第三十四話「訓練の終わり」
三か月の粗製訓練が終わりに近づいて行く。
ガルムと声を発さずにしぐさもなく心で意思疎通できるようになっていた。
これは短期間で出せる鍛錬成果と言うよりは手術の影響であろう異常だった。
またサバ―カの体に蜜が馴染んで行った。
蟲姫様の蜜。
これが手術を終えて増強された肉体に良く馴染み魔力回路が形成された。
小銃の発砲に「魔力」を込められるようになった。
今日は試しの場。
空中に目標を用意し観測部隊が見守る中想定訓練コースを駆け抜け終えたガルムが駆け込んでくる。
サバ―カは空中目標に照準。
小銃に「通魔」
小銃の内部絡繰りに魔法陣が起動。
魔法増幅発動器が励起。
銃口に小さな魔法陣が生まれた。
発砲。
標的を穿つ。
猛烈な爆発。
地表上空二十キロメートル地点の目標を撃破。
半径五キロメートルの装甲鉄を蒸発させる威力の大爆発が起きた。
サバ―カはたった一発の魔力弾を放つだけで過剰暴走。
地表にて煙を噴き上げガルムの背中から崩れ落ち小銃を手放し蹲る。
緊急治療パッケージがサバ―カを回収して行く。
サバ―カは蟲兵器生産工場の改良室に横たえられた。
そこは暗い玄室。
広大な闇の空間にベッド上の盛り上がりと改良装置がいくつも並ぶ
蟲姫ウームニイ・スビェートの操る金の蜜糸にて体の深部をサバ―カは侵され改変を受けた。
通魔で暴走しないように補助装置を増設された。
次の日、―――
サバ―カはもう一度猟犬に乗る。
通常飛行移動と回避移動の最後に空中標的に照準。
構える小銃に通魔。
発砲した。
同じ破壊効果。
しかし今度は暴走しない。
サバ―カは体が酷く熱くなるのを感じながらも無事。
地上に降り立つ。
訓練を見ていた上官が告げる。
「よく耐えた。だが魔力弾発砲は今のお前では最大五発までだ。それ以上は体がもたん。五発発砲後は魔力弾発射に三日待て」
サバ―カは頷く。
一発発砲しただけでもかなりの負担。
だが、今は蟲姫様の改変処置のお陰でどうにか保っている。
サバ―カは三か月かけて少し強く成れた。
歴代クローニングに言わせれば「弱すぎる」
が、三か月かけてサバ―カは無謀な村人を辞め戦士に戻っていた。
サバ―カは日々訓練を熟していく。
周辺は寒冷な気候の中、精霊より保護された小さな集落に背を向け出征準備を整える。
弾丸の薬莢組み立て訓練。
火薬の配合比訓練。
弾丸の薬莢火薬一体化訓練。
野営訓練。
作った弾丸を使う訓練。
ダガーと銃剣による近接戦闘訓練。
部隊間連携訓練。
一等兵としての任務訓練を戦闘支援系統で受けた。
歩兵や砲兵の支援として、側面攻撃や追撃を担当。
必要に応じて直接戦闘にも参加。
テクニカルな索敵偵察騎兵としての技能習熟よりも突撃騎兵としてサバ―カは鋳型に押し込められ捏ね上げられていく。
戦闘技能鍛錬ばかりが彼を待ち受け偵察技能や単騎伝令技能訓練がおなざりだった。
サバ―カは危機感を覚え己を仕上げるために偵察任務や単騎伝令任務の鍛錬を訓練場で繰り返す。
その日の訓練が終わっても能力造成を続けた。
突撃騎兵として消耗して死ね。
それ以上は期待されてない現実に抗う為に……
生存性を上げるために……
コーシカを助け出す為に……
己を磨き直していく。
日々が汗まみれに傷塗れで過ぎて行く。
城の変人サバ―カは笑わない、遊ばない、酒を飲まない、賭博をしない。
蟲姫様からの面会を謝絶し訓練場でぼろくそに成りながら鍛錬ばかり。
戦争の足音に怯えるようにサバ―カは己を磨き抜く。
汗をシャワーで流しベッドに腰を掛ける時静かに城の音色を聞く。
本日の夜はカンカンミュージックで有名となったオッフェンバックのオペレッタ音楽だった。
