深く考えずに「それは彼氏さんが悪いね〜」と言ったら取り返しのつかないことになった百合
「うぅっ、理不尽じゃないですかぁ!? あたしなんもしてないのにぃ!! いい感じの彼女やってたのにぃ〜!!」
ぐびっ、ぐびっ、とお酒を喉に流し込んで、空になった缶を無造作にテーブルへ投げつける、目の前の女の子。
大学の後輩── 瀬尾凛果は、見ていて気持ちがいいほどに酔っていた。
「唐沢せんぱぁい、慰めてくださいよ〜……クソ男に捨てられちゃった、かわいそうな凛果ちゃんを〜!」
「ええっと……いったん落ち着こ? ね?」
そしてわたし、唐沢花澄は、彼女にだる絡みされていた。
今日、随分と荒れている様子だったから、愚痴を聞いてあげようと声をかけたのが始まりだ。大学終わりにまずはカフェに行って、そのあと居酒屋を2軒はしごして、そのときすでに瀬尾さんは酔いつぶれていたから、わたしは彼女をアパートまで送り届けた。
お役御免と思って帰ろうとしたら、彼女に強く引き止められてしまったのだ。
うるんだ瞳と甘い声で「せんぱい、傷心のあたしを見捨てるんですか……?」なんて言われてしまったら、のこのこと帰れるわけもなかった。顔が、顔がよすぎた。
「あたしって、そんなに酒癖悪いですか!? 普通それだけで振ってこないですよね〜!?」
3本目の缶チューハイを手に取ろうとした瀬尾さん。わたしはその細い腕をやさしく掴んで、お酒から引き離す。
さすがに、飲みすぎだ。まだ二十歳になってから数ヶ月しか経っていないんだし、身体もまだ慣れていないだろうに、よくこんなに飲めるものだと感心すらする。
「はいっ、今日はここまで。お話ならいくらでも聞くから、お酒はもうおしまい」
「……ま、いいですけどぉ」
「ほら、こっちおいで?」
手招きすると、向かいにいる彼女はわたしの隣までのそのそと移動して、肩にもたれかかってきた。
「せんぱいはこんなにかわいくて包容力あるのに、比べてあの男ときたらっ」
「うーん……わたしもあのとき、止めるべきだったよね」
その男のことはわたしも知っている。というか、わたしと瀬尾さんと彼は同じサークルに入っている。
容姿は整っているけれど、どこか女の子を見た目でしか選んでいないような感じがあった。告白された、と報告してきた彼女は、べつに騙されている風ではなく、なんとなく察してはいるけどイケメンだしとりあえず付き合ってみよ、みたいな気持ちだったらしい。
正直いって複雑ではあった。だけどまあ、わかってるならいっか、と放置してしまっていた。
酒癖が悪いのはけっこう事実な気がするけれど、それを差し引いても瀬尾さんは魅力的な女の子なのだ。そんな彼女を振った彼は頭が悪いと思うし、はやめに破局できたのは喜ばしいことだとも思う。
まるで呪詛のように、横でぼそぼそ不満をつぶやいている彼女を見る。
「……っつか寝坊して受けられなかった講義のノート見せろって言われても、見せるわけないじゃん、ちゃんと自己管理しろっつの、彼女をなんだと思って……」
その顔は──どこか、清々しかった。
「うんうん、それは彼氏さんが悪いね〜」
無意識にこぼれた言葉。
よくある定型文。
いや、ふつうは彼女さんが悪いと言うはずだけれど、今この場合にそれは正しくない。女が男にかける慰めではなくて、女が女にかける慰め。
わたしは、わたしが思っていたよりも彼のことが嫌いなのだとわかった。
「えへへぇ、いいこと言うね、せんぱい」
「だって、事実だもん。わたし、瀬尾さんには幸せでいてほしいの。瀬尾さんを幸せにできないような男の人は、みんなだめ。わたしが許してあげないよ」
「え、えと……」
「わたしだったら、瀬尾さんをいちばん幸せにしてあげられるのになぁ」
「……せんぱい、お酒入ってます?」
アルコールによるものとはなにかが異なる、なんだか甘酸っぱい赤らみを顔じゅうに広げる彼女を見て、もう一つわかったことがある。
わたしは、わたしが思っていたよりも彼女のことが好きなのだ、と。
遅れて恥ずかしさが襲ってきた。これじゃあ、口説いたみたいじゃないか。
「は、入ってないよ……! シラフだよ!」
「ふぅ〜ん……。質問を変えますけど、せんぱいって、あたしのこと好きなんですか?」
「すっ、すすっすき!? 違……くはない、けど」
慌てふためくわたしをとろんとした瞳で見つめると、瀬尾さんは一転して、にやりと口元を歪めた。
「でも、あたしを幸せにできるのはせんぱいしかいないんでしょ? そう言ってましたよ」
