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第二話:人々、居眠り姫を語る(2)

「はぁ? 指輪? なんですかそれ?」

 やたら刺々しい声と共に、青年は目を眇めた。

 顔立ちはそれなりに整っているのに、目の下に深々と刻まれた隈がそれを台無しにしていた。

 まるで薬物中毒者の如き凶相だが、これでもキルスティン領の行政を一手に引き受ける執政官である。

 執務室の主、青年の名はヨアキム・ヒルシャーと言った。

 ヨアキムの愛称と言ったら普通は「ヨナ」とか、珍しくても「ヨギ」である。

 どこをどう捻じ曲げたら『ヨッチャン』になるんだと思いながら、「指輪を受け取りに来た」と告げた矢先の返答がそれであった。

「いや……エリザからはお前に渡してあると聞いたが。受け取っていないのか?」

「だから知りませんって指輪なんか」

 戸惑いながら念を押すクロエを、ヨアキムはバッサリと切り捨てた。

「もういいですか? 申し訳ないですけど俺、クッソ忙しいんで」

 臣下が主家の人間に取っていい態度ではない。

 そもそも入室したクロエを出迎えないどころか、椅子から立ち上がりさえしていないのである。

 ここが王都であればその場で斬首しても問題にならない程度には無礼な応対であったが、クロエは何も言えなかった。

 ヨアキムの両脇に山の如く……それはもううず高く積み上げられた書類を目の当たりにしてしまっては、如何ともしがたかった。

 むしろ今後はこの一部を自分も背負わねばならないのだと思えば、この青年を断罪し放逐するなど慮外の暴挙である。

「何故、人を増やさない?」

「増やしてますよ。今月も三人追加しました」

「姿が見えないようだが」

「最後の一人が昨日倒れました。お蔭で俺は徹夜三日目です」

「そ、そうか……忙しいのだな」

 ギロリと凶眼で睨み付け、ヨアキムは吐き捨てるように言った。

「今日中にこれ全部捌かないと死ぬんで」

 だん! とヨアキムは机に広げたを殴りつけた。

 その手には柄の無い小槌のようなものが握られている。

「それは何だ?」

「あ? ≪ハンコ≫ですが何か?」

「じゃ、邪魔をしたな」

 気圧されるように、クロエは執務室を辞した。


「そういうわけで、妻を探さねばならなくなった。居場所を知らないか?」

「さあ、そう言われましても」

 侍女は廊下を掃除していた手を止め、困ったように眉を寄せた。

「エリーお嬢様がどこで昼寝――もとい、どちらにいらっしゃるのか予測できる人なんて居ませんし」

「わかった。手間をかけたな」

「あ、でも昨日は練兵場で見かけたって先輩が言っていました」

「練兵場? 何をしていたんだ、そんなところで」

「昼寝、じゃないでしょうか?」

「何故そんな場所で……」

「さあ……」


 エリザは昨日の昼から姿を消したままだ。今もそこに居るとは思えない。

 だが、もしかすると居合わせた誰かが行方を知っているかもしれない。

 他に当てがあるわけでもなく、クロノは練兵場に足を向けた。

「ふむ。エリーお嬢様の行き先、ですか」

 教官役の老騎士は、考え込むように顎髭を撫でた。場内では若者達の声と、木刀を打ち合わせる音がこだましている。

「確かに昨夜はひよっ子共が大騒ぎしておりました。兵舎の屋根においでになっていたとか」

「宿舎の屋根?」

 そもそも騎士でもない女が練兵場に顔を出している時点で意味不明だが、教官の返答は輪をかけて意味不明だった。

「いつものことです。この季節になると、そのあたりでクッションを敷いてお休みになるのですよ」

 日差しが丁度いいのだそうです、と教官は付け足した。

 目の前の男が何を言っているのか、クロエには良く判らなかった。

 判らなかったが、とにかくまずは目先の目標だ、と気を取り直すことにした。

「まあ、それはともかくとしてだ。アレの居場所を知っている者はいないか?」

「訊くだけ訊いてみましょうか……ひよっこ共! 次期領主様がお見えだ!」

 木剣を打ち合わせる音が収まり、若者たちがわらわらと集まってくる。

「第一小隊、参集いたしました!」

 少年が姿勢を正し、先頭に立つ。強い光を秘めた瞳は髪と同じ深い黒。小柄だが、全身から溢れる活動的な気配が体の小ささを感じさせない。

「エリーお嬢様の行先を知っている者はいるか?」

 少年が背後の仲間を振り返る。若者達は目を見合わせた。

「誰か見たか?」

「兵舎の屋根に……」「いや、それって昼までだったろ。そのあと会堂の隅で寝てたじゃん」「夕方は広場で寝てたって」「今日、当番で掃除に行ったけど居なかったぞ」

 漏れ聞こえた寝場所の脈絡の無さがとんでもなかった。

「あ、エリー様なら、城の厨房に行くって言ってました」

 遅れてやってきた若者の一人が声を上げる。

「いつの話だ?」「俺は見てないぞ?」

「医療棟の診察室です」青年は包帯の巻かれた腕を掲げてみせた。「俺が起きた時には隣の寝台に居ましたけど」

 ざわり、と若者達の気配が膨れ上がった。殺気だった。

「起きたら……隣にいた?」「言葉を交わした……?」「なんと羨ま――けしからん」

 若者は周囲を見渡し、己の失言に気付いたようだった。

