私が今できることを
ファルシリアとククロが戦闘を始めた頃、大多数のAランク冒険者はギルド会館の会議室に集まり、早急に作戦を練っていた。さすがはこの地に集められた優良冒険者達と言うべきだろうか……全員が全員、しっかりと装備を身に纏っており、寝ぼけている者など一人もいない。
意識の高さが窺えるというものであろう。そして、その中の一人に翡翠も混じっていた。
彼女もファルシリア程ではないがしっかりと寝る前に準備をしており、唐突に始まったこの襲撃に際しても、素早く準備を完了させていた。
ちなみに妹の瑠璃と眞為だが……現地にいた低ランクの冒険者達に混じって、現在、街の住人の避難誘導をしている。地上を移動するモンスターに関しては、バリケードやトラップが発動してまだ人が暮らしている地区まではやって来ていない。だからこそ、避難誘導は一刻を争う。
ただ、問題なのは、飛翔するモンスター達だ。
特に、イクスロード・ドラゴンは街のほぼ中央に陣取っており、いつ街の住人に被害を出すか分かったものではない。更にいえば、その取り巻きであるレッサー・クリムゾンドラゴンも油断ならない。すでに、六人ほどのAランク冒険者達がレッサー・クリムゾンドラゴンの討伐に向かっているが……果たして。
――ファルシリアさんや、ククロは一体何してるのかしら……?
翡翠は、他のAランク冒険者達が会話しているのを聞きながら、頭の片隅で考える。
最悪、ククロはまだ寝ている可能性があるが……最優良冒険者であるファルシリアがこの場に来ていないのはどうも納得できない。
「もしかして、二人とももう行動を開始してるのかな……?」
何だかんだ言いつつ、あの二人はワンマンプレーが目立つ。自身の力を過信しているというよりもむしろ、他人の力を信用していないと言ったほうが的確か。
何だか、自分だけ置き去りにされてしまったかのような気がして……もっと言えば、肩を並べるに値しないと断じられたような気がして、翡翠は少しだけ悲しい気分になった。
「ラクス、怜牙、ナクシャーサ、レオン、バーニー、華凜、クレイン、アーデルハイト、グレッグ……今、名前を呼んだものに関しては一時的にパーティーを編成し、イクスロード・ドラゴンの討伐に向かって欲しい。」
Aランク冒険者の中で最も経歴が長い、老冒険者の言葉に、数人の選抜冒険者達が一斉に頷いた。名を呼ばれた全員が、経歴、実力、品格共に申し分ない冒険者達だ。
その中に入れなかったことに少々不満を持った翡翠だが……致し方ない。
「他の冒険者達は、現地冒険者達に先行して、ディメンション化サウスダンジョンのモンスター討伐に向かって欲しい。彼らが接敵するよりも前に、可能な限りモンスターの数を減らしてほしいのだ。諸君等の力ならば、必ず――」
「す、すみません!! 失礼します!」
冒険者達の会話を遮るように、突然ギルド会館の会議室に入ってきたのは……金髪碧眼の美少女――ミスリアだった。その手に持った武骨なライフルに何人かがギョッとするが、指揮官の老冒険者は動揺することなく眉をひそめた。
「君は現地の冒険者かね。何があった?」
「あの、あの……助けてください!」
そこまで言って、少女は大きく深呼吸をすると、気になる言葉を続けた。
「ククロさんが……ククロさんが、一人でイクスロード・ドラゴンに向かって行っちゃって……!」
「えぇ!?」
ざわざわと会議場が俄かにざわめき始める。
ここにいる冒険者達は、たった一人でイクスロード・ドラゴンに挑む無謀さを重々承知しているのである。中には、実際に討伐隊に編成され、その手で倒した者もいるかもしれない。
もちろん、それは翡翠も同じである。実際にディメンション化サウスダンジョンに入ったことはないが、そこら辺は多少は勉強している。その脅威度はきちんと把握しているつもりだ。
「え、ちょ、たった一人で向かったって本当なの?」
翡翠がミスリアに詰め寄って、問い詰める。
「は、はい……」
「あの馬鹿……」
ギリッと翡翠は歯を食いしばった。
馬鹿だとは思っていたが、まさかここまでとは思っていなかった。たった一人であのドラゴンを倒せるはずがない。
――あの馬鹿の事は嫌いだけど、知人が死ぬのは目覚めが悪いよ!
