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銀黎のファルシリア  作者: 秋津呉羽
三章 烈脚の格闘家
36/69

捨て去った者の強さ、捨てられないことの意味

 成り立たない会話を放棄して、ツバサは再度アガートラームとの距離を詰める。

 空を抉ってツバサの蹴りがアガートラームの右腕に着弾する。ツバサの靴に仕込んである鉄板が悲鳴を上げるほどの威力を前にして、アガートラームは笑みを深くする。


「貴方は蛹! 軽く娘の首一つ捻れば羽化することができるのです!!」

「せぇぇぇッ!!」


 顔面を狙って半足蹴り、その場でコンパクトに旋回して右回し蹴り、そこから跳躍と同時に踵落とし――雷閃の如き蹴撃が次々とアガートラームに牙をむくが、この狂人も右腕を起点として体を入れ替え、ツバサの蹴りを全て弾き返してくる。


 ――そうか、呪いによる怪力があるから、体捌きのほぼ全てを回避に回しているのか。


 通常、拳打を放つならばしっかりと地を踏みしめ、腰を入れ、螺旋を描くように拳を放たなければならない。だが……この男に限って言えば違う。


「まだまだその程度では私は倒せませんよ!」


 ガムシャラにその呪われた右腕が振り抜かれ、ツバサは直感に従ってバックステップを踏んで回避を選択。大上段から地面に向かって振り抜かれたアガートラームの拳が、地に当たった瞬間……凄まじい轟音と共にクレーターができた。

 もしも、ツバサが防御を選択していたら今頃、右腕が挽肉になっていただろう。


 ――くっ、滅茶苦茶だ。


 その物理法則を完全に無視した圧倒的な腕力は、適当に振り回すだけで必殺の一撃となりうる。もっと簡単に言えば、触れた瞬間にアウトなのだ。蹴り足をつかまれでもしようものなら、胴体から引きちぎられると思って良い。

 だが――


「せい、はぁぁぁッ!!」


 『その程度』のことで、ツバサは攻め手を緩めるつもりはない。常識を覆すような能力を持った相手など、今までも腐るほど戦ってきた。それに、今はツバサの何よりも大切な人の命が掛かっているのだ……相手が埒外の怪力を持っていたとしても、怯む理由にはならない。

 真っ向から繰り出した蹴撃が防がれるなら、小刻みに、両左右に揺さぶりを掛ければいいだけの事だ。


 ――縮地!


 距離を踏破すると同時に、ツバサはアガートラームの右腕に向けて回し蹴りを放ち……そして、直撃した右足を起点に体を宙に浮かせて、上体を旋回する。

 上半身の旋回の勢いを利用して、相手の頭上を通過……そのまま、アガートラームの左側頭部に向けて踵を振り抜いた。


「うおっと!?」

「まだだ!!」


 しかし、ツバサの踵打ちはアガートラームが素早く引き寄せた右腕に阻まれてしまったが……弾き返されると同時に、ツバサはポーチから取り出した鉄礫を投げ放った。

 今まで必殺を期して頭を狙ってきたが……鉄礫は的の大きい胴体に着弾。


「ぐっ!?」


 金属と金属が激突し合う甲高い音が聞こえてくる。

 地面に華麗に着地したツバサの先では、脇腹を抑えながらも、笑みを浮かべたままのアガートラームがいた。だが、ツバサはここで攻撃の手を休めない。

 ポーチから更に鉄礫を取出し、連続投擲……投擲武器として先端を尖らせてある鉄礫は、ツバサの投擲技術も相まって弾丸にも劣らぬ武器と化している。直撃すれば、骨の二・三本……否、胴体を貫通することもできるのだが……。


 ――おかしい、手ごたえが硬すぎる。


「ケヒヒヒ、いやぁ……少し前だったら危なかったかもしれませんねぇ」


 そう言って、穴の開いた上着を脱ぎ捨てると……そこには、胴体の右半分が鋼鉄と化しているアガートラームの姿があった。まるで、右腕の金属化が胴体にまで及んだかのようにみえる。

 目を見張るツバサに、アガートラームは、恍惚とした様子で口を開く。


「神の呪いですよ。私の右腕の金属化が全身に及び、そして、最後には彫像と化す……おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ、なんというエクスタシィィィィィィィィィィィッ!!」

「この狂人め」


 吐き捨てるようなツバサの言葉を、むしろ、嬉しそうに受け取ったアガートラームは、不意に無造作に右手を振ると、傍らの鉄格子を割り砕いた。


「しかし……そうですか、飛び道具ですかぁ……。では、私も飛び道具を使うことにしましょう」


 そういってずるりと牢屋の中から取り出したのは……生きた子供だった。牢屋の中にはその親と思われる女性が死に物狂いで暴れており、同牢屋の住人達に引きとめられている。


「貴様ッ!!」

「さぁ! 受け止めれば大きな隙が生まれます! 受け止めなければ子供が壁に激突して死にます! 二つに一つ、S級冒険者のツバサ様はどちらを選ぶのでしょうぅぅぅぅぅぅぅぅぅかっ!!」


 嬉々として語りながら、アガートラームは大きく振りかぶると……子供をツバサに向けて投げ放った。ツバサの投擲と比較するまでもない、粗雑極まりない動作で投げ飛ばされた子供は、悲鳴すら上げることができない。


「つッ……!」


 ツバサは決死の表情を浮かべると、子供が投げ飛ばされた射線に体を割り込ませ、背後に向かって飛ぶ。この牢獄空間の天井は低い……上にも下にも力を逃せないなら、真っ向から受け止めるしかない。

