の頃からの仲である。家族ぐるみで付き合っているし、友人以上の仲だとは思っている。実はほのかな恋心を抱いている相手なのだ。男友達のように気が知れているし、顔も好みだった。もしかしたら由香里の顔を元にして、俺の女性の好みが形成されたのではないかで、そんな風に考えてしまうほどだ。

「なあ? 俺と逃げないか?」

 俺はかすかな声で言った。大切な幼馴染、そして恋心の募る人間を犯罪者にはしたくないのだ。

「ちょっと……、本気なの?」

 由香里の声は先ほどまでとは異なっていた。怒りがこもっているようにさえ感じられた。

「本気だよ。本気だとも。俺は目が覚めたんだ。このままここにいたらどうやったって犯罪者になっちまうだろう。たとえ雑用係でもさ。警察が来たら逃げることもできなくなる。さいわいこの運動に参加してない生徒ってのもいるんだからさ。警察が来る前に逃げられれば参加して無いって言い張ることもできるし、逃げ出したって事実があれば、うまく罪を免れられるかもしれない」

 俺はまくし立てるように喋った。何とか説得したかった。

「けど、皆はどうするのよ? 友達、いるでしょう。裏切ることになるんだよ」

 やはり由香里は気が強かった。人に言われてなにも考えずに従うような人間、つまり俺とは違っていた。きっとこの集まりに参加したのにもしっかりとした理由があるのだろう。

「しょうがないだろう。そりゃ俺だって気がすすまないよ」

 ちょっとかっこをつけたが、実はもう友人達に対する罪悪感はなかった。

「けど、俺は逮捕なんかされたくないし。お前にも……さ」

 まるで口説いているようだ、と思ったが、内実を見れば口説いているのと変わらないのではないかと思う。もしこれが上手くいけば、きっと、冷静になった由香里は俺に多大な恩義を感じるだろう。そうなれば後はもう一押しで恋人になれるだろう。

「けど、どうやって逃げるのよ?」

 由香里の心は揺らいでいるようだった。

「バリゲートを突破するんだ。いいか」

 俺はあれから色々調べて計画を練っていた。

「もうすぐ三時だ。バリゲートの北側の見張り交代は六時。この寒い時期なら六時から暗くなり始めるし、交代の時にはどうやったって死角になる時間、場所がある。このときなら外に抜け出せるかもしれない。いや、きっと抜け出せる」

 暗闇と交代の二重のどさくさにまぎれるのだ。見張っているのは所詮、高校生である。逃げ出せないはずが無い。ベトナムのゲリラ兵でも、アメリカの機密施設の軍人でもテロリストの侵入を許すのだから。映画の中の話だが。

「本気なのね」

 真剣な声だった。俺は頷く。由香里のぱっちりとした目を見て。

「それならしょうがないわね」

しょうがない? 妙な言葉だった。もしかしたら由香里はさほど乗り気ではないのかもしれない。やはり友人を裏切るのは辛いのかもしれない。ただしょうがないというのは、友人よりも俺を選んでくれたとは取れないか。

「いいわ、その代わり条件があるわ。条件と言うよりはお願いだけど」

 お願い、なんて言葉を由香里から聞くとは思っていなかった。もちろんできる限りきいてやるつもりだ。

「逃げ出すまで、まだ時間あるよね? その間に友達を説得して欲しいのよ。私、友達をなくすの嫌だから」

「ああ。いいよ」

 簡単なお願いだ。もちろん危険はあるかもしれないが、言葉に気をつければ捕まることはないだろう。


 俺達は見張り部隊の本部に来ていた。校舎の端にある時計塔の最上階がそこだ。窓からは南側、校庭のある方角で一番教師達が攻めてくる可能性の高い場所が一望できる。手前にバリゲートが見え、その影に生徒たちが小さく見えた。

