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第一話:クロエ、婿入りする(5)

 オルトノヴァ家は代々、武を以てネウストリア王国に仕えてきた騎士の家系である。

 その家に生まれたマティアスもまた、生まれた落ちた時から騎士になることを義務付けられていた。

 とは言え、マティアスの立場には少しばかり事情があった。

 当主が妾に産ませた子供だったのである。

 幸いにして認知はされていたから、私生児ではなく庶子ということになる。

 

 マティアスは母親の名を知らされていない。

 ただ、魔術師であったらしい。

 名は伏されていたが、その才はマティアスの中にも受け継がれた。

 魔術の資質は、人間ならば誰もが備えているものではある。

 だが、それを戦いに活かせる領域まで引き出せる者は少ない。

 マティアスは母譲りの天稟と弛まぬ研鑽によってそれを成した。

 尤も、マティアスが使えるのは特定の魔術――爆炎と雷撃の二つのみである。

 それしか学ばなかったからだ。

 

 敢えて身に着ける魔術を限定した理由は二つある。

 騎士としての訓練にも時間を割く必要があったことが一つ。

 もう一つが、魔術の≪刻印化≫のためだ。

 薬物と暗示を併用して魔術式を脳に刻み込み、固定する処置のことだ。

 魔術の演算を無意識化できるので、戦闘中に思考を割くことなく魔術を使用できるようになる。

 代償として習得できる魔術の総数が激減するものの、戦闘の一手段として割り切るのであれば多様な魔術は必要ない。むしろ如何に素早く、あるいは自在に発動させられるかといった要素の方が余程重要である。

 それはさておき、以上のような経緯でマティアスは魔術の知識を持つため、それなり以上の深さで魔術式を読み解くことができる

 使える魔術が少ないからと言って、知識そのものまでが貧弱なわけではないのだ。

 そして、その知識が結論していた。

 

 これはちょっと複雑すぎて読めない。

 

 いや、それ以前に小さすぎた。

 小指の先よりも小さな金属の表面に、髪の毛よりも細い線がびっしりと刻み込まれているのだ。

 どれ程の加工技術がこれを成遂げたのかと、マティアスは舌を巻く思いでそれを見つめた。

 

 婚礼が終わった後の夜。

 居室に戻ろうとしていたところをエルザに呼び止められ、応接室へと招かれた。

 そこで見せられたのが、≪リング≫と呼ばれる小さな金属の輪であった。


 ≪リング≫は魔導具の一種で、着用者の魔力を使用して起動し、着用者の意識の一部を使用して演算を行う術式が刻まれているとエルザは説明した。

 魔術を行使するのはあくまで着用者自身、ということらしい。

 いわば外部化された刻印化魔術のようなものである――と言ってしまうのは簡単だが、そんな技術が存在するなどマティアスは聞いたこともなかった。

 大体、それが事実だとすれば刻印化魔術の修練が全て無意味になってしまう。必要な術式を刻んだ≪リング≫を必要な種類だけ着用していれば事足りる。刻まれた魔術を全自動で発動させるというのなら、着用者は魔術を学ぶ必要すらない。

 掛け値なしに、王国の歴史が変わりかねない代物だった。

 

「それで、こちらの≪リング≫にはどのような効果が?」


「着用者の意識を観測し、≪非公開≫指定を受けた言葉・概念に関する発話を禁じると同時に、≪公開≫指定されている同等の情報があればそちらを発話させます。この魔術はキルスティン領外に出たとき、もしくは領外からの訪問者が近くにいることを条件として励起されます」


 要は、部外者に対して余計なことを喋らないための道具である、ということらしかった。


「……情報を制限しているというのですか? 何のために?」


「『外の世界』を混乱させないためです」


 静かに言って、エルザは資料の束を差し出した。

 中身に目を通し、マティアスは驚愕する。

 記載されている内容が事実ならば、キルスティンの経済規模はこの二十年でとんでもなく跳ね上がっている。農産物の生産量を初めとして、国力の指標たる製鉄量も異常な規模に達している。何しろ辺境の一領地に過ぎないこのキルスティンだけで、ネウストリア王国の総生産量に匹敵しかねない勢いなのである。もはや一つの国家と言っても過言ではなかった。


「馬鹿な……」


 マティアスには、手にしている資料が落書きを連ねた反故紙の束にしか見えなくなっていた。現実離れした情報に実感を抱ける人間など存在しない。これが部下から渡されたものであれば、マティアスはその者を怒鳴りつけていただろう。

 だが、これを提出したのは部下でもなければ同僚でさえない。主人の伴侶の肉親である。


「信じられないのは判ります、マティアス様」

 あからさまに否定するわけにもいかず、さりとて信じること等とてもできず苦慮するマティアスに、エルザは言った。

「ですから、視察されては如何でしょうか」

「視察……ですか」

 はい、とエルザは頷いた。

「いずれにしろ、この土地を理解するには実情を見ていただくことが一番ですから」


 それはそうだろう、とマティアスは胸中で同意し、机上に置かれた≪リング≫を手に取った。

 これを装着することが、キルスティン領内に向かう条件なのだった。

 

 正直、得体の知れない魔導具を、それも意識に干渉するような代物を身に着けたくはない。

 が、キルスティンの人間は例外なく、それこそ現辺境伯に至るまでがこれを着用しているという。

 目の前のエルザとて、今は≪部外者≫のマティアスに事情を説明するため、特例として外しているだけらしい。

 今頃はクロエもエリザから同じ説明を受けている頃に違いなかった。

 

 意を決し、≪リング≫を耳元に寄せる。

 パチン、と金属の弾かれる音。

「……っ」

 小さな痛みが耳朶を貫いたが、それだけだった。

 体調や意識に変化が無いことを確かめると、マティアスは再び資料に目を落とし、嘆息した。


「これ程の発展、どのように成し遂げられたのです?」

「この領内の技術は、あるときを境に各地から同時多発的に生まれたものです。開拓地の農民、街の商人、職人、兵士達……数え切れないほどの人々が持ち寄った技術を縒り合せて今のキルスティンは成り立っている――ということになっています」

「ということに、ですか」

 エルザは苦笑交じりに頷いた。

「はい。そういうことになっています。詳しい話は、御自身の目でお確かめ下さい」

「はあ……」


 いずれにしろ、全ては視察に向かってからのこと。

 そういうことになって、その日は終わった。

 

 この時、翌日の食堂で待ち受ける騒動をマティアスは勿論、エルザも予想していなかった。

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