ルシアの祈り【1】
第3章です。
年が明け、しばらくたったころ。イデオンの向かい側のデスクにいるリーヌスが、先輩監査官に声をかけられていた。
「なあ、リーヌス。スティナを知らないか?」
リーヌスは読んでいた広報誌から目をあげて言った。
「この時間なら、まだ大学では? 電話かメールを入れておけば、あとで折り返してきますよ」
あいつ、結構律儀だから、とリーヌス。まあ、確かにその通りかもしれない。だが、先輩監査官は首を左右に振る。
「いや、昼前からメール入れてるんだけど、返信がないんだよな」
イデオンは思わず時計を見た。時間は、午後二時。すでに外は暗くなり始めている時間である。その先輩監査官は三時間以上返信を待ち続けているらしい。
「どこかにヴァルプルギスが出たんですか?」
「いんや、確認に行く。あいつ、結構勘がいいからついてきてほしかったんだが……お」
しゃべっている間にメールが入ってきたようだ。その内容を読んで、その監査官は「マジかぁ!」と叫んだ。ああ、みんなの注目を集めている。
「どうしたんですか」
代表してイデオンが尋ねると、彼はメール文をこちらに見せてきた。イデオンは目を眇めてその文を読む。
「……たぶん、風邪ひいたんですかね」
「ああ。読めんな」
後ろから覗き込んだリーヌスもうなずいた。そう。読めないのだ。綴りが間違っているし、文章がおかしい。たぶん、熱が出て動けない、的なことが書いてあるのだと思う。熱でもうろうとしながら打ったからだろうか。間違っている。
「ついにスティナがぶっ倒れたかぁ。代わりに……この時間ならニルスとアニタは学校だし」
「私が行きましょうか」
ニコニコと話しかけてきたのはエイラだった。いや、そんなわけにはいかないだろう。
「まあ冗談よ。リーヌス、ちょっとスティナの様子を見に行ってあげてくれる?」
「了解。イデオン、行くぞ」
「え、僕もですか」
エイラに指示されたリーヌスがイデオンを呼びつける。イデオンは戸惑いならも彼について行く。「いってらっしゃーい」と手を振るエイラの隣で、監査官の男性が「どうしようかなぁ」とまだ悩んでいる。全員に会ったことはないが、討伐師は総勢でも二百人弱らしい。しかも、訓練中の候補生を含めて、だ。なので、慢性的に人材不足なのである。
本部から官舎はそんなに距離がないので、二人は歩いてスティナが住む集合住宅に向かった。ちなみに、リーヌスもここで暮らしている。家族は首都にいるらしいが、郊外方面に住んでいるらしい。
途中の途中のスーパーで病人が食べられそうなものを買っておく。薬局で風邪薬も調達した。
「言ってはなんですけど、スティナちゃんって風邪ひくんですね」
「珍しくはあるが、あいつも一応人間だしな。最近、連戦だったし、仕方ないかもなぁ」
「リーヌスさんも結構ひどいですよね」
歩きで来たのは失敗だったかもしれない。それなりに天気はいいのだが、寒い。いや、この国はもともと冬が長く、寒いのだが。緯度の割に温かいのは、海流の影響だ。
スティナは官営集合住宅の七階に住んでいるらしい。ちなみに、集合住宅は十五階建てらしい。
「ちなみに、リーヌスさんは何階に住んでるんですか」
参考までに聞いてみると、「十二階だ」と返答があった。さらに五階上に住んでいるらしい。
リーヌスが同じ集合住宅に住んでいるのでオートロックは普通に通過できた。スティナの部屋の鍵は管理人からマスターキーを借りた。
「っていうか、よく考えなくても妙齢の女性の部屋に男二人が押し入るってどうなんですかね」
イデオンが今更過ぎる常識的なツッコミをすると、リーヌスは「別にいいんじゃないか」とさらっと言った。
「あいつ、一回行き倒れたことあるからな。体調悪くても言わねぇし。根性があるとか、我慢強いっていうレベルを越えてる。早急に状態を確認しないと」
「そこまでですか!?」
イデオンがつっこんだ時、ポーンとエレベーターが七階についた音がした。二人ともエレベーターから降りる。何度か来たことがあるのか、リーヌスが迷わずスティナの部屋の鍵を開けた。
「おーい、スティナ。生きてるかー?」
リーヌスがそんな失礼なことを言いながら遠慮なく部屋の中に入った。官営集合住宅の部屋は結構広い。リビングと寝室に分かれているようで、スティナは寝室のベッドで寝ていた。ソファで行き倒れていなくてほっとする。
妙齢の女性の部屋とは思えない簡素な部屋だった。必要最低限のものしかない感じだ。一応、人が生活するに困らないくらいの家具はあるが、それだけだ。デスクには参考書とノートパソコンが置かれている。大学で使うものだろう。
「大丈夫か、スティナ」
リーヌスが寝室の中に入りながら言った。スティナからの返事はない。買ったものを持っていたイデオンは、ひょこっと顔だけのぞかせた。
「おい、起きてるならなんか合図を送れ」
「……うるさい」
戦闘中の問いかけのようなリーヌスの言葉に、スティナが短くそう返した。どうやら起きているようだ。リーヌスがスティナの額に手を当てて「熱いな。熱計ったか」と尋ねている。
「お前、救急箱どこ?」