 見張り部隊はここにつめている人間とバリゲートについている人間全てだ。俺も教師の見張りをしていたが、あれは臨時に必要になったもので、俺の所属している雑務部隊と呼ばれる、ようは雑用をする集団が見張りをしていた。

 ちなみに部隊は四つあり、見張り部隊と雑用部隊のほかに、強硬部隊と司令部がある。強硬部隊は教師や警察が侵入してきた時に撃退する部隊で、主に運動部の人間が多い。司令部はその名のとおり頭脳集団で、成績が高い人間、成績の高低が果たして関係あるのか疑問だが、そういう人間たちが所属している。この部隊の隊長が、今回の首謀者であり全ての決定権を持っている。昨年度の生徒会長だったので、隊長ではなく、会長と呼ばれているが。

 ちなみに見張り部隊と雑用部隊は女子が多い。男子は強硬部隊にも司令部にも入れなかった人間ばかりだ。

「だから、私達と逃げましょう」

 あらかた説明してから、由香里はストレートに言った。あまりにストレートで、注意をする間もなかった。

由香里の友人は見張り部隊の隊長だった。隊長の権限なのか、周囲は人払いされており、人は居ない。人目を憚る心配は無いとは言え、もう少し慎重にして欲しい。

「そう、そんな風に考える人がいたんだ」

 俺は正直、怖かった。見張り部隊の隊長はあの現生徒会副会長だったのだ。外見は今時珍しいほど地味なものだ。黒髪で化粧すらしていない。それでもよく見ると綺麗な顔をしている。それだけに、さっき見た般若のような顔が脳裏に張り付いている。

「ねえ、逃げましょうよ」

 由香里が懇願するように言った。

 その瞬間、副会長はいきなり座っていたパイプ椅子を持ち上げて、窓から投げ飛ばした。物凄い勢いだった。かるがるバリゲートを超えて、校庭の方まで飛んでいった。

 これには俺も、そして由香里も大いに恐怖した。

「出て行って!」

 俺達に顔を見せず、副会長が言った。


 恥ずかしいことに、俺はしばらく震えが止まらなかった。逃げるように時計塔から下りて、校舎の人気の無いところに来たが、それでもしばらく怖かった。

「あ、あれがお前の友達かよ?」

「え、ええ」

 由香里もやはり怖かったようだ。

「めちゃくちゃだな」

 綺麗な顔をしていても内面は分からないものだ。猟奇的な感じさえする。

「あんな綺麗な顔してるのに」

 残念に思った。いや、もしかしたら彼女もこの事件の被害者なのかもしれない。集団心理の影響を受けて、それまで色々なものに抑制されていた暗い気持ちが爆発して、ついにああいう反理性的な性格になってしまったのでないだろうか。

「そういうのって、男子の勝手な妄想よ。可愛い女の子を見て、自分の都合の良いように解釈したがるんだから」

 自分の意見を言ったところ、即却下された。一応、由香里の友人を弁護する意味合いもあったのだが。しかも、なんだか由香里に男の汚い部分を言い当てられたようで、歯がゆかった。

「たぶん元からああいう性格がだったんじゃないかしら。それが今回の事件でチャンスが来て、全開になったのよ」

 そうだろうか。集団心理の影響を信じる俺にしてみると、あまり考えたくない説だった。そう考えてしまうと、彼女がより化物のように見えてしまう。

「なんだかお前も彼女のこと、あんまり分かってないみたいだな」

 そう言うと、由香里が笑うのを止めた。逆に深刻な顔になってしまった。

「あ……、ごめん」

 もしかしたら、気にしていたのかもしれない。友人のことを分かってやれないことが。

「う、ううん。いいのよ。いいの。それより私、ちょっと教室に行ってきていい?」

 由香里は俺の耳元に口を近づけた。

「持って逃げたい荷物があるのよ」

 俺としてはさっきのあの光景を見た後だし、脱出を企てているわけだから、できるだけ一人になりたくはないし、したくないのだが、しかし止める理由としては弱い。俺は頷いて、由香里は廊下を走っていった。

