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第一話:クロエ、婿入りする(6)

「まさか、事前に何の説明もしないだなんて……しかも最初期型の見た目最悪な≪リング≫で導入処置やるとか、ホント馬鹿……」

 頭痛を堪えるように眉間を抑え、エルザは唸った。

 反応は無かった。

 対面の座席にクロエとマティアスは腰掛けていたが、それどころではなかった。

「な、何なのだこの≪自動車≫というのは……!」

「≪リムジン≫と呼ぶ型のものらしいですが……」

 応えるマティアスの声も硬い。

 無理もなかった。

 クロエ達が顔を突き合わせているのは≪リムジン≫と呼ばれる胴の長い鉄の馬車、その車中であった。

 馬車のような、とは言ったが曳く馬もなく、前方の座席に座る使用人が≪ハンドル≫なる鉄の輪を握って動かしていた。

 窓の外に映る景色は、飛ぶような速度で流れ去っていく。

 郵便馬車ですらこれほど早くはない。下手をすれば、戦場で伝令兵が乗る早馬ですら置き去りにしかねない速度だった。

 それなのに、この≪自動車≫には運転手の使用人を含めて五人もの人間が乗り合わせているのである。

 

 五人。

 

 そう、クロエの余裕の無さは、未知の乗り物が信じられない速度で爆走していることだけが原因ではない。

 眉間を抑えるエルザの横で体を丸めて眠り込む、エリザの存在も大きく影響していた。

 主のビクつき具合に、マティアスはそっと嘆息する。

 が、現状では如何ともし難かった。

 あれからマティアスも危機一髪くん一号なる代物を見たが、どこからどうみても邪悪極まりない拷問道具……否、処刑器具にしか見えなかった。初夜の床で身体の自由を奪われ、あんなものを嵌められようとすれば歴戦の勇者とて悲鳴を上げるにちがいない。

 というか、あれが初期型って。

 最初の頃は全員があんなものを使っていたのか。

 キルスティン人、少し豪胆すぎるのではないか?


 一行が最初に向かったのは≪大学≫と呼ばれる施設だった。

 なお、エリザは車中に残されている。眠りこけたままだったからだ。

「多分、最後まで起きないでしょう」とは、肩を落としたエルザの言葉だった。

 だったら何のために着いてきたのだとクロエは心中で叫んだが、着いてきてしまったものは今更どうしようもなかった。


「大きいな……」

 石造りの建物を見上げ、クロエは呟いた。

 王都近郊の都市で言えば、市庁舎程度の大きさはある。

 その建物に、大勢が出入りしていた。入口近くで固まって言葉を交わす者、足早に建物へ入る者、誰かを探すようにきょろきょろと辺りを見回す者、等々。

 驚くべきは、そのほとんどが若者であったことだ。なんでも王都で言う学院に相当する教育機関であるらしい。

「一昨年、ようやく改築作業が終わったばかりでして」

 にこにこと説明を続けるのは、恰幅の良い中年の男である。なんでも、≪校長≫を務めているとのことだった。

「今までは学生の年齢によって、あちこちの建物に間借りをしておりましたが、これからは大半の学部を一つの建物に纏めることができます」

「随分と、若者が多いようだが」

 クロエが尋ねると、校長は満足気に頷いた。

「領内の同世代の内、およそ四割がここに通っております」

「それは……農民も含めてということか?」

「勿論、仰る通りでございます。学費は取りませんので」

 至極当然、といった調子で頷く校長。

 ≪大学≫の運営資金は、全て辺境伯から出ているのだという。

 領民は望みさえすれば、身分も財産の有無も関係なく入学できる。

 成績を維持できなければ放逐されるが、学生の身分を持つ限りは最低限の生活費すら≪大学≫が賄うということだった。

「だが、それでは働き手はどうするのだ」

 とクロエが尋ねると、校長は「問題ございません」と胸を張った。

「農業は機械化技術の発展著しく、いまや熟練者による監督さえあれば大半の工程は農業機械及びゴーレムの労働によって代行可能です。何より、次代の発展を担うのは若者ですからな。彼等の教育を怠っては、後に待つのは衰退だけであります」