その問いに、スティナは「本棚の一番上」と答えた。イデオンは持っていた荷物をキッチンに置き、本棚を見に行った。確かに、一番上の段に救急箱が置いてあって、そこから体温計を探し出した。
「リーヌスさん」
「お、悪いな」
リーヌスはイデオンから体温計を受け取ると、勝手にスティナの熱を計りだした。いつもなら暴言が飛んでくるだろうが、今日はぐったりしていて見ている方がつらい。白い肌も赤くほてっており、かなり熱が高いのではないだろうか。
「氷嚢、作りますね」
イデオンが言うと、リーヌスは眉をひそめた。
「このうち、氷あるのか?」
「……ない」
「じゃあ、雪つめます」
「なるほど」
まあ、スティナの部屋に限らず、この時期に氷を常備している家は少ないだろう。イデオンは一度外に出て、雪を氷嚢に詰めて戻ってきた。勝手に氷を作るように冷凍庫をセットした。
「氷嚢です。スティナちゃん、どうでした?」
イデオンが外に行っている間に寝てしまったらしく、スティナは目を閉じていた。リーヌスがスティナの頭に氷嚢を当てながら言った。
「熱、三十九度四分だぜ。俺がびっくりしたよ」
「それは僕もびっくりですね」
それは動けないわ。納得である。
「食欲もないって言ってたなぁ」
「でも、なんか作っときましょうか」
果物とか、オートミールとか。さすがに何か食べなくてはまずいだろう。スティナは一応自分で料理をすると言っていたので一通りの調理器具はそろっている。だが、冷蔵庫の中身は空っぽだった。リーヌスではないが、本当に彼女は家の中で行き倒れていたかもしれないと思った。
かぼちゃがあったので、予定変更でかぼちゃのポタージュを作っていると、リーヌスが寝室から出てきた。
「すまん。呼び出された。もう少ししたら医者が来るから、お前、スティナを見ててくれるか」
「……いや、僕的にはいいですけど、妹のようにかわいがっている女性を若い男と二人っきりにするのはいいんですか」
「お前、病人に何かできるか?」
リーヌスの返しに、イデオンはおたまでポタージュをぐるぐるかき混ぜながら首を左右に振った。リーヌスは「だろ?」と笑う。
「それに、いくら熱があっても、確実にスティナはお前より強いしな」
「……まあ、否定できないですよね」
現在の討伐師の中で、五指には入ると言う実力者であるスティナだ。精神力と戦闘力は折り紙つき。イデオンに何とかできるはずがない。
「納得できたなら、頼んだ」
「……わかりました」
何となく釈然としないが、イデオンはリーヌスを見送った。
ポタージュが出来上がったので、今度は果物をむく。すると、寝室の方から物音が聞こえた。イデオンは庖丁を置いてスティナの様子を見に行く。
「わわっ。落ちるよ」
目を覚ましたスティナが、サイドテーブルにあったペットボトルの水をとろうとしてベッドから落ちかけていた。危ない。とりあえずスティナをベッドの上に戻す。ついでにペットボトルのふたを開けて水を差し出した。腕に力が入らないようなので、口元に当ててやる。
少し水を嚥下したスティナは、うるんだ目でイデオンを見た。
「……なんでいんの……」
熱があっても、スティナはスティナだった。いつもより言葉に力が無く、声もかすれている。イデオンはあいまいに笑った。
「エイラさんに様子を見てくるように言われたんだ。さっきまでリーヌスさんもいたけど、呼び出しされちゃったんだ」
いつもよりゆっくりと言葉を発すると、スティナは「そう」と言って目を閉じた。彼女が寝てしまう前に、イデオンは声をかけた。
「スティナちゃん。何か食べる?」
「……いらない」
いつものスティナの大食漢ぶりを知っているので、そう言われると不安になってくる。
「リンゴとかあるよ。あと、カボチャのポタージュもあるけど」
リンゴは買ってきたものだが、カボチャはこの家にあったものだ。スティナならたぶん、怒らないだろう。たぶん。
「……あんたが作ったの……」
「まあね」
イデオンはそう言って立ち上がる。
「何も食べないのも良くないから、リンゴ持ってくるからね」
「……」
返事はなかったが、イデオンは剥いておいたリンゴをベッドサイドに置いた。
「一切れくらい食べたほうがいいよ。あと、もうすぐ医者が来るって」
言われたとおりリンゴをかじっていたスティナが動きを止めた。ゆっくりと口の中のものを咀嚼して、それから尋ねた。
「医者って、誰が来るの……」
「え? 聞いてないけど……リーヌスさんが呼んだみたい」
そう言えば、聞いてなかった。往診に来てくれるような医者だから、たぶん、監査室付きの医師だとは思うのだが。
そこにチャイムが鳴った。あ、スティナがびくっとした。医者が怖いのだろうか。よくお世話になっているのに。
「たぶん、往診の医者だね。ちょっと行ってくるから、今持ってるぶんのリンゴは食べちゃってね」
びくついたスティナを見なかったことにし、何事もなかったかのようにイデオンは玄関に向かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
眠かったりすると、メールの文字のうち間違いが多いですよね……。あとから見返すと、何を言いたいのかわからない(笑)




