二人の過去
そして、翌日の早朝。
ククロはリングハウスに誰かが入ってくる気配を感じて目を覚ました。相も変わらずククロはリングハウスを私物化しており、その端っこにベッドを設置している。
そのベッドの上で目を覚ましたククロは、上体を起こして、入り口の方を見る。そこには、腰に手を当てて渋い表情をする翡翠と、扉に隠れて小さくなっているミスリアの姿があった。
「おぉ、二人とも早いな。おはよ……」
「おはよ、じゃないわよ。そのベッドいい加減に撤去しなさいよ、もう。ここ、一応みんなの公共の場所なのよ?」
「大丈夫大丈夫。気にしているのはお前ぐらいだ」
「分かっているなら、どかしなさいよ!?」
うがー! と翡翠が地団駄を踏むのを尻目に、ククロは大きく欠伸をして掛布団を跳ね除けて立ち上がった。下着同然の姿を見てミスリアが悲鳴を上げるが、翡翠は慣れたもので、視線を向けずに黙々とキッチンで皿を洗い始めている。
ククロは手慣れた手順で鎧を装着しながら、足で行儀悪く冷蔵箱を開ける。
「翡翠、冷蔵箱に入っているお前のチェリーパイ、俺にくれよー」
「嫌よ。アンタ、私に何も言わずに勝手にアップルパイ食べたでしょ。もうアンタには、パイを作ってあげな――」
「いただきまーす」
「人の話を聞けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえッ!!」
美しいフォームで投げられた銀製のフォークが、弾丸の如く飛んでくるが……ククロはガントレットに包まれた右手で軽々とそれを払い落とした。一歩間違えば、額に突き刺さっていたのだが、慣れたものである。がるるるるる、と怒る翡翠にひらひらと手を振ってみせながら、ククロはミスリアの方へと顔を向ける。
「んでだ、ミスリア。ちょっと聞きたいことがある。昔、ファルさんと一体何があったんだ? ファルさんが他人に向けてあそこまで攻撃的になるのを、俺は初めて見たぞ」
ククロとファルシリアの付き合いは結構長いのだが……言葉通り、ファルシリアがあそこまで一般人に敵意をむき出しにしたのをククロは見たことがない。もちろん、ダンジョンにいる敵や、外道冒険者などに対して殺気や敵意を向けることはあるのだが、基本的にファルシリアは温厚だし、世渡りが上手い。にもかかわらず……である。
あまりファルシリアの過去には踏み込まないようにしているククロではあるが……一体、ファルシリアとミスリアの間にどんな過去があったのか気になるというものだろう。
「えと……その、昔、喧嘩をしてしまったことがあって……」
「ファルさんと喧嘩ね……おい、翡翠。このチェリーパイ酸っぱいぞ」
「文句があるなら食べるなー! でも、私もちょっと気になるかな。ファルシリアさんって、気にくわないことがあっても、笑顔でスルーしそうだし」
それに関してはククロも翡翠と同意見だ。
ククロと翡翠の視線が同時に向いていることに気が付いて、ミスリアは居心地悪そうに身じろぎした。そして、少しだけ考え込んだ後、ポツリポツリと話し始めた。
ファルシリアと知り合うことになった切っ掛けについて……。
―――――――――――――――
そもそも、ミスリアが冒険者を始めた理由というのが、両親の不治の呪いを解呪するためだったんだとか。その呪いというのが誰から掛けられたものなのか……それは、すでにハッキリとしており、犯人は牢屋に投獄されている。
銃火器を取り扱う店を営んでいた両親は、職業柄、人の恨みを買うことも多く……そういった輩から逆恨みを受けて呪いを受けてしまったのである。
何はともあれ、この呪いの解呪を試みるには、高位なカーディナルが起こす奇跡の力が必要であった。無論、奇跡には常に代償が必要であり……この場合、金銭が代償であった。
だからこそ、ミスリアは両親が取り扱っていた銃火器を使って、金を稼ぐために冒険者を始めたのであった。
ある意味、『金稼ぎ』という目的と最も縁遠いところにある武器が銃火器だ。
極めて強力な攻撃とは裏腹に、一発一発に多大なコストが掛かり、戦えば戦うほどに金銭を消耗してゆく。もちろん、ミスリアも銃火器屋の娘だ……このことは重々承知していた。
だが、ミスリアは何の訓練も受けていないごく普通の娘だ。刃物や、鈍器での戦闘はもちろんのこと、弓や槍などの遠距離攻撃だって使いこなすことはできなかった。
だが、呪いに掛けられた両親の命は有限で。いつ散ってもおかしくない病状だった。
だからこそ、ミスリアは何とか家にあった銃火器だけで、金銭を稼がんと苦労を重ねた……そして、そんな時に出会ったのがファルシリアであった。