 校長の胸元に飾られた、銀色のブローチが光を放った。

「……そのブローチは?」

「≪銀の妖精≫でございます」

 校長は誇らしげに頷いた。

「教育への情熱を持て余して燻っていた私に道を示してくださった恩人でして。感謝の念を示すべく、学び舎の紋章に採用しております」


 次に訪れたのは畑だった。

 周囲を建物に囲まれた奇妙な耕地で、農法や品種の改良を目的とした研究施設であるという。

「えー、最近は小麦の品種改良が主な課題だ……であります」

 ≪所長≫を名乗る白衣を纏った痩せぎすの男は早口で語り、チラチラと背後に目をやった。

 一刻も早く仕事に戻りたがっていることを隠しもしない。次期領主一行を相手に、恐ろしく不遜な態度だったが、クロエは男の耳をみて納得した。

 男の耳は細長く、尖っていた。

 聞けば、エルフとの混血だという。極めて珍しいことではあったが、前例がないわけではない。

 いずれにしろ、深い森で精霊と暮らすエルフは人間の様にあまり複雑な社会構造を持たない。経緯を払うのは己が上位者と認めた数名だけで、後は全て同じ立場の存在と見做す。所長にもその気質は色濃く受け継がれているようだった。

「過去の実績で大きなところとしては……あー、輪作体系の導入か。これによって冬に家畜を屠殺する必要がなくなった。あとは農耕機で植え付けと収穫を機械化したので、耕地の管理に必要な人手を大幅に減らした。実用に達するまでかなりの試験が必要で苦労させられたがね。それと……」

 それから延々と長広舌が続いた。

 辟易したクロエが途中で遮ると、所長は「ならばこれまで」と仕事場に向かって踵を返した。余程の仕事中毒であるらしい。

 所長を見送ろうとしたクロエは、その白衣の袖を留める銀色の金具に目を惹かれた。

 身なりに気を使った気配の無い所長において、それは唯一の装飾らしい装飾だった。

「所長。その袖の飾りは――」

「ああ、これか」

 立ち止まり、所長は袖の金具に目を落とした。

「≪銀の妖精≫。実りを増やし、土地を拓く術を齎した私の神だ」

「そのような神、聞いたこともないが」

「そうでしょうとも。私とて十五年程前に会ったきりだ。今頃どうしているのやら」

「……」

「他になければ、私はこれで」


 それから、クロエ達を乗せた≪自動車≫は領内をぐるりと巡るように走り続けた。

 その移動時間ですら、クロエとマティアスに休息の時間は無かった。

 見るべきもの、未知のものが余りにも多すぎた。


 どこまでも精緻に敷き詰められた一枚岩の道――≪アスファルト≫

 途中で何度もすれ違った巨大な箱を曳く自動車――≪トラック≫

 一度で莫大な貨物と人を運ぶという、湯気を吐き出して走り回る、鉄でできた竜の如く長大な車両――≪蒸気機関車≫

 領内の全域に展開する清水の供給網と汚水の廃棄網及び処理施設――≪上下水道≫に≪浄水場≫

 広大な領内の情報伝達を支えるという、喋る機械――≪電話≫および≪ラジオ≫

 それら施設や設備を稼働させる動力源、それを生み出す巨大な鉄の装置群――≪発電所≫

 

 車中にあってはエルザの説明と共に車窓から見る光景に愕然とし、それぞれの施設の長から紹介を受けては驚嘆した。

 そのどれもが王都どころか近隣諸国全ての常識を粉微塵に粉砕する代物であり、外部に漏れれば壮絶な争奪戦が繰り広げられるだけの有用性を持っていた。

 特に輸送・伝達を担う≪自動車≫と≪電話≫が酷かった。

 巨大な建物や下準備を必要とせずに外部へ持ち出すことができるこれらは、もしも戦争に転用されればとんでもないことになる。

 距離を無視して指揮官の指示が即座に伝達され、全員が早馬を遥かに超える速度で移動するような軍があればどうなるか、火を見るよりも明らかだった。


「国を陥としかねんぞ、これは」

「まことに」

 クロエは疲れ果てた顔で項垂れたが、相槌を打ったマティアスも憔悴しきっている。

「これは≪リング≫とやらを着けるのも当たり前だな」

 ただの部外者相手であれば、単にこれらを見せずにおけばよい。

 だが、クロエは統治者としてこの土地を訪れた人間だ。どうあってもキルスティン領の内実には触れなければならない。

 外部に漏れれば戦乱の火種となりかねない代物が山の様にあることを知った今では、有無を言わせず≪リング≫の着用を強いるのは当然の仕儀と思えた。

 ……やり方に、多少の問題があったことは否めないが。

「ご理解いただけて幸いです」

 エルザがほっと胸を撫で下ろした。相当気に病んでいたらしい。

 その原因となった娘は、隣で能天気に眠りこけたままだったが。


「ようこそいらっしゃいました、皆様方。工房長のボーと申しますぞ!」

 クロエ達を出迎えたのは、恐ろしく小柄な男だった。子供並の背丈だが、がっしりとした骨格に隆々たる筋肉をつけ、岩から掘り出したように無骨な顔には、もじゃもじゃの髭を蓄えている。

