人魚姫の泡
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読んでいただき、ありがとうございます。
一、
夜の、低い石造りの船着き場。
私は船着き場のすぐ近くの海で泳いで、時間を潰す。
地上の人間と半分から上は同じ。
だけど、半分から下は、海のお友達と同じ鱗の付いた、綺麗な尾ひれのついた尻尾になっている。
地上の人間たちは、私たちを、人魚と呼ぶらしい。
自慢の水色の長い髪に、ヒトデさんに手伝ってもらって作った、星型の黄色い髪飾りを付ける。水面に映る私の肌は、月明かりに照らされているからか白い。
いや、ちょっとだけ赤いか。
人魚と呼ばれる私は、いつも、夜に地上の人を待っていた。
今日も、私はあの人とお話をする。
たわいもない、ただの雑談。
でも、私はそれだけでも幸せだった。唯一地上の人と話せる時間だから。
あ、来た!
「こんにちは……であってるのよね?」
私は、船着き場に屈む男の人に、地上の挨拶の確認をする。
彼は微笑むと、私の頭の上に手を載せた。
温かくて、大きな手。
「こんにちは、の挨拶は合ってるけど今の時間は、こんばんは、なんだよ」
「私に嘘をついたのね。許せない」
私はそう言って、海の水を彼にかける。
彼は腕で顔を防ぐようにして、私がかける水を回避する。
次こそは当ててやる。
私がプクっと頬を膨らませると、彼は微笑んだまま謝ってくる。
「ごめんね。教えてなかったのは俺だもんね。今度から、先に言っておくよ」
「まったくよーーそれより、ねえねえ。今日はどんな話をしてくれるの?」
私は身を乗り出して、彼に近づく。地上では、こんな私の状態を、興味津々、というらしい。
彼は、うーん、と困った顔をしてから、今度は、よし!、と声を上げた。
何が良いんだろ?
「今日は地上の、桜の話をしよう」
「さ、くら? 地上のお酒とかを入れるお蔵のこと?」
「違う違う! 綺麗な地上の木さ。ピンク色の花びらをつけるんだ」
ピンク色の花びら? 珊瑚ぐらいでしか、ピンク色のものは見たことない。
そもそも木は、花をつけるものなのかな。
「木って、葉っぱと実というものしかつけないって、この前聞いたけど?」
「そ、それは……」
「あ、また嘘ついた」
私は目を細めて、困る彼の表情を内心で笑う。
彼は手をせわしく動かして、私から顔をそらす。
えへへ、困ってる困ってる。
「ち、違っーーと、とにかく、今度持ってきてあげるよ」
「あー、話そらした」
「あのなあ……ゴホン。何にしてもだ。今度見せてあげようか?」
「…………ふふ、うん! ちゃんと持ってきてよね」
私は彼の笑顔につられて、つい笑ってしまった。
こういうの、不覚、て言うんだけっけ?
彼は私の言葉に、コクコクと頷く。
「もちろんだ。再来週には持ってくるよ」
「やったー! 約束ね」
私は彼から習った地上の風習、指切り、をするため、右手の小指を彼に出す。
彼も分かってくれたみたいで、右手の小指を、私の右手の小指に絡めた。
「ゆーびきーりげーんまーん、嘘ついたら針千本のーます、ゆーび切った♪ はい、約束だよ」
「ははは、分かってるって」
彼は優しく、もう一度頭を撫でる。子供扱いされてむっとしながらも、私は受け入れる。
それから私たちは、時という波に流されるままに話し合った。
たくさん、たくさん話した。
私の身の回りのこと。
彼の地上の草木や、珍しい動物についての話。
話が一段落ついてから、彼は腕に付けてある円盤状のものを見た。
碓かあれは……腕時計だ。
「そろそろ時間だ。またな」
彼は言うと、振り返って船着き場に沿って歩いていった。
歩く、か。いいな。
私もあなたの隣を歩いて、もっともっとお話して、もっともっとーー。
ダメダメ。
今日はもう終わりなんだから。
私は、海に戻っていく。
夜はまだ、海を彩っている。星と月の光を届けて。
二、
今日は浅い方に棲むお魚さんたちにお話しするため、私は日が高い時間に水面近くに来ていた。
まだ時間前か。
私は出来心で船着き場近くのーーいつもの場所に行ってみた。
彼は漁師だから、今はいないかも。
「ーーあれ? あれって……あの人だ」
私は水面から彼を発見。
漁師のお仕事は終わったんだーーあれ?