「あの、私もイクスロード・ドラゴン討伐に加えてくれませんか!」
翡翠が右手を勢い良く上げて、指揮官に提案する。指揮官は翡翠の方に視線を向けて、その目を細めた。
「君は確か、Aランク冒険者の翡翠君だったな」
「はい!」
翡翠の評判は聞いているのだろう。指揮官は翡翠の事を知っていたようだった。
「ふむ……あえて言葉にさせてもらうが、今回の任務は死と隣り合わせだ。微かな油断が死につながる。私としては、君のように若く、経験の浅い冒険者にはまだ早いと考えている」
「で、でも……!」
「私にむざむざと前途ある若者を殺させないでくれ」
「なら、ククロは死んでも良いんですか!?」
シンと会議室が静まった。
まるで、挑みかかるような翡翠の視線を受け、指揮官は小さく嘆息すると……まるで、ククロが翡翠を見る時のような、厳しい視線になった。
「単刀直入に言おう……あの男は自分の死に様を自分で決めるだろう。そして、君がもしその場にいたとしても、結末は何一つとして変わらない。討伐隊自体は組織してある。後は彼等に任せるんだ」
「な……」
愕然とする翡翠に、止めを刺すように指揮官は言葉を繋げる。
「ならば、イクスロード・ドラゴンの生態を今、この場で全て列挙してみたまえ。彼のドラゴンがどれほどの熱量を持ったブレスを吐くか、言えるか? 尻尾の長さは? 空中に飛びあがった際の対処方法は? 私が先ほど列挙した者達は、それを、身を持って実感し、体験したことがある者達だ」
「……………………」
何も言えない。言い返せない。
ハッキリとその脅威を認識しているつもりであった。だが……それは所詮、翡翠の物差し上のものに過ぎなかったのだ。どこまでが『認識』と言えるのか、その判断基準が甘かったのだろう。
「私は君を高く買っている。その若さでAランクになれるのは、選ばれた者……天賦の才を持っているとしか言えない。だが、まだ君は若い。そして、圧倒的なまでに経験不足なのだ。君はまだ、本当の意味での命を賭した死闘を経験したことがないだろう」
「それ……は……」
「本当の死闘では、仲間の些細なミスがパーティー全員の死を確定付ける。君は、自身の準備不足で挑み、先ほど名を呼ばれた者質全員を死なせたいのかね?」
「…………」
「控えたまえ。そして自覚したまえ。今の君は圧倒的な力の前では、ただの無力な少女でしかない」
『馬鹿野郎。これは実戦だぞ? 相手が何をしてこようとも対応してみせるのが一流っていうもんだ。お前のそれは言い訳だ。本当に強い相手が自身の目の前に現れた時、お前の正々堂々を相手が飲んでくれる保証はないんだぞ』
以前ククロに言われた言葉が脳裏によみがえる。
己の甘さを指摘された時、翡翠は『分かっている』と、叩きつけるように答えたが……本当はその事を自覚できていなかったのだろう。 司令官の言ったことは言い換えてしまえば、戦力外通告にも等しい。翡翠のプライドがそれに抵抗しようとするが、抗する言葉を翡翠は持ち合わせていなかった。
「各自、持ち場につけ! 死傷者を誰一人として出すことなく、今夜を乗り切るぞ!」
翡翠がただ一人、己の無力に打ちひしがれる中……次々と冒険者達が己の配置に着くべく、会議室を足早に出ていき、最後に指揮官が翡翠の肩を軽く叩いて出ていった。
そして、誰もがいなくなると、先ほどまでの熱気を忘れてしまったかのように会議室は静まり返り……静寂に包まれた。
――私も行かなきゃ……。
トボトボと、翡翠もまた持ち場に着くために移動しようとした時……不意に、もう一人会議室に残っている人物がいることに気が付いた。
「あ……貴女は……」
「はい、ミスリアと言います」
そう言うと、彼女は小走りに近づいてきて、ガシッと翡翠の手をつかんだ。
「でも、あんなに認められて、翡翠さんって凄いんですね!」
「え?」
ミスリアの唐突な言葉に、翡翠は目を点にしてしまった。
あれほど明確な戦力外通告を突きつけられてしまったと言うのに、何が、どこが、スゴイと言うのだろうか? 一瞬、嫌味で言っているのかと勘繰ってしまったが、キラキラと表情を輝かせているミスリアは、とてもではないが嘘を言っているようには見えない。
「私、戦力外通告されちゃったんだけど……」
「え? あれって、経験不足なだけで、後は完璧っていうことですよね? さっきの指揮官さん、凄く厳しいことで有名な人ですよ! その人に『君のことは買っている』って言われるって凄い事だと思います!」
「………………」
捉え方の違いなのだろう。
前向きにとらえるか、後ろ向きにとらえるか……それだけで、ここまで言葉が変わってしまうとは。少なくとも、ミスリアの言葉を聞いて、翡翠の心は幾分か救われる思いだった。
「そっか……私に足りないのは経験だけなのか……」
「そうですよ! ククロさんの言う通りでしたね!」
「……アイツが何か言ってたの?」
いきなり不吉な名前が出てきたことで、顔をしかめた翡翠だったが……それに対して、ニコッとミスリアは笑みを深くした。
「お尻が青いけど、翡翠は頼れるやつだから、指示に従えって」
「お尻が青いは余計よ!!」
うがー! と叫び……そして、翡翠は思わず笑みをこぼしてしまった。
そうだ。確かに自分は経験不足かもしれない。まだ、青二才と言われてもしょうがないのかもしれない。だが、それなら経験を積みに行こう。
戦い、学び、それを活かす術を身に着けて、いつか並び立てるほどに強く。
「よし、行きましょう、ミスリアさん! ククロの事を討伐隊に任せるのは癪だけど……私達は私達が出来ることをしに行きましょう!」
「はい! 頑張ります!」
そう言って、翡翠とミスリアは勢いよく会議室を出ていく……自分自身がやるべきことを為すために。