「へ? あ、いや、違っ、俺は――!?」

「ちょっとこっち来いや。な?」

 大柄な男がいい笑顔を浮かべ、若者の襟首をがっしりと捕まえる。

 周囲の若者達も同じような笑みを浮かべ、じたばたと暴れる哀れな被害者をどこへともなく引き立てていった。

「……とりあえず、城に戻るか」

 クロエの呟きに、教官は苦笑交じりで頷いた。

「お役に立てたようで何よりです」


 城の厨房を訪ねてみれば、やたらと騒がしかった。

 料理人達が慌てた顔で走り回っている。そこかしこの木箱を覗き込んでは「やられた!」「こっちもです!」と頭を抱えていた。

「何があった?」

「ク、クロエ様……! いや、これはですね」

 声をかけた料理人はぎょっとしたように目を見開き、厨房のそこかしこに視線を彷徨わせた。

「ネズミでも出たのか?」

「いえ、そのようなことはないのですが……ただ、デザート用の食材が少しばかりですね、行方不明に」

 走り回る料理人達の身体が触れたのか、積み上げられた箱が崩れ落ち、厨房に散らばった。どれも空だった。

「少しばかり――という量ではなさそうだが」

 料理人は「ははは、いや、まあ」と乾いた笑い声を上げた。

「正直に言えば、そろそろ起きるかもしれないとは思っておりましたので、備蓄を増やしておりました。差し当たって、食費が嵩む以外の問題は起きておりません」

「どういうことだ?」

 クロエが重ねて問うと、料理長は困ったように黙り込んだ。

 正直に説明したものか悩んでいるようだったが、クロエはそれだけで事情を悟った。

 城の使用人がこのような表情を浮かべるとき、その原因は大抵の場合決まりきっている。

「……エリザか」

「は……」

 観念したように料理人は頷いた。

 聞けば、何年も前からこのようなことは起きているらしい。

 新鮮な果物や作物が運び込まれた頃に、エリザがふらりと現れてそれらの一部を持ち去るのだという。大抵の場合、予告もなく唐突に。

 当然、料理人達としてはたまったものではない。城内の献立は手持ちの食材を元に計画するのだから。

 箱に鍵をかけたり箱そのものを隠したり、最初は何とか抵抗を試みたものの、結局それらの策は何一つ成功しなかったらしい。

 主家としての権力で無理強いされたのではない。

 いつの間にか、気付いたときには箱の中身がごっそり持ち去られているのだ。

 自分の城から自分の食料を盗む。意味が判らなかった。

 それにこれほどの食材を使う目的も全く想像できなかった。

「協力者でもいるのではないか?」

 クロエは散乱する空箱に目を向けた。

 その数は、屈強な男とて一人で運びきれるかどうか、という規模に達している。

「それは何度も調べたのですが、本当に誰も……」

「だとしたら、どうやってこれだけの食材を持ち出すのだ」

「……エリーお嬢様のなさることですので」

 料理人は静かな笑みを浮かべた。

 何かを理解することを完全に諦めた者だけが持つ、どこまでも穏やかな表情だった。


 キルスティン辺境伯の居城はそれなりに広いが、使用人の数は同規模の城と比較すれば極めて少ない。日々の仕事が随所で機械化されているため、人手が要らないのだ。

 結果、クロエは早々に城内で働く面々の顔と名前を把握した。

 例えば今、クロエの前でおどおどと身体を縮こめている侍女見習の名はモニカという。年齢は十歳を少し過ぎたかどうかといったところで、主に城内の掃除を任されている。その他、菓子作りに優れているらしく、折を見ては厨房を訪れているらしい。

「そう畏まらずとも良い。少し聞きたいことがあるだけだ」

 できるだけの穏やかさを心掛け、クロエは尋ねた。

「料理人から、お前が妻と懇意にしていると聞いた。アレが今どこにいるか知っていれば教えてほしいのだ」

「えっと、あの……そのぅ」

 困り果てたように、少女は俯く。

「大丈夫だ。叱られたら、私に無理強いされたのだと言えば良い。決してお前を責めないよう、私からも良く言い聞かせる」

 噛んで含めるようにゆっくりと言い聞かせる。

 クロエが諦めるつもりのないことを悟ったのか、モニカは長い沈黙の後に小さな声で告げた。

「エリーお姉ちゃ……おじょーさまは、パメラおばちゃんのとこです」

「パメラ?」

 使用人の中にそんな名前の者は居なかったはずだ。

 クロエが疑問符を浮かべていることに気付いたのか、モニカはたどたどしく説明を重ねた。

「あの、パメラおばちゃんはエブロに住んでます。ご飯作ってくれて、それから、みんなでエリーお姉ちゃんのお菓子を作ってくれます」

 城の周囲を囲むギステは高級住宅街であり、その外周を囲むように広がる下町がエブロである。

 領主の娘がそんな場所の人間と知り合いであるというのは、普通ならば考えられないことだが、モニカが嘘を吐いているようには見えない。

「そのパメラという人は、ご飯を作っている……食堂の女将か料理人なのだな。店の名は判るか? 場所は?」

「えっと、噴水広場のとこに行って、商店街に入って――」

 クロエは土地勘のある使用人を呼び出し、下町に向かうことにした。


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