特別監査室【3】
ミルド孤児院は、三年前、実際の子供の人数と書類上の子供の人数が合わないことで監査が入った。特別監査室の監査は特殊で、本当にただの監査を入れることもあるが、人を食らうと言うヴァルプルギスが潜んでいないかの監査を行うものだ。
そして、ミルド孤児院には高確率でヴァルプルギスがいる、という結論に居たり、当時、討伐師だったエイラが監査官と共に討伐に赴いたらしい。
だが、結果はこの通りだ。エイラは重傷を負い、戦えない体になった。ともについて行った監査官も一人は亡くなり、もう一人は片腕を失ったのだと言う。
監査官、とは言っているが、その本業は戦闘員に近い。もちろん、討伐師が主戦力であり、監査官はその補助戦力であるが。そのために、特別監査室の監査官には、一定の頭脳と一定の戦闘力が求められる。
話を戻す。ミルド孤児院だ。
結局のところ、人数が合わなかった子供たちは、施設内にいるヴァルプルギスに殺されてしまったのだろう、と監査室は考えている。『いなくなった』子供の人数が多いために、すでに存在しない子供を里子に出した、とも報告していたことがわかっている。
「ここに証拠があるでしょう! って訴えに行ったのよね」
エイラが三年前のことを思い出しながら言った。ようするに、彼女は尋問に向かったのだろう。だが、もちろん、証拠を突きつけてもうなずくような相手ではない。
「そこから争いになってね。施設内だから、あまり暴れられなくて」
何かとんでもないことを言われたような気がしたが、とりあえず気にしないでおこう。
「でも、手ごわいのは事実。スティナ、遠慮は不要よ」
「了解」
話を聞いたスティナが間髪入れずにはっきりと答える。イデオンとリーヌスも含む四人は、武器庫を出て執務室に向かっていた。相変わらず、エイラの車いすはスティナが押していた。
「で? エイラ。ヴァルプルギスは誰だ?」
リーヌスが口をはさんだ。確かに、敵がわかっていた方がやりやすい。
「ダーグ・ブラントよ。今は施設長だったかしらね。当時は事務長だったけど」
イデオンはその名を聞いて、優しそうな施設長を思い出した。あの人がヴァルプルギスだと言うのだろうか。信じられない。しかし、スティナも可憐な美女でありながら討伐師であるので、そう言うものなのかもしれない。
「スティナ、でもいいこと。無理だと思ったらすぐに引くのよ。いいわね」
「それは確約しかねる」
さらっと引かないと言ってのけたスティナに、エイラとリーヌスはため息をついた。
「本当に頑固なのよね……」
エイラがあきらめたように言った。
△
終業後、イデオンはレストランにいた。レストランと言っても格式ばったところではなく、どちらかと言うと大衆食堂に近い。周囲からは話し声や酔っぱらった人間の笑い声などが聞こえる。
「ショットブラール、ファルーコルヴにコルヴストロガノフとパンカーコーとアートソッパ」
スティナが次々と料理を注文していく。店員も驚いた表情をしているが、イデオンも驚いた。
「スティナちゃん……どれだけ食べるの」
だが、イデオンのつぶやきは無視された。リーヌスもまるっと無視し、スティナの方に言った。
「スティナ、デザートはいいのか?」
「食べる。オストカーカとアップルパイ」
「……」
イデオンは唖然とした。一人で、本当にそんなに食べるつもりなのだろうか。
「イデオン、お前も何か頼んどけ」
リーヌスに言われて、イデオンはあわてて料理名を告げる。スティナが頼んだものとかぶっているかもしれないが、この際気にしない。リーヌスの注文も聞いて、店員は引っ込んでいった。
「というか、何故僕たちはレストランに?」
「夕食のためだろ」
ツッコミを入れつつ、リーヌスは先に届いたビールをあおる。イデオンの前にもビールがある。彼は車を運転していたが、あれはいわゆる公用車なのだ。イデオン自身はバス通勤である。
「確かに、そうなんですけど……僕まで呼ばれた意味が分からないと言うか」
イデオンはそう言ってちらっとスティナを見る。彼女は現在、十九歳らしい。この国では十八歳から弱い酒は飲むことができる。だが、彼女はリンゴンドリッカを飲んでいる。リンゴンドリッカはリンゴンベリー(こけもも)のジュースだ。少し酸味のあるおいしいジュースである。
「お前も監査官になったなら、いつかスティナと関わらなければならないからな。先になれておけ」
「人を珍獣みたいに言うな」
スティナがリーヌスの発言にツッコミを入れたところに、料理がやってきた。最初に来たのはファルーコルヴだ。大きなソーセージのことである。
「お先にどうぞ」
リーヌスがそう言って勧めると、スティナは「遠慮なく」と本当に遠慮なくかぶりつき始めた。食べる所作はきれいなのに、異様に食べるのが早い。
彼女がファルーコルヴを食べている間に、他の料理も来た。イデオンはカロープスと呼ばれるシチューを食べ始める。他にパンなども出されている。リーヌスはコールドルマというロールキャベツを食べていた。
