第二話:人々、居眠り姫を語る(3)
道中は四人乗りの小さな自動車を使った。
エブロの入り組んだ小道を走るのに大型車では不向きなのだと、案内役を勤める老年の執事――アベルは説明した。
「それにしても、掃除の行き届いた街だな」
車窓を流れる街並みに、クロエはそんな感想を抱いた。
ギステの道路は幅の広い車道と建物に沿った歩道に分割されている。車道を覆うアスファルトにも、石畳が敷き詰められた歩道にも、ほとんどゴミが落ちていない。これだけ人通りの多い道であれば、荷馬や豚の糞が落ちているのが当然だろうに、この街ではその臭いさえ感じられない。この街全体が昨日建てられたばかりなのだと言っても、信じる者は少なくないだろう。
「『外』からいらした方は驚かれるでしょうな」
アベルは穏やかに笑った。
「中にはやり過ぎだと指摘される方もいらっしゃいます。そこまでするような金があるなら、もっと別の方向に振り向けるべきではないか、と」
「違うのか?」
これはヨアキム殿からの受け売りですが、とアベルは断った。
「汚物をそのままにしておくと、病の素になるのだそうで。人が密集して暮らす街では特に大変な勢いで病が広がる故、何にも増して清潔さには気を遣わねばならないのだそうです」
「そういうものなのか?」
「例えば、牛馬の死骸や糞を放置しておくと、いつの間にか腐って羽虫が湧きましょう? そのとき、一緒に病の素も湧いてくるのだそうです。病とは言ってみれば人間の身体が腐ることであり、腐ったものの側に居続けるとその腐りが伝染るのだと聞いております」
「ふむ」
言われてみれば、感覚的にも頷ける話ではあった。
王都の貧民街で、寝る場所もなく襤褸布に包まって蹲る者達の姿が思い出された。
治癒術師にかかる金の無い者は、病にかかっても治ることを祈りながら耐えることしかできない。
もし、この話だけでも『外』に伝えられたら、とクロエは思った。そうすれば、どれほどの人々を病から救うことができるだろう。 クロエの思いを悟ったように、アベルは言った。
「伝えてはおりますよ」
「そうなのか?」
クロエは顔を上げた。
運転席の前方に吊り下げられた小さな鏡。そこに映るアベルと視線が合う。
「道具を使わない、特別な材料を必要としない等、いくつかの条件を満たす技術に限っては、ですが」
自動車の速度がゆっくりと落ちていく。
ギステの外縁部を過ぎたことで、道幅が狭くなってきたのだ。
どうやら、エブロに入ったらしかった。
「大学の研究者達と城内の役人が審査し、オーギュスト様のご承認をいただいて公開指定になった情報は、『外部』への開示が可能となります。無論、開示にあたっても金銭的な利益を得ない、出所を明かさない、貴族や大商人など特権階級の者には伝えない、といった制約は設けてございますが」
「ネウストリア王国にとっては有難いことだが、良いのか?」
キルスティンの技術は劇薬であると同時に黄金でもある。
にも関わらず、対価を取ることもなく、キルスティンの名を知られる危険性を冒してまで『外』に流しているのだという。
「例え他領の民といえども、貧しく力無き者を救うことこそ騎士の本懐というもの。違いますかな?」
「それは……そうだが」
敢えてアベルの言葉に反対する理由もなく、クロエは口を閉ざした。
エブロという下町は、元々は農村であった。
一般に城下町というものは領地の中で最も安全な場所であり、そこに住まうのは城主に仕える役人や使用人、聖職者といった特権階級である。彼等の生活を支える農民がその周囲に耕作地を広げるのだから、城が農村に囲まれるのは当然の帰結であった。
だが、今のエブロに往時の面影はない。
家屋、商店、職人街が密集し、道は曲がりくねって幾重にも枝分かれしている。
狭い往来を自動車が行き交い、押しのけられた歩行者が両手を振り上げて罵声を上げる。
間口を広く開けた商店の前に立つ売り子が客寄せの声を張り上げ、人通りの隙間を縫うように子供達が走り回る。
自由都市の商業区には及ばないが、それでも圧倒的なまでの人通りと建築密度である。
間違っても辺境伯領の如き僻地にあり得べき光景ではなかった。
「全く、いつもながら空恐ろしい土地だ」
