第一章 額縁の中の世界【2】
「フィリップ、私は少し話し合いをしなくちゃいけないんだ。とにかく、今日は部屋で本でも読んでいるんだよ」
読み取れない瞳の色をしたサムエルがフィリップの頭を撫でた。フィリップは返事もせずに目を伏せる。
「今後の方針を討議する。速やかに呼集せよ」
サムエルは男性にそう伝えると、慌ただしく部屋を後にした。
「兄様……ごめんなさい」
フィリップは自分の部屋に走って戻る。鞄から落ちた聖書を入れ直して、小さな包みを大切そうに持つ。そのまま、鞄を背負い、城から飛び出した。
空は少し重量を増したように下がり、低い地鳴りのような音が響いた気がした。
「ミイのお祝いを、どうしても今日したいんです」
階段を駆け降りながらフィリップは呟く。何故かサムエルの読み取れない表情が思い出された。
少しだけ不安になったフィリップは城を振り返る。灰色した城は同じ色の空に飲み込まれそうに立っていた。
城から2時間ほど歩くと、小さな町に出る。
自分の部屋の窓から見える範囲のこじんまりとした自然豊かな町だ。
フィリップは大きく深呼吸をする。湿気を含んだ町は初夏に咲く薔薇の匂いを運んでいた。
「早くプレゼントを渡して……兄様に心配かけないように早く帰らないと……」
白い教会の横を通り抜けて路地を駆ける。大きな屋敷が視界に映り、そこがいつもミイ達の家の太陽の光を奪っていることを思い出した。
屋敷に光を遮られている一角は、『貧困層』が住んでいる。その呼び方は祖父が名付けた。父親が王だったのは数日で、実質の先代は祖父になる。
祖父は身分を重視し、父親や母親もそれに従っていた。兄はそういったやり方が嫌いで、即位したと同時に、『住む処』『職業』『結婚』を今までの家柄に関わらず自由にした。
もちろん、浸透するまでにもっともっと時間はかかるが。
「フィル!!」
フィリップの姿を見て、くすんだ金髪の少女が駆け寄って来た。フィリップは微笑んで手を広げる。
「ミイ!!」
「来てくれないかと思った!フィル……っ」
ぎゅっと抱き着いて、背の高いミイはフィリップの髪に顔を軽く埋めた。
「お誕生日、おめでとう」
フィリップは微笑んでミイにプレゼントの箱を見せる。ミイは嬉しそうに受け取り、フィリップの胸にかかる指輪を指した。
「いつか、その指輪をちょうだい」
「んー……」
指輪には真っ青な宝石と王家の紋章が刻まれている。高い身分の人間が見ればすぐに分かるが、ミイ達にとっては、『綺麗な指輪』でしかなかった。もちろん、フィリップにとっても。
サムエルからは、大切にするようにと言われていた。そして、愛する人が出来たら渡すものだとも。むやみやたらと人には見せてはいけないものだ。
「ミイが愛する人になったら」
愛するという意味が分かるようになったら。
「ふーん……ま、いっか。フィル、家にケーキがあるの。ミクお兄ちゃんが持ってきてくれたのよ」
ミイの兄ミクは城で料理を勉強している。サムエルは誰よりも美味しいものが作れていると言っていた。まだ13歳だから、15歳になれば正式に料理人……それも自分の後継者として任命したいと定年を迎えそうな料理長は期待している。
「ミクもいるの?」
「ううん、今日はお城で会議だからって、呼ばれちゃった。今日のはお給料も出るって!」
ミイの家に入ると、母親が微笑んで迎えてくれた。金の髪のミイの母親とは思えないほど、美しい漆黒の髪を束ねた女性だ。
父親は育てている薔薇の世話に行っているらしい。
「お母さん、フィルがプレゼントをくれたの!」
ミイが笑顔で箱を見せ、母親は深く頭を下げた。
「サムエル国王もこんな身分の子供を召し抱えて下さって、フィリップ様はミイなんかと仲良くしていただき……」
「よく分かんないよ、お母さん! フィル、ケーキ」
ミイはフィリップを引っ張って台所へと走った。
「ひゃっ!!」
瞬間、窓が光り、震えるほどの地鳴りがした。ミイはフィリップにしがみつき、フィリップも立ちすくむ。
「ひどい雨が降って来てる!」
外を覗いたミイが叫び、フィリップも外を見た。大粒の雨が叩き付けるように降り、ミイの父親が走って帰って来ていた。
「帰れない……」
「じゃあ、泊まって行ってよ!」
ミイは笑顔で言うが、フィリップは不安でたまらない顔をしていた。無断で出て来たのに、帰れないなんて……。
「泊まれないよ……、雨が小降りになったら帰る」
フィリップは呟くと、心配そうに座り込んだ。何故か嫌な予感がしていた。
ミイの誕生日を祝いに来たはずなのに、後悔でいっぱいになっている。
ミイにもサムエルにも悪い事をしている気になった。