小さな、小さな、少女
「久しぶりに一人だな、もぐもぐ」
自由都市ユーティピリアの二等地にあるリングハウス。そこで、ククロは冷蔵箱に入っていたアップルパイを一人で齧っていた。
ファルシリアは用事があるから生家に帰ると言って留守で、ツバサ&サクラは新居を探しに行くと言ってユーティピリア中央通りへ、眞為は生産活動の素材を探しに行くと言って近隣の森に潜り、翡翠はモデルの仕事があってファッションストリートに出かけている。
現在、予定も何もなくぶらぶらしているのはククロだけである。
「喰っちまった後だけど、これ翡翠のアップルパイか」
包装用紙にデカデカと『翡翠用! 食べるなバカ!』と書いてある。誰に向けてのメッセージかえらく分かりやすいのだが、ククロは包装用紙を丸めてゴミ箱に投げつけながら、二つ目に突入した。
「最近は忙しくて、一人の時間が少なかったからなぁ、いろいろ貴重だ。もぐもぐ」
リングハウスに自分の家の家具を運び込んで、ここに泊まり込むことになって数日。本来はククロも新居を見つけに行かなくてはならないのだが、ユーティピリア二等地に立っているリングハウスの利便性が良く、出るに出られない。
――家賃もかかんねーし。
本格的にここに居ついてしまうかなーとも思うのだが、寝ているとたまに翡翠にベッドから蹴り落とされるのが難といえば難だ。まぁ、他の面子に関してはククロがリングハウスを個人使用してることに対して文句が出たりしていないので、問題ないといえばそうなのだが……。
特に、ツバサはククロの家を爆破してしまっているのでなおさらだろう。
「ま、いつまでもボーっとしているのももったいないし、ギルドで依頼でも受けて金稼ぐか」
今まで入手した報奨金や依頼料はほとんど装備に使っているククロだが……冒険に持って行く道具は良いモノであればそれに越したことはない。自分の命を預ける物だ、こういったモノに関して、ククロは金に糸目は付けない。
まぁ、装備に関しては湯水のように金を使うくせに、今こうして翡翠のアップルパイを勝手に拝借している訳だが、それは置いておいて……。
「さて、行くか」
そう言って、ククロは剣を鞘ごと引っ張り出すと腰に吊って、悠々と歩き出した。このリングハウスがユーティピリア内にある為、税関を通る必要がなく中央ギルド会館に通うことが便利だ。
リングハウスから中央ギルド会館までやってきたククロは、両開きの扉を開いて中に入る。漆黒の鎧に漆黒の剣、そして、黒髪黒瞳という黒一色のククロは大変目立つ。ククロが入ってくると、必ずと言っていいほどに一定数の冒険者がビクッと顔を引きつらせる。
この手の冒険者は、ククロの恐ろしい噂を聞いたり、実際に関わって叩きのめされたりした相手ばかりだ。現在のククロが丸くなったとはいえ、恐ろしいものは恐ろしいのだろう。
恐る恐るといった様子の彼らの視線を受けながらも、ククロは周囲を見回す。
――けど、俺のことを怖がる連中はそれでも減ったわな。
ククロが本当に荒れていた時代は、中央ギルド会館に入っただけで空気がピンと張りつめたものだった。まぁ、裏で仕事を受けている冒険者が、表のギルド会館に行き来しているのだ……緊張するなという方が無理ではあるが。
呑気にそんなことなど考えながら、ククロはクエストボードの前に立って、現在出されているクエストを眺める。
「収集クエストに、討伐、運搬……っと」
眞為の時のような緊急性の高いものはないようだ。平和なのはいい事だ、と内心で思いながら、実入りの良いクエストを探している……その時だった。
「おい、待て! その討伐クエストは俺達が先に目を付けたんだ!」
「んー?」
てっきり、自分に向けて放たれた言葉かと思って胡乱な視線を向けたククロは……思わぬものを見て片眉を上げた。
片方は鎧や剣を纏った冒険者達のパーティー……まぁ、それは良い。ここは中央ギルド会館だ、冒険者がいるのはごく普通の事である。だが、問題はその相手だ。
小さい。その一言に尽きた。
見た目は恐らく12、13というところだろうか。
硬く地で揃えられた淡い緑色の髪に、空色の瞳が印象的な少女だ。
オンボロの……恐らくは中古の革装備一式を纏っており、腰には不釣り合いにデカい剣が括りつけてある。全体的に使い古されているためか、妙にくたびれてみえる。
――形状から見るに直剣……グラディウスあたりか?
