26 Mar. -2-
ちょっと調子悪いんで帰ります…と片手を挙げた俺に、監督は露骨に眉をしかめて見せた。
「どこが悪いんだ!?言ってみろ水月!」
「何だか…肩が張って」
凍りつく部員達の間を縫って近づいてきた監督は、俺の耳元で低い声を出す。
「もっと自覚を持て、お前はエースなんだぞ?」
「………はあ、すみません」
自覚…ねえ。
部室に戻り、ユニフォームを脱いで、ひやりと冷たいシャツに袖を通す。
そろそろ桜も咲く頃だけど、こうやって日当たりの悪い部室にいると、まだまだ肌寒い。
『ごめんね』
昨夜の、電話越しの彼女の声が、脳裏に蘇ってきた。
それを遮るように、ペットボトルのスポーツドリンクを一気に飲み干す。
『なんだか、疲れちゃったんだ』
そんな俺の努力も虚しく、電話の向こうの表情まで、瞼の裏に浮かんできそうな気がした。
別の高校だし、俺は練習があるし…思うように会えないことも多かったけど、さすがに最後まで電話なんて、ちょっとあんまりじゃないかなと思った。
でも…ほったらかしにしてた、俺も悪いのか。
『仁くん、私より…野球の方が大事みたいだし』
けど…そこまで言われる程、放置してた覚えもないんだけどな。
練習の無い日は、いつも待ち合わせして一緒に帰ってたし、土日も会って、映画とかボーリングとか行って、毎日寝る前に欠かさず電話だってして。
『付き合ってください』
思えば、あれは三ヶ月前。
練習試合の帰りに声を掛けられた時は、ちょっとびっくりした。
『ずっと前から、私…水月くんのこと見てたんです。友達が野球部のマネージャーやってて、試合がある度に応援に行ってて。でも、本当は…うちの学校じゃなくて、水月くんのこと、応援してました』
頬を赤く染めて告白する彼女は、結構可愛い…と思った。
初めてエースとして登板した夏の大会、予選一回戦でボロ負けして、それからの練習試合もいまいち振るわなくて…ひょっとしたらそれも、心が動いた原因だったのかもしれない。
高二にもなって、彼女の一人もいないってのもな…という、しょうもない思いもあった。
でも。
彼女と過ごした三ヶ月は、結構楽しかった。
たとえ別れる理由が、彼女に好きな奴が出来たことだとしても………
『お前の彼女に似た奴、こないだ別の高校の男と、手繋いで歩いてたぜ』
悪気のない友達の言葉で、ここんところずっと引っかかってた何か…メールが減った、とか、土日練習試合で潰れても、あいつが怒らなくなった、とか、そんなこと…が、すーっと消えたような気がしたのは…実はほんの一瞬で。
いつ、その話題を切り出されるんだろうって…怖くて不安で仕方なくなった。
だから。
「よかったんだよな…これで」
これでもう、惨めな思いをすることも、眠れない夜を過ごすこともない。
けど。
ユニフォームと靴の入った、重いバッグを肩に掛ける。
本当に…これでよかったのか?仁。
彼女のことが本当に好きなら、止めるべきだったんじゃないだろうか。
ただ、彼女のサヨナラを待つだけ、なんて。
まるで。
「いい加減な気持ちで付き合ってた女にフラレても、そんなに落ち込むもんなんだ」
校門付近で掛けられた声に、むっとして振り返る。
と。
不知火は、校門に持たれかかって、腕組みをしてこちらを見ていた。
「聞いたわよー、同じ高校の男に取られちゃったんだって?」
「…関係ねえだろ、お前には」
挑戦的な視線を避けるように、俺は彼女に背を向ける。
が。
まあねー、と澄ました声で答え、不知火は俺の後をてくてく付いてきた。
「一応知らない仲でもないからねぇ、ちょっと心配してあげてもいいかな、って思って」
「…大きなお世話だ」
「だいたいさー、あんた」
「ついてくんなよ」
「さっきも言ったけどさあ、あんなブリっ子のどこが良かったわけ?そりゃ、そこそこには可愛かったけど、絶対私とかの方が可愛いし」
「…自分で言うか」
「言いますよーだ。可愛いし、スタイルもいいし、性格だって良いもん」