 その場で待っていると、由香里はすぐに戻ってきた。片方の脇に小さなバックを挟んでいる。

「ごめんね」

 急いできたのか、由香里の息はかなり切れていた。

「それでさ、これからどうするの? まだけっこう時間あるでしょう」

「別に、決めてないけど」

 できるだけ動きたくないというのが本音だった。このまま何もせずに時間まで待っていたい。

「私もね。だんだん冷静になってきたの。こんなこと馬鹿げているって」

 今、冷静になったということは、これまでは俺に合わせているだけだったのだろうか。

「だから、みんなを止めたいのよ」

「みんなって?」

「全員よ。そのために司令部に行きたいの」

 司令部に行く? それは一番危険な行為ではないか。

「今回の運動も司令部が中心になって起こしたでしょう? だから逆に司令部が運動を止めるように言えば皆、従うと思うのよ」

 由香里の言っている事は正しいと思えた。

集団心理の逆手を取る形になる。司令部、つまり頭を押さえて、一気に運動を止める人間を増やす。それが、どれくらいかは分からないが一定数を超えれば、大多数の生徒が運動を止めるのではないか。

だがそうなればよいが、失敗すれば俺達は取り押さえられることになる。そして暴徒と化した生徒たちに何をされるか、想像するのも嫌になった。集団心理に陥っている人間は自分の決断は自分で行っていると考えている。説得は困難に思えた。会長は首謀者であり発起人でもあるが、今では本当にこの運動の先頭に立っているのか、分からない。会長自身も良く分からない流れに左右されているのではないか。俺が知っている会長は、生徒会長にはなっているものの、冴えない目立たない存在だった。会長になれたのは立候補したのが一人だけだったからだ。人望の賜物ではない。そんな人間にこれだけの数の人間を率いていくカリスマ性があろうはずがない。

そうだ。会長は抑えるべき頭ではないのだ。

そして、この運動には頭などいないのではないだろうか。会長も流れの一部でしかないように思えた。ただ実務的な決定権を持っているだけで、精神的な中心ではない。そんな人間に運動の中止を訴えるのは危険すぎやしないだろうか。

「それは危ないよ。いくらなんでも」

「そうかしら」

「いま考えたんだ。考えれば考えるほど、この状況って凄い危険なんじゃないかって。さっきまでも、危ないとは考えてたけど。なんだか嫌な予感がしてきたんだよ。よくは説明できないんだけど」

 俺の不安が由香里に通じたのだろうか、それからすっと黙ってしまった。

 しばらくそこにいたが、俺達は動くことにした。とりあえずせめて椅子のある場所へ行こうということになった。しかし歩き出そうとした時、由香里があっ、と声を出した。

「なに?」

 振り向こうとした時、由香里の手に止められた。背中に感触が移った。

「……こ、これ」

 由香里は何やら書かれた紙を差し出してきた。

 ありふれたコピー用紙だった。文章が鉛筆で殴り書きにされていた。

 俺は目を通し、愕然とした。

お前の裏切りを知っている。止めるなら今のうちだ

 そう書かれていた。


「ど、どこで付けられたの?」

「分からないよ。なんだよ、これ」

 俺は紙を廊下に叩きつけようとした。しかし、俺の怒りをあざ笑うように、紙ははらはら舞うだけだった。

 落ち着け。落ち着くんだ。俺は自分に言い聞かせた。

 おかしい。俺たちが逃げることを知っているのはさっき誘った副会長だけのはずだ。しかし俺達はあの場所から逃げるように、ここまで来た。その間、すれ違った人間は多少居たが、そいつらは俺達が裏切ることを知らないはずなのだ。副会長が携帯電話でどれだけ急いで連絡しても、俺達のことを知らせる時間的余裕はなかったはずだ。