グラディウスもそこまで大きな剣ではないのだが、重量で言えば1kgはある。少女が縦横無尽に振り回せるような代物ではない。
動物園から脱走してきたモンキーを見るような目で少女を観察しているククロを尻目に、少女は一歩も譲る様子もなく冒険者に向かう。
「こ、これはアタシが先にクエストボードから抜き取ったんだから、アタシのクエストでしょ!」
「そもそも、お前みたいなチビッ子がゴッズヘルズボアを倒せるわけないだろ!」
「チビッ子言うな! アタシなら、それぐらい余裕よ!」
――いやぁ、無理だな。
ククロやファルシリア程の実力がある冒険者なら片手で捌くこともできるだろうが……基本的に、ゴッズヘルズボアはC級冒険者相当のモンスターだ。
一体一体は猪突猛進の猪そのもので大したことはないのだが、群れて突っ込んでくるため異様にメンドクサイ。おまけに、ゴッズヘルズボアが生息しているモルティナ平原は、コケッコーや、バスターフロッグなど積極的に冒険者に襲い掛かってくるアクティブなモンスターが多い。
最悪、モンスタートレインの果てに袋叩きという結末が待っている。まぁ、ここら辺のモンスターは、冒険者を叩きのめすだけで、命までは取らないのだが……危険と言えば危険だ。
「そういや、最近増えているって話だったな。農作物が食い荒らされてるのか」
そう言いつつ、ククロは少女の背中を見る。
餓鬼が! お前みたいな弱い奴はギルド会館に来るんじゃねえよ!
「………………………感傷かねぇ」
一瞬だけ、自分が駆け出しの冒険者だった時の姿が、少女と重なる。
今となっては遠い昔の話だし、ククロは正義の味方でもない。それに、安い同情は本来相手のためにならないというのは、身を持って知っている事ではあるのだが……。
「あーもう……」
ガリガリと後頭部を掻く。らしくないと分かっているのだが、どうもここで見捨てると目覚めが悪い気がしてしょうがない。ククロは、一歩前に出て手を上げた。
「ちょっといいか?」
「んだよ、こっちは忙し……いぃっ!?」
ククロが少女の背中から、対峙している冒険者達に話しかける。ククロとしては控えめに話しかけたつもりだったのだが……相手はククロの顔を見ると盛大に顔を引きつらせた。
引きつったのは何も相手の冒険者だけではなく……このフロアの冒険者たち全員が、一斉に視線をククロに向けて、ざわつき始めた。
『ククロが若手冒険者に声を掛けたぞ!』『そういえば、今日は隣にファルシリアさんがいねぇな……おいおい、誰が止めるんだよ……』『お、おい、今ユーティピリアにいるS級は誰がいるんだよ、俺は止めたくねえぞ!』『ツバサさんかファルシリアさんを急いで呼んで来い!』
――外野がうるせぇ……。
地味にトサカに来るが、ここで騒ぎを起こすのは得策ではない。怒りにまかせて暴れようものなら、あとでファルシリアにチクチク説教されるのが目に見えている。セットで翡翠の説教もついてくるかもしれない。
二人に囲まれてガミガミ言われる未来を想像して陰鬱な気分になったが、気を取り直してククロは目の前の冒険者を観察する。
剣士に、騎士、魔法使いと、治癒者……バランスのとれたパーティーだ。最近になってC級になったのか、全体的に装備がピカピカしており、新しい。『新米C級冒険者です!』と言っているようで、何だかこっちはこっちで懐かしい気分になるククロである。
だが……ククロに話しかけられたパーティーメンバーはというと、全員が顔面蒼白になっている。彼等からすればククロという存在は『何かえらく怖がられている、自分達には関係のない危ない冒険者』だったのだろう。
そんな危険人物が……いきなり絡んできたのだ。それはビックリするだろう。