よく見ると、彼はさっきから横を見ている。
「何か気になるものでもあるのかな?」
私は少しずつ移動しながら、彼の隣を見ようとする。
そしてすぐに、あっ、と声を漏らした。
地上でこれを、後悔というのを聞いたことがある。
彼の隣にはーー彼と同じ、地上に住む女の人がいた。
聞かなくても、言われなくても、分かる。
分かっちゃうよ。
私は水の中に潜る。
そっか、そうだよね。それもそうだ。
私は自分で解決して、水の中に潜る、潜るーー。
「お魚さんたちとお話したら、帰らなくちゃ。帰って、帰って、かえ、てーー」
泡が上っていくのが横目で見える。
楽しそうに話さないでよ。
息が、詰まるよ。
泡は上っていく。
呼吸か、涙か分からない泡が、水面へとひたすらにーー。
今日は地上には出ない。
そうしないと、私が壊れちゃう。心が、彼への想いが。
だから、今日はダメなの。
私は、寝床にしていた沈没船の中で目を閉じる。
遠い後ろ姿が、瞼の裏に浮かぶ。
振り払わないと。でないと、心が溺れちゃう。
深い海だから。あの人のいない、深い海なのだから。
三、
彼に会わないまま、明日を迎えた。深海にも、少しの陽の光が差し込むから分かった。
気持ちの整理が少しはついた、と思う。
整理がついたなら、言わないと。
私から、言わないと。
あの人は、優しいから。
泣いてはダメだ。
泣いたらあの人を不安にさせてしまう。
あなたに出会えたから、こんなにも幸せだったことを。
あなたに甘えなくても、私は生きていけることを。
あなたに出会えてなかったら、私は嬉しさを感じることができなかったことを。
あなたに甘えていたら、私はあなたから永遠に離れられないから、ということを。
「今日で、終わりになるんだから、泣いたらダメだよ、私!」
私は自分に言い聞かせて、両方の頬を叩いた。
痛い。でも、ちょっと、かな。
帰ったらお母さんに全部話さないと。じゃないと、私は弱いからまた地上に出ちゃう。
私は近くを泳ぐ魚さんたちに、いち早く悩みを相談しながら、長くなる夜を、長い間待った。
月が水面と地上に光を注ぎ、星が瞬く夜。
私は、水面に出て船着き場で彼を待つ。
彼が来なければ、好都合だ。何も言わなくても来ないのだから、それなら、痛い思いをしなくてもいい。
でも、やっぱり彼は来た。背中に両手を回して隠し、顔は変な笑顔をしている。
にやけ顔、だっけ?
「今日は来てた。良かった」
「ねえ、今日はあなたに話がーー」
「君もなんだ。俺もあるんだ。どっちからにする?」
話? 彼が?
私と同じことかな。なら、どっちからでも変わらないよ。
「私からで、いいかな?」
「そ、そうかい? まあ、いいか。何かな?」
彼は今日も笑顔を見せる。優しい、優しい笑顔。
「もう、会うの、やめようかと思って」
「…………えっ?」
彼から、笑顔が消える。
彼は今にも泣き出しそうだ。
そんな顔、しないで。
笑顔でさよならしてよ。私も笑顔になるからさ。
また、泡になって、溺れちゃうから。
「何で、そんなこと言うんだい?」
「あなたに迷惑かけてるの、知ってるから。めい、わく、かけてーー」
私の目から、昨日の泡が出る。
泣くもんですか。
「迷惑? 何でそんなことーー」
「地上の人と一緒にいないとでしょ? なら、私なんかといたら、さ。ダメ、だよ」
彼と一緒にいたら、願っちゃうから。
この人と一緒にいられますように、そう願っちゃうからだよ。
そしたら、迷惑でしょ?