 ドワーフであった。

「こちらへどうぞ。ご案内の準備は既に整ってございますぞ!」

 最後に案内されたのは、≪工房≫と呼ばれる生産施設だった。

「当施設では、ありとあらゆる品物の研究開発を請け負っております」

「ありとあらゆる、ですか?」

 疑問を呈するマティアスに、ドワーフは「そうですぞ!」と大きく頷いた。

「小さなものは剃刀から、大きなものは建築物まで、全ての技術には繋がりがございます。技術者たるもの、己の専門外であってもその概要程度は知っておかなければ、新しい発想など生み出せないというものですぞ!」

 その言葉に、クロエはこの日何度目になるかも判らない驚嘆の念を抱いた。

 詰まる所、このドワーフは工房で作り出される技術が誰の前にも開かれていると言っているのだ。

 普通、腕のいい職人ほど自分の技術は隠すものだ。真似をされれば、あっという間に自分が仕事をなくしてしまうのだから、それは責められない。王都では、優れた職人に資金を与え、己の工房を持てるように取り計らうことで量産体制を確立する。

 だが、この土地ではそうではないらしい。

「ギルドは無いのか?」

 試しにそう聞いてみれば、ドワーフはきょとんとした表情でこう言ったものだ。

「何ですかな、それは?」

≪工房≫は、元を辿れば壊れた武具を鍛え直す鍛冶場であったのだという。

 そこでは常に魔獣との戦いに晒されている都合上、『使えるものは全て使う』という考え方が骨の髄まで染み渡っている。

 何しろ、すこしでも有用な技術は寄って集って全速力で実用化しなければ故郷が滅ぶのである。

 元々がそんな考え方で回ってきた組織であるから、武具以外のものを作りはじめたところでそのやり方が変わるわけはなかった。

 第一、現時点でも職人の数は潤沢とは言えない。

 編み出した技術を手札にして下らない政治的駆け引きに興じている暇があったら、一つでも早く事務室にそびえ立つ要望書の山を切り崩すために使ったほうが余程建設的である。というかそうでなければ休暇が取れない。

「尤も、職人の数が十分に揃ったら少数の集まりで別れて競い合うのも面白いかもしれませんが!」

 そう言って、ドワーフは大笑いした。

 見れば、その太い首に巻かれた細い首飾りには、小さな銀細工があしらわれている。

 羽を持つ少女を象った意匠。

 この日、あちこちで見かけたものは、やはりここにもあった。


 工房の外に転がる巨石に、クロエは腰を降ろしていた。

 マティアスはエルザを伴い、工房内の視察を続けている。今頃は更に度肝を抜くような何かを目の当たりにしていることだろう。

 果汁水を一気に飲み干し、クロエはその容器をじっと眺めた。

 飲み物を求めたクロエにドワーフが差し出してきたのは、グラスでも水筒でもなく、≪缶≫という金属の筒だった。

 紙のように薄くした柔らかい金属に液体を充填し、密封してあるのだ。

 液体の代わりに食糧を密封することもでき、そうした食糧や飲料は信じがたいことに年単位での保管が可能となるらしい。

 そして、キルスティンではこの≪缶≫に詰めた食糧と水を全ての街と村に配っている。

 ≪自動車≫による物流と組み合わせることで、仮に数年単位の不作が起きてさえ飢饉が発生しないのだという。

 一体、どれだけの食糧を蓄えているのかと呆れるばかりである。

 とは言え、そうした深刻な不作はここ十数年の間起きていないらしい。それもまた信じがたい話ではあった。


「いかがでしたか。本日の視察は」


 背後から、銀鈴を転がすような声がした。

 びくり、と跳ね上がる身体を抑えつけ、クロエは振り返った。

 いつの間に目覚めたのか、車中に居た筈のエリザがそこに立っていた。

 湖を思わせるような深く静かな眼差しが、クロエを見つめていた。

「大したものだ。どれ一つとして見たことも聞いたこともない物ばかりだった」

 手の中の≪缶≫に目を落とし、クロエは尋ねた。

「……全て、お前が作ったのか?」

 エリザは含むような笑みを浮かべ、「私が?」と首を傾げた。

「なぜ、そのように思われるのです?」

「視察したものの全てがここ二十年程……お前が生まれてから発生していて、その技術を管理する者達が例外なく≪銀の妖精≫とやらの意匠を身に着けていたんだ。誰でも連想するさ」

 だが、仮にそれが事実であれば、なお一層に信じがたかった。十数年前といえば、この女は子供どころか幼子であったはずだ。

「お前は、何者だ?」

 ぽつりと呟いた問いかけに、エリザは困ったように笑った。

「さあ。オーギュスト・キルスティンとシャルロッテ・キルスティンの娘。エルザの姉……確実に言えるのは、それくらいです」

 それよりも、とエリザは足を進め、腰を下ろしたクロエの顔を覗き込むように身をかがめた。

「クロエ様。次期キルスティン辺境伯。木っ端役人の不正を見過ごせなかったばかりに、継承権を巡る争いの渦中で全てを奪われた王族の血を引く方。貴方はこの領地の『力』、どう使われますか?」