すれ違う通行人を避けてアベルの背中を追いながら、クロエは呟いた。
杖を突き、僅かに足を引きずっているというのに、アベルの足取りは早い。
すれ違う通行人と肩がぶつかるどころか、かすることさえない。
自動車は駐車場に置いてきていた。道が狭くなりすぎて、徒歩か荷車でもなければ通れないのだ。
尤も、そんなところでも積み荷を満載した自動車が道幅ぎりぎりの場所を通り過ぎていくのだから恐ろしい。
街の者達も慣れたもので、売り子たちは車が通りがかるたびに声を張って通行人達に警告する。警告を受けた通行人達は自然と道端に寄って車をやり過ごしている。
探していた店の前に到着したのは、昼食時にさしかかろうかという頃だった。
なにやら人だかりの出来ている建物の前で、アベルは足を止めた。
「こちらがお探しの店です……が、今は忙しいようですな」
「随分と繁盛しているのだな」
クロエは感心した。
店の前に群がる人々の中から、途切れ途切れに出てくる者達が居る。誰もが小さな包みを手に、満足気な笑みを浮かべていた。
やがて店の奥から小さな鐘の音が響いてくると、無念そうな溜息がさざめき、潮が引くように人だかりが消えていった。
とは言え、それで無くなったのはあくまで店の前に群がっていた人だかりだけである。
覗き込んでみれば、幾つも並んだ座席は殆どが埋まっている。
店内には香辛料や煮込んだ食材の匂いが漂い、なんとも食欲をそそられた。
そういえば昼食を摂っていなかった、とクロエは思い出した。
アベルも同じことを考えていたらしく、話を聞くついでに少しばかり軽食を摘まんでいくことになった。
店の隅に陣取ったクロエ達の前には、平たい小皿に盛りつけられた料理が並んでいる。
それが空になる頃、大柄な中年の女――パメラがやってきた。
「あらあら、御領主様にお呼ばれするようなことなんて、何も覚えがないんですけどねぇ」
クロエ達の前に立つパメラは、恐縮した調子でそう言った。
「いや、何も咎め立てするつもりはないのだ。ただ、お前がエリザの行先を知っているのではないか、と聞いてな。確かめに来ただけだ」
「エリザ……ああ、エリーちゃん?」
眉根を寄せていたパメラは、しばらく考え込んだ後にポンと手を打った。
「ちょいと前に『お料理教室』が終わったんで、孤児院に向かった筈ですよ」
「あー、『お料理教室』とは?」
「下町の皆で材料を持ち寄って、煮炊きするだけですよ。ほら、このあたりだと結婚したばっかりの若い子達も沢山暮らしてるんでね。年食った連中が食べ物の作り方ってもんを教え込んでやるんですよ。ま、今日作ったのはお菓子でしたけどね」
「ほう」
クロエは厨房から持ち去られた食材のリストを思い返した。
リンゴ、砂糖、卵、小麦粉等々。
「いきなり、エリーちゃんが荷車に山積みの材料を持ってきましてね」
クロエが訊こうとするよりも早く、パメラが言葉を続けた。
「作り方を教えるから、それ全部使って『りんごタルト』を作ってくれっていうんですよ」
パメラが口にした菓子の名をクロエは知らなかったが、ともあれ話の先を促すことにした。
事の次第は、およそ以下の通りであったらしい。
パメラは定期的に近所の婦人達を集め、年若い娘達――時には料理人見習の青年達も混じる――に料理の基礎を教える集まりを開いている。本日も予定通りに参加者達が集まったところで、ふらりとエリザが現れた。
見れば、その背後には食材がどっさり積み込まれた荷車がある。
驚くパメラ達に、エリーは『りんごタルト』なる菓子を作ってくれ、と頼んできた。
その菓子の作り方を知る者は居なかったが、エリザは作り方を教えると言って自分の背後に隠れていた少女を押し出した。
ともかく、一同は少女の指導に従って調理を始めたのだという。
「ちなみにその時、エリザは何をしていた?」
「そりゃもちろん、全部終わるまで部屋の隅でぐっすりですとも」
「……愚問だったな」
何年も前からこういう事はよくあったらしい。
丁度料理教室を始めようとしたところで突然訪れたエリザ(が連れてくる使用人)に、予定外の料理を作らされるのだ。
教えられる料理は馴染み深いものの場合もあり、今回の様に誰も知らない新しいものの場合もある。
だが、いずれにしろパメラ達に否は無い。