「い、いたずらじゃねえか?」

 俺は思ってもいないことを言った。いたずらを仕掛けた人間が偶然、逃走を企んでいたなんてそんな偶然はありえない。

 あっ、と俺は声をあげた。俺が裏切ったことを知っている人間があと一人居た。

 あの教師だ。あいつを逃がした時は、こんなに恐怖が深くなかったから不用意だった。教師から漏れたのかもしれないし、あの時、保健室にいたほかの教師から漏れたのかもしれない。一応、予防はしておいたが、正確ではなかった。

「やっぱり、ここから動くのは止めよう」

 人の居る場所に行くのが怖かった。

 だがそんな俺の気持ちを踏みにじるように騒動が起きた。

 俺達の前を大勢の生徒がかけていった。その中の知り合いが俺に気付いていった。

「おい、体育館でおもしろいことやってるってよ」

「な、なんだよ。それ」

 見知った顔さえ怖く見えた。

「裏切り者に制裁だってよ。すげえらしいぜ」

 俺は頭がくらくらした。


 体育館には大勢の生徒が押しかけていた。それぞれが挙げる怒声が塊となって、空気を振るわせた。そこに居るだけで耳が痛くなった。

 俺は由香里の手を握っていた。前に立って歩いているから、由香里が怖がっているように、周りからは見えたかもしれないが、俺も充分、怖かった。なるべく目立たないように前へ向かっていた。

 裏切り者はステージの上で、制裁を受けている。それを目にしたとき、俺は思わず声を出しそうになった。

 あの教師である。それと生徒が二人。その三人が制裁を受けていることはすぐに分かった。三人とも頭から血を流し、それが服にしみこんで、全体を赤く染めていた。全員、星座させられている。

 司令部の連中が鉄パイプのようなものを持っていた。先端は血にまみれている。

 会長がマイクを持った。

「これが裏切り者の末路だ」

 そう言って、自分に一番近い生徒を殴る。

「諸君、我々は固い絆で結ばれている。私はそう信じていた。しかし、この二人の生徒は、あろうことか教師と結託して、自分達の利益だけを確保し、逃亡を図ろうとした」

 そして、もう一人の生徒を殴ろうと、パイプを振りかざす。生徒は何か叫んだようだったが、この喧騒の中、マイクなしではここまで届くはずも無い。パイプが振り下ろされる。

 驚いたのは、その行為に対して、より強い歓声が上がったことだ。会長はさながらカリスマ性溢れる指導者のようだ。あの冴えない男が。

「我々は無力だ。警察に対して対抗する力は無い。ただ学生運動のほとんどがそうだったはずだ。我々はこの行為を通じて、世間に我々の正当性を証明できるだけなのだ。そして我々の正しさを知った世論に押してもらい、待遇を変えるしかないのだ。だからこそ、我々は一致団結していなければいけない。裏切り者をだしてしまっては我々の印象は悪くなり、世論の後押しを受けることができなくなるのだ」

 そして、最後に教師を殴りつけた。

「殺しはしない。いかなる場合でも、人を殺せば世論は味方しないからだ」

 また歓声が上がった。

 俺は完全に茫然自失の状態だった。何も考えられない。ただ寒気に似た恐怖だけが体の底からじわじわと広がっていった。

 いきなり手首を強い力で握られた。見ると、由香里が、繋がっている俺達の手をほどこうとしていた。先ほどから俺に何か行っているようだったが、この歓声で聞こえなかったらしい。俺は慌てて手を放した。由香里は駆け出す。走り方が少しおかしかった。いきなり一人にされて、情け無いが、俺は由香里に追いすがった。その途中、握っていた掌を見た。汗でびっしょりだった。

