第五章 王女と少女の絆【9】
「リトっていう人は本当にいたのか?」
「え?」
きょとんとした顔でミイはフィルを見た。そして指折りなにかを数える。
「そっか、リトお兄ちゃんがいなくなったのはフィルがまだ6歳の頃。そのままレストも出て行ってたから、覚えてなくても仕方ないかも。リトお兄ちゃんはレストの弟で、あたしとミクお兄ちゃんのお兄ちゃんよ」
その年は、両親が揃って何かの原因で亡くなった。兄が王になった。その直前に母親から指輪を渡された。
フィルは考えを巡らせる。
記憶にはレストもリトも出てこない。
「俺は会ってないのか」
「寂しいね」
ミイは薄く笑い、フィルからほうきをそっと取る。カウンターの奥から掃き掃除を始めた。
「フィルは小さかったし、仕方ないかも知れないね。あたしはフィルより2歳年上だから、たったそれだけで鮮やかに思い出せる。ここがまだ部屋だったとき、サムエル様が来てくれたときは、リトお兄ちゃんと一緒に本を読んでくれたりして、いつも笑ってた。ミクお兄ちゃんはレストと外にキノコとか取りに行ったりして。でも、フィルが忘れてるなら、その思い出自体嘘だったのかな、なんて」
ずきんとした。
全く記憶にない。そんなことも、ミイにとっては大切な家族での記憶だと気付く。同時に申し訳ない気持ちに押しつぶされる。
「でも、俺のことを知ってるなら、なんでレストは知らない振りしてるんだろうか。俺が王子だということも知らない感じだし」
そうだ。
レストは俺やミイより年上なんだから忘れることなんてないはずだ。
問いただそうかとフィルは考える。ふとその瞬間にリトの墓にいたレストの姿を思い出した。
弟の墓に参るのは当然なのに、その姿は何者も寄せ付けなかった。そういえば、弟は貴族の趣味の殺しあいに巻き込まれて命を……。
「……いや、気のせいだ。そんなはずない」
貴族を恨んでる。フィルが王子と知っているなら、貴族の中でも上に位置する王族を恨んでるはずだ。殺しはしないにしても、助けるはずが、ない。
そう考えてフィルは頭を振った。
多分、よっぽど『フィリップ王子』に興味がなくて、気付かないだけだろう。
思い込んだ方が幾分か楽になれる。
「あ」
大きな葉っぱのゴミを取ろうと扉に行ったとき、フィルは横に立てかけてある木刀に気がついた。レストは肌身離さず持っていたのに、忘れて行っている。
「この石細工はそのリトって人の形見なんだな」
持ち手の部分に紐で繋がっている自分のこぶしより一回り小さな灰色の石。その石には染みがついていて、数字が刻まれていた。
「これは何の意味だろ」
じっくり見たのは初めてだった。
レストは触らせてはくれるものの、いつもすぐに取り上げてきた気がする。
「ミイは聞いたことあるのか?」
「サムエル様と初めて会った時の思い出だって言ってた気がする。それを言うたびにサムエル様は頭を抱えて謝ってたわよ。でも謝ってるのに上から目線でちょっとおもしろかった」
「兄様が上から目線?」
想像ができない。
フィルにとって、兄が誰かに謝る行為をしたことも考えられなかったが、それ以上に『上から目線』とミイに言わせるほどの言い方をすることが信じられなかった。
「俺の知らない兄様なのか?」
ミイはフィルをちらと見て、口を閉ざした。
誰よりも知っていると思っていたサムエルの知らない面を自分が知っていることに後ろめたい気持ちになったのかも知れないとフィルはすぐに思い当る。
ずいぶん他人の気持ちが読めるようになったと自賛した。
「まあ、俺は結構何も見れてなかったからな」
「とりあえず、開店の準備をするわね。ちょっと休んでたから、心配されてて」
「俺は……」
フィルはカウンターを見る。自分の場所にしている壁際の一角には依頼の紙が散乱していた。