戦争前に本国から蟲姫と城兵を慰安する為に楽団と役者が駆け付けて来てくれたみたいだった。
オペレッタ《地獄のオルフェ》
1858年公開よりここは数百年先の未来。
サバ―カは無教養なままに「地獄のギャロップ」のあの楽し気で忙しい音楽を耳にしてほほ笑む。
音楽が続いて行く。
誰かが気を利かせオペラが終わった後、録音装置で館内放送しているのだ。
サバ―カは楽し気に耳を澄まし目を細める。
扉がノックされた。
開きっぱなしの扉。
振りむけば八メートル級クマムシ兵。
彼はサバ―カの訓練教官殿だった。
「姫、一時間までです」
「判っている」
何かが始まるらしい。
サバ―カに本日の夕食が届いた。
「何もわざわざ蟲姫さまが届けに来なくても……」
「言うな、これも未練だ。オペレッタの出来が良くてな、つい調子に乗ってしまった。レナ大河帝国は命令を下した。この地で迫る敵魔物軍勢を迎撃せよと軍令本部は告げた。かのオペレッタ、地獄のオルフェは社会風刺をもってフランス社会の矛盾を風刺したと言う」
今宵のレナ大河帝国のそれは良くできた演劇で在ったが、風刺精神は死んでいた。
だがよい劇だった。
だから少しお前の顔が見たくなった。
蟲姫はそう言ってベッド傍に食事を置いて行く。
「音楽が途切れるまで傍に居させてくれ」
蟲姫の言葉にサバ―カは頷いた。
相手は君主、逆らい様もなくただ従う。
「イタリアの貴様の先祖から抗議と贈り物が届いている。封を開けろ」
小箱には手紙が一通と一センチサイズクリスタルラジオが添えられていた。
「日本から改変した某帝国がヨーロッパ復興遠征をした時お前の先代クローンはイタリアを良く助け土着に成功した。故に今でもお前の帰還を待ちわびている。妹コーシカを救出したらイタリアに逃げるが良いだろう。ただし、何の記憶も無しにイタリアに飛んでもつらかろうな……」
そう言って蟲姫はサバ―カの額に手を当てた。
レナ大河帝国帝都「クルィロー」より保存されていた朧家狼夜の戦闘記録と人格データ。
それをそっとサバ―カに封入し直した。
彼女の首筋から生える多くのケーブルの一本がサバ―カのこめかみを貫き脳へアクセス。
サバ―カこと朧家狼夜のクローン兵器系等における大容量データ領域帯を一度空にしてこの地に追放されたくびきが蟲姫の手で解放された。
空白を持て余していた兵器頭脳にかつての戦闘技能と記憶を総て送り込んだ。
―――、其れは帝国が蟲姫にいざと言う時に渡した保険、―――
蟲姫にサバ―カの戦闘能力を戦略的に運用させレナ大河帝国を守るための秘策であったが蟲姫自身の裏切りでサバ―カに返還されてしまった。
……何が起きたのか、読者にはまだ分からないかもしれない。
だがサバ―カの脳内では、戦士としての記憶が静かに目覚めていた。
「これが蟲姫がお前に送る地獄のギャロップだ。風刺も糞も無くて済まないな」
老いた記憶を取り戻したサバ―カは俯く。
……音楽が、まだ続いていた。
蟲姫の手で細く柔らかく暖かなケーブルが抜かれて行く。
何も言えない。
サバ―カはやっと犬の記憶を脱し己を取り戻していた。
此処は天国でも地獄でもないし、世論と言う名の正論も存在しない。
まして華々しいオペレッタの主人公でもない。
愉し気な音楽が響いて行く。
「この旋律の名前を確認したい蟲姫」
「おや、口調が急に偉そうだぞ?記憶を取り戻した途端親分面か?」
「いや、そんなつもりはない……ただクラシックの旋律の名前を教えてくれ」
蟲姫は苦笑した。
「地獄のギャロップ、または天国と地獄だ」
犬を辞めた狼夜は何処に進むのだろう。
其れは過酷な戦場と言う現実かも知れない。




