腐臭に沈む第二層
「殲滅完了かな。割とあっけなかったね」
「喰いたりねぇ……」
「ククさんが満足するような敵が出て来たら困るけどね……」
ファルシリア、ククロ、ツバサと、三者三様の感想が口を出る。
ゴロゴロと転がっていたモンスターの死体が、魔力となって再びダンジョンへと還元されてゆく。その中で、たまに還元されることなく現物として残るものがあるのだが……これがドロップ品と呼ばれるものである。
『ウィル・オ・ウィスプの種火』や、『ケツァルコアトルの石瞳』などが、ちらほら転がっているのを、ファルシリアが丁寧に拾い上げていく。ファルシリアは生産活動に関しても割と手広くやっているので、素材は色々と役に立つのである。本当に器用な女性である。
すると、ようやくと言った様子で冒険者達が中に入ってきた。
恐る恐る中の様子を見ながら入ってくる冒険者と、騎士団を見てククロが大きくため息をついた。
「盾持ちがへっぴり腰でどうする。タンクだろ、貴様ら」
「まぁまぁ。僕達は『奈落』で大概感覚が狂ってるから」
ツバサが苦笑交じりにククロをなだめる。
このククロという男、知り合いには優しいし、ひょうきんな面も見せるが、他人に対しては結構厳しい。排他的、と言って良いかも知れない。
「それで、ファルさん。これから先はどうしようか? 僕達で先行する?」
ファルシリア、ツバサ、ククロの三人が集まった時、大抵の場合はファルシリアがリーダーになる。冒険者としての経験が最も豊富なのもそうなのだが、客観的に広い視野を持っているのが一番大きいだろう。
「うーん、そうだね。湧いてくるモンスターは冒険者の皆さんに任せて、私達は彼らの少し先を先行するような形で進もうか。ククさん、引き続きタンクを任せていい?」
「おう、とりあえずヘイト集めながら進むから、潰し残しの処理を――」
「ファルシリアさん、ククロさん、ツバサさん、無事ですか!」
と、その時ククロの声を遮るように眞為がやってくる。そして、ほぼ無傷のファルシリアとツバサ、そして、幾らか負傷しているククロを見て、近寄ってくる。
「ククロさん、怪我してますね。ヒールします」
「いや、この程度はかすり傷だ。問題――」
「ヒ ー ル し ま す ね !」
「お、おう……」
――おお、狂戦士状態のククさんを押し切った。
近寄りがたいオーラを発している戦闘中のククロを押し切った眞為に、ファルシリアは感心した様子で目を見張る。もしかしたらこの女性、割と気が強いのかもしれない。
「これでもう大丈夫ですよ」
「ん、すまん。んじゃ、眞為さんは後方で冒険者達の支援頼むわ」
「はい、みなさん、気を付けてくださいね」
そういって、ササッと後方に下がってゆく。他の冒険者達や騎士団の面子は、一層に散らばって、要救護者がいないか探し回っているようだ。眞為もそんな彼らを手伝いに行くのだろう。
それを見送った三人は、改めて前方を見据える。
モンスターハウス状態だった入り口に比べれば、圧倒的に少ないが、それでもほどほどにモンスターが湧いている。すでに、周囲の冒険者達も出現し始めたモンスターを相手に戦闘を繰り広げている。
「それじゃぁ、進もう。ダンジョンの構造は二人とも頭の中に入ってるよね?」
「大体な。それじゃ、先行するぞ」
「もちろん」
返事と同時にククロが前衛に出る。
ククロを頂点に、三角形を描くようなフォーメーションで奥へと進んでゆく。モンスター達が襲ってくるが、それも散発的なものだ。まったく問題にならない。
そして、三人は二層への下り階段へと辿り着いた所で足を止めた。
深緑の洞窟二層は、一層の明るく植物が葉を伸ばす様相とは異なり、苔や藻が繁茂する少しジメジメした所に変わる。光も届かなくなるため、ダンジョンの階層を照らす『ライト』の道具、または魔法も必須となる。
