楽しい大学生活【5】
来るときはバスで来たが、帰りは地下鉄で戻った。アカデミーの玄関先に行くと、ちょうど子供たちが登校しようと出てくるところだった。
「あ、スティナ姉ちゃん、どこ行ってたんだよ」
「ちょっとな。ミカルはいるか?」
「うん。小さい子の面倒見てる。じゃあ俺、行ってくるから」
「ああ。気を付けてな」
元気に登校して行く初等学校の生徒を見送り、スティナはマリーを連れてアカデミーの中に入った。マリーは首をかしげる。
「別に普通に見えるんだけど……」
「見た目はな。しかし、ここでは日常的に戦闘訓練が行われている」
「……そっか」
さすがにその言葉にはマリーも引いていた。だが事実だ。そもそもアカデミーは討伐師養成学校の名が示す通り、討伐師を育成する機関であるのだから、当然だ。
スティナは今自分が使っている部屋に荷物を取りに行く。マリーも連れてきたのだが、彼女は殺風景なスティナの部屋を見てぽかんとした。
「……何もないのね」
「物があっても邪魔なだけだからな」
討伐師をしていると、殉職した仲間の遺品の整理をすることもある。その時、物が多いと整理するのが大変だな、と思ったのだ。なので、あまりものを持たないようになった。
鞄にテキストを突っ込んでいると、ドアがノックされた。返事を待たずにドアが開く。
「おう、無事に帰ってきたか」
「行って帰ってきただけだからな。つーか、ノックしたなら返事を聞いてから入れ」
入ってきたのはミカルだった。ノックをしたのに返事を待たずに入ってくるのはミカルくらいだ。イデオンやニルスはノックしたら返事を待つし、リーヌスやアニタはそもそもノックをしない。
「いいだろ。着替え中でもないんだからな」
ミカルはドアを閉めると、寄りかかった。腕を組んだミカルを見て、マリーは目をしばたたかせた。
「……スティナのお兄さん?」
「違う。親戚ではあるけど」
スティナとミカルを同時に見た人は、二人を兄弟だと思う確率が高い。もう慣れたけど。一応親戚ではあるし。
「ミカル・ブロームだ。よろしく」
「あ、マリー・ユーンです」
マリーもぺこっと頭を下げる。荷物を作り終えたスティナはマリーを見た。
「どうする? 一応、ミカルが最高責任者だ。彼がいいと言えば大体は通る」
「……うん」
マリーがちょっと悩む様子を見せた。まあ、確かにここにいれば安全だろうが……。
「……シーラにも聞いてみる」
「それがいいだろうな」
スティナも、アカデミーに泊まるのはあまりお勧めしない。長期間いることにはならないと思うが、下手をすると人死にを見る。
「まあ、気が向けばいつでも来てくれ。二人とも、気を付けて行って来いよ」
「ああ……」
「何ならお前も友達の家に泊まってこい」
「あ、それいい」
ミカルの軽口にマリーが期待を込めた目で見つめてくる。それは、先方の状況に寄るだろう。
「だが、行くにしてもその前に本部に寄ってくれ」
「……了解」
泊まりに行こうが行くまいが、仕事はさせられるらしい。大変なのがわかっているから、断れないし。
とりあえず、スティナはマリーと共にアカデミーを出てきた道を戻るように大学に向かった。マリーは電車に乗っている間もきょろきょろと落ち着きなく周囲にびくびくしていたが、スティナはあくびをかみ殺しつつおなじみの仁王立ち。今のところ、変な気配はしないからだ。
大学の最寄駅で下車し、大学に入る。今日の最初の講義はスティナとマリーでは別々だ。スティナが人間発達系の講義、マリーは民俗学に関する講義が入っている。
「講義が終わったら、研究室集合だからね」
「……わかった」
マリーの言葉にスティナは素っ気なくうなずいた。そのまま別れてそれぞれの講義に向かう。
出席日数は微妙なものの、そこそこまじめな学生であるスティナは課題のレポートを提出し、講義を受けてから研究室に向かう。午前中二コマ目の授業はない。
スティナが研究室に行くと、ゼミの女性陣と男子学生二人の計五人がすでに集まっていた。みんな暇である。まあ、年度末で講義数が少ないというのもある。
「あ、スティナ。今ちょうどね、ディーサの家でお泊り会しようって話してて」
「は?」
マリーにいきなりそんなことを言われたスティナは、思い切り怪訝な声をあげた。ディーサが人差し指を立てて解説する。
「まあ、明日だけどね。うちはこの大学からの通学圏内だし、実家だし。今日のところはマリーはシーラの家に泊まるって」
「そうなの。みんなでお泊り会とか、久しぶり」
マリーが嬉しそうに言った。スティナは返答していないのだが、すでに参加することになっていた。
「はーい。それ、俺たちも参加可能?」
「不可能」
調子に乗った男子学生の問いに、ディーサとシーラが異口同音に応えた。その男子学生も言ってみただけなのだろう。すぐに引き下がった。
「……マリーの彼氏はいつ帰ってくるんだ」
スティナが尋ねると、マリーは「三日後よ」と答えた。シーラが笑う。
「スティナ、ラルフに丸投げするつもりでしょ」
「戦闘力的にはスティナの方が頼りになるのにぃ」
と、マリーも自分の恋人を頼ってやらないのだろうか。いや、確かにスティナも武力面ではイデオンに頼らないけど。
「頼りにされても困る。人間相手は対処の仕方がわからん」
何度も言っているが、スティナは手加減が苦手なのである。それに、こういった痴情の縺れみたいなものはよりどうすればいいのかわからない。
