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アタックONLY ONE

作者: 藍植りん太

 高校時代、バレー部でセッターでした。いつかバレー小説を書きたいと思っていまして、四年目の大学サークルの最後の部誌の題材に決めました。今までの人生で最も輝いていたあの頃の自分をがっかりさせないよう、今後も頑張ります。

 ――6。最小の完全数。

 英語でsix。ドイツ語でsechs。ティグリニャ語でሹዱሽተ。

 炭素の元素番号。小学校の学年数。ギターの弦の本数。昆虫の足の数。小惑星ヘーベの小惑星番号。野球の遊撃手の守備番号。タロットの大アルカナ・恋人。世界サッカー界で初の永久欠番となった元ACミランのフランコ・バレージの背番号。

 ――バレーボールのチーム人数。

 無限にも思える、大きい数字だ。

仲野(なかの)くーん! 帰りにカラオケ行かない?」

「あと一人で男女三対三だからさー!」

 アキは女子にモテる。それはもう。長身で、イケメンで、ノリが良くて、でも真面目で、他人の悪口とか言わなくて、素直で、爽やかで――俺とは正反対だ。

「悪ぃ、今日部活だから。また今度な」

 そんな日向(ひなた)に立つ為に生まれてきたような男は、周囲に群れ集うクラスの女子に、申し訳なさそうに断りを入れた。そのままエナメルバッグを肩に掛け、俺の方へ大きな歩幅でやってくる。

「リョージ、部活行こうぜ」

 俺はまだ席で頬杖ついたまま、奴の顔を見上げた。

「……行ってくりゃいいじゃねえか、カラオケ」

「なんでだよ。部活どうすんだよ」

 本気のキョトン顔で俺を見下ろすアキ。

「――チッ……はいはい、そうですね」

 俺は重い腰を上げ、手をポッケに突っ込んだ。それを見たアキは、いつものようなすまし顔で、廊下へ歩き出す。

 ったく、歩幅がデケーんだよ。追っかける方の身にもなれってんだこの馬鹿野郎。




 セッターの両手から浮かびある、回転の静止したボール。そこへ打ち込まれたスパイカーの手によって、運動エネルギー量とベクトルが急激に変化。磨かれた体育館の床へ撃ち込まれる。その振動が、床を伝って俺達の両足へと伝わってくる。

島村(しまむら)、ボール行ったぞ! 走れ!」

「へーい」

 バレーボールの練習において、ボール拾いはとても重要な役目だ。万が一、ジャンプしている選手の足元にボールが転がっていってしまい、着地の際それを踏んでしまうと、一発で足首を捻挫してしまう。飛んだり跳ねたり、激しい動きが要求されるバレーで、その怪我は致命的だ。無理をすると癖になってしまうので、完全に治るまでの数週間は一切通常の練習が出来ない。それでもまだ良い方で、最悪の場合、バランスを崩して転倒し、頭を打ってそのまま死亡、なんてことも有り得る。冗談抜きに危険なのだ。

 だから、その任を担う現在の俺も超重要人物なのである――

「島村! 何ボーっとしてんだ! 転がってんぞ!」

 ――どんなに頭の中で能書きこねくり回しても、この惨めさが拭われることはなかった。

 今スパイクを打っているのは全員女子――というか女子バレー部。俺達男子バレー部は、現在部員が三年生の二名――つまり俺とアキしかいないのだ。

 一年の頃、入部したときは先輩が居たからチームとして成立していた。しかし俺達を最後に部員が入ることはなく、昨年、一コ上の先輩方の引退を以て、チームを作れなくなった俺達は女子バレー部に吸収された。一応練習に参加させてはもらえているが、ボール出しやボール拾いなどに扱き使われている時間の方が圧倒的に多い。特に最近は、夏の大会も近いから尚更だ。

 そりゃあ不満だった。俺はバレーボールをする為に入部したのだ。こんなマネージャーでも出来そうな雑用をする為じゃない。だがすぐに諦めた。だって、練習したところで何になる。二人しかいないのだ。試合にだって出られないのに、必死こいて練習する意味も無いだろう。女子のケツでも眺めている方がよっぽど有意義だ。

「うーし、今日はこれでアガリだ。着替えたらミーティング室に集合。男二人はネット片しとけ。そしたら上がっていいぞ」

「ウィーッス」

 コーチからのこんな扱いにも慣れたもんだ。ネットのポールに差し込んだクランクを回し、ネットを緩める。しかしそのまま片づけはしない。ポールの高さを二〇センチほど上げ、再びネットを張り直す。ここから完全下校時刻までの短い時間が、男子バレー部の自由活動時間なのだ。

