クリスマス・キャロル【2】☆
レディーン広場にある時計塔。その見張り場に、女性の姿がある。澄んだ声で歌をつむぎだす金髪の女性。彼女の歌声が、ヴァルプルギスを弱らせていく。スティナは再び剣を振るって立ち上がった。相手の動きが鈍っている隙に攻撃を繰り返す。斬りつけ、肩のあたりを刺しぬいた。――と。
そのヴァルプルギスは大きく手を広げて……飛んだ。よく見れば両腕が翼のようになっている。
「マジか!」
思わずツッコミを入れる。空中戦の準備はしていない。つまり、準備さえしていれば空中戦ができると言うことである。
飛んだヴァルプルギスはそのまままっすぐに時計塔に向かう。時計塔の女性が奏でる歌声が、自らを弱らせていることに気付いたのだろう。
「っ!」
スティナは走った。地を蹴り、時計塔そばの建物の壁を駆けあがった。半分ほど駆け上がったところで強く壁を蹴り、隣の建物の屋根の足をついた。足元に跳躍用の魔法陣を展開する。先ほどとは比べ物にならない強さで屋根を蹴ると、屋根が少し砕けた。
ちょうど、時計塔の見張り場の前に来ていたヴァルプルギスを、跳躍したスティナは剣で斬り裂いた。ヴァルプルギスが甲高い悲鳴を上げる。だが、切りつけが弱かったようで留めはさせなかった。反対側の建物の屋根に足をつき、反転して再度攻撃を試みた。今度は大きく跳躍し、ヴァルプルギスの首元に剣を突き立てる。スティナはそのまま柄から手を放し、代わりに時計塔の壁のでっぱりをつかんでぶら下がった。落下したヴァルプルギスが地面に衝突した。上から観察してみるが、どうやら倒せたらしい。
「相変わらず無茶するわねぇ」
上の見張り場から声がかかった。長い金髪が風に揺られるのを押さえて、歌っていた女性がスティナを見下ろしていた。彼女は無造作に手を差し出す。
「でもまあ、助かったわ」
スティナは彼女の手につかまって見張り場に引き上げられながら言った。
「私が来ることを想定していたくせに、よく言う」
彼女は目の前にヴァルプルギスが来ても歌い続けていた。まあ、歌が彼女の力であるから当然ではあるのだが、スティナが追ってきて討伐することを想定していたからできることではあるだろう。
彼女と時計塔を降りると、後始末のための監査官たちがすでに広場に入ってきていた。広場には結界が張られ、立ち入り禁止になっているようだ。
スティナは、先ほど倒したヴァルプルギスから剣を引き抜き、軽く露を払って落ちていた鞘に剣を戻した。そこに「スティナちゃん!」と呼ぶ声が聞こえた。今の所、スティナをちゃん付けで呼ぶのは新米監査官イデオンだけだ。
「ああ、よかった。無事だね」
「当然だろう。騒がしい」
ほっとした様子で微笑んだイデオンに、反射的にそう返した。隣の金髪の女性が「素直じゃないわねぇ」と笑った。その彼女に目を止めて、イデオンは目を見開いた。
「フ、フレイア!?」
「あら、あたしを知ってるのね。うれしいわ」
そう言って、柔らかな金髪をした彼女はウィンクをした。彼女は美人なので、そのしぐさにイデオンが赤くなるのは仕方のない話である。彼女は彼のような純情そうな男性をからかうのが好きなのだ。
「な、なんでこんなところに」
「あたしも討伐師の訓練を受けていたのよ? まあ、力が弱くて、討伐師にはなれなかったけど」
つまり、彼女もリーヌスと同じパターンの人間だ。力が弱いと、ヴァルプルギスを倒すだけの力はないとみなされて、討伐師にはなれない。
「それで、新人さん?」
イデオンがはっとした様子で名乗った。
「イデオン・トゥーレソンです。九月から特別監査室に配属されました。よろしくお願いします」
「イデオン、ね。あたしはフレイア。本名はヴィルギーニア・ハマーフェルド。みんなはヴィーと呼ぶわね。よろしく」