「…性格」
ため息をついて振り返り、改めて、不知火をまじまじと見る。
何よ、と仁王立ちで口を尖らせる不知火は、確かにこの一年くらいで、かなり大人っぽくなった。
『最近不知火、ちょっといいよな』なんて…俺には理解不能の声も、ちらほら聞くようになったし。
すらっと背が伸びて、その割にはあるものはちゃんとあるというか…スタイルもまあ、悪くない。
中学の頃見てた、不知火先輩に感じが似てきたような気もするが、あの内面からにじみ出るような清楚な感じは………
まあ…当然というか、ない。
「お前…最近ちょっと、調子乗ってるだろ」
今まで『ゲームオタク』としか認識されていなかったのが、後輩達から『綺麗』『可愛い』と褒めそやされ、最近の不知火は絶好調である。
『ゲーム部』なんて、意味不明なものをぶち上げ、暗そうな眼鏡のオタク達に『姫』なんて崇められて、気にも留めていない風を装っているが…その実、まんざらでもないのだろう。
そう。
いくら外見が可愛くなったって、中身は相変わらずなのだ。
「乗ってないわよ、そんなもん」
「乗ってるだろ、どう考えても」
「そりゃあ、お姉ちゃんに比べたら、性格良いなんておこがましいかもしんないけどさ。少なくとも、見え見えの嘘ついて、二股掛けた末に男捨てたりなんかしないもん」
ずばりと言う不知火に、かっ…と血が上る。
「お前なぁ…」
「事実でしょ?違ってたら謝りますけど」
「……………」
「認めちゃえば楽よ、きっと」
「…何を?」
「『やりたかっただけ』って」
あまりに遠慮のない言葉に、俺は絶句する他ない。
再び彼女に背を向け、俺は小走りで自転車置場に向かう。
「あっ逃げんのあんた!?」
「…当たり前だろーが」
俺は呟いて、校舎の裏に回りこんだ。
その時。
ぼっと燃え盛る火が…目の前に立ちはだかった。
「えっ………!?」
覚えのある…真紅の炎。
そうだ…あれは。
2年とちょっと前の………
それは。
ほんの一瞬の出来事で。
「待ちなさいってば!水月」
立ちすくむ俺に、不知火が駆け寄ってきた時には、もう…炎は跡形もなく消えていて。
「不知火………」
聞こうかどうしようか…躊躇う俺に。
2つに束ねた長い髪を、所在無さげにいじりながら、不知火はぽつり、と呟く。
「見た?」
「………いつからだ?」
「…一週間くらい前かなぁ」
「………そう…か」
不知火はバツが悪そうに俯いて、気を取りなおすように、腕を背中に回した。
「でも…別に、何でもなくない?」
「………なく…ないだろ」
そうかなぁ、と…とぼけた声を出す、不知火。
「睦月だって出来るじゃん。あいつ、シルフィードと別れてからも…たまーに強い風吹かしたりとかさ、するでしょ?」
「…そうだけど」
「サラマンドラの力…なんかの弾みで戻ってきたのかなぁ!?…と…思うんだけど」
でも、大丈夫よ!と、彼女はにっこり微笑む。
「こんなこと、あんたと睦月の前でしかやんないから」
「…先輩は…このこと」
「知らない。だって…きっとお姉ちゃん、心配するでしょ」
だから内緒よ、と、唇の前で人差し指を立て…ウインクする不知火に。
『ぜってー調子乗ってんだろ』と…心の中で呟いた。
「先輩といえば」
こいつのことなんか、正直どうでもいいが………気がかりだったことを思い出す。
「仲直り…出来たのかな?睦月と」
「いやぁー無理だね、あれは」
おっさんのように唸って、不知火は腕組みをする。
「お姉ちゃん、睦月の電話に一切出ないんだもん。メールもほとんど返さないし」
「………そうか」
『KEI、深夜のお忍びデート』
なんて…妙な記事が週刊誌を騒がせたのは、つい二ヶ月程前のこと。
相手は巨乳グラビアアイドルで、夜道を腕を組んで歩いてる姿が記事になっていた。
KEIの事務所は、きっぱりと否定したが………
『そんな、困ります…KEIくんにも迷惑かかっちゃうし』
グラビアアイドルは、困ったように笑いながら、マスコミのインタビューに答えた。
