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銀黎のファルシリア  作者: 秋津呉羽
四章 深緑の暗殺者
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この世界は地獄だ

 高く、長く続くマツやモミの木が辺り一面を埋め尽くしている。

 寒帯なノーザミスティリアには針葉樹林が多く自生しており、特に人の手が入っていない土地では、鬱蒼と言う言葉がピッタリくるほどの密度で葉を伸ばしている。


 その密林の中を、漆黒の外套を纏ったククロは高速で疾走していた。

 ノースダンジョンに通じる街道には大量のノーザミスティリアの警備兵が配置されており、まず近づけない。ノーザミスティリアのギルドで正式に申請が通ればいいのかもしれないが……少なくとも、ククロ単身での討伐など許可が下りるとは思えない。そこで、街道から大きく逸れない程度に林の中に入り、ノースダンジョンへと向かっているのである。


 途中でモンスターに襲われながらも、駆け足で道程を踏破してしばし。ようやくノースダンジョンが見えてくる距離まで近づいてきた。


 群れで襲い掛かってくるスノーウォルフを斬り飛ばしながら、ククロは視線をノースダンジョンへ。岩壁に大きく口を開けたノースダンジョンの入り口は沈黙を守っており、モンスターが這い出してくる気配はない。


「安定はしてるようだな……っと」


 背後から突っ込んできたスノーウォルフを、振り向きざまに一刀両断。それでククロの実力が分かったのだろう……唸り声を上げながら、スノーウォルフたちは撤退していった。

 ドロップした赤身肉を雪の中に隠しつつ、ククロは再度、ノースダンジョンへと視線を向ける。


「……妙に魔力を感じるな。やっぱり、ディメンション化は解かれてないか」


 五年間、ディメンション化し続けている曰くつきのダンジョン。攻略情報がほぼないダンジョンに、S級とは言え単身で挑むのは無謀の極致だが……致し方あるまい。


 ――深く考えるな。あくまでも勝利条件はハルの母親の解放だ。


 恐らく、ククロ単身で倒せるのは第一層ボスのデストロイプギー程度だろう。第二層のジャッジメント・デスは、とてもではないが一人で倒せる相手ではない。クローキングを使い始めるのは第二層からだろう。


「第一層にまだノーライフキングがたむろってくれてればいいんだけどな」


 そう言いつつ、ノースダンジョンへと接近。

 入り口付近までたどり着くと、むせ返るような魔力を感じた。ディメンション化したダンジョン特有のものだ。


「よし……行くか」


 そう呟いて、ククロはノースダンジョンの入り口へと入っていき――


―――――――――――――――


 一方、こちら自由都市ユーティピリア。

 今日も今日とてリング『野良猫集会場』のリングハウスには翡翠と眞為が集まっていた。先ほどまで、勝手にアップルパイを食べられていたことが判明して、翡翠が激怒していたのだが……今では、新しいミートパイを前にして盛んに首を傾げている。


 というか、翡翠が首をかしげているのは以前、眞為とハルが一緒に戦った時からだ。あの時から、ずっと何かが引っ掛かるようで翡翠は眉を寄せて考え込んでいる。


「翡翠さん、何か考えごと?」


 もしかしたら、ククロがいなくなった理由に気が付いたのだろうかと、勘繰った眞為だったが……どうやらそうではないようだ。翡翠は口元に手を当てながら、難しい顔で唸り声を上げた。


「いや、ほら、ブンブン峠で眞為さんとハルちゃんが一緒に戦ってたじゃない? その時、ハルちゃんの戦い方に妙な違和感を覚えたのよね」

「違和感?」


 眞為はオウム返しにそう返すと、言葉を紡ぐ。


「てっきり、あの時翡翠さんが首を傾げていたのは、私の合金竪琴パゥワーに恐れ戦いてだと思ってたけど」

「うん、確かにそれもあるけどね……あるんだけど……んーなんだろ、こう、喉に魚の骨が引っ掛かったような違和感……」


 そう言いながら、サクサクとミートパイを切ってゆく翡翠。そして、切り終えた一片を眞為に差し出しながら、考えを整理するように口を開く。


「こう、素人の剣ってもうちょっと雑なのよね。迷いがあるって言えばいいのかしら。でも、ハルちゃんの剣にはそう言うのがなくて……あ! 分かった!」


 そう言って、ポンッと翡翠は自分の手を叩く。


「思い至った?」


 モグモグと眞為がミートパイを齧りながら聞くと、うんうんと翡翠は嬉しそうに頷いた。


「そうそう! ハルちゃんの剣……えっと、突き専門のファルシオンなんだけど、全部迷いなく敵の急所を突いてたのよね。腕力がなくて、刀身が短いからチクチク刺すだけだけど……あれ、レイピアやバスターソードだったらベア相手でも即死させられていたと思う」