「でもお前、護衛にはなるじゃん。四月の『記者の婦女暴行事件』、結構噂になってたぜ」
研究室にいたゼミの男子学生の一人エーギル・グンナションが肘をついてスティナを示しながら言った。赤みがかった茶髪の、少々軽薄そうな青年だ。もう一人、金髪の爽やかな青年が言う。
「顔だけ見てたら護衛だとは思われないしな。だけど、一部の女子学生から『かっこいい』って言われてるのは知っているか?」
その言葉に、スティナは思わず舌打ちした。彼はマグヌス・ヘルクヴィストという。やわらかい顔立ちの青年であるが、言うことは結構鋭い。
ちなみに、『記者の婦女暴行事件』は『ヴァルプルギスの宴』事件後、記者が大学に押しかけてきたときの騒動の通称である。スティナが『婦女暴行犯』とか言ったので、そのままその名で定着してしまったのだ。
まあ、要するにこの二人もスティナがマリーと一緒にいればいいだろうと言うのだ。確かに、ストーカーが相手なら、マリーが彼氏と仲良くしているよりは同性の友達と一緒の方がいいのかもしれない。ストーカーにあったことがないのでわからないが。
「そんなわけで、明日はお泊りの用意をしてきてね」
「……」
ディーサにそう指示を出され、スティナは彼女たちの中で『お泊り会』が決定事項になっていることを悟ったのだった。
△
とりあえずその日のところはスティナは普通に帰宅し、その足で監査室本部に向かった。
四月の頃よりは落ち着いたとはいえ、未だに仕事が立て込んでいるらしい。おそらく、九月になって異動があるまではこのままだろう。
特別監査室も国の行政機関の一つだ。もちろん、異動がある。まあ、監査室、という特殊な仕事はあまり異動はなく、顔ぶれはそう変わらないのだが、稀に出ていく人もいるのだ。
リーヌスはその能力上、監査室からの異動はないだろう。しかし、イデオンはどうだろうか。彼は射撃が得意とはいえ一般監査官だ。異動があるかもしれない。そうなったら、あまり会えなくなってしまう。そう思うくらいにはスティナも乙女だったと言う話だ。
それはともかく、そのイデオンには聞きたいことがあった。もちろん、殴っても過剰防衛にならない法の抜け道のことではない。
「なあ、イデオン」
「ん、どうしたの」
スティナは椅子に座ったまま上半身をひねり後ろに座っているイデオンを振り返る。上半身をひねったまま背もたれに腕をついたスティナに対し、笑顔で応対したイデオンは椅子をまわして体を半分スティナの方に向けた。
「ストーカーって訴えられるのか?」
「え……っと、うん。状況にもよるかな」
いきなり変なことを聞かれても、イデオンはまじめに答えた。
「証拠があれば警察署に提出して刑事訴訟になるし、場合によっては民事訴訟を起こすことだってできるよ。たいていはプライバシーの侵害とか、名誉棄損とかで訴えるんだけど……まあ、もともとストーカーって立証が難しいんだよね。だから、民事訴訟の場合は証拠不十分で敗訴することが多いかな」
「……なるほど」
つまり、証拠をつかめばいいと言うことか。
「よほど悪質ならともかく、ただの付きまといとかなら警察にも相手にされないかもね。一応、ストーカーも親告罪だけど、明確にストーキングしていると判断できなきゃ、警察も動いてくれない」
イデオンがはっきりと言い切った。まあ、警察が動いたところでストーカーがあきらめるとも思えないが。
「ストーカー行為を受けている場合は、いつ、どんなことがあったか詳細に記録しておくといいよ。レコーダーとか写真も撮れるなら撮っておいた方がいいね。万が一認証沙汰になっても、裁判で有利になるから」
「……別に私がストーカー行為を受けているわけではない」
何やら誤解が生じているような気がしたのでスティナはそう言っておいた。だが、イデオンは「だろうね」と笑顔でのたまった。
「スティナちゃん、ストーカーされてても気づかなさそうだし」
「……お前、さりげなく失礼だよな?」
一瞬殴ろうかと思ったが、知恵を拝借したのでやめておいた。イデオンは相変わらずへらりと笑い、「スティナちゃん、メンタル強いもんね」とか言っている。お前も十分強い。鋼の心だ。
「ストーカーされてる友達に泣きつかれたんでしょ」
「……」
泣きつかれてはいないが、大きくは違わないので沈黙を持って返した。イデオンは「やっぱりね」と微笑んだ。スティナが昨夜、ストーカーに合っていると言うゼミ仲間のアパートに行ったことをミカルから聞いているのだろうが、イデオンの言葉はスティナの性格を良く表していると思う。つんけんして見えてお人よしなのだ、彼女は。
「君が優しいのは知ってるけど、やり過ぎちゃだめだよ。危ないからね」
「……わかった」
素直に心配してくれているのか、スティナがやり過ぎることを心配しているのか微妙に判断に困る言葉であったが、一応返答はしておいた。
ちなみに、このやり取りは監査室本部の執務室で行われたため、監査官やたまたまいた討伐師たちに「このバカップルめ」と思われていたと言うことを、微妙に鈍感なこの二人は気づかなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
イデオンが三週間ぶりくらいに出てきました。相変わらずぽわんとしていますが、彼も成長しております。




