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銀黎のファルシリア  作者: 秋津呉羽
四章 深緑の暗殺者
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ノーライフキング

 その姿を一言で表現するなら、赤く精緻な意匠が施されたローブを着た子供……だろうか。ただ、それはあくまでも第一印象に過ぎない。ローブの中には誰も入っておらず、そこにあるのは汚濁にも似た悪意を凝縮したかのような黒一色。足は存在せず、ボロボロになったローブが浮いているようにしか見えない。本体はあのローブか、それともその中にある黒い『何か』か……モンスター相手にそんなことは考えても栓ない事だろう。


 ――あれがノーライフキングか……。


 死せる者の王……ノーライフキング。


 遠く離れているにもかかわらず、濁ったような魔力の奔流がビリビリと肌を刺す。剣を構えながら、ククロは引きつった笑みを浮かべた。明らかに個人で倒せるようなモンスターではない。

 これはSやA級の冒険者達が最良のコンビネーションをもって、死力を尽くして何とか倒せるレベルのモンスターだ。


 おまけに……ノーライフキングの後からは次々と下僕化した冒険者が階段を上って来るではないか。その数、約10近く。これ全てが、過去にA級優良冒険者として、活躍していた者達なのだ……その総戦力はいかほどのものなのか。

 考えるだけで頭が痛くなってくる。


「どうにかして逃げる……場所も方法もなさそうだな……」


 ククロの居場所を把握されてしまったからだろう。あちこちから、各階層に散らばっていた下僕化冒険者達が集まってくる。一体全体、その総人数はどれだけになるというのか。

 幸い……と言って良いのか分からないが、ノーライフキングを恐れてその他のモンスターが突っ込んでこないことは救いだった。

 ズラリと、ククロを中心にして冒険者達が周囲を取り巻く。

 前方にノーライフキングと、スペルユーザーたち。そして、それを護るように剣士や騎士のような前衛職が立ちはだかり……ククロを囲んでいる。ノーライフキングに陣形の概念があるのかどうかは甚だ疑問だが、少なくとも、ククロの周囲で展開されている並びは、効率的にククロを包囲し、ノーライフキングを護るものだ。


 不気味なのは……殺気や覇気といったものが一切感じられないことだろうか。


 どれほど熟練の暗殺者や戦士であろうとも、不可能でこそないが完全に感情の機微を隠すのは難しい。だが、それが完璧にない。むしろ、空虚にすら感じる。


「これは……厄介だな……」


 クローキングの魔法石が使えればいいのだが……この魔法、一度認識されてしまうと、発動しなくなってしまうのである。


「素体……素体……」

「優秀な……素体……」

「素体……素体……」


 ククロが全方位に油断なく意識を向けていると、下僕化冒険者達が一斉に呟き始めた。まるで、話せないノーライフキングの言を代弁するかの如く、『素体』という言葉を繰り返す。20近い口から一斉に呟かれる言葉が氷洞の中に木霊し、まるで、ククロの意識にその言葉を刷り込まんとしているかのようですらある。


「あーうるせぇうるせぇッ!!」


 ククロがそう言って一歩後ろに下がった……その瞬間だった。


 まるで、意識が共有されているかのように、一斉にスペルユーザー達の武器がククロの方を向くと、魔力を充填し始める。まずい、と思う間もなく暴力的なまでの魔力が渦巻いた。火球が、氷矢が、雷牙が、風刃が、土槍が、魔法砲が、魔力球が、怒涛の勢いでククロに向かってくる。


 ククロの剣は物理的なものだけでなく魔法すらも斬り、鎧は魔法攻撃を大きく減じることができるものの……さすがにこの量を全て捌くのは無理がある。無抵抗に直撃を許せば、丸焼きのできあがりである。

 ククロは瞬時に反転。魔法攻撃の射線上から身を回避しようとするが……それを封じるように一斉に前衛職の下僕化冒険者達が迫ってくる。


 ――こいつら、意識の共有をしているのか!?


 コンビネーションが取れているという言葉すらも生ぬるい連携。一つの意識の元に動いていると考えた方が納得できるというものだ。


「く、こいつら……!」


 ククロを取り押さえんとしているのだろう……自らも魔法の射線に入ることも厭わず、騎士がシールドバッシュを仕掛けてくる。


「貴様と心中するのはゴメンこうむる!!」


 壁が迫ってくるような威圧感を気迫で跳ね除け、ククロは地面すれすれから剣を斜め上方に切り上げる。剣撃と盾撃が激突し、拮抗。一瞬の間を開けて……ククロの剣が競り勝った。

 盾を弾かれて無防備になった騎士に向け、ククロは神速の踏込みで懐に潜り込むと、その襟首をつかみ、片手で魔法の群れに向かって騎士を投げ飛ばした。

 氷洞に鼓膜を直接殴り飛ばすような爆音が響き渡り、閃光が煌めきをもって威力を示す。爆風が髪を激しくなびかせる中、ククロは迫ってくる騎士と剣士、格闘家達を相手に剣を振るう。


「くそっ!」


 振り下ろされる剣に剣をぶつけて背後に飛ぶと、身に着けていた漆黒の外套を、相手に向けて放り投げる。左前方からナックルガードに包まれた拳が、殺人的な勢いで迫ってくるのを、体を捩って回避。更に斜め後方から繰り出される突撃槍を肘打ちで落として、大跳躍から振り落とされる斧を剣で弾き飛ばす。


