北の大地【11】
ヴァルプルギスを貫いた体勢のまま落下したスティナは、地面に激突してからやっと剣を引き抜いた。彼女のコートの裾が燃えている。その瞬間、彼女は上から大量の水をぶっかけられた。見ると、フリュデン支部の監査官とリーヌスが防火用のバケツに入った水をスティナとヴァルプルギスにぶっかけたのだ。二人とも、燃えていたので。
「無事だな。さすがだ」
「いや、今回は援護が良かった。助かった」
途中から、リーヌスではなくイデオンに向けられた言葉になった。イデオンは首を左右に振る。
「もしかしたら君にあたっていたかもしれないんだよ」
「当たらなかったから問題ない」
そう言ってスティナはヴァルプルギスの上から降りた。水が滴るコートを脱ごうとしたその時、ヴァルプルギスも身を起こした。
「っ!」
スティナが振り返りざまにヴァルプルギスの首を落とした。見事な早業であった。見なれているイデオンでもかなりショッキングな光景だったので、見ていた一般人たちは悲鳴を上げることとなった。
スティナは怯える市民を見て一瞬顔をしかめたが、すぐに無表情に戻った。
「ホテルが火事になったのもこいつのせいか」
「たぶんな。つーか、お前、寝てろよ」
負傷した腹をかばいながら、ミカルがスティナに話しかけていた。彼女は重いコートを手に持ち、もう片方の手に持った抜身の剣を肩に乗せた。
「火元は二十階あたりだろ。その辺で、会議を襲撃したやつらを拘束していたはずだ。……もしかしたら、その中の一人が本当にヴァルプルギスだったのかもしれない」
スティナが思慮深げな表情で言った。何度も言っているが、脳筋扱いされる彼女であるが、頭が悪いわけではない。
「……私たちの見込みが甘かったと言うことか……せめてもう一人、ニルスあたりを連れてくるべきだったな」
「慢性的に人手不足なんだ。仕方がないだろう」
スティナがそう言ってため息をついた。ミカルがその濡れた頭を乱暴になでる。
「お前、顔にやけどがあるぞ。治療してもらえ」
痕が残るぞ、とミカルは気にするが、スティナは「別にかまわん」と相変わらずの男気を見せている。いや、これは男気なのか?
「ほら。イデオン、こいつを医者の所に連れて行ってくれ」
「あ、はい」
何となく追い払われた感があるが、イデオンはとりあえずスティナの手から剣をもぎ取った。
「ミカルさん、これどうします? というか、鞘は?」
「その辺に落ちてるだろ」
ざっくりしているスティナがざっくりと答えた。彼女はずっと『スノー・エルフィン』を腰に下げていたはずだが、いつの間にか鞘が無くなっていた。
「私が預かろう。ほら、二人とも行け」
ミカルが剣を預かり、仕草でさっさと行け、という。スティナが通るとみんなびくっとして、話しかけられることはなかった。
表情が変わらないので気にしていないようにも見えるスティナだが、実は彼女が気にしていると言うことはわかる。彼女は、普通の生活にあこがれる普通の女性でもあるのだ。
「ねえスティナちゃん」
「何」
いつも通り、短くスティナが問うた。イデオンはスティナの目をまっすぐに見て言った。
「ありがとう」
その一言を言うと、スティナはまっすぐにイデオンの目を見つめてきた。その夕闇色の瞳をきれいだな、とイデオンは思った。
△
「私は」
治療を受けたスティナは、軽度のやけどを負った頬をガーゼで覆っていた。服がぬれているので毛布を羽織り、縁石に腰かけていた。イデオンはその隣に足を延ばして座っていて。スティナの声に彼女の方を見た。
「時々、生きていていいのだろうか、と、思う」
「……」
何となく口を挟まない方が良い気がして、イデオンは黙ったまま彼女の話を聞いていた。少し膝を曲げて膝に頬杖をつく。
「ヴァルプルギスは人を食らうけど、討伐されるまではただの人間なんだ。私たちが討伐しているのはヴァルプルギスだけど、彼らにとっては人殺しにすぎない。こういう場にいると、思い知る」
自分が異質なのだと。……実質、人殺しなのだと。
「人を殺せと言われても、私はたぶん、ためらわない。きっと、あのときだって、ヴィーを殺せた。殺すつもりだった。できたはずだ。世間にとって、私は危険人物だ」
だから、いなくなった方が、死んだ方がいいのではないかと思うこともある。
かつて、それほど遠くない過去、ヴァルプルギスと戦って殉職しなかった討伐師は責められたと言う。生きたまま五十歳の定年を迎えると、お前は討伐師の役目をはたしていない、とすら言われたらしい。過去のことなので、イデオンにはよくわからないが。
おそらく、スティナの言いたいことはこれとは少し違うだろう。妙に自虐的であるが、世間になじめない自分は、存在しない方がいいのではないか、と言うことだ。いつか本当に人を殺してしまうかもしれないと、彼女は恐れている。
だが、彼女はわかっている。この状況で彼女がいなくなれば、討伐師は戦力不足でヴァルプルギスに対抗できなくなる。今だって、危うい均衡の上に監査室は成り立っているのだ。
