第三話:マティアス、魔獣討伐に同行する(1)
ロストック――キルスティン領の三方を囲む大森林の一つである。
内部は暗く、一歩踏み入れば空を見ることはできない。
無数の巨木が広げる林冠の天井に覆われているのだ。
そのため、昼であっても陽の光が届かない。
鬱蒼とした樹木が広大な薄闇の中に沈み、冷たく湿った空気が澱んでいる。
ロストックの森とは、そのような場所だ。
その闇の中を、ジローは慎重な足取りで歩いていた。
ジローは開拓者だ。
辺境伯領の農夫の多くがそうであるように、森を拓き、魔獣を狩って人の住む土地を広げる半農半猟の生活を送っている。
今も樹木数本分の間隔をあけて、仲間達と共に森の奥深くへと足を進めていた。
森の中には膝の高さまであるような下生えが生い茂っている。
陽光が無い状態でさえ無数の植物を養えるほどに、土壌に含まれた養分が豊富なのだ。
また、一度切り拓きさえすればなだらかながどこまでも広がり、水源にも不足は無い。
この森は魔獣の生息密度が最も高い危険な土地だが、一方で農耕に極めて適した土地でもあった。
≪どうだ、そっちは?≫
離れた仲間の声が耳元で響く。
「まだ何も……しかし、便利になったもんだな」
≪爺さんが聞いたらひっくり返るぜ。無線機なんて、ついこの間まで軍用品しかなかったってのに≫
上機嫌な仲間の声に、ジローは全くだと頷いた。
キルスティンの技術革新の速度は恐ろしく速い。
電話線を繋がずに会話できる≪無線機≫なる代物が噂に上り、騎士団に制式採用されたと話題になってから、そこらの商店でも買えるようになるまではあっという間だった。
今や開拓者達の必需品として出回るどころか、学生達の玩具にすらなりかねない所まで値段も下がっている。
「お蔭で俺たちは安全に森の中をうろつける。こいつらもいるしな」
鉈で下生を切り払いながら、ジローは隣に並ぶ大柄な影を横目で見上げた。
ジローの隣で黙々と歩いているのは、切り出した岩を組み合わせたような形状の不格好な人形――ゴーレムである。
村ごとに数十体ずつ貸与され、住民達はそれを借りて力仕事や危険な作業を――つまりは魔獣が出現する恐れのある森の中での伐採や開墾、そして時には開拓者達の支援に当たらせている。
開発元の工房では『汎用人型労働兵器』等とやたらに長い上に良く判らない名前をつけているらしいが、ジロー達開拓者の間では単純に"デカブツ"と呼ばれていた。
「さて、この辺にしとくか」
ほんの少しだけ開けた場所に出たところで、ジローは足を止めた。
開拓者の仕事は多岐に渡るが、その中で最も重要な仕事の一つが、森の中に『足場』を作ることだ。
伐採を済ませ、外縁部に魔獣避けの結界を張った円形の土地を、開拓者や農夫達は『足場』と呼ぶ。
ここを拠点にして、周囲の伐採を進め、或は更なる奥地へと向かうための拠点として建物や設備を充実させていくのだ。
開拓者達は『足場』を作りながら、それを他の『足場』を繋げることで森から人間の土地を切り出していくことになる。
そう言った意味では『楔場』と呼ばれることもあるが――いずれにせよ、今のジローの仕事は木を切り倒すだけである。
どすっ、どすっ、と振り子のように精確な繰り返しで、斧が大木の幹に食い込んでいく。
斧を振るっているのはゴーレムである。体内に組み込まれた魔石からの魔力供給を受けて動作するゴーレムは、人間とは違い、力尽きる直前まで精確に同じ力を発揮し続ける。
「あー、止まれ止まれ。今度はこっちからだ」
脇に立ってその作業を見守っていたジローは、手を振ってゴーレムの動きを止め、切り込む角度を少し変えるように指示を出した。
木を切るためにはどこに向かってどう倒すかを考え、思った通りに倒れるような切り口を刻む必要がある。ゴーレム自体はそこまで高度な判断ができないため、ジロー達のような利用者はゴーレムの傍で作業を監視し、丁度いい頃合いで指示を更新していく必要があった。
仲間達もそれぞれの場所で、ジローと同じようにゴーレムを使って伐採を進めている。作業は極めて順調に進んでいた。
暫くしたころ、ゴーレムが振るう斧音の合間に微かな物音が混じった――ような気がした。
ジローは音が聞こえた方向に振り返る。
何も見えない。