「よし、リョージ、いつもの通り」

「あいよ」

 俺はネット際。コートの中央付近に、ネットを背にして立つ。アキはボールを一つ持って、レフトの位置へ移動した。

「オープン」

 そう言って、アキが俺にボールをひょいっと投げる。俺は無言でそれを受け取ると、アキの頭上を狙って、下から両手でそっと、山なりのボールを投げ返す。アキはそれをオーバーハンドパスで俺に返すと、助走の体勢を作る。パスは緩い放物線を描き、俺の頭上へ落ちてくる。その落下位置を予測し、俺は真上に跳ぶ。最高到達地点でボールを額の前で受け、そっと押し出す。ジャンプトス。何千、何万とやってきた動作。最早狂う道理が無い。回転を殺されたトスが、風の無い日のシャボン玉のように浮かんで、落ちる。既に助走を開始していたアキが、バネ仕掛けのおもちゃのように上空へ飛び出し、思い切り右腕を振り下ろす。強烈なスパイクが、一瞬で反対側コートのアタックライン付近に着弾。女子のものとは全く違う、地鳴りのような音が、がらんとした体育館に反響する。

「ナイストース」

 事もなげにそれだけ言って、さっさとボールを拾いに走るアキ。

 ――あいつはチームのエースだった。

 恵まれた体格と、優れた身体能力、そして豊富なセンス。一年生の秋からレギュラーを張る、チームの中心選手だった。正直、地区大会でも奴より優れたアタッカーを見たことがない。

 チビで、早々にアタッカーを諦め、消去法でセッターになった俺なんかとは次元の違う――そんな奴なんだ。

 試合にも出られない雑用係で終わっていいような奴じゃないんだ。

「なあ、アキ」

 俺は思わず、ボールを拾って戻ってきたアキに声を掛けていた。

「今、楽しいか」

「楽しいけど、なんだよ」

 アキは即答し、逆に俺に尋ねてきやがった。

「リョージは楽しくないのか」

「楽しいわけねーだろ。バレーしてえよ」

「してるじゃないか。今」

「これのどこがバレーだよ!」

 飄々としたアキの様子を見て、俺は思わず怒鳴っていた。

「バレーは六対六だろ! 見ろよ! こっちは二人! 向こうのコートは無人だ! 打ったスパイクが帰ってくることもねえ! 毎度毎度惨めに自分で取りにいかなくちゃならねえ!」

「練習なんだから仕方ないだろ」

 アキはあくまで冷静だった。それが俺を益々イラつかせた。

「何の為の練習だよ! もうすぐ夏の大会だ。三年はそれで最後だ。でも俺達はそれにすら出られない! 練習なんかするだけ無駄じゃねーか!」

「でも――」

「――あー、そうか」

 俺は今、殊更に嫌な顔をしていることだろう。

「俺と違って、アキは才能あるからな。大学行ったらバレーやるんだろ? きっとお前ならエースになれるさ。なるほど、練習ね。確かに、体鈍ったらついていけないもんな。俺はそのていの良い練習道具ってわけだ」

