第15話
王子が登校しなくなってから、一ヶ月後。
王子の体調は回復し、学院に再び姿を現した。
廊下の向こうから歩いてくるその姿は、まるで何事もなかったかのように整っていて。
その隣には、変わらず完璧に微笑む令嬢――セレナ・エルメイア。
正式な婚約者として、王子の腕に寄り添うその姿は、
まるで“もとからアリアナなどいなかった”と語るかのようだった。
(……もう、全部、終わったんだ)
アリアナの名前は、学院内でも王宮内でも、もはや誰の口にも上らなかった。
そしてこのタイミングで正式に、セレナ様がレオノール王子の婚約者だと発表された。
「呪いを引き受けた娘」――その存在は、
王家の体面を守るために、記録からも記憶からも封じられた。
冷たい噂だけが、彼女の背中にまとわりつく。
“王子に飽きられた愛人”
“あの女、身体を使って王家に取り入ろうとしたんでしょう?”
“でも、捨てられて当然よね。身の程知らずなんだから”
誰も、彼女の左腕に宿る異形を知らない。
誰も、あの夜、彼女がどれほどの覚悟でその呪いを引き受けたかなど、知らない。
ただ――
アリアナは、誰にも告げずに学院を去った。
卒業式を待たず、成績証だけを受け取り、静かに荷をまとめて。
(……もう、誰にも会いたくない)
手袋で隠した左腕が、時折うずいた。
王子に抱かれた夜。
耳元で囁かれた“甘い嘘”。
何度も信じた言葉。
何度も裏切られた現実。
すべてを、忘れたかった。
でも――忘れられなかった。
⸻
アリアナは、王都を発ち、故郷の辺境へと戻った。
リース男爵家――忘れられたような古い地。
帰郷の馬車の中、彼女はただひとり、黙って窓の外を見つめていた。
あの日のことを、何度も、何度も悔やみながら。
――なぜ、あのとき気づけなかったのか。
――なぜ、あの人の言葉を信じてしまったのか。
悔しさと憎しみと、まだ残る“恋心”が、静かに彼女の中で交錯していた。
そしてこのとき、まだ彼女は知らなかった。
その左腕の奥で、神蛇の眼が、ゆっくりと――目を覚まし始めていることを。