ミスリアが、サウスダンジョンに無謀な突入を繰り返している所を、助けてもらったのである。当時のファルシリアは既に上級の冒険者として名を上げており、高い戦闘力を持っていた。
そんなファルシリアからすれば、身の丈に合わないライフルを手に、無謀な突貫を繰り返すミスリアはさぞ珍妙に見えたことだろう。
そして……この出会いを機に、ミスリアとファルシリアは一緒に行動することが多くなっていった。死に物狂いで治療費を稼ぐ傍らで、ファルシリアに食事に招待され、スウィリスと一緒に食事をしたり――
―――――――――――――――
「いや、ちょっとストップ。スウィリスだと?」
「え、あ、はい。ちょっと変わった方でしたけど、良い方でしたよ。ご本人は気が付いていないともいますけど、私の両親のお店で弾丸を買ったりしていたようですし。私の家で作られた弾丸って、薬莢の方に刻印がしてあってすぐに分かるんですよね」
――どっかで聞いたことある名前だな。
ただ……頭の中に微かに残っている名ではあるが、思い出すことはできない。
大々的に知れ渡った名前ではないことは確かだ。
スウィリスという人物……ミスリアの話を聞いている限り、その風貌からして暗殺者である可能性が高い。個を殺し、自身の印象を完全に操作して、他者の印象に残りにくくするのは暗殺者の必須技能だ。ククロのこの状況ですらも術中なのであれば、さぞ優秀な暗殺者であったことであろう。
――同時に、ファルさんにもそんな相手がいたことにも驚いたな……。
ファルシリアの家族構成は聞いたことがないが、まさか、一緒に生活していた人物がいたとは。ファルシリアとコンビを組んで活動するようになって結構経つが、『スウィリス』という名前など彼女の口から一度として聞いたことがない。もしかしたら、ファルシリアの生い立ちに……しかも、かなり深い所で関わっている可能性がある。
――まぁ、だからどうしたってわけでもないが……同居人が暗殺者か……。
何だか引っ掛かりを覚えながら、うんうんと唸っていると、翡翠が顔を覗き込んできた。
「珍しく難しい表情で、何考え込んでいるのよ? あ、分かった。ファルシリアさんが別の誰かと一緒だったことに嫉妬してるんでしょ!」
「乙女脳は黙っていろ。すまん、ミスリア。続けてくれ」
「あ、はい」
ククロに促され、再びミスリアは語り始める。
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ファルシリアと組んでから、ミスリアの冒険は軌道に乗り始めた。
最初こそファルシリアに戦うのを任せきりにしてしまっていたが、もともと、銃火器を扱う素養に恵まれていたのであろう……ミスリアはメキメキと銃撃の腕前を上げていった。
そうして、前衛をファルシリア、後衛をミスリアが担当することでサウスダンジョンでも、安定して攻略できるようになっていった。
しかし……快進撃はそこまでだった。
ミスリアが冒険者を続ける理由であった両親が、呪いの力に負けて亡くなってしまったのだ。
結局、ミスリアは間に合わなかったのである。
ミスリアが一晩泣き明かし、両親を丁寧に埋葬するまで、ファルシリアはずっと傍にいて、手伝ってくれた。そして、全てが終わった後、ファルシリアはこう言った。
「ねぇ、ミスリア。貴女の両親に呪いをかけた奴に、復讐しに行こう」
それから、ファルシリアは全てを語ってくれた。
ファルシリアが幼い頃に父が何者かに殺されたこと、冒険者を続けている理由は父を殺した相手に復讐をするためだということ、そして、初めてできた友人であるミスリアの無念を晴らしてあげたいと考えていること。
そう言って差し伸ばしてきたファルシリアの手を……ミスリアは取らなかった。
「ファルシリアさん、復讐なんてしても、お父さんもお母さんも蘇らないんだよ?」
復讐は何も生まない……それが、ミスリアの出した答えだった。
確かに、両親を呪い殺した相手は憎い。でも、その衝動に任せて、犯人をこの手で殺すことを果たして両親が望むだろうか? 復讐して相手を殺した先に待っているのは、本当に幸福なのだろうか?
違う、とミスリアは思う。むしろ、復讐の先に待っているのは不幸と断絶だ。
だからこそ、ミスリアは両親の復讐をするつもりはなかったし……同時に、ファルシリアの復讐を止めたいと思った。復讐のことを語るファルシリアの瞳は、ここではないどこか遠い所を見ていて浮世離れをしており――危ういと思ったのだ。
だが、これがファルシリアの逆鱗に触れた。
ファルシリアにとって復讐とは生き様そのものだったのだろう。ミスリアがファルシリアの復讐を止めようとしたことはつまり、彼女の生きる理由を否定したことに他ならなかったのだ。