「さて……こっから二層だけど……」
ファルシリアは考え込むように階段を睨み付け、しゃがみ込むと、階段の向こう側の気配を探る。幾つか動く気配を感じ取れる……どうも、複数のモンスターが待ち受けているようだ。
道具袋から『ライト』発動の魔法石を取り出しているククロに、ファルシリアは話しかける。
「ククさん、入り口程じゃないけどこっちも軽度にモンスターハウス化してる可能性がある」
「モンスターの組成は分からんのだよね?」
「うん、申し訳ないけど」
麻痺毒や、猛毒を持っていたり、精神攻撃を仕掛けてくるモンスターがいる場合が厄介だ。最悪、ほとんど迎撃できないうちにやられてしまうこともあるのだから。
「一応、麻痺毒や猛毒防止の魔法石は最低限持ってきてる。ま、何とかなるだろ」
「こっちでもどんな状態異常にも対応できるように、薬は常備してるから」
本来なら、モンスターの組成が分からないダンジョンの場合、各種状態異常に祝福を持っているパラディン、もしくは、素早い動きや偵察が得意なシーフが先行するのが普通だ。
少なくとも、これは剣士の仕事ではないのは確かである。
ただ……鎧の異様な防御力もそうなのだが、即死レベルの攻撃でもガッツで踏みとどまるククロの頑強さは、前衛職でも抜きんでている。ファルシリアとツバサのフォローが入るのならば、そう簡単に倒れることはないだろう。
「よし……行くぞッ!」
そう言って、ククロが『ライト』の魔法石を放り投げつつ、剣を構えて突貫してゆく。入り口の時のように、10カウントを開始しつつ、異常があればすぐさま突入できるように身構えるファルシリアとツバサだったが……ここで、予想外の出来事が発生する。
「ごほっ、ごほっ!? げふ、ごふっ!?」
物凄い速度でククロが階段を上がってきたのである。
流石にこれはファルシリアとツバサも仰天した。例え、ボスモンスターが出待ちしていたとしても、真っ向から斬り掛かるようなククロが一目散に逃げかえってきたのだ……異常ともいえる事態であった。
「く、ククさん、どうしたの!? まさか、毒!?」
「ごほっ、ごほっ! ち、違う……」
これ以上ないほど苦い表情をしながら、ククロは首を振り……「あ゛―」としわがれた声を出した後、何とも言えない表情で顔を上げた。
「バグズ・バグがしこたま浮いてた……あと、既に破裂済みだ。二層全体が腐ったようになってるわ。こりゃ無理だ」
「げ」「うわ」
ファルシリアとツバサの声が被った。
バグズ・バグとは、一言で言えば『腹がガスでパンパンになった巨大な蟻』だ。
割とレアなモンスターで、腹を上にしてぷかぷかと空中を浮遊している。噛みついてこそ来るものの、それほど痛くなく、ほとんど無害なモンスターと言っても良い……が。
その腹部に溜め込んでいるガスが一筋縄ではいかない。
軽い衝撃を与えるだけで破裂し、腐卵臭に汚物の臭いを足したような凄まじいガスを周囲にふりまく。このガス自体に毒性はないのだが、あまりにも臭すぎて強い嘔吐、眩暈を誘発……最悪、意識を失ってしまう。
しかも、連鎖爆発する習性を持っており――滅多にないが――集団で飛んでいるバグズ・バグを爆発などさせようものなら、その階層自体が壮絶な臭気に包まれることになる。
「バグズ・バグがそんなに大量発生するダンジョンなんて聞いたことないよ……」
「そうだね、僕も今まで見たことあるのは三体ぐらいだなぁ」
ツバサがそう言うと、ククロがゲッソリした様子で視線を向ける。
「確認してくればいい……これでもかと浮いてたから」
「いや、遠慮しておくよ」
苦笑を浮かべながらツバサが首を振った。
一応、対抗策としてスペルキャスターによる超高温の炎をぶつけることで、臭気を消すことができるらしいのだが……すでに二層全体に蔓延している上に、湧いて出てくるほど大量にバグズ・バグがいるなら焼け石に水だろう。