軽い調子で彼女は名乗った。ヴィルギーニア、芸名フレイアは、現在人気上昇中の歌姫だ。全国ツアーも行うほどの人気ぶりで、その歌に癒される、と言う人が続出している。スティナが彼女らを見ながら腕を組む。と、唐突に花火が上がるのが見えた。どうやら、祭りが終わったようだ。
「せっかくの聖ルシア祭だったのに、ケチがついちゃったわね」
ヴィルギーニアは少し不満そうに言った。彼女がこの場にいるのは、聖ルシア祭を見に来たかららしい。
赤や白の大きな花が夜空に咲く。少し目を細めて花火を眺めていたスティナは、不意にめまいを感じた。体が揺れる。
「スティナ?」
「どうしたの!?」
ヴィルギーニアとイデオンがスティナを両側から支え、顔を覗き込んでくる。背中の感覚がない。ここで、ようやく自分は背後から切られていたのだったと思い出した。
△
「お前、馬鹿だよなー」
背中の傷の治療を受けているスティナに対し、そんなことを言ったのはリーヌスである。治療してくれているのはヴィルギーニアだ。
「まあ、否定できないわよね。貧血で冷えてきて、下手したら凍傷になってたわ、よ」
「ぐぅっ」
最後の「よ」でグイッと傷口を押され、スティナはうめいた。車の中とはいえ、ドアは開いているし、背中側の服をまくり上げているので寒い。
「痛いってことは感覚が戻ってきたってことね。ちゃんと医者の治療を受けるのよ」
念のために包帯を巻きながらヴィルギーニアが言った。彼女は治癒能力も持っているが、本物の医者ではないため、完全に怪我を治すことができない。そもそも、そんなに力がないのだ、とヴィルギーニアは笑っていたが。
包帯を巻き終えて服を着直すが、背中はぱっくり開いている。車から降りたスティナに、リーヌスがコートを差し出した。ありがたく受け取って羽織る。どうしても袖が長いので、少し折った。
「クラースとニルスは?」
「クラースは腕をぽっきりやってたな。すぐ治るだろう。ニルスは肩が脱臼したと言っていた」
リーヌスが答えてくれた。三体のヴァルプルギスとやりあったにしては軽傷と言うことでいいのだろうか。
遠くの方で、まだ花火が上がっている。この広場は殺伐としているのに、まるで別世界のようだ。
「しっかし、お前、壁を駆けあがったらしいな」
ヴィルギーニアから聞いたのだろう。リーヌスが言った。スティナはさらりと言う。
「空中戦の準備をしていなかったから、仕方がないだろう」
逆に言えば、準備さえすれば空中戦ができると言うことだ。どうしても、水中戦だけはできないのだが、まあ、めったにやることはないだろう。普通は地上戦だ。
背後からすっと手が伸びてきて、細い腕がスティナの首に絡まった。ヴィルギーニアだ。
「かっこよかったわよ、スティナ」
「……いや。こちらも助かった。ありがとう」
「あら。どういたしまして」
ヴィルギーニアのヴァルプルギスの精神に作用する歌があったから、これくらいの怪我ですんだのだ。彼女のおかげであることは間違いない。
「リーヌスさん! スティナちゃんたちを連れて戻ってこいと、エイラさんが!」
「わかった!」
少し離れたところでニルスたちとともにいたイデオンが手を振って叫んだ。リーヌスがそれに返事をする。彼はスーツのポケットに手を突っ込みつつ、言った。
「帰るか」
△
基本的に、スティナはヴァルプルギスの討伐がなければ暇である。いや、大学には通っているのだが、空き時間くらいはある。
スティナは、大学の課題をこなすためにフェルダーレン大学の第一図書館に来ていた。新米監査官イデオンの出身校であるらしいこの大学の図書館は、第一から第三まであり、それぞれ文系、理系、医学系の本を所蔵しているらしい。スティナが来た第一図書館は文系図書が多いだろうか。
スティナが通う大学は、中堅大学クロンヘルム大学であるが、本を探そうと思ったらフェルダーレン大学まで来る方がいい。幸いと言うか、あまり離れていないし、スティナは結構、図書館と言う本がたくさんある空間が好きだ。