 由香里は体育館から直接行くことのできるトイレへと駆け込んでいった。もちろん女子トイレだ。俺はためらったが、他に人の気配がしなかったので、入っていった。

 ある予感がしていた。

 由香里は奥から二番目のトイレに入っていた。扉が閉まっていたから分かった。

「ごめん。ごめんね」

 由香里の声が聞こえた。

「本当に、怖くて」

 由香里にもどうやら事の重大さが見えてきたようだ。

「ごめんなさい」

「いや、いいんだ。もう。こんなことに誘った俺が悪かったんだ。計画は、俺一人でやるよ。由香里は他人の振りをしてれば」

「……入ってきて」

 由香里が言った。そして鍵の開く音がする。

 狭い個室の中に二人きりになった。さっきまでの俺なら、この状況に喜んで、由香里を押し倒そうとでもしたかもしれないが、もうそんな気力はなかった。

「なら一緒に止めましょう。捕まればああなるのよ」

「それは、できないよ。逮捕がやだっていうのも理由だけど。けど、俺はもう目が覚めたんだ。あんな危ない奴らと一緒に居たくない」

 あれはもう完全な暴徒だ。

「殺されるかもしれないのよ」

 それはそうかもしれない。会長は殺さないといっていたが、鉄パイプで頭を殴るような人間の言葉だ。信用できない。

「けど、俺には手紙が来たんだ。俺の行動はもうばれてる。あの教師が捕まってたのが良い証拠だ」

「だけど、まだ猶予があったでしょう」

「あんなの信用できるかよ。あいつらの気が変わって、脱走を企てたってだけであんな目にあうかもしれない。怖いんだよ、俺は」

「どうしても駄目なの? 行くの?」

 由香里が抱きついてきた。それを引き剥がすことはできなかった。しかし、決意は変わらない。

「行くよ、俺は。由香里、やっぱりお前も……」

 そこまで言って、由香里に思い切り突き飛ばされた。そして由香里は外へと走っていく。

 ふられたな、と思った。一緒に行きたい気持ちと、危険な目にあわせたくない気持ちが両方あった。どちらか決めかねて、由香里を困惑させたのかもしれない。

 その時、トイレの入り口の方から、押し殺したような悲鳴が聞こえた。間違いなく、由香里のものだった。

「どうした!」

 慌てて飛び出した。由香里はトイレの入り口で、服が汚れるのも気にせず、へたれこんでいた。

 手には、紙が。

「み、見て」

   お前達の決意は分かった。もう手遅れだ。

 それだけだった。

「そ、そんな。だって由香里は」

 由香里は脱走しないことに決めたじゃないか。

「わ、私が中途半端な答え方をしたから……」

 馬鹿な。確かに、由香里ははっきりと行かないとは言わなかった。

「やっぱり、止めましょう。私も、あなたも。それで謝りにいくのよ、会長に」

「会長にだって!」

 あんな光景を見せられて謝りにいけるはずがない。

 それにあいつは中心じゃない。そう思えた。たとえ、あいつが俺を許すといっても、群衆の中で俺を殺せという意見が大きくなれば、あいつはそうするはずだ。そんな人間に処遇を任せるなんて自殺行為だ。

「俺は、俺は行く」

「お願い!」

 由香里がすがりついてきた。甘い誘惑のようだった。しかしそれを超える死の恐怖が俺を引っ張っている。俺は由香里を振り払って、走り出した。


 時刻は五時五十七分。外はもう大分、暗い。

 俺は誰も居ない教室に潜み、南側のバリゲートを眺めていた。人がうごめくのが微かに見えた。

 由香里と別れてから、俺はずっと独りでいた。かびくさい体育倉庫に息を殺して潜んでいたのだ。全てはこのときのため。

 大丈夫だ。そう言い聞かせた。教師を捕まえて俺のことを知ったようだが、教師は俺の計画は知らない。正体がばれていようが関係ない。逃げてしまえばいいのだ。

 一刻も早く、逃げ出したかった。しかし、焦れば失敗する。失敗すれば、どうなるかは分からない。心臓が痛んだ。

 五十九分。ついに見張りが動き出した。一斉に校舎のほうへと向かう。

 交代の時間だ。俺は下駄箱から持ってきた靴を履いた。まだ駆け出すには早い。

 見張りが離れていく。

 いまだ。俺は窓を開けて一気に走り出した。目の前のバリゲートに向かって。暗闇なら走っていても見つかるまで多少時間が稼げる。バリゲートを超えるまで追いつかれなければ、バリゲートを越えさえすれば、安全だ。外には教師達が大勢居るだろう。敵は緒って来れない。

