26 Mar. -1-
ごつん、と…鈍い衝撃を頭頂部に感じ、次に友達の声がぼんやりした耳に響く。
「おーい、カズー?」
むくりと起きあがった俺を見て、そいつは今にも吹き出しそうな顔をして。
なんだよ、と不機嫌な声になる俺のおでこを指さし、相変わらず、にやにやと楽しそうに笑っている。
「だから…何?」
「ここ!机の跡ついてんぞ」
「あー…マジ?」
ぼんやりしたまま手を伸ばし、さすってみると、おでこは微かに熱を持っていた。
「どうした?ホームルーム中、お前ずーっと寝てたろ」
何度揺すっても一切反応がないので、担任も呆れて放置していたのだとか。そんなこと、勿論…俺は全く記憶にない。
「寝不足なんだよ、ほっといてくれ」
「昨日日曜じゃん」
そう言って一瞬目を丸くした後、そいつは呆れ顔でため息をつく。
「お前なぁ、今日は終業式で、ホームルームも終わって、明日から春休みだぞ!?」
「補習、あるだろ」
「…いや補習はあるけど、れっきとした春休みだって!これが明けたら俺達もいよいよ中三!公立行ってる奴らは、ついに受験って年なのに」
「その分、俺らは中学受験したじゃん」
口の減らないやつだなぁ、と、そいつは片眉をつりあげる。
「担任みたく、自覚云々言うつもりはねーけどさ、授業のない日くらい、まともに起きててもいいんじゃね?どうせ、また徹夜でゲームやったんだろうけど」
「いいだろ、どーでも」
「違うのか?」
違わないけど。
「………色々あんだよ、俺にも」
昨日の出来事。
それは、いわゆる厨二と呼ばれる一年間で、ダントツの衝撃だった。
『土師和成くん?』
上等の鈴みたいな、綺麗な声。
抜けるような白い肌に、黒い艶のある長い髪。
上品につやつや光る淡いピンクのリップグロスを、どぎまぎ凝視していた俺に、長い睫毛に縁取られた、濡れたように黒い瞳を向け。
『どうしたの?』
彼女はふうわりと目を細め、優しげな笑顔で尋ねるのだ。
あの…甘い…世界中でふたりきりみたいな時間。
一緒に飲んだ、チェーンのコーヒーショップの薄いココアさえ、砂糖何倍増しにも思えた。
…なのに。
『和成くんて』
『えっ…何でしょう???』
ああ、あの笑顔。
あの時の笑顔だ。
心がとろとろに溶けてしまうような、彼女の微笑みと。
そして。
悪魔のような、あの宣告。
『やっぱり、似てるね………お兄さんと』
「うーーーっす」
低い声でつぶやいて、俺は部室のドアを開く。
「土師どうした!?何やら暗いぞ!?」
人のこと言えねえだろうと突っ込む気にもなれない、部の先輩達が、怪訝そうに俺の顔を覗き込む。
「いえ…実は、ゲームしてて完徹しちゃって」
「…おお、そうだったか!」
「分かるぞ、俺にも覚えがある」
「明け方の爽やかな小鳥の囀りが、『学校なんて行かずに、このまま引きこもっちゃいなYO!』という、悪魔の囁きにも似て…辛いよなあ」
「お主はやはり、実に見込みがある!我がゲーム部、期待の新星だ!」
「………はあ。どうも」
俺は正直、この人達があまり得意ではない。
同じ人種にくくられるのは、何というか不本意というか。
…だが。
「遅かったじゃない?」
部室の奥から聞こえてきた声に、眠気は一気に吹き飛んだ。
「はいっ、すみません姫!」
俺は慌てて返事をして奥へダッシュ、跪いて携帯ゲーム機を彼女に差し出す。
「こちら…昨夜、苦心の末入手したレアアイテムです!どうか、お納めを」
彼女はピンク色の自分の機体を覗き込み、大きな瞳を不敵に細めた。
どうやら…通信で入手した、俺のアイテムにご満悦の様子。
それまで座っていた机からぴょん、と飛び降りると、姫はいかにも楽しげに微笑む。
「よくやった土師、褒めてつかわす」
「…ありがたき幸せっ!!!」
先輩達の羨望の眼差しが、優越感を倍増させる。
ざまあみろ、と、俺は心の中で舌を出した。
『姫』こと…我がゲーム部の部長は、俺達のヒロインである。
可愛くて、スタイルも良くて、ゲームの腕も超一流。その上、成績も上位をキープしているという。
基本Sキャラでありながら、時折ちらりと見せるデレっぷりが…そりゃあもう、たまらないのだ。
巷には色んなアイドルがいるけど、三次元で姫に敵う女はまあいない。
と…俺は常々思っている。
………いや…思って『いた』。
暗い顔をした俺に、姫は不思議そうに目を丸くした。
「どうしたの?」
『どうしたの?和成くん』
「いえ…別に」
『ありがとう、今日はとっても楽しかった』
にっこり微笑む…彼女が脳裏を過ぎった。
『また…会える?』
そりゃあもう…いくらでも。
兄貴が絡まなきゃ、いくらでも。
思わず、そう…答えそうになるが。
そんなこと…人の良さそうな彼女に、到底言えるわけもなく。
「何か変よ?土師…週末何かあったでしょ」
「まあ………」
姫っ…と、長くて華奢な足にすがり付いたら、ドガっ!と足蹴にされるだろうか………
それも何だか、良さそうだ。
だが………そんな人の道を外れた行いは、男として駄目だ。
「姫…兄弟とか、いるんですか?」
「え?ええ…けど、何で?」
何で?
確かに…何でこんなこと、聞いちゃったんだろ。
けど、一度口に出してしまったからには、是非とも聞いておきたい。
「上ですか?下ですか?男?それとも女?」
「…お姉ちゃん」
意外…てっきり、ゲーマーでニートのお兄様かと。
『お兄ちゃんは何で働かないの?』…てやつ。
いや…『お兄ちゃんてば、私がいてあげなきゃ全然駄目なんだからっ』…かな。
「…土師?」
ふるふるふる…と首を振り、妄想を振り飛ばす。
けど…お姉様、きっと姫に似たすごい美人さんなんだろうなぁ。
『似てるね…お兄さんと』
…ま…まさか。誰があんな………
「土師は?」
いきがかり上聞いておくか、といった醒めた調子で、姫が問う。
「一人っ子?」
「そんな風に見えます?」
まあ…と頬を掻く姫に、思わず…ぼやいてしまう。
「俺も…DQNな兄貴じゃなくて、優しくて綺麗なお姉ちゃんが欲しかったっす」
「へぇ、お兄ちゃんなんだ…なんか意外」
「まあ…離婚した母ちゃんについてったっきり、久しく会ってないんで、基本一人っ子みたいなもんですけど」
「あ………そうなんだ、ごめん」
顔を曇らせる姫に、俺は大いに動揺した。
「いや、別に…だからって、暗い少年時代を送ったとか、継母にいじめられたとか、そういうのじゃないっすから、そんな顔しないでくださいよぉ姫!」
彼女の、すまなそうな表情がまた堪らん…と思いつつ、フォローの言葉を述べると。
ほっとした様子で、彼女は目を細めた。
「じゃ…全員揃ったことだし、始めましょうか」
「おっす!!!」
野郎のふっとい声が、小さな部室に響き渡った。
我がゲーム部には、幽霊部員など存在しない。
なぜなら…みんな姫が目当てで入部するからだ。
そうでもなきゃ、誰がこんなキモオタ集団なんかに………
俺を含め…全員がそんな風に思っている。
正直、恐ろしい話だ。