 そこまで言ったところで、やっとアキの顔色が変わった。信じられないとでもいうような愕然とした表情で、体を乗り出してくる。

「……何言ってんだよリョージ。俺達は男子バレー部だろ」

「女子バレー部男子マネージャーの間違いだろ! チッ、あー、もういいわ。急にやる気なくした。もう俺辞める」

 俺は体育館の出口へ歩き出した。アキが慌てて追いかけてくる。

「辞めるって……部をか? 本気なのか?」

「当たり前だろ。むしろ今まで辞めなかった俺がどうかしてたね。引退だ引退。大会で負けることも出来ねえんだ。引退するタイミングは自分のさじ加減だろ」

「ちょっと待てって。考え直してくれ」

 アキは俺の腕を掴んだ。唇が震えている。

「もう俺達しかいないんだぞ。お前のトス無しで、俺はどうやってスパイクを打てばいい?」

「女バレの後輩にでも頼めよ。お前が頼めばいくらでも群がってくんだろ。モテんだからよ――いい加減放せ」

 俺はアキの手を振りほどいて、そのまま体育館を出た。

 アキは、もう追ってはこなかった。

 そのまま帰った俺は、着替えもせずにベッドに潜り込んだ。何も考えたくなかった。いつ眠りに落ちたのかは、覚えていない。




 次の朝目覚めたとき、激しい後悔の念が俺に襲い掛かってきた。

 バレー部を辞めることは別に構わない。

 だからといって、アキにあんなことを言う必要がどこにあった。

 あいつを現状への不満の捌け口にしただけじゃないか。

 最後に見た、奴の茫然とした表情が脳裏に浮かぶ。

 ――謝ろう。

 そう考えて登校したのだが――

「おはよ」

 そう言って、いつものノリのままアキが教室に入ってきたのは、担任が朝のホームルームを始める五秒前だった。

 仕方ない、じゃあ休み時間にでも――と呑気に考えていた俺だったが、その後、各休み時間毎に、アキは教室を出てどこかへ出かけ、授業開始ギリギリになって戻ってくるというサイクルを続けた。これでは声を掛ける隙も無い。

 ――こうなれば……

 キーンコーンカーンコーン。

「はい、じゃあこれで授業終わり――」

 今日最後の授業の終了を告げるチャイムが鳴り、先生が終わりの言葉を口にした瞬間、俺はアキのところへ向かった。しかし、それは毎度アキにアタックしてる女子連中がいつもやっていることだ。俺とアキの間に、恋する乙女達の分厚い肉壁が立ち塞がる。

「仲野くん! 今日こそカラオケ行こうよ!」

「それともボウリングがいい? 仲野くんすっごい上手そう!」

「ああ、いや、悪いんだけど――」

 アキはいつもと変わらない様子で、彼女らをあしらった。

「今日も部活だから」

 ――そうか。ま、そうだよな。

「――ん? あ。なあリョージ――」

 向こうからアキが俺を呼ぶ声がする。でも俺は、それに応えることなく、鞄を引っ掴んで、振り返らずに速足で教室を後にした。

 分かってるさ。アキはいつもバレー馬鹿だった。何があろうと、部活をサボったり遅刻したりすることは無かった。

 ――俺が居なくたって、何も問題は無いんだろ。

 ――動揺するようなことでも何でもないんだろ。

 心の隅のどこかで、ほんのちょっぴり期待していた自分が厭になった。そんな後ろ向きで、迷惑な期待を、勝手に掛けて、裏切られたら勝手に離れる。

 そんな奴が、アキの友達を名乗れるだろうか。

 そんな日陰者が、あの人気者の隣に立っていられるだろうか。


 俺は、次の日から登校するのをやめた。




 不登校生の朝は遅い。

 昼過ぎに目覚め、冷蔵庫を漁って適当な残り物を引っ張り出し、朝食を取る。そのままワイドショーを眺めながらぼーっとし、飽きると部屋の隅に積んである漫画雑誌を捲る。それも読み終わってしまうと、仕方なく受験用の参考書を取り出し、机に向かってガリガリと勉強をして過ごす――

 ――――――――。

 ――――――――。

 ――――――――あ、ここは正弦定理か。

 ――――――――。

「――って俺どんだけ暇なんだ!」

 怖っ! 普段全然勉強なんかやらない俺が、あまりのやることの無さに受験勉強なんかしてる! 暇って怖い! 人間って暇で死ねるって本当だったんだ!

 ――俺って、普段何やってたっけ。

 授業の無い休日とか、放課後とか――

「……結局、バレーボールしかないのか俺は――」

 何度今までのことを思い返してみても、いつ、どの瞬間においても俺は、バレーボールをやっていた。バレーボールのことしか考えていなかった。どうすればもっと上手くなるのか。どうすればもっと安定した綺麗なトスを上げられるのか。どんなトスを上げればアタッカーはスパイクを打ちやすいのか――