料理を教えるという意味では、やっていることは変わらないし、食材だってエリザ自身が用意してくる。おまけにその場で作った物は、参加者自身が持ち帰ってもよいときている。
制限といえば、食材を使い切るまで作り続けること、最後あたりに出来た一番出来の良いものについてはエリザの取り分になるということ、それくらいだ。
作りすぎて余るということはない。エリザと参加者の分を取り分け、残ったものについては店先で販売するからだ。
売れ残ることも無い。何しろ元手のかかっていない食材を使っているのだから、価格は存分に下げられる。品が悪いわけでもない。売れない理由がないのである。
それに、新しい料理の場合は普通の値段にしておいても飛ぶように売れる。下町の人々は美食家というわけではないが、新しいもの好きなのだ。
「エリザは、受け取った料理をどうしている?」
少なくとも城内に戻しているということは無い筈だった。
それならそうと料理人達が言う筈だし、食材を下町で調理し、それをわざわざ城内に持ち帰って食べるなど手間がかかるだけで意味がない。
「そいつはね、この通りの先に行けば判りますよ」
パメラは店外の通りを指し示した。
■■■
低い石垣で囲われた前庭はがらんとしていた。砂地には子供が駆け回ったらしい足跡がいくつも残っている。
古びてはいるが堅牢な石造りの家屋の奥にある部屋で、クロエ達は四十がらみの修道女と面会していた。
「まあ、エリー様の……次期ご領主様にご来訪いただけるなんて、光栄ですわ」
マリナと名乗ったその修道女は、ここで孤児院を経営しているという。
家屋は元々、エブロが開拓村だった時に収穫した作物を仕舞っておく倉庫であり、魔獣が襲ってきたときの砦代わりにも使われていたらしい。巨大な石材と漆喰を使った矢鱈と堅牢な造りは、その名残なのだそうだ。
「残念ですが、エリー様はもうお帰りになってしまっております」
「そうか。……で、アレはここで何をしていたのだ?」
尋ねてみれば、マリナは静かに席を立った。
「こちらに。ご覧になっていただいた方が早いでしょう」
そう言って案内された先の広間には、籠一杯の芋をぶちまけたように、幼い子供達が散らばって寝転がっていた。腹を丸出しにして寝ている子供も少なくない。この季節ならば風邪を引くこともないだろうが、とクロエは思った。
「ちょうど寝付いたところです。ついさっきまでは大騒ぎで」
良い頃合いにいらっしゃいましたね、とマリナは微笑んだ。
「エリー様に思い切り遊んでいただいた後は、いつもみんな揃ってぐっすり眠り込むんです」
「ふむ」
クロエは大量の子供達と遊ぶエリザを想像してみようとしたが、早々に挫折した。全く想像できなかった。
まともに動いているエリザをクロエは見たことがない。ここに来るまでの間に聞いた話の中でも眠りこけているだけだった。
マリナによれば、エリザはかなり昔から頻繁に孤児院を訪れているのだという。
「昔に比べればかなり楽にはなりましたが、今でも経営は楽ではありません。子供達には我慢を強いることも多いのですが、エリー様にはその点で大変お世話に――」
「せんせー、ただいまー」「ただいまぁ」
背後から上がった声にマリナが振り向く。
「お帰りなさい、カミル、カーヤ」
二人の子供は幼かった。どちらもクロエ達の腰の高さほどで、腰に大振りの槌を提げた少年と、両手で花籠を抱えた少女だった。
「せんせー、このおじさんだれ?」「だれぇ?」
少年が幼子らしい遠慮の無さでクロエ達を指さし、少女がこてんと首を傾げた。
「これ、二人とも……!」
マリナが慌てて子供達を窘め、クロエ達を紹介した。
「りょうしゅさま?」「ふぅん?」
子供達は頷いたが、よく判っていないようだった。
「あのね、せんせい。お花できたの」
少女が、抱えていた花籠をマリナに差し出した。
「いつもありがとう、カーヤ」
マリナに頭を撫でられ、少女はくすぐったそうに笑った。
「よろしければ、ご覧になってください」
マリナから受け取った花籠は何の変哲もないように見えたが、隣から覗き込んだアベルは「ほう」と感嘆の声を上げた。
「全ての花を魔術的に固定しているのですね。見事なものです」
そうでしょう、とマリナは自慢気に頷いた。