 ベアは体に筋肉と脂肪の厚い層があるからこそ、なおさら攻撃が通らなかったのかもしれないが……もしも、翡翠やククロが同じ突き専門の剣でベアと戦えと言われたら、まず間違いなく、ハルと同じ軌道でベアを刺殺するだろう。


 逆に言えば……ハルの剣筋は明らかに熟練者のそれであったのだ。


 しかも、A級の翡翠や、S級のククロの剣筋と同じという……。

 二人は知らないが、ハルは冒険者を始めたばかりで剣すらまともに振ったことがないはずだ。それを考えれば……明らかに異様と言って良い。天賦の才という言葉で片付けるにはあまりにも異質。


「急所だけを……迷うことなく……一突き……」


 そう繰り返して、眞為は不意に思い浮かんできたイメージをそのまま言葉にした。




「それってまるで――――暗殺者みたいだね」




―――――――――――――――


 爆音が鳴り響いた。


「なっ!?」


 ノースダンジョンに踏込み、少し進んだところでククロは背後を振り返りつつ驚愕の声を上げた。

 ノースダンジョンの入り口が崩落してゆく。

 恐らく、ククロが気づかなかっただけでノースダンジョンの入り口に入念に爆薬が仕込んであったのだろう。それを、ククロがノースダンジョンに踏み込んだのを確認して何者かが起動したのだ。


 いや……何者か、などと迂遠な表現をするのは止そう。


 頭上から岩の塊が次々と落ちてゆくその向こう側にいたのは……背中に分不相応な大きさのグラディウスを背負ったハルの姿そのものだった。

 唖然とするククロが見たハルは、普段の明るい表情からは考えられない程に凍えた瞳をしていて……その瞳は、ククロの事をまるで、今から屠殺する家畜を見るかのように無機質で。

 なぜここにハルがいるのか、とか、どうしてそんな目で俺を見ているのか、とか、様々な考えが現実逃避気味にククロの脳裏をよぎるが……その答えは一つに決まっている。



 ククロを殺すため、ハルはここにいるのだ。



「ここまで情に厚いとは思わなかったよ。おかげで直接手を下さずに済んだ」


 そう言って、ハルは懐から丸い物体を取り出すと、それに火をつけノースダンジョンの中に……ククロの方へと放り投げた。それが爆薬である可能性を疑ったククロだったが、丸い物体はもうもうと煙を吹きだすのみ。一体何なのかと思ったククロだったが……その特徴的な臭いですぐに正体に思い至った。


 ――誘獣香……ッ!! このダンジョンに閉じ込めたうえで、モンスターを呼び寄せて嬲り殺しにするつもりかッ!!


 ハルの思惑に気が付いたククロは、烈火の如き激しい怒りを込めた視線を向ける。


「貴様……ッ!! 待てッ!!」


 次の瞬間、ひときわ大きな音がして天井が崩落。完全に外と中で分断されてしまった。

 眼前には岩石によって完全に崩落したノースダンジョン入口、そして、背後には誘獣香に惹かれて集まってくるモンスター。

 完全なる孤立無援……絶望的という言葉すら甘く感じるような状況だった。


「ふ……ははは……あはははははははははははははっ!!」


 しかし、ククロは腹を抱えて笑った。笑って、笑って……ただひたすらに笑って。


 そう……そうだった。


 この世界は常に理不尽で。


 優しさを見せた奴から付け入られ、騙され、奪われ、欺かれる。


 世の中が変わったなどと……そんなことを考えていた数日前の自分を殴ってやりたい。


 そう、何も変わっていない。


 助けてと、天に向かって咆えたあの時から、何も変わっていないではないか。



 

 この世界は――地獄だ。



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