 その言葉に、クロエは瞠目した。

 クロエ・ニフレクスの失脚は世に知られた話だが、その原因を知る者は少ない。

 

 とは言いながら、そう込み入った話でもない。

 あるとき、国庫の財に手を出し、私腹を肥やしていた下級の役人がいた。

 それを知ったクロエが告発したところ、その役人は程なく事故死した。

 蜥蜴の尻尾切り以外の何者でもない。

 頭にきて調べを進めようとしたところで、突如としてクロエに褒美が授けられた。

『王家の財産を横領した不届者の罪を見抜き暴き出した』功績により、辺境伯の位を与える、とのことだった。

 折り良く妙齢の娘を持つ辺境伯がいる。婚姻を結び襲爵せよ、と。

 王都には無数の貴族が暮らしている。

 その多くは自前の領地を持たない次男や三男で、親から分け与えられた幾許かの財産と年金、王宮で官僚あるいは軍人として働いて得る報酬で生計を立てている。

 彼等は領地を持つことを夢に描き、そして多くの場合それを実現することなく老いて死ぬ。

 その常識からしてみれば、クロエは功績を挙げ、誰もが夢見る立身を果たしたのだ。

 所領が魔獣の跋扈する辺境でなければ、の話だが。

 

「……そこまで知っていて、なぜ俺を受け入れた」

「クロエ様には既に≪リング≫を着用いただいております。貴方の意志とは関わりなく、領の機密は守られる」

 エリザの静かな笑みを、クロエは否定する。

「マティアスから聞いた。コレはただ、口を滑らせないようにするための安全装置にすぎないと」

 耳朶に埋め込まれた金属の環に触れる。

「言葉を出せずとも、行動が縛られているわけではない。この土地の産物を王都に流し、目につく限りの商会を従えることもできる。その伝手を辿れば望みの爵位を買い取れよう。あるいは、兵を挙げて攻め込んでもいい。あの≪自動車≫と≪電話≫だけあれば、王宮を占拠するのに一日もいらん」

 違うか、と目で問いかければ、エリザは至極あっさりと頷いた。

「仰るとおりでしょう」

 この娘が肯定するならば、事実としてキルスティンは王都を、ネウストリア王国を制圧し得るのだ。

 そう思わせるだけの底の知れなさを纏った娘だった。

「ならば――」

 クロエの言葉を遮るように、月の光を紡いだような銀の髪がたなびいた。

「風が出てきましたね」

 身を起こし、エリザはクロエから目を外した。

 つられるように、クロエはその視線の先を追った。


 夕暮れ時。

 見渡す限りに青々と葉を茂らせた畑が広がっている。

 工房は街の周縁部に建っている。

 その外側には広大な農地があるというエルザの説明を、をクロエは思い出した。

 細い農道をじゃれ合いながら走り回る幼子達の姿。

 それを見守るようにゆっくりと歩く農夫達。

 今この時も世界の何処かには人と人が命を奪い合う地獄が在る。そんな当たり前の事実が、ひどく遠い出来事の様に感じられた。


「国費の横領など、ネウストリア王国では今に始まったことではない。既に国費は大貴族達が影響力の拡大を求めて奪い合う資源でしかないし、細かな不正を一々摘発していれば赤子が老人になってしまうでしょう」

 静かなエリザの声。

「それでも、貴方はその不正だけは見逃せなかった。数多ある不正の中で、貴方はその事件を選んだ。何故ですか?」

 どう聞いても答えを知っているとしか思えない物言いだった。

 猛烈にむず痒い感覚に襲われながらエリザを睨み付けたが、柳に風と受け流すような笑みが帰ってくるばかりだった。

 深々と嘆息し、クロエは答えを口にした。

「……盗まれた金が、貧困層への配給分だったからだ」

 ごく単純なその事実が、答えだった。

「唯でさえ年々金額が削られている予算だった。明日の食事どころか昨日の飲み水すら満足に手に入らなかった者達を救うための金だ。いくらなんでも『最低限の筋』というものがあると、誰かが知らしめねばならなかった」

「命を狙われるかもしれなかったのに?」

「まさかそこまで根が深いとは思っていなかった。今では浅慮だったと後悔しているさ」

「そういうことにしておきましょうか」

 見透かすように微笑し、エリザは「それでは」と口を開いた。


「もう一度お尋ねします、クロエ様。貴方はキルスティンの『力』、どのように使われますか?」


「……」


「答えが出たら、教えてくださいね」

 悪戯気な調子で言い残し、エリザは姿を消した。

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