「い、言ったかなぁ、そんなこと……? 聞き間違えじゃ──」
「あたしは嬉しかったんだから、否定しちゃいやですぅ……認めてくれなきゃいやですぅ……ゔっ、ぐすっ」
わざとらしく涙目になって、庇護欲をそそる上目遣いの攻撃を仕掛ける彼女。わたしがそういうのに弱いと、もうとっくに知っているんだろう。
酔っているくせに、妙に頭が回る。ちょっと厄介だ。
「……わかった、認めるから……。そ、その、あなたを幸せにするには、わたしが適任、だよ」
「適任ですか、そっかぁ。──じゃ、責任取って♡」
瞬間、わたしの視界はふさがれた。続けてやってくる、お酒の香り。唇に感じるやわらかな感触。侵入してくる、湿って生ぬるいざらざらしたもの。
かくして──自らのなにげない発言によって、わたしのファーストキスは、いともあっさりと奪われた。
頭がくらくらする。ムードに酔っているのか、唾液を介して運ばれてくるアルコールに酔っているのか。たぶん、どっちもだ。
いやな気持ちにはならなかった。驚きと戸惑いで身体はかちこちになっているけれど、とつぜん唇を奪われたことに対する不満は、不思議となにも出てこなかった。
やがて、瀬尾さんの端正な顔がゆっくりと離れていく。火照った頬を気にも留めず、濡れている口元をぐるりと舐める。
「せんぱい、花澄せんぱい、あたしね、女もいけちゃうんですよ」
「……な、なんのお話をしてるのやら」
「も〜、とぼけないでくださいよぉ」
そっぽを向くわたしを、いやらしい目つきで矯めつ眇めつしてくる。
わたしは嘘をついた。本当は、瀬尾さんの言わんとすることはちゃんと理解していた。
「せんぱいだって、満更でもないでしょ?」
「まあ、うん……女同士がどうとか、そういうのはあんまり気にしないかな……」
「ふふ、もっと素直になればいいのに〜。『凛果ちゃんとのキス気持ちよかった』って!」
思わず、げほっ、と咳き込んだ。
気持ちよかった──それはたしかに合っているけれど、絶対に口には出さない。言おうとして口を少しでも動かしたら、その時点で恥ずかしくなって、先輩としての威厳が崩れ落ちてしまうことだろう。
代わりに、こんな質問をしてみる。
「瀬尾さん、こういう経験、どのくらいしたことあるの? というか彼とはどこまで……」
「舌まで入れちゃったのは、せんぱいが初めてですよ」
「そう、なんだ」
それは言い換えれば、触れる程度のものはしたことがあるという意味で。
どうしようもなく、胸がざわつく。もやもやする。こんな気持ちを味わうのは初めてだった。
「せんぱい、しょんぼりしててかわい〜」
「そんな、別に、かわいくなんて」
「かわいいですよぉ! あたし、ずっと思ってた、やわらかくておいしそうな唇だなって」
反射的に、両手で覆う。彼女の視線があまりにもわたしにばかり向いていて、それが危ない熱を帯びていたものだから、そうするしかなかった。
だけど、あまり力が入っていなかったようで、手は瀬尾さんによって簡単にほどかれてしまった。
「あいつで汚された分、上書きしてほしいです」
「……埋め合わせるだけじゃなくって、わたしまみれにしても、いい?」
「いーですよ。意外と独占欲あるんですね、なんなら今からベッド行きますぅ?」
「べっ……!? なっ、なんかこう、もうちょっと、じっくりやりたいな〜……なんて」
そもそも、どうしてこんな話になってるんだっけ。もしかして、すべての発端はわたしのあの発言? たったそれだけで、ここまで関係性が進展するなんてことがあるんだろうか。
逆にあのとき、わたしが黙っていたら。そんなことを考えるけれど、それはもう仮定でしかなくて、現実はこっちなのだから、当たり前に意味を成さないものなのだと気づいた。わたしは、こっちで満足していたのだ。
「まあ、時間はたっぷり残ってますし、じっくりやるのもいいと思いますよ」
ちょっぴりつまらなさそうに、でも表情をだらしなく緩めて、瀬尾さんは言う。わたしは内心、ほっとする。
「あたし、生涯かけてせんぱいに幸せにしてもらうんで。言質は取りましたよ?」
「う、ううぅぅ……言った、言ったけど……」
とんだ重責を負ってしまったものだ、と、頭がぐるぐる悲鳴をあげる。自分で言っておいてあれだけど、彼女を幸せにするなんて、わたしにそんなことができるのだろうか。
その思考を見透かすかのように、瀬尾さんは身体を密着させて、年下なのに艶めかしい微笑を浮かべて、小さくつぶやいた。
「──どれもこれも、せんぱいが悪い」