興味本位で何人かの冒険者達も下に降りていったが、慌てて鼻を抑えて上がってきている。恐らくだが……何とか一層を駆け抜けて二層へと降りていった新米冒険者が、間違って破裂させてしまったのだろう。
とてつもなく迷惑である。
「んーどうしようか……これは二層に人がいたとしても全員倒れているだろうね。完全に無防備だろうし、もしも、まだ息があるなら助けてあげないと」
逆に言えば、二層のモンスターはほとんどがバグズ・バグなわけだ。物理的な脅威となるモンスターが少ない分、生還率は上がっているはず。急ぐ必要があった。
「臭いを我慢して突貫するか?」
「気合で何とかなる臭いじゃないからねぇ」
ククロの根性論に、ツバサが難しい顔で首を横に振る。最悪、全員が二層で昏倒するという可能性もあるのだ。
「スペルキャスターの冒険者に頼んで、バケツリレーの要領で臭いを外まで運んでもらうとか……いや、時間が掛かりすぎるか……」
ファルシリアが自分の道具袋を漁りながら、考え込み……そして、ふと、その手が止まった。
「お、ファルさん何か思いついたか?」
「思いついたっていうか……これが使えるかな、と思って」
そう言ってファルシリアが取り出したのは、目が覚めるような鮮やかな蒼色をした丸薬だった。ツバサはそれが何か思い至ったようだが、ククロは一人首を傾げる。
「なにそれ?」
「エアシュプレームキャンディー。口に放り込むと、溶けるまで口の中に空気を供給してくれる薬だよ。本来なら水中の探査なんかに使われるんだけど……ここなら使えるかも」
エアシュプレームキャンディーを三つ取り出したファルシリアの隣で、ツバサが目を細める。
「でも、確かそれって一日に一個しか使えなかったよね?」
「うん。効果時間は訳十五分……走ったり戦闘したりすることを考えると、十分ぐらいかな」
「つまり、十分間で二層を踏破して、その上で要救護者を運んで来い……ってことか」
かなり厳しい条件である。
一応、ククロが見た限りではバグズ・バグしかいなかったようだが、まだ別の戦闘力を持ったモンスターがいる可能性だった十分にあるのだ。しかも、二層にはボスモンスターがいるはずだ。最悪、そのモンスターとも戦闘になる可能性だってある。
「でも、やるしかないよね……」
二層の空気がいつ汚染されたのかは分からないが……もしも、要救助者がいた場合は一刻を争う。ファルシリアは覚悟を決めるように一つ息をつくと、パッと地図を広げた。
「ククさん、ツバサさん、私で二層に突入したら速攻で散開」
そう言って、地図に二層を網羅するように三つのルートを書き込む。
「ククさんはこのルート、ツバサさんはこのルート、私はこのルートで行くよ。基本的にボスも雑魚も無視。とにかく、明らかな死体以外は、倒れている人を片っ端からここまで連れてこよう」
「よっしゃ!」
「うん、分かったよ」
ここら辺はさすが一流の冒険者と言うところだろう。サクサクと計画が立てられ、現状に対する具体策が練り上がってゆく。ファルシリアがリーダー扱いされる由縁である。
「ただ、それ以上に自分の命を最優先すること。二次、三次災害が発生するのが最悪の事態だから。無茶だけはしないでね」
「この突入自体が無茶だけどな」
「それいっちゃぁダメだよ」
そう言って、ファルシリアが苦笑を返す。そして、立ち上がるとククロとツバサにエアシュプレームキャンディーを手渡す。
「念押しだけど、効果時間はだいたい十分。キャンディーは空気を放出して小さくなっていくから、完全になくなる前にここに戻ってきてね」
ファルシリアは改めて二人に念を押して、第二層に向き直る。
「よし、じゃあ状況開始!」
ファルシリアはそう叫ぶと、キャンディーを口に入れて二層へと飛び込んでいったのであった。