 衝撃を少しでも逃がすために、一回転したツバサは、両足から地面に着地して、靴底で衝撃を噛み殺す。腕の中の子供は気こそ失っているものの無傷……だが。


「だぁぁぁかぁぁぁらぁぁぁ、貴方はあまーいィィィィィィッ!!」


 真横から声がした。

 子供を放り投げつつ、自分は逆方向に飛んだツバサだったが……完全にアガートラームの右腕を回避することはできなかった。

 鋼鉄の腕が胴体を掠めると同時に、天地がひっくり返る。衝撃が内臓を貫通して骨まで響き渡り、背中から壁面に激突した。かふっと軽い声と共に、口から血が吹き出す。


 ――内臓の破裂はない……が、骨は何本か逝ったか。折れた骨が内臓に刺さっていないことを祈るばかりだな……。


 かすっただけであるにもかかわらず、想像を絶する破壊力。物理法則を完全に無視したその威力は、まさに驚異の一言。


「んー甘いあまぁい。そう言うところがとってもあまぁぁぁい」


 たった一撃でツバサに致命傷を与えたアガートラームは、嬉しそうにそう言いながら、歯を剥き出しにして、チッチッチと指を振る。


「ここが生きるか死ぬかの分水嶺なのですよねぇ。傷を持つ者、捨ててきた者、歪んでいる者は、こういう時、サクッッッッッ! と見捨てられる。自分の命を最優先できる」


 ゆらゆらと横に揺れながら、アガートラームはツバサに向かって歩いて来ながら、愉快そうに口を開く。


「平時は街の中で常人と同じ表情をして、笑って、語っているくせに、いざという時は、人の命をゴミのように認識できる人……覚え、あるんじゃなぁぁぁぁい、ですかぁぁぁぁ?」


 脳裏に一瞬、銀髪紅瞳の女性が過る。

 ククロは恐らくダメだろう……あの男は、何もかもを捨てているように見えて、その実、何もかもを諦められずに足掻いている人間だ。ツバサと同じような状況に置かれたら、同じように救おうとしただろう。


 だが、ファルシリアは違う。


 あの女性は自分が死ぬか、他人が死ぬかの場面になった時、平然と他者を殺すことができるだろう。薄情……という一言でファルシリアを表すには言葉が足りないとツバサは思う。

 これはツバサの推測にしか過ぎないのだが……あの女性は、他人の死をどれだけ積み重ねたとしても、為すべきことがあるからこそ、他者の死を平坦化して見ることができるのだろう。


「後悔しているでしょう? 後悔しているでしょう? 後悔しているでしょぉぉぉぉぉぉ!? 貴方は、大切な女性を護ろうとして、結果……どこぞの誰とも知らないガキを護って終わってしまうのです!!」


 神ではない身……全てを救うことなどできはしない。

 全てを救いたいという想いこそが偽善。

 偽善に囚われたまま、結局、自分にとって本当に大切なモノが何なのか見失ってしまい、失ってから初めてそれに気が付く。その先にある慟哭に意味はなく。流れる涙は己が抱いていた偽善そのものだ……ツバサに迫りくる狂人はそう言っているのだ。


「おお、これからあの田舎臭い娘はどうなるのでしょうね! 汚らしいジジイの下に組み敷かれ、本当はあなたに捧げたいと思っていた処女を無残に散らしながら泣き叫ぶのでしょうねぇ!」

「何度言ったら分かる……黙れ」

「黙りませんともッッッッ!!」


 げらげらと笑いながら、アガートラームは手を伸ばしてツバサの胸ぐらをつかみ上げた。

 そして……ピタリと、笑い声を止め、真顔になると左手でツバサの首を締め上げた。


「まぁ、暇つぶし程度にはなったでしょう。さ、死んでください」

「は、はははは……お前が、何もかも正しい事を吐いてると思うなよ。捨てることを正当化するな。お前にとって歓声に聞こえるそれは、捨てざるを得なかった人達の悲鳴と怒号だ」


 これに対して、ツバサは右手でアガートラームの腕をつかむ。

 本当ならば力を込めることすら苦痛だろう……だが、ツバサの手は、アガートラームの腕がきしみ始めるほどの握力を発揮し始める。


「見捨てず、倒れず、足掻き続けることの何が悪い。救えるかもしれない命が傍らにあったとして、その人に手を伸ばすことの何が悪だ」


 致命傷を負っているにもかかわらず、ツバサの目は死んでいない。むしろ……足掻くことを、前に進むことを否定するアガートラームに対して、激しい闘志を燃え上がらせる。


 大切な人がいる。


 その人を護りたいと心の底から思う。


 けど、それだけでいいのか?


 きっと……それは違って。


 大切な人が、いつだって自分の隣で、大好きな笑顔を浮かべてくれることが何よりも好きだから。だから、大切な人にとって誇りでありたいと願った。


 どんな窮地にあったとしても、誰も見捨てず、弱者に手を伸ばし、正義を叫ぶことができる……そんな、カッコいい自分でありたいと誓った。


 だからこそ――


「大切な人にとって……誇りでありたいと思うことの何が悪い――――ッ!!」

「……ッ!?!?!?」


 完全に油断していたアガートラームの手首が、音を立ててへし折れてゆく。さすがにこれには焦ったのだろう……ツバサをつかんでいた右手を離し、たたらを踏んでアガートラームが後退する。

 そして、アガートラームは見ただろう……全身から、半透明の陽炎を立ち上らせるツバサの姿を……。


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