第一話:クロエ、婿入りする(7)
数日間続いた視察の最終日、クロエ達は練兵場で騎士団の訓練を見ていた。
キルスティン領の最外縁、大森林と接する開拓地を守る騎士団の拠点。
精兵と名高い騎士達の姿を見るのは、次期領主として最も期待を寄せて然るべきものだったが……クロエとマティアスの顔色は悪かった。
目の前には標的――巨大な箱を曳く≪トラック≫の残骸が束になって転がっていた。どの車体の表面にも、びっしりと人の頭程の穴が開き、車体の端に至っては獣に喰いちぎられたようになっている。
漂う土煙。
鼻を衝く≪火薬≫の刺激臭。
「えー、只今ご覧いただきました≪カノン砲≫は、弾種≪散弾≫を使用いたしました。これは五等級以下の群れを一発の砲弾で掃討するために開発されたものです。続いて弾種≪榴弾≫。こちらは三等級以上の巨獣を対象としており――」
重たく、腹に響く発射音。
一抱えもある鉄の筒が猛烈な炎と煙を吹き出したと思った瞬間、遥か彼方に設置された残りの≪トラック≫が、雷でも落ちたかと思うような轟音と火球に包まれた。
煙が晴れてみれば、ねじくれた部品の残骸だけが辛うじて形を保っていた。
「――ご覧のとおり、着弾と同時に弾体が炸裂することで対象物を破砕します。五年前に出現した三等級巨獣≪オーガ≫に対しては最低でも足元に着弾させれば確実に致命傷を与えることができ、極めて高い成果を挙げました。その他――」
猛烈な勢いで金属を穿つ騒音が響き渡り、標的にされた金属板は瞬く間に穴だらけの襤褸切れと化した。
いや、金属板などとぼやかした言い方はすまい。クロエは頭痛を堪えながら現実を受け入れた。
それは、ネウストリア王国を初めとした大陸諸国で一般的な板金鎧に他ならなかった。
「我々は≪ライフル≫と呼んでいます。炎の魔石と≪火薬≫の二種混合方式で、弾種は≪徹甲≫≪穿孔≫≪麻痺≫の三種。魔獣を相手取るにはできるだけ離れているに越したことはありませんので、騎士達には弾切れにならない限り銃を主体にした戦闘を行うよう義務付けています」
平時は教官役を務めているという小隊長は、丁寧な口調で説明した。
「彼等は魔術師なのか?」
「いえ。魔力循環で体調を整える程度の鍛錬は積んでいますが、それだけです。尤も、だからといって魔術を使えないわけではありません」
「……どういうことだ?」
「彼等が手首に着けている腕輪が見えますか?」
「ああ。あれが?」
「丁度我々も着けている≪リング≫の親戚のようなものです。魔石から供給される魔力を動力源とし、装着者の無意識領域を利用して演算を行う人工精霊が搭載されています」
「人工精霊……とは何だ」
「装着者に魔術を使用させるための装置だとお考え下さい。詳細は、後日お時間を確保されてからの方が良いでしょう。予備知識のない状態からご理解いただくには、概要だけでも半日はかかるでしょうから」
「……そうか。まあ、この≪ライフル≫や人工精霊とやらが優れた装備であることは理解した。次は一般兵の装備を見せてくれないか」
「は?」
「精鋭部隊の実力はよく理解したとも。だが、騎士団の主力は一般兵だろう?」
「あの、今お見せしているものが当騎士団の標準装備ですが」
「…………」
「あ、特殊装備というならそうですね」
二人の間に吹いた薄寒い風を誤魔化すように、小隊長はわざとらしく声を上げた。
「最近新しく≪狙撃銃≫の開発に成功しました。効果のほどはクロエ卿にも既にご覧いただいていると報告を受けておりますが」
「は?」
「えー、つまり従来の銃を遥かにこえる長距離からの発砲を前提とした≪ライフル≫とでも申しましょうか。クロエ卿が当地にいらした日に遭遇された第四等級、狼の巨大化個体がおりましたでしょう。あれに止めを刺したのが≪狙撃銃≫による狙撃であります」
自発的な思考を放棄したクロエの脳裏に、あの日の光景がよみがえった。
確かに、あったような気がする。
最後の悪あがきを見せようとした巨狼は、突如として殴りつけられたように痙攣して倒れ伏した。
そうか、あの時遅れて響いてきた遠雷のような音は、≪狙撃銃≫とやらの発砲音だったのか。
いくら相手が弱っていたとはいえ、姿も見えないような距離から、魔獣を一撃で仕留めたと、そういうわけか。
そういえば、とクロエは思い出す。