「このままでは……ッ!」


 多勢に無勢とはまさにこのこと。前後左右どころか、上下にも敵が迫ってくる。しかも、どの打ち込みもしっかりと基礎のできた威力の乗った一撃だ。下手に対応すれば、腕が落とされる。さすがは優良冒険者達というべきか……強い。

 迫りくる殺人的な攻撃の嵐を掻い潜り、反撃の一撃を決めんとグッと地面を踏みしめたその瞬間、まるで、波が引くようにサッと下僕化冒険者達が左右に引いた。


 面食らうククロの視線の先、そこには、手を大きくかざしたノーライフキングの姿があって……。本能が最大限の警告を鳴らすのを聞き、ククロは慌ててその場から退避しようとするが……反撃に転じようとしたのが仇となった。


 足元に猛烈な速度で紫紺の光が走る。その光は端と端を結び、幾何学模様を描き、複雑な文様を連ねてゆく。そして瞬く間に出来あがったのは、邪神の神威を示す魔法陣。


 苛烈な魔力が、魔法陣内部で暴走する。


 ククロが防御態勢を確立するよりも先に、魔法陣内部の魔力が威力に変換されて炸裂する方が先だった。


 オメガ・ダークフレア――モンスターが使用する上級魔法。あらゆるものを超高熱の邪光で焼き尽くす、必滅の一撃。ククロの鎧が幾ら魔法を防ぐ仕様であったとしても……範囲全てを焼き払うこの一撃に抗することはできない。

 だが――


「ぐ……が…………」


 ククロは何とか原形を保っていた。

 オメガ・ダークブレイズが炸裂する瞬間、手持ちにあった防御魔法石である『アイギス』を発動させ、何とか攻撃を凌いでいた。しかし……イクスロード・ドラゴンのブレスすらも完全に防ぎ切った『アイギス』ですら、オメガ・ダークフレアを完全に防ぎきることはできなかった。


 無残に散った魔法石の傍らで、ククロは膝をついて何とか息を整える。


 鎧が何とか致命的な一線を防いでくれたものの、全身が万遍なく激痛を訴えている。肺が焼け爛れんばかりに熱く、手足の末端の感覚が完全に死んでいる。

 確認するほどの余裕はないものの、炭化していないことを祈るばかりだ。


「かはっ、がは……」


 吐き出した鮮血が氷洞の中でより鮮烈に映る。

 己が血を握りつぶしつつ、ククロは剣を杖にして立ち上がる。てっきり、追撃の一撃が来るかと思って覚悟していたのだが……周囲の下僕化冒険者達は彫像のように動かない。

 トドメを刺すには絶好のタイミングだったはずだが……と、疑問を浮かべていると、再び下僕化冒険者達が一斉に口を開いた。


「素体……優秀な……素体」

「素体……素体……」

「優秀……素体……素体……」


 口を揃え、まるで輪唱するかのように『素体』という言葉を繰り返す。その言葉を聞いて、真意を理解したククロは、引きつった笑い声を上げた。


「は……ははは……なるほど……引きこむつもりか……俺を……」

 死者の群れの中に。

 死という概念すらも冒涜する、その軍勢の中に。

 だからこそ、ククロという存在が完全に消えてしまわないように、先ほどのオメガ・ダークフレアも手加減したというのか。


「モンスター如きに、手を抜かれるとは思わなかったぜ……」


 ヨロヨロと立つククロの瞳には、今にも激発せんばかりの憤怒が燃え上がっている。プライドを傷つけられた以上に、その他者の死を嬲るような考え方に火がついた。

 ハルという存在は偽りのモノだった……だが、ここにいる冒険者達に、護るべき何かがあったのは確かな真実のはずだ。そして、帰ってくるのを待っている人たちがいたかもしれない。

 義憤というほど誠実なものではない。ただ、戦い果てた者達が最後に帰るべき安寧を奪い去ったこのモンスターに、確かな怒りを覚えたのは事実だった。


「良いだろうよ……なら、手加減できなくなるまで追い詰めてやるッ! 死んで後悔しろ!」


 己の中……見えざる拘束を解除する。

 自身の中に潜む獣が咆哮を上げ、解放の瞬間に歓喜するのが分かる。噴き上がる闘気、深化する狂気、無秩序に暴れ出す破壊衝動がククロを支配してゆくのが分かる。

 ククロが『何か』したというのはノーライフキングにも分かったのだろう……ククロを取り囲んでいた下僕化冒険者の一人が、ハルバードを振りかざして襲い掛かってくる。

 だが……ククロは、この一撃を『掴んで止めた』。

 そして、まるで水飴でもそうするかのように、その鋼の武器を握りつぶした。メンテされていなかったとはいえ、A級冒険者が使用していた一級品の装備を握りつぶしたのだ……一体、どれほどの膂力が発揮されているというのだろうか。

 そして、ククロは返す拳で、羽虫でも払うような仕草で下僕化冒険者の顔面を潰した。


「はぁぁぁぁ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 獣にも似た原初の咆哮が響く。

 解放されし狂戦士――『ベルセルク』がその牙を剥いた。


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