みんな、スティナのことを脳筋だと思っている節がある。いや、まあ、考えるより先に動いてしまうから決して間違いではないのだが、自分では馬鹿ではないと思っている。考えることはできるし、普通くらいの知能はある。たぶん。
そんな馬鹿らしいことは置いておき。スティナは課題で必要な本を探して書棚の間を歩く。変装用の伊達眼鏡の薄いレンズ越しに分類番号を見て本の有りそうな書棚を探す。
不意に、スティナは顔をしかめた。よくない感覚がする。この感覚がするのは、ヴァルプルギスが近くにいる時だ。言葉では説明できないこの感覚で、スティナたち討伐師はヴァルプルギスを見分ける。ほぼ直感だ。そのため、わかっても証拠固めに時間がかかることがざらだ。
それはともかく、この辺りにヴァルプルギスがいると言うことだ。スティナは書棚の間を歩き、話声が聞こえたところで曲がった。一組の男女が小声で何か話している。
「コーヒー一杯だけ。ね?」
「いえ……だから、私は」
「いいじゃないか、ちょっとお茶するくらい」
「でも……」
女性が困った様子で視線をそらす。何だ、ナンパか。しかし、ヴァルプルギスの気配はする。女性は人間っぽいので、口説いている男性の方がヴァルプルギスだろうか。ここまで近づいても気配が微弱で、スティナもちょっと確信が持てない。
とりあえず、女性が本気で困っているようだ。ついでに、ほしい本がこの書棚にあったのでスティナはその男女にずかずかと近寄った。
「邪魔だから、どいてほしいんですけど」
近くまで行ってスティナは二人を睨んだ。男性は長身だが、女性はさほど背が高くない。スティナと同じで、平均くらいだろうか。ヴァルプルギスは美形になる傾向があるが、男性も美形だ。女性の方も整った顔立ちをしているが。
「あ、ああ! ごめんなさい」
女性が謝りつつ体をよけた。スティナは下の棚に入っている本を一冊抜く。
「……お嬢さん、空気を読むって知ってる?」
男性が怒った様子でスティナに言った。索引を見ていたスティナは、顔を上げずに言った。
「読んだ結果、話しかけたんだ。ナンパなら図書館じゃなく、よそでやれ」
「……!」
男性が顔を真っ赤にしたのを見て、女性が「その本っ、借りるの!?」と話しかけてきた。
「課題をしなくちゃいけないから」
それを肯定と受け取ったのだろう。女性が、「なら一緒に行きましょう」と言ってきた。こうして、スティナと女性は男性の側から脱出した。
成り行きで一緒に本を借り、そのまま並んで図書館を出る。女性が微笑んでスティナに話しかけた。
「ありがとう。助けてくれて」
「別に。本当に邪魔だっただけ」
男性をしつこいと思ったのは事実だが、別に助けたわけではない。結局、あの場を抜け出したのは女性の一言がきっかけだったわけだし。スティナは本をとるために介入しただけだ。
「面白い子ね」
そう言って女性はくすくすと笑った。彼女はスティナを見て言った。
「良かったら、ちょっとお茶に付き合ってくれない?」
「それ、さっきのナンパ男と同じセリフ」
スティナが指摘すると、女性は笑って「そうね」とうなずいた。
「あなたが借りた本に興味があるの」
「……」
スティナは睨むように女性を見たが、彼女は微笑んでいるだけだ。強い。どこか、エイラに通じるものを感じさせる女性だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ナンパされるスティナ(笑)
考える前に手が出る脳筋タイプの彼女ですが、頭が悪いわけではありません。念のため。
準備をすれば空中戦ができるスティナです。討伐師は国内に200人ちょいいる設定ですが、空中戦ができるのはそのなかでも10人ほどの予定。
『ヴァルプルギスの宴』には、こういったどうでもよい小さな設定がいろいろあります。