 たった少し加速しただけで、心臓が破裂しそうになった。きりきりと痛む。肺も痛かった。緊張で異常に動きづらいのだ。それでも必死に足を動かす。まだ気配は無い。

 足が、バリゲートにかかった。

 その瞬間、頭に衝撃が走って、俺は意識を失った。


「目が覚めたかね?」

 ぼうっとしていた。まるで夢の中だ。

「目を覚ましなさい」

 声がどこから聞こえてくるのか、良く分からなかった。それよりも頭の痛みで意識がはっきりとしてきた。

 一番初めに、はっきりと見たのは、由香里の顔だった。

「由香里」

 ぞっとした。由香里の、由香里の目の何て冷たいことだろう。

 由香里は何も言わず、後ろに下がった。

 俺は周囲を見回す。

 暗い。電気が少ないようだ。さっき由香里の顔が良く見えたのは、俺の近くに懐中電灯が立てて置いてあったからだ。

 暗闇の中には、他にも大勢の人間が居るようだ。

「ようやく目が覚めたようだね」

 一番初めに聞いた声と同じものだった。暗闇の中から声の主が出てくる。

 生徒会長だ。手には、俺は心から震えた、鉄パイプを持っている。

「裏切りものめ!」

 それが俺の頭に振り下ろされる。がつんと、自分の頭が鳴ったのが分かった。痛みと嘔吐欲求に襲われた。

「どうして? どうして?」

 俺は心で思っていたことを素直に口にしていた。

 どうしてこんなことに。どうして脱走がばれたんだ。どうして由香里がここにいるんだ。

「まだ分かってないみたいね」

 聞き覚えのある声が闇の中から聞こえた。

 それは一番の恐怖の対象だった。副会長だ。

「うわぁー」

 俺は逃げだそうとした。しかし、足は縛られている。今気付いたが、腕も後ろ手に縛られていた。丁度、教師達と同じ格好だった。

「会長、教えてあげたら?」

 副会長が楽しそうに笑った。今度は俺が失禁しそうだった。

「演説の中で私が言っただろう」

 冴えない眼鏡の会長も、今は恐怖の対象でしかない。俺はまともに顔を見れなかった。

「私達が最も恐れているのは裏切り者だと。それを出してしまえば、私達の行動の正しさを世間に認めさせるのが難しくなってしまう。もちろん、生徒は多いから裏切る人間は出てくる。それを分かっていながら私が何の手も施さずにいたと思うかい?」

 会長がにたーと笑った。気持ちの悪い笑顔だった。

「表向きには四つの部隊を作った。見張り、強硬、雑務、指令。そしてそれに紛れ込ませる形で、それぞれの部隊から数名ずつを選抜して、公安部隊を作ったのだ。もちろん仕事は裏切り者の発見、逃亡の予防、制裁だ。なんだ、まだ分からないのかい。君が誘った持田由香里がその一員だったのさ」

 最初は何のことを言っているのか、分からなかった。しかし、徐々に頭に浸透してくる。

 そうだ。今考えると由香里の行動はおかしかったのだ。

 俺の逃亡を止めさせようと考えていたのではないか。いきなり副会長、あんな危ない女のところに連れて行ったり、トイレの中でのあの会話。俺を止めようとしていた。

 そしてあの手紙である。最初は俺の背中に張ってあった。由香里なら事前に張らなくても、俺の背中に軽く触ってから、そして紙を差し出せばいいだけだった。あの時、由香里は教室へと向かった後だった。そのときに手紙を書けたのだ。

 トイレの時もそうだ。手紙の内容は二人の会話の内容を踏まえたものだった。由香里ならあの時、トイレの中で手紙をかけたのではないか。俺を中に入れたのは、会話の途中だったが、大体予測はついていただろうし、何枚も書いておくことも可能だったはずだ。

 由香里が、敵だった?