 結局、俺はバレーボールで出来ている人間なのだ。

「――――それがどうした……」

 バレーが出来ないんだ。尚更、戻っても変わらないじゃないか。


『リョージは楽しくないのか』

『楽しいわけねーだろ。バレーしてえよ』

『してるじゃないか。今』


 ――なんで今、あいつとのそんな会話を思い出してんだ俺は。

「チッ……もういい、勉強しよ勉強」

 俺は背後の何かを振るい落とすように、再び机に向かった。




 普通に登校してた時よりも勉強量がグッと増えた。むしろ浪人生活に近いような、そんな不登校状態が一週間ほど続いた頃。

「おーっす、生きてるか島村ー」

 クラスの数少ない友人、松浦が訪ねてきた。

「おーおー、髪の毛ボッサボサで肌も脂ぎって、いかにも引きこもり君だな」

「うっせ」

 松浦は、俺が休んでいる間のプリントやら何やらを纏めて届けに来たらしい。

「モッちゃんが頭抱えてたぜー。受験生がこの大事な時期に、期末試験までブッチする気か、って」

 モッちゃんとは、うちの担任である山本先生の仇名である。

「あー、そういや試験とかあったな。でも勉強はしてっぞ」

「マジかよ、逆に大丈夫かお前……」

 松浦に凄く心配された。さらに松浦は続けて言った。

「大丈夫と言えば、お前部活の方はいいのか? 大会出るんだろ?」

「は?」

 大会……何のことだ? わけが分からん。

「何言ってんだよ、そんなわけないだろ」

「いやでも、仲野があっちこっちに声かけまくってるぞ。『大会に出るのに人数が四人足りないから、助っ人になってくれないか』って」

「えっ……?」

 仲野が助っ人を?

  ――四人……?

「俺も声かけられたぜ。テニス部の大会もあるし、断ったけどな」

「――あのアホ」

 俺は深い溜息を吐いた。

「松浦、今日はありがと。ただ悪いんだけど、俺これから出かけなきゃいけないから――」

 俺は一旦、言葉を飲み込み、また吐き出す。

「――また、明日。学校でな」




 俺が体育館の扉を開いたのは、ちょうど女子の練習が終わってすぐ。広い体育館には、背の高い男が一人だけ、ぽつんと立ってサーブ練習をしていた。そいつはこちらを振り向くと、ほっとしたような、でもどこか哀しそうな顔をした。

「――リョージ」

「この大馬鹿野郎が!」

 俺は乱れた息を必死で整えながら、茫然としたアキの許へ大股で進む。畜生、一週間引きこもっただけでこんなに体力落ちるのか。

「この時期に! 助っ人頼んだって! どいつも自分の部の大会で忙しいに決まってんだろ!」

「――どうしてそれを」

 俺はアキの問いを無視して、奴の汗に塗れた練習着の襟を掴んだ。

「言っただろ!? 俺は辞めるってよ! なのに助っ人四人って……なんで俺が頭数に入ってんだよ!? 大会出たいなら勝手に出りゃいいじゃねえか!」

「俺は」

 アキは、真っ直ぐ俺の目を見て言った。

「もうお前以外のトスを打つ気は無い。一生な」

「……は? お前……意味わかんねえよ」

 俺の頭は本気で混乱していた。

「一生? 大学行ったらどうすんだよ」

「俺は就職だ。うち親父がいないからさ」

「――なんだよそれ……ッ」

 ふざけんなよ――そんな、お前が……なんでアキが――

「ごめんな、リョージ」

「……なんでお前が謝るんだよ」

「今日が大会のエントリー期限だったんだけど、助っ人さ、一人も集まらなかった。結局大会出られないまま終わりってことに――」

「だからいいっつーの! ホントお前はさ……ッ、ったく!」

 俺はアキの手からボールをもぎ取った。そのままネット際へ。

「おら、やるんだろ、バレー」

「――なあ、リョージは大学でバレーやれよ。最近のトスなんかすっごく安定してるし。お前は下手なんかじゃない。俺が保証する。お前なら大学でも通用するよ。バレー馬鹿だしな」

「――うっせ」

 馬鹿はお前だ、この馬鹿野郎。ずりーんだよ、何から何まで。

「リョージ、言ってたよな。『引退するタイミングは自分のさじ加減だ』って」

「――ああ」

「俺は、これを最後にするよ。最後の、一本だ」

 アキはそう言って、いつもの位置についた。

「――そうか」

 ――俺がこの先どうするか。そんなことは何も分からないし、今は決められない。けれど、いつか近いうちに、自分で決めなきゃいけないってことは分かってる。アキがそうしたようにだ。

 でも今はただ、目の前のボールのことを考えよう。いつも通り。

 どんなトスを上げれば、アキが気持ちよく打てるのか。

 俺には見える。理想的なトスの描く道が。

 何千何万と繰り返してきた、ジャンプトスからのオープン攻撃。

 空中で、そっとボールに触れて、送り出す。

 回転の静止したボールは、理想の道の上に、寸分違わず美しい放物線を描いて――――あとは、ただあの音に浸っていよう。

 地鳴りのような一瞬の爆発音を、永遠の思い出とする為に――


〈了〉

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