討伐師は、恐れられる。彼女らは、英雄ではない。
「……君が、僕と初めてヴァルプルギスの討伐に行ったときのこと覚えてる? ミルド孤児院のこと」
ずいぶん長い沈黙のあと、イデオンがそう尋ねるとスティナは小さくうなずいた。まだ一年もたっていない話なのに、ずいぶん昔に思えるから不思議だ。
「あの時、リーヌスさんに言われたんだ。僕たちの仕事は、君のような力があると言うだけで戦わされている人に、『殺せ』と命じることだって」
討伐師には、ヴァルプルギスを討つ義務がある。そして、そのヴァルプルギスを見つけてくるのは、監査官だ。まあ、犯罪に当てはめるなら、監査官は殺人教唆になるだろうか。
「だから、うーん……なんていえばいいんだろう」
軽々しく気持ちがわかる、とかは言えない。イデオンもヴァルプルギスに銃を向けるが、彼にはヴァルプルギスを殺せない。殺せるスティナの気持ちはわからない。
「……スティナちゃんはさ。すべての人から好かれたいの?」
「は?」
イデオンの言葉に、スティナは眉をひそめた。ここでぽかんとしない辺りがスティナである。
「……別にそう言うのではないけど」
スティナの返答を聞き、イデオンは「そっか」と微笑む。
「いや、スティナちゃんの感情だからさ。僕が何を言っても仕方がないんだけど。スティナちゃん、あんまり自分の感情を表さないから、こうして話すだけでもいくらか気晴らしになるんじゃないかと」
「……まあ、お前と話していると悩んでいるのが馬鹿らしくはなってくる」
「それ、僕が能天気っぽいってこと?」
でもまあ否定できないかもしれないな、とイデオンは思った。スティナたちに比べると、自分は緊張感が足りないかもしれない。相変わらずさらっと毒舌なスティナは、「わかってるじゃないか」とやっぱりさらりと言ってのけた。
うん。だいぶ調子が出てきた様子。スティナはこうでないと。
調子が戻ってきたスティナにほっとしていると、イデオンの肩にスティナが自分の額をくっつけた。服をぎゅっとつかまれた。何だろう。可愛い。
「……ありがと」
小さくつぶやかれた言葉に、イデオンは猛烈に今スティナがどんな表情をしているのか気になったが、見るのは我慢した。
△
結局、会議は中断されることとなった。襲撃を受けるわ、ホテルは火事になるわでこれ以上続けられるはずがない。それに、会議参加者であった特別監査室長のポールが亡くなっている。
数日後、ポールの葬式に参列していたイデオンは、何故かそこでフリュデンでの事件の調査結果を聞くことになった。
「結論から言うと、ほとんど何もわからなかった」
「駄目じゃんか」
調査を行ったのはミカルだ。腹に穴の開いた彼だが、翌日にはけろりとしていた。まあ、治癒術師が治療を行ったからでもあるが、驚くべき回復力ではある。ちなみに、突っ込んだのはリーヌスだ。
「ヴィーは『実験が成功すれば、討伐師の負担が減る』と言われて参加していたようね。あの子の能力には、人間やヴァルプルギスを操る力もあるから」
そう言ったのはエイラだ。喪服に身を包み、黒いヴェールで顔を隠している彼女は未亡人にも見える。彼女は未婚だし、失礼だから言わないけど。
「実際のところは何をたくらんでいたのかは不明だな。黒幕もわかっていないし。ポールも、捕まえた変化人間も死んでしまったからな……」
と、ミカルは式場の方を見て目を細める。一行は式場となっている教会から出て、木の影のベンチのあたりに集まっていた。
ホテルで起きた火災だが、出火元はスティナが倒した発火するヴァルプルギスであるとわかっている。他に火元と思われるものが見つからなかったのだ。発火した辺りがちょうど会議を襲撃した変化人間を捕らえていた部屋で、三人とも亡くなっているのが確認されている。監査官にも一人、被害者が出ており、彼の葬儀も終わったところだ。
さらに、スティナが廊下で捕らえたうろこのような肌をしたものと、羽毛のような肌をした者も、フリュデン支部に捕らえていたのだが翌日、殺されているのが発見された。彼らは再生能力は高いが、人間なので討伐師でないと殺せない、と言うことはない。
要するに手がかりはないし、まだ監査室内部に裏切り者がいると言うことだ。さらに責任者であるポールがいなくなってしまったので、混乱中。今、補佐官のエイラが室長代理を務めている状態で、いつもいつの間にかいなくなる討伐師総帥マテウスを最北の地から呼び戻しているところだ。
「それに、スティナがどうして狙われたかだってわかってないしな」
ミカルはそう言ってエイラと同じく喪服に身を包んだスティナを見た。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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