「一月程は枯れも萎れもしません。カーヤの花籠で、うちの家計は随分と助けられています」
このような花籠の存在自体はそう目新しい物でもない。
王都でも花や絵画の類を魔術的に固定し、劣化を防ぐ技術は一般に存在する。
とは言え、不可避の変質を伴うため実用品の保存には向かず、相応に熟達した魔術師が必要とされることから高価な処置でもある。
財産に余裕のある大商人か王侯貴族でもなければわざわざ手に入れようとするものではない。
この孤児院で売っている花籠に施された魔術の持続時間は短いようだったがその分安価で、下町では良く売れているらしい。特に、店内を飾り付ける必要のある食堂や商店といった商業施設での需要が高いという。
魔術は個人の才覚に深く依存する。如何に単純な発想のものであっても、誰もが気軽に模倣できるわけではない。
それ故、魔術を付与した商品の価値は高い。
つまり、マリナの言葉は子供を褒めるための誤魔化しではなく、実際に孤児院の収入を支える手段として馬鹿にできない貢献をしているということになる。
クロエは手にした花籠に目を落とした。
非才の身でも、注意深く観察してみれば微かに魔力の気配が感じられた。
「魔術……このような幼子が」
クロエが感嘆すると、マリナの後ろに隠れるようにしていたカーヤが顔を出した。
「エリーおねえちゃんに教わったの」
聞けば、子供達と遊ぶついでに、エリザは魔術も教え込んでいたらしい。
パズルと称しては魔術式を解かせ、準備運動と称しては体内の魔力を循環させ、遊びの中に魔術を混ぜ込んでは実技を重ねさせているのだそうだ。
職人の技と同じで、魔術は生計を立てる役に立つ。
低位の魔術であれば生活の助けになり、中位の魔術ならば仕事に活かせるようになり、高位の魔術を身につければそれだけで生計を立てられる場合も少なくない。
尤も、大半の子供達は精々魔力の流れを感じ取り、魔術式を少し読み解ける程度でしかない。
カーヤが特に優れた適性を持っているだけなのだが、それでも他に数人ほど魔術を使える子供が居るという。
魔術は高等教育だ。普通ならば学ぶだけで莫大な対価を要求されて然るべきものだし、そもそも幼い子供達が理解できる程に噛み砕いて教えられる講師ともなれば王都――否、魔術と聖霊術において高い水準を誇る隣国ですら片手の指に収まるだろう。
マリナやカーヤの話が事実であるならば、エリザは極めて高位の使い手ということになる。
「……想像がつかん」
クロエは唸った。
そもそも、子供達に魔術を教え込むだけの時間をどこから捻り出しているのかも判らない。エリザが一日の大半を寝て過ごしていることは自分の目でも見ているし、使用人達の話からも間違いない筈だ。
「エリーお嬢様の母君、シャルロッテ様も優れた魔術師でございました」
眉根を寄せたクロエに助け舟を出すように、アベルが口を開いた。
「お嬢様にも『邪竜殺し』の血は受け継がれている、ということです。何も不思議なことではございません」
シャルロッテの名を口にするアベルの声には、深い畏敬の念が滲んでいる。
エリザの母親、シャルロッテ・キルスティンは故人である。
エリザを産んだ年に発生した魔獣の大暴走――今では『大海嘯』と呼ばれる戦いの中で命を落としたが、それと引き換えに邪竜と呼ばれた大魔獣をたった一人で討ち倒した英雄だ。
証人が生存しておらず、居辺境伯の地位を高めるために誇張されているだけと断じる者も多いが、その話自体は辺境伯領の精強ぶりを物語る逸話として、王都にも広く知れ渡っている。
だが、その娘は日がな一日寝てばかりの穀潰しだ。
そうかと思えば、身寄りのない子供達に恐ろしく高度な魔術の教育を施してもいるという。
城内から大量の食材を持ち去ったのも、魔術によるものとすれば判らなくはない。
ますますエリザ・キルスティンという人間が判らなくなってきたが、クロエはそれを棚上げすることにした。
彼女がどのような人間であるか考えるのは後でいい。まずは指輪を回収するのが本来の目的である。
「何やら工房で受け取る物があると仰っていましたから、そちらにいらっしゃっているのではないでしょうか」
深々と頭を下げるマリナに見送られ、クロエ達は孤児院を後にした。