「持田さんは最後まであなたのことを考えていたのよ」

 副会長が言った。

「私のところに来た時点で分かってたんだから、あなたのこと。そこで捕まえても良かったんだけど、持田さんの様子がおかしかった。それから電話がかかってきて、少し待ってくれ、って頼まれたのよ。それから色々苦労したんだから。あなたの逃亡を防ぐために、公開で裏切り者に制裁を加えたり」

 おぞましい声だった。

「最後まで、持田さんはあなたを止めたじゃない。けど、あなたは逃亡しようとした。計画が知られているとも知らずに、逃げようとした」

 副会長に思い切り蹴られた。手加減を知らないようだ。女で力が弱いとはいえ、アバラが軋んだ。

「もう駄目ね。助ける見込みなし。会長、見せしめに殺しましょう」

 殺す? この女、いまそう言ったのか。

「そうだな。この男は救いようがないな。教師を逃がしたのもこいつだろう。そうそう、感謝するんだな。あの教師は最後までお前の名前を言わなかった。そのおかげで持田君との甘い一時をすごせたんだから」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。最後って」

 二人は不気味に笑った。俺を抑えていた最後の理性がとうとう途切れた。

 奇声を上げた。体を暴れさせた。そうしていなければ恐怖でどうにかなってしまいそうだったのだ。

「逮捕だ、お前ら。捕まって死刑だ」

 あの教師と似たようなことを言っていた。きっと今の俺の心境と似た気持ちだったのだろう。更に喚いたが、思い切り蹴られ、俺は動けなくなってしまった。

「持田君、君もやりたまえ」

 会長が言い、由香里が前に出てくる。姿が見えたと思ったら、思い切り蹴られた。ぼきっと嫌な音がした。たぶんあばらが折れた。由香里は尚も蹴ってくる。

 魔女狩りと同じだ。やらなければ由香里も俺と同じ目にあうのだ。

 なぜだろう。由香里とは十年を越す付き合いだったのに。それだけ、その絆を越えるだけの何かがあったのだろうか。

集団心理、か。それの前では個人の気持ちなんて小さいものなのだろう。

「由香里、止めてくれ。由香里」

 かすかに声を出した。しかし、けりは止まらない。

 やがて意識が遠のいていった。

 最後の力で由香里の顔を見た。由香里は泣いていた。

 由香里は目が覚めたと言っていた。あれは本当だったのではないだろうか。しかし、恐怖で、そう恐怖だ、恐怖でただ従っているんだ。集団心理からは既に覚めている。泣いているのがその証拠だ。

 集団心理に陥っている人間は、自分の決定を自分でしていると思い込む。強制されたなんて思わないし、そのために涙なんて流しはしない。

 由香里は決定に従っているだけだ。しかし、決定しているのは会長ではなく副会長でもない。ましてや由香里自身でもない。

 意識が消えていく。死を覚悟した。

 次はきっと由香里の番だろう。目が覚めた人間は、狂気の中に居ることにはきっと耐えられないだろうから。


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― 新着の感想 ―
[一言] 学生達の心理面が、とても面白い話ですね。 主人公の心理面に妙に納得してしまったというか、学生運動とか、こういった過激な事は、周りが普通にやっているからと思うところが確かに強いのかもしれません…
[一言] 話の運びはオーソドックスでしたが、人間の狂気を描くのが上手いなぁ、と思いました。 誤字と、変なところで読点が付いているのが気になりました。
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