その間に、スティナはファルーコルヴを食べ終え、コルヴストロガノフに差し掛かっていた。こちらもソーセージであるが、これはソース煮になる。こちらも勢いよく食べていた。
ほかの料理、ショットブラールはミートボールだ。リンゴンジャムやソース、マッシュポテトなどがつけられており、それらと共に食べる。パンカーコーは小さなパンケーキだ。複数枚つけられており、場合によるが、アートソッパ……つまり、えんどう豆のスープと共に食べることが多いだろうか。
男性陣より少し時間をかけて、というか、量からしたらかなり早いのだが、スティナはすべての料理を食べ終えた。
「……あの体のどこに、あれだけの量が……」
スティナはどちらかと言うと細身に見える。いったい、あれだけの食事がどこに消えて行ったのだろうか……。
「深く考えるな。あいつは昔から大食漢だが、太らない。食べるわりには背も伸びなかったな」
「うるさい」
デザートのオストカーカをほおばっていたスティナがリーヌスの言葉にツッコミを入れた。オストカーカはチーズケーキの意味であるが、通常、チーズケーキと言われるものとオストカーカでは異なる。
オストカーカは温かいままで提供し、ジャムやホイップクリーム、もしくは果物やアイスクリームを添えて食べるものだ。ほのかなビターアーモンドの味がおいしい。ちなみに、イデオンも同じものを食べていて、イデオンはアイスクリームを添えているが、スティナはジャムとホイップクリームを添えていた。彼女はさらにアップルパイも食べるつもりのようだ。
「付き合いも長くなるだろうから、慣れておけよ」
「どういう意味だ」
スティナがアップルパイに取り掛かりながら言った。というか、まだ食べるのか!
「それより、こんなにのんびりしていていいのですか?」
「何がだ?」
イデオンの問いに、リーヌスが首をかしげる。イデオンも首をかしげた。
「その……ヴァルプルギスは?」
討伐に行くのではなかったのだろうか。そう思って尋ねたのだが、リーヌスにはあっさり否定された。
「そんなに簡単に行くか。まず、相手がヴァルプルギスだとわかっていても、証拠がなければただの暗殺だろ」
「やって来いっていうならやるけど」
さらりと発言するスティナが怖い。
「本当にできそうだからやるな、お前は。で、ちゃんと証拠固めしてから行かないとだめなわけだ」
と、イデオンはリーヌスにティースプーンを向けられた。とりあえずうなずく。
「わかりました……でも、ならなぜ武器を?」
まだ討伐に行かないのなら、わざわざ武器を準備する必要はなかったのではないだろうか。
「いや、たまに、疑われてると感じたヴァルプルギスの方から襲撃があったりするんだよな。その時に武器を持ってなかったら対応できん」
それは確かに。だが、ひとつ言わせてもらう。
「僕が借りてきたの、ライフルなんですが……」
通常、ライフルは持ち歩き出来ない。一応、拳銃も借りてはいるのだが……。
「それは車に積んどけ。しばらくはスティナと一緒だし、まあ、大丈夫だろ」
心配すんな、とリーヌスは言うが、それはそれで不安である気がするのはイデオンだけだろうか……。
支払いの段階になって少し揉めた。イデオンが半分出す、と言ったのだが、リーヌスは自分が全額払う、と言ったのだ。だが、それは悪い気がする。
「せめて、自分の分くらいは……」
「お前が食った分なんて、スティナが食った分に比べたら微々たるもんだろ」
大して変わらん、とリーヌスが言ってのけた。そこに、スティナが口をはさむ。
「じゃあ、間を取って私が出すか?」
と彼女が財布を取り出す。年下の、しかも女性にお金を出させるわけにはいかない。
「いや、それはちょっと!」
「じゃあ、あんたも私と一緒にありがたくリーヌスのごちそうになっておけ」
さくっとスティナが丸く収めた。イデオンはリーヌスに向かって「ごちそう様です」と頭を下げた。リーヌスは「ああ」とうなずき、さくっと会計を終えて戻ってきた。
「行くぞ」
「はい。……あ、スティナちゃん、送って行った方がいい?」
イデオンはふと思って尋ねた。いくら彼女が強かろうが、見た目はただの美女だ。夜の一人歩きは危なかろうと思って申し出たのだが、彼女は「いい」と素っ気なく断った。
「こいつは俺と同じで官舎に住んでるからな。俺が送って行く」
「か、重ね重ねすみません」
「気にするほどじゃないだろ。明日から忙しいからな。体調管理はしっかりな」
「はい!」
イデオンは勢いよくうなずいた。そんな彼を、スティナが冷めた目で見ていた……。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
スティナは大食漢。食べたもののほとんどはエネルギーとして消費されていると思われます。