『かっこいいし、優しいし…素敵だなぁって思いますけどぉ………いいお友達です』
ブリっ子みたいに、ご自慢の胸の前で組んで見せた指には、きらりと光る指輪。
それは。
『彼女の誕生日に、ペアで買っちゃった』
と、KEIがテレビで見せびらかしていた指輪と、そっくり同じものだったのである。
『一般人と言ってきたのは、一種のカモフラージュではないか』
『秘密の関係を通そうとするKEIに、彼女が痺れを切らしたのだろう』
などなど…ワイドショーは連日騒ぎたてており。
なんせ、トップアイドル…最近では、映画で賞をとったり、俳優としても評価され始めた…KEIの一大スキャンダルだ。
報道熱は…未だ、収まる気配がない。
『完っ全に誤解だ!!!』
俺とすずを家に呼びつけ、睦月は鬼のような形相で怒鳴った。
『誤解しようがないでしょーが常識的に考えて!!!』
先制攻撃に一瞬目を丸くした不知火が、大きく息を吸い込み、負けじと反撃に出る。
『それとも何!?あの写真は、瓜二つの他人だってーの!?』
『あれは………確かに俺だけど』
でも、とテーブルを思いっきり叩く、睦月。
『仕方ないだろ!?酔っちゃったーとか言って、本当ふらふらしながら歩いてたんだから、あの子』
『つまり…飲ませたのはあんたってわけ』
『そうじゃない!!!友達とかと大勢で飲んでて、先に帰るって言うから送ってっただけだ!!!』
ハメられたのだと主張する睦月は、いきなり携帯でどこかに連絡を取り始め。
『俺その日、KEIさんと一緒に飲んでました。間違いないです』
『KEIくんは彼女をタクシーに乗せて、すぐに戻ってきましたよ。嘘じゃないです』
『彼女がKEIのこと狙ってたのは確かだけど…まさか、あんな行動に出るなんて思わなくて』
『文ちゃん…大丈夫かな?』
電話口から代わる代わる聞こえてきたのは、どっかで聞いたことのある芸能人の声で。
『これで、信じてくれる?』
友達に頼んで、うまく口裏を合わせたとも考えられなくはない…けど。
真剣な睦月の表情に、嘘はないような気がした。
『…じゃあ、あの指輪は何だったのよ?』
『あんなシンプルな指輪、似たようなのどこにでも売ってるよ!』
ふうん…と不機嫌そうに目を細める不知火。
『信じてあげてもいいわよ』
『本当か!?』
『でも…私達が信じるっていうのと、お姉ちゃんが信じるかっていうのは…また、別の話だけど』
期待に満ちた瞳は…みるみるうちに曇ってしまう。
『………そうだよね』
あれから…はや一ヶ月。
俺と不知火の尽力もあって、なんとか二人を会わせることには成功した。
「『信じる』って言ってたのになぁ、お姉ちゃん」
「まあ…心情的には、全く納得できるかって言われると、別なんじゃないかな」
「あんたが言うと、なんか深いわね」
「うるさい黙れ」
「一応ね、メールで会おうって誘えば、会いはするみたいなのよ。いつも通り、にこにこしてるらしいんだけど…帰ってくると、なーんか溜息ついちゃってさ」
睦月から、先輩の状況を根掘り葉掘り聞かれているらしく、不知火はうんざりした顔で首を振る。
「お姉ちゃんってさ、根っからの良い子じゃない?だから…たぶん『大好きな睦月を疑ってしまう自分』が嫌なんだと思うの、一番」
「………そうか」
可哀想に…先輩。
「たぶん、今押したら行けるわよ」
「………馬鹿!そんなことするわけないだろ!!!」
「そう?おすすめなんだけどなぁ」
「他人の彼女を勝手におすすめするな!」
私のお姉ちゃんなんだけど…とつぶやいて、不知火は俺の自転車のカゴに自分の鞄を放り込む。
「何すんだよ」
「いいじゃない」
「よくねーよ!…お前、本当いい加減にしろよな!!!」
怒鳴る俺にふいっとそっぽを向いて、何歩か歩き。
「あのさ、水月っ」
くるりとこちらを振り向いて、不知火は、いたずらっぽい目で微笑む。
「…なんだよ」
「ちょっとそこまで、付き合ってくんない?」