だから、願う前に泡にならないと。深海に消えていく、泡に。
「地上の、人……あ! あれは、違ーー」
「じゃあね。また会えたらね」
早く消えないと。
水に潜って、家に帰るだけなんだから。それだけなんだから、早くしないと。
「待てって!」
潜って数秒してから、彼の叫び声が私に向けられる。
待て、なんて何を?
お別れを? そんなことしなくてもーー
「あの人は、違うんだよ! お前とーーお前と結婚できる方法を探してもらってたんだ」
今、なんて?
いや、そもそも何で結婚なんてーー
「だから、もう消えないでくれ。この指輪を付ければ俺は海で暮らせる。だから、俺の前からーー」
私は彼に顔を見せる。
彼の目は、私が昨日流したものと同じ涙で溢れていた。
「良かった。まだいてくれたのか」
何が、正解なの?
分からない。分からないよ。
「私と結婚したいって、何で? 地上の人と結ばれないとでしょ?」
「そんな決まり、ないよ。もう父さんと母さんにも話してあるんだ。お願いだ」
そんなの、もちろん結婚したいに決まってる。
ずっといられるなら。ずっと、ずっと一緒にーー
「いたいよ! あなたといられるなら、一緒に!」
「…………こっちに、来てくれないか? 渡したいものがあるんだ」
彼は、私を目の前まで呼ぶ。
私は彼の前まで泳いで、小首をかしげて見せる。
「何、渡したいものって?」
「これだ」
彼は私の前に、ピンク色のものをつけた細く硬いものと、月に照らされ煌めく指輪を出した。
どっちも、綺麗だ。
眩しくて、私の目から涙が出る。
「君に会えたから、こんなにも嬉しく、幸せだったんだ。君に会えなかったら、俺は俺じゃなかったかもしれない。本当に、ありがとう」
「こっちこそ……ありがとう。ぐずっ、涙出さないって、決めたのにな。やっぱりダメだな、私」
私の涙が、頬を伝い始めた時だ。
「あんたはダメなんかじゃないわよ。お母さんが言うんだから、間違いない」
私の後ろにお母さんが来ていた。
お父さんもいる。
「あなたが、うちの子をたぶらかしていた人ね。なんてね。あなたはもうここになんて来る必要はないわ」
お母さんがイタズラっぽく、彼に話しかける。
なんか、恥ずかしいな。
私が頬を染めていると、お母さんが私を呼んだ。
「あんたはうちの子だ。だから、しっかりやりなさいよ。これからあんたに、元には戻せない、地上人の魔法をかけるから」
「いえ、お義母さん、俺、じゃなかった……わたくしには指輪がーー」
「言ったでしょ。ここには来なくていいのよ。あなたの顔が見れたから十分よーーそれより、本当に彼で良いのね?」
お母さんが、最後に私に問う。
私は、反射的にお母さんとお父さんに抱きついてしまった。
「うん、あの人がいいの」
「分かったわ。それじゃあ、いくわね」
お母さんとお父さんが、私の手を取り目を閉じた。
海の小さな、小さな一角。
月よりも、星よりも強い光が辺りを包んだ。
一人の警察官が道路から、静かに波を立てる海を見下ろす。
「あれ? 今謎の発光があったような気がしたのだが……気のせいか?」
海は今日も、月と星を反射する。
泡が立つことのなくなった水面に、今日も光が届く。
四、
昼の、低い石造りの船着き場。
私は今日も船着き場の上に立ち、船に乗る彼を見送る。
地上の人間と全く同じの体。
かつては、人魚姫と呼ばれ、尾ひれのついた尻尾が下半身だった。もう過去の話だが。
私は今日も彼を待つ。
今日は何を話そう。そんなことを考えながら、道を歩く。
たわいもない、ただの雑談。
あの頃と変わりない、お話し。
でも、私はそれが幸せだった。唯一無二の人と出会い、暮らし、話ができる幸せ。
桜が咲き誇る、世界の小さな、小さな一角の町で、私はもう泡になって消えることはない。
彼と、生きているから。
〜Fin〜