第二章 夜明けの眠り姫【2】
辺りが薄暗くなり、カウンター向こうの男達の声も賑やかになって来た。
ミイの働く寂れた酒場は今から活気づく時間だ。
「るせー……」
フィルは2、3度寝返りを打つと起き上がる。相変わらずの固いベッドに苦笑いをした。
「おはよ、フィル。もうすぐ仕事じゃないの?」
長い金の髪を上で束ねたミイが声をかける。昔はくすんだ金色だったが、いつの間にか透けるように綺麗な色になっていた。
「ああ……。今から情報収集するから余所行けよ」
片手でミイを払うと、朝に兵士からもらった紙に目を通す。
隣国の情報。今から仕事に行くところには必要になる。
4年前に一方的に独立宣言をしたこの国では自分達のような貧困層には何の情報も入らない。
「こんなにしてんのに、安く使われてるぜ」
目で文字を追いながら舌打ちをする。
隣国――元は同じ国だった国王サムエルの記事は意図的に飛ばす。
サムエルの事はどの身分の人間も口にしないから好都合だ。
「薔薇貴族……だ? 薔薇の屋敷……?」
フィルが目を止めたのは薔薇園と屋敷をバックに立つ3人だった。
貴族の地位を与えられた薔薇職人の夫婦と、17歳にして王の右腕となった長男の話が書かれていた。
「……ミク……」
フィルはカウンターを見る。
慌ただしく働いているミイの姿が見えた。自分さえ追いかけなければ向こうで幸せになれたはずだ。
「僕が家族に会わせてあげるからね……」
ミイをしばらく見つめると、再び紙に目をやった。
「行ってくるぜ」
辺りはすっかりと暗くなり、フィルは酒場の扉に手をかけた。
「お前はいいよな。どこで身に付けたのか、特殊技能があって」
「あ? やりてーなら代わるぜ? ま、おめーのような下品な野郎には無理だけどな」
テーブルで安酒を飲んでいる青年に向かってフィルは笑う。怒鳴り声を無視して酒場から出て行った。
暗い道を歩きながら腕を組む。
「隣国に逃がすための賄賂が金貨1000枚」
フィルは殴り書きされているメモを見つめる。
「今の貯金は銀貨1枚に銅貨36枚……」
指折り数えて表情を引きつらせた。
「銀貨1000枚で金貨1枚、銅貨100枚で銀貨1枚だから……いやこの仕事は1回銅貨3枚で……」
頭を掻きながら何度も繰り返す。
「あー、くそっ!! これでも高い方なんだ!!」
気が遠くなりそうな額にフィルは目眩がした。4年前にミイに渡したプレゼントは銀貨150枚――銅貨にして15000枚、仕事5000回分の報酬の髪飾り。どれだけ自分の金銭感覚がなかったか思い知らされる。
「そういやミイの奴、プレゼントを一度もつけてくれてねーな……」
空を見上げて苦笑した。
兄様は笑うかな……? お前は金の大事さに気付くのが遅いって。
聖書も最近読んでないや。勉強もしてないし、そういや……。
歌のタイトルもまだ分からない。
「遅いわよ!!」
突然フィルに向かって怒鳴り声がした。
正面にドレスを着た女性が立っていた。フィルは頭を下げる。
「今日は姫の誕生パーティなのよ! 我がシュトゥーリ家に目をかけてもらうために貴方を雇ったのに!!」
「申し訳ありません」
フィルは手を引かれてすぐそばの屋敷に入った。
きらびやかなホールは目も眩むほどで、至る所にある趣味の悪い金の置物に吐き気を覚える。
「ご子息の情報をいただけますか?」
「本人に言わせるわ」
フィルは広い部屋に連れて行かれた。部屋には白い肌の少年が踏ん反り返っている。相当不機嫌そうだ。
「お前が俺の代わりだと?」
部屋から人が出て行き、二人きりになった瞬間、少年はフィルの胸倉を掴んだ。頭半分は少年の方が高く、少し太ってもいる。口の周りはケーキのクリームでベタベタだ。
「あ? うるせーよ、出来損ないが」
フィルは薄笑いを浮かべて、その手を払った。