いくらかの大木を切り倒したため林冠には小さな穴が開き、陽光が差し込んでいる。それでも見えるようになった距離は短く、少しでも離れた場所にある影の中はまるで夜そのものの様に暗く、見通しが聞かない。
その中を、小さな光が動いたように見えた、
何か、居るのか。
ジローは目を細め、そっと背中に手を回した。背中に提げている護身用ライフルのグリップを取り出し、構える。
「"デカブツ"、斧を止めろ」
ジローの呟きに合わせ、斧音がぴたりと止まる。少し離れた場所で聞こえていた別の伐採音が聞こえていたが、それもすぐに止まった。
≪どうかしたのか≫
無線機越しの仲間の声。
「何か動いたように見えた。勘違いかもしれん」
ライフルを構えたまま小声で答え、ジローは暗がりを睨み付けた。
自分の呼吸だけがやけに大きく響く。
ジローとて開拓者の端くれ、魔獣を相手取った経験は少なくないが、それでも毎回の緊張からは解放されない。
そのまましばらく身動ぎひとつせずに待ち構えたが――何も起きなかった。
ライフルは殺傷能力が極めて高く、魔獣相手には極めて有効な武器ではあるが、金属の塊であるため、それなりに重い。
腕が痺れてしまう前に、ジローは小さく息を吐き、ゆっくりとライフルを下ろした。
本当に気のせいだったのかもしれない。そう思おうとした瞬間、がさりと下生えが揺れた。
「……!」
反射的にライフルを構え直し、目の前に転がり出た小さな塊を睨み付け、ジローは一気に脱力した。
クウ、と小さく甲高い鳴き声を上げたそれは、どこからどうみても狐の子供でしかなかったからだ。
≪どうした?≫
「いや、何でもない。ただの子狐だ」
苦笑交じりに応え、ジローは今度こそ銃を下ろした。
腹が減っているのか警戒心というものが無いだけなのか、子狐はよたよたとジローの方に向かってきた。
親を亡くして迷い出てきたのかもしれない。
「あっちに行けよ、ちび助」
子狐に手を振って、ジローはゴーレムに伐採を再開させた。
が、すぐに顔を顰めて足元を見降ろした。
子狐が下履きの裾を加えて引っ張っていたからだ。
「こんな明るいところをうろついてたらあっという間に食われちまうぞ」
軽く足を振って子狐を払いのけ、ジローは諭すように呟いた。
だが、暫くすると再び裾を引っ張られた。
「お前な、いい加減にしないと鍋にして食っちまうぞ――」
そう言いながら子狐を覗き込んだ途端、ジローは息を呑んだ。
裾を加えたまま自分を見上げてくる子狐のような『それ』が、無数の目でジローを見上げていたのだ。
頭部の至る所から出鱈目に見開かれた幾つもの眼球が、ぎょろりと一斉に瞳孔を細めた。
「う――おおおおっ!?」
反射的に思い切り足を振って、裾に食いつく『子狐』を蹴り飛ばした。
ぶにゃり、と腐った果実のように嫌な感触が足に伝わり、怖気となって背筋を駆け上る。
――しまった。
喉元まで跳ね上がるような鼓動に息を荒げながら、ジローは痛烈な危機感に舌打ちした。
蹴り飛ばした『子狐』の姿が見えなくなっている。森の暗がりに消えてしまったのだ。
居場所が掴めない。
「魔獣だ! 魔獣の仔が出た!」
ライフルのグリップを握り締め、ジローは怒鳴った。
≪くそ、魔獣避けを編んでもいねえってのに。種類は?≫
「判らん。見た目は狐だが、まだ小さい。"仔喰い"じゃないだろう」
早口に答えながら、ジローは全神経を集中して周囲の気配を探っている。
――と。
暗がりのそこかしこで、小さく濡れた輝きが――闇の中で見開かれた数え切れないほどの瞳が現れ、ジローを見めた。
――クゥ。
―――クゥ。
―クゥ。
小さな鳴き声がさざめくように繰り返し響き出す。
「群れか……やべえぞ、こりゃあ」
じっとりと滲んだ汗を額に浮かべ、ジローは呟いた。
≪逃げ切れそうか?≫
仲間の問いかけを鼻で笑い、ジローは「五分だな」と答えた。
「こいつら、"毒吐き"の使い魔だ」
返事は無かった。
無線の先で絶句する仲間の顔が目に浮かぶようだったが、そんな想像に浸る間もなく、視界の端に微かな動きを感じて視線を向ける。
闇に沈む木々の狭間――その奥で蠢く巨大な影。
目を見開き、ジローは息を呑んだ。
遥か遠く離れていてもなお『鹿』であると見て取れる程の巨大さ。
歪な大樹の如くねじくれ張り出し、無秩序に枝分かれした角。
闇の奥から染み出す様な赤い光を灯した瞳。
「お出ましかよ――」
その瞬間、ジローの背後で地面を揺らす大音響が響き渡った。
吹き寄せる衝撃につんのめり、慌てて背後に向き直ったジローの目に、真っ二つに両断された狼のような『何か』と、巨大な斧を振り下ろしたゴーレムの姿が映った。
暗がりの奥に気を取られていた自分に襲い掛かった魔獣を、ゴーレムが自動迎撃したのだ。
『狼』の背後の闇に見開かれた複数の眼を見た瞬間、、ジローはライフルのセレクターをフルオートに変更し、思い切り引き金を引いていた。
「おおおおおおおおっ!」
少しでも怯めとばかりに大声をあげて鉛玉をばら撒く。
ライフルが弾切れになるのと同時に、元来た道に向かって逃げだそうと振り向いた――が。
その目前を、びっしりと生えた無数の牙が埋め尽くしていた。
「くそ、マジかよ」
引き攣った笑みで呟いた直後。
ガチン、と牙が噛み合わされた。
■■■
魔獣と呼ばれる生き物がいる。
これは単一の種を表した言葉ではなく、区分を表すための言葉だ。
魔力を持ち、魔術に類する現象を起こす生物を魔獣と呼ぶのである。
それをさらに分類すると、真性魔獣とキメラの二つに分かれる。
先天的に魔力を帯び、本能の一部として魔術を行使する獣を真性魔獣と呼び、瘴気溜に呑まれた野生動物が変成したものをキメラと呼ぶ。
生物としての理を失った歪な獣――マティアスが王都で学んだ文献には、そのように記されていた。
≪目標はロストックからロヴィスにかけての大森林を中心に目撃されています。進路上に小規模な瘴気溜が点在。鹿のような影を見たとの証言もあることから、目標は第三等級キメラ『ケドローラ』と推定≫
振動の激しい車内にあっても、無線越しの音声は極めて明瞭だった。
≪"毒吐き"か……厄介なのが出たもんだ≫
≪同じ鹿なら"蜜吐き"よりはマシってもんです。気付いたら身動き取れなくなってるってことがないですからね≫
≪群れって意味でも"群狼"相手にするよりは楽ですぜ。"毒吐き"の使い魔は殺せば死ぬんですから≫
騎士団向けに改造された装甲車に乗り込んだマティアスは、備え付けの無線から流れる周囲の僚車に搭乗した騎士達の会話を聞くともなしに聞いていた。
一体、自分は何をするためどこへ向かっているというのだろう。
いや、判ってはいる。
これは魔獣討伐のための遠征軍なのだ。
ただ、マティアスにとっては全く見慣れない方法で行われているだけで。
おかしな点を挙げればきりがない。
まず馬が居ない。仮にも騎士達の集団であるというのに、全員が数台の軍用自動車――≪装甲車≫に分乗して移動している。
そのお蔭で騎士団全体が重装歩兵並の連携を保ちながら、早馬以上の速度で目的地へと突き進んでいるのだった。
装甲車の内部は広く、向かい合わせに備え付けられた長椅子に数名ずつ並んで騎士達が腰を下ろしている。
装備も王都で見るような騎士とはまるで違っていた。
まず、板金鎧を纏っている者は一人もいない――騎士団と同じ装備を貸与されているマティアス自身を含めて。
全員が厚手で丈夫な生地の服を纏った上から、追加の分厚いジャケットで上半身を覆っているだけである。
腰に大振りのナイフを佩いているが、刃物と言ってはそれだけだ。
剣を携えているのはマティアスだけで、その代わりに、全員が両膝の間に立てかけたライフルを抱えている。
「どうです。『外』で暮らしていた方からみればおかしなものでしょう?」
自分や他者の格好をまじまじと見つめていたマティアスに、隣に座った騎士がにこやかな言葉をかけてきた。
マティアスの案内役として付き添うことになったその騎士は、顔合わせの際にレジスと名乗った。
元はマティアスやクロエ達と同じく『外』からやってきた人間であるという。
武人らしからぬ柔らかな物腰だったが、それはキルスティンに来るまで彼が行商人として暮らしていたからだそうだ。
案内役に選ばれたのも、そうした経緯から人付き合いに優れている点を見込まれてのことらしい。
「はい。銃を主体にする戦闘とは、想像もつきません」
正直に告げたマティアスは、自身にも支給されたライフルに目を落とした。
細かな部品を複雑に組み上げた鉄の筒は長剣と同じくらいの長さを持ち、しかしその半分程度の重さしかない。こんなもので魔獣と渡り合うのかと思うと、やはり不安が先に立つ。例え練兵場でその威力を確かめていたとしても、である。
その不安を打ち消すように、マティアスはライフルと並べて立てかけた愛用の長剣をそっと撫でた。
マティアス自身の主装備は長剣だ。ライフルは非常時の備えとして渡されているだけで、原則として使用する予定はない。
尤も、観戦武官として今回の討伐に同行している以上、戦闘行為に関わること自体想定してはいない。
今回はキルスティンの戦い方を実地で観ることが目的だ。
「討伐対象の……『ケドローラ』と言いましたか。どのような魔獣なのでしょう?」
「そうですね。先ほどもお聞きになっていたかもしれませんが、我々は"毒吐き"と呼びます」
レジスは元商人らしく、商品を売り込むような滑らかさで語った。
ケドローラは瘴気溜に呑まれた鹿を素体とする第三等級キメラである。汚染された魔力によって強化された脚力は素体の比ではなく、厄介なことに、その足で広大な領域を縄張りとして走り回る傍ら、身の内に溜め込み増幅させた瘴気をばら撒いていく。このキメラを放置しておけば、森の中にいくつもの瘴気溜が出来てしまう。大半は自然に散じるだろうが、その一部は土地に固着し、新たなキメラを生み出す温床となる。
姿を確認したからには、是が非でも潰さねばならない危険な魔獣というわけだった。
「また、ケドローラは多数の使い魔を生成し、群を作ります。ケドローラに捕食されたか、或はケドローラを捕食した獣がその素体となるのです」
「自身を捕食した獣を、ですか?」
「この魔獣が持つ最大の特異性というべきでしょうね」
訝し気に問い返すマティアスに、レジスはあくまで真面目な表情で首肯した。
「強大化し、自身が捕食者となる前の段階では、ケドローラはむしろ被食者として振る舞います。周囲の獣を引き寄せる能力を持ち、比喩ではなく文字通り捕食者に喰われ、その上で捕食者を自身の一部へと変成するのです。更にこの誘因能力は、自身が捕食者となってからは餌となる獣を引き寄せるものとして利用されます。なお、誘き寄せる対象は普通の獣だけではなく、魔獣も含まれます。このため、他の魔獣に比べてケドローラは極めて迅速に強大化するわけです。そうした意味でも、ケドローラは発見次第可能な限り迅速に駆除しなければなりません」
生物としての理を失った獣。
喰らうことも喰らわれることも意味を失い、ただ貪欲に全てを呑み尽す混沌。
その言葉が意味するものを、マティアスは改めて目の当たりにする思いだった。
「基本的な方針は狩猟と変わりません。索敵し、包囲し、狭所に追い込み、火力をもって叩き潰すのみです」
マティアスは頷いた。
聞かされた戦術に違和感はない。猟師の使う弓矢が、この土地ではライフルに置き換わっているだけのことだ。
「ですが、ご注意ください」
真剣な表情で、レジスは告げた。
「獲物は人間とみれば逃走を図るものですが、魔獣の場合は逆です。連中は目に映る生き物全てを自分の餌として認識する。一歩間違えば、狩り立てられるのは我々、ということにもなりかねません」
「肝に銘じます」
そう応じると、レジスは「ご理解いただけて何よりです」と破顔した。
「討伐に初めて同行する方は、魔獣を『多少凶暴化した獣』程度に見積もって大怪我をすることが多いのです。『外』で普通の獣や、或は人間を相手に戦った経験のある方は特に」
「幸か不幸か、この土地を訪れた出合い頭に魔獣と遭遇しておりますから」
巨大な狼の魔獣の姿を、マティアスは忘れていない。
小山の如き巨躯、疾風のような身のこなし、生半可な魔術では傷一つつかない魔力に鎧われた毛皮。
あのような獣に再会するのだと思えば、油断する気持ちなど微塵も抱けなかった
「賢明なご理解です」
真情の籠った声で頷き、レジスは続けた。
「現時点で使い魔の総数は不明ですが、いずれにせよ大元たるケドローラ自身を倒せば全て消滅します。ですから――」
≪報告。魔力探査に感あり≫
レジスの声を遮るように、無線越しの鋭い声が告げた。
≪ロストック大森海より複数の移動体を検知――汎用ゴーレムの救難信号あり。当該区域にて開拓者二五名が活動中とのこと!≫
≪馬鹿な! 通達を見てないのか!?≫
≪数日前から通信圏外の深度まで潜っていたものと思われます! 現在、仮設林道を進行中。複数車両を入手している模様。間もなく大森海の境界部へ到達します!≫