マティアスから渡された資料の中で、特に異常な項目があった。
対魔獣戦での死者が十五年程前を境にして急激に減少していたのだ。というか、ほぼゼロに等しい状態にまでなっていた。
どう見てもこれらの武器のせいだった。
今や、キルスティンにおける魔獣は、狼や猪より多少危険な害獣程度の存在でしかないのだ。
それがキルスティンという土地の常識なのだ。
クロエは緩慢に小隊長の装備を眺めた。
肩紐で吊り下げた≪ライフル≫の銃身に、視察を開始した日からずっと目にし続けてきた代物が刻まれている。
羽を持つ少女を象った意匠。
ふーん。
あ、そうなんだ。
クロエには、何かがぽっきりと折れる音が聞こえたような気がした。
■■■
練兵場の端に建てられた休憩用の東屋で、クロエは頭を抱えて座り込んでいた。
マティアスは遂に体調を崩し、エルザに伴われて一足先に帰途についている。
うぐぐ、と変な呻き声を挙げるクロエの前に、黒い影が落ちた。
「さて、答えは出ましたか?」
銀鈴を転がすような声が、今は悪魔の囁きのようにしか聞こえなかった。
数日前に少しは判り合えるかもしれないと思ったのは、どうやら幻想だったらしい。
がらがらと何かが崩れ落ちるような脱力感を堪えて、クロエは顔を上げた。
「……使わんぞ」
地を這うような声で、クロエは唸った。
「なるほど」
不気味なほど穏やかに頷く銀色の娘に向かって、クロエは渾身の力で人差し指を突きつけた。
「俺は使わん! キルスティンの『力』は、絶ッ対に『外』には出させんぞ! 何一つだ!」
砦に到着してからこの方、溜まり続けたものを爆発させるようにクロエは喚いていた。
「こんなもの持ち出したら世界を何度滅ぼしてもお釣りが来るわ! いいか、俺の目が黒い内は……いや、白だろうが黒だろうが知ったことか! とにかくこの土地の技術は秘匿する! 未来永劫、何があろうとだ! いいか、何があっても、絶対にだ!」
あらん限りの勢いで言葉を吐き出し、クロエはぜいぜいと息を荒げた。
王都での名誉回復やら不正の追及など、今となっては果てしなくどうでもよかった。
そんなもの、このキルスティンとかいう危険物の塊に比べたら芥子粒以下の問題だった。
この領内に蠢く技術が僅かでも流出すれば、世界は瞬く間に混乱の坩堝に放り込まれる。
こんなものをこれから数十年もの間、他ならぬ自分が管理していかねばならないのだと思うと冷や汗が止まらなかった。
だが、悪魔は容赦なかった。
「良かった。次期キルスティン辺境伯の最も重要なお仕事についてご理解いただけたようで何よりです」
胸元で両手を合わせ、エリザはにっこりと微笑んだ。
「今後も、新しい発明品が『どんどん』出てくると思いますけれど。そちらも含めて末永くよろしくお願いしますね、クロエ様」
クロエは目の前が真っ暗になった。
早まった。明らかに早まった。
いくら政争に負けたからといって、辺境伯領に婿入りする話なんか呑むのではなかった。
牢に押し込められて甚振られたあげく断頭台の露になるよりはマシだ等と能天気に笑っていた数か月前の自分を縊り殺してやりたい。
狂人の慰み物にされるというのは確かに誤解だったかもしれない。
だが、今の状況はある意味でそれよりもなお悪かった。
クロエは自分が特別に優れた為政者だとは思っていない。
確かに、それなりに学問も修め、権力者との渡り合い方もある程度は学んだ。暗がりの世界とてそれなりには覗いてきたつもりだ。
だが、それでもクロエは大貴族が息を吹きかけただけで簡単に吹き飛ばされた。
その程度の器なのだ。
一歩間違えれば自分の身どころか世界を火の海に沈めてしまうような代物の手綱を握るなど、どう考えても手に余る。
己の目的のために活用するなどという選択肢は断じてあり得ない。
隠す以外の処置はない。
徹底的に情報を伏せ、秘匿し、誤魔化し、何もないかのごとく振る舞うのだ。
それも完璧にだ。
完璧。
人間にとってなによりも困難な課題である。
絶対にどこかでミスが出る。
だが、それは許されない。
その瞬間、世界の終わりが始まってもおかしくないのだ。
「終わった……俺の人生、完全に終わった……」
奈落より深い絶望を滲ませたクロエの声は、≪カノン砲≫が轟音と共に吐き